第5話 ギルド
──翌朝。
鳥の声と共に目を覚ますと、薄い陽の光が窓から差し込んでいた。
筋肉痛もない。目覚めもよく、今日も体は軽い。
(……不思議だな。やっぱり夢じゃなかったんだ)
隕石、異世界、ゴブリン。昨日まで夢のようだった出来事が、今は確かな現実として体に刻まれている。
空気の匂いも、木の軋む音も、聞き慣れない鳥の鳴き声も――すべてが、この世界の“本物”を告げていた。
ギルドの食堂は、朝から人の声と食器の音で溢れていた。
大きな鍋で煮えるスープの香り、焼きたてのパンとハムの香ばしい匂いが鼻をくすぐる。
席に着くと、昨日と同じ固いパンと薄味のスープが置かれていた。
それでも、今は食事ができるだけでありがたかった。腹を満たせるというだけで十分だ。
食後、ギルドのカウンターへ向かうと、昨日の受付嬢がにこやかに迎えてくれた。
「おはよう、ハルオくん。じゃあ今日は正式登録の手続きね」
机の上には、古びた銀色の球体が置かれていた。
表面には細かな紋様が刻まれ、中心では小さな青い光がゆらめいている。
「これに手をかざして。魔力量を測るわ」
「魔力……ですか?」
「ええ。この世界では、すべての生命が少しずつ魔力を持っているの。
人も動物も、植物もね。生きている証みたいなものよ」
人によって量は違うが、魔力がまったくない人間なんて存在しないらしい。
「なるほど……」
(ってことは、俺にも魔力があるってことか)
少し緊張しながら、俺は球体の上に手をかざした。
すると、青い光がふわりと明るくなり、内部に波紋が広がった。
受付嬢が感心したように目を細める。
「へぇ……平均より少し高めね。なかなか潜在値があるわよ」
「本当ですか?」
「ええ。訓練すれば、簡単な魔法かスキルくらいはすぐ使えるようになると思う」
「……魔法? スキル?」
受付嬢は微笑みながら、説明してくれた。
「魔力を具現化して外の世界に干渉するのが“魔法”。
魔力を体内に巡らせて力に変えるのが“スキル”。似てるようで、まったく別物なの。……小さいころ習わなかった?」
「すいません。初めて聞きました……」
受付嬢は一瞬、きょとんとした顔をしたが、すぐに柔らかく笑った。
「……そう。じゃあ、きっと遠い地方の出身なのね。魔力の教育が遅れてる地域もあるもの」
(遠いどころか、別の世界なんですけどね……)
心の中でつぶやき、苦笑いを浮かべる。
受付嬢は手元の用紙に何かを書き込みながら、静かに言葉を続けた。
「魔法とスキルはどちらも便利だけど、使い方を誤れば命に関わることもあるわ。
魔力は血や体力と同じ。流しすぎれば、体が空っぽになるの」
「命に……」
「だから、あなたみたいな初心者は、まず“感じ取ること”から始めた方がいいわね。
このあとも時間あるでしょ? 初心者講習があるから、続きはそこで教えてあげる」
「講習?」
「ええ。あなたみたいな人のためにいろいろ教えるのも、ギルドの仕事なの」
そう言って、奥の棚から一枚の紙を取り出す。
羊皮紙に手書きの文字が並び、「初心者講習案内」と書かれていた。
「これ、日本語だよな……」
思わず小さく呟いた。
昨日から感じていた違和感。話している言葉も、看板の文字も、すべて日本語のように自然に理解できている。
だが、ここは日本ではない。文化も風景も、そして“魔力”という概念も。
(俺が勝手に“日本語に聞こえてる”だけなのか? それとも――)
受付嬢が首をかしげた。
「どうかしたの?」
「あ、いえ……この文字、なんて言うんですか?」
「え? 普通に《共通語》よ。この国だけじゃなく、大陸全体で使われてるわ」
「共通語……」
(俺には完全に日本語にしか見えないんだけどな)
受付嬢は小さく笑い、肩をすくめた。
「不思議ね。いろいろ知らないのに、文字は読めるのね。田舎の子っていうより、ただの常識知らずなのかしら」
「うっ……」
くすりと笑う彼女。
「冗談よ。あなた、表情にすぐ出るからわかりやすいのね」
「そ、そうですか……」
(なんか、ちょっとからかわれてる気がする)
受付嬢は書き終えた書類を脇に置き、軽く頷いた。
「はい、これで今日の手続きはおしまい。初心者講習が終わったらギルドカードを発行するわ。聞くの忘れてたけど、冒険者になるでいいでしょ?」
「それで大丈夫です」
「講習はこのあと鐘が三つ鳴ったら始まるから、裏の訓練場へ行ってね。受付で名前を言えば通してもらえるはずよ」
「ありがとうございます」
彼女は一呼吸おいて、少し真面目な表情になった。
「……ハルオくん、あなたにひとつだけ言っておくわ」
「え?」
「“知らないこと”を恥じる必要はないの。
でも――知ろうとしない人は、この世界では長く生きられない」
その瞳は穏やかでありながら、どこか鋭い光を宿していた。
数多くの冒険者を見送ってきた者だけが持つ、現実を知る眼差し。
息を飲み、小さくうなずく。
「……はい。覚えておきます」
受付嬢は、ほっとしたように微笑んだ。
「よろしい。じゃあ、行ってらっしゃい。訓練はきついけど、命までは取られないから」
(“命までは”って言い方、ちょっと怖いんですけど……)
ギルドを出ると、外の光がまぶしかった。
街のざわめきが耳を包み、昨日よりも人の流れを落ち着いて見渡せる気がする。
(知らないことを、知るために生きる……か)
軽く息を吐き、歩き出す。
(よし……行ってみるか)
空を見上げる。
透き通った青の奥で、雲がゆっくりと流れていた。
まるで――“お前の行く先を見ているぞ”とでも言うように。
俺は深呼吸をひとつして、訓練場へと足を踏み出した。
──静かに、俺の“冒険”が動き出した。
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