第6話 訓練

訓練場はギルドの裏手、石畳の細道を抜けた先にあった。


木製の門をくぐると視界が開け、踏み固められた土の広場に訓練用の木人形が整然と並んでいる。隅には武器棚と水桶が置かれ、壁際では数人が汗を流していた。


「ここが……訓練場か」


受付で名前を告げると、簡単な確認だけで通される。ちょうどそのとき、街に三度目の鐘が響いた。


「おーい、新入りか?」


声に振り向くと、同じ年頃の少年がこちらに手を振っていた。短く刈った黒髪に軽装、肩に木剣を担いでいる。


「オレも今日から参加だ。セイルってんだ。よろしくな!」


「ハルオです。こちらこそよろしく」


気さくに肩を叩かれ、少しだけ緊張がほぐれた。


「緊張してるか? 最初はみんなそうだよな」


そこへ、地響きのような足音と共に、場の空気を一変させる男が現れる。


「――集合だ、ヒヨっ子ども」


全身を黒革で固めた屈強な男。人間の胴ほどある木剣を片手に、顔には鋭い傷跡が一本。


「オレはギルド訓練教官、ヴァイス。三日間で、この世界の現実ってやつを叩き込んでやる」


ヴァイスは数本の木剣を地面に突き立てた。


「好きなのを取れ」


俺は手に馴染む一本を選び、汗ばんだ掌で柄を握る。


「ハルオ、お前は……ティナとだ。セイル、お前は俺が相手してやる」


指差された先には、栗毛のポニーテールの少女。淡い緑のチュニックに膝丈のブーツ、腰には小ぶりなポーチをつけていた。


「私はティナ。剣術は初心者だけど、魔法は少し使えるわ」


「ハルオです。よろしくお願いします」


訓練が始まる。構え、踏み込み、回避、受け――


初めてにしてはうまく動けていたと思う、だが何度もティナの木剣が肩を打った。


「いった……!」


「ごめん。でも本番なら――もう死んでるわよ?」


返す言葉がなかった。速い。普通の女の子とは思えない――まるでスキルを使っているような鋭さだった。


「おいそこのふたり、なめてんのか!」


ヴァイスの怒号が飛ぶ。


訓練は容赦なく続き、土に転がり、汗にまみれ、息が上がる。それでも――


(……ちょっと、楽しくなってきたな)


夕暮れが近づき、鐘の音が訓練の終わりを告げる。


「これが“生きる力”の土台だ。魔法もスキルも幻想だと思え。明日は“本物の魔物”との模擬戦だ。覚悟して来い」


ヴァイスの言葉が、胸の奥にずしりと残った。


翌朝、体は悲鳴を上げていた。筋肉痛。だが、それは生きている”実感だった。


朝食は昨日と同じパンとスープ。そこへ、セイルが現れる。


「よぉ、筋肉痛仲間!」


「……お前、元気そうだな」


「あの教官、手加減なしだったからな。全身ピキピキだよ」


「……俺もピキピキで悲鳴をあげてるよ。でもおかげでいろいろ思い出したよ」


「なんの“思い出し”だよ。初めてじゃなかったのか?」


曖昧に笑うと、セイルはそれ以上は聞かず、肩をすくめる。


「ま、誰にだって秘密はあるってこった」


そこへティナが現れる。


「おはよう、二人とも。……動けそう?」


「筋肉痛で死にそうだがな」


「私も。でも、魔物相手なら、やるしかないわね」


訓練場にはすでにヴァイスが立っていた。


足元には巨大な檻。その中で、黒い影が蠢いている。


「今日の相手は“ネズミ”。一人一体ずつ戦ってもらう。命は取らんが、本気で来い」


「……ネズミか」セイルが呟く。


「雑魚ね。でも当然と言えば当然ね」ティナも余裕の表情。


だが――その“ネズミ”は大型犬ほどのサイズ。赤い瞳、鋭い爪と牙。間違いなく、“魔物”だった。


「ハルオ、前へ。準備はいいか?」


(……いける。ゴブリンを倒せたんだ)


「はい。お願いします!」


檻が開き、ネズミが飛び出してくる。


木剣を構える暇もなく突進。赤い瞳がギラリと光る。


咄嗟に体を捻って回避。爪が脇腹をかすめた。


「っ……!」


「怯むな! 一撃で仕留めろ!」


(……一撃で!)


ネズミが再び襲ってくる。今度は右!


(来い……!)


踏み込んで振り抜く!


ガンッ!


命中。だが倒れない。


すかさず、横薙ぎにもう一撃――


ズドッ!


ネズミは崩れ、動かなくなった。


「終了だ」


その場に膝をつく。全身が震えている。


「やるじゃねぇか、新入り」


ヴァイスが声をかける。その表情の奥に、わずかな評価の色。


「まぐれでもいい。“殺す気”で叩ける奴は、そういねぇ」


「……はい!」


自然と張りのある声が出た。


振り返ると、セイルが拍手し、ティナが静かに頷いていた。


(俺……この世界で、“ちゃんと”戦えたんだ)


木剣を見つめる。その感触が、確かな誇りに変わっていた。


「次、セイル!」


「よっしゃ、いっちょやってやるか!」


セイルは軽く肩を回して檻の前へ。


「いけるか?」


「まかせてくれよ、こう見えて実戦慣れしてんだ」


檻が開いた瞬間、ネズミが突進。


だがセイルはギリギリまで引きつけて――


「はいっ」


カウンター気味に突き出した木剣がネズミの顎を撃ち抜く。そのまま追撃、頭部を一撃で叩き伏せた。


「どーだ、?」


「……余裕じゃねぇか。次、ティナ」


ティナは一歩前へ出ると、静かに確認した。


「魔法の使用、制限なしですか?」


「威力さえ調整すりゃ構わん。殺さなきゃな」


「了解」


ティナが剣を構えて何やら呟き始めた。


檻が開かれたその瞬間――


「《風刃》」


透明な刃が走り、ネズミの脚を裂いた。バランスを崩し、転がるネズミ。


ティナは木剣を構えたまま、一歩前に出る。


「……これ以上は不要かと思いまして」


「よし……いいだろう」


ヴァイスは苦虫を噛み潰したような顔で、それでもわずかに口元を緩める。


「三人とも、よくやった」


セイルがハルオの肩を叩く。


「お前、昨日よりずっと良かったぞ。正直びっくりした」


「うん、動きがちゃんと“戦ってた”。素人のそれじゃなかったわ」


ティナも静かに頷いた。


(……嬉しい。認められるって、こんなに気持ちいいんだ)


木剣の感触が、確かに“俺の一歩”を刻んでいた。

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