第3話 悪魔の処刑

(この夜が明けたら、死んじゃうんだな)


 塔暮らしも数刻後には終わる。


 ユザは微睡みの中、冷たい石床の上に丸くなっていた。


 がらんとした石造りの独房は塔の頂上ということもあってか鼠の一匹もおらず、生気がない。


 はめ殺しの高窓を見上げたところで、怜悧な月光が射し込んでくるばかりだ。


(満月の夜、か)


 不思議と心は凪いでいた。


 幽閉直後からひと騒動起こしたのを思い返し、ユザは薄く笑った。


 手は打った。

 後はなるようになるだろう。


 この夜が明けたら――


 そっと瞼を降ろす。


 微睡みに身を任せた、その時だった。


「いや、ちょっ――お戻りください!」


 扉の外から焦ったような衛兵の叫びと鈍い打撲音の後、物凄い勢いで扉が開いた。


「――ユザ!」


 それは聞きたかった声であり、聞きたくなかった声。


「……カイ?」


 肩を上下させ、扉から顔をのぞかせた青年は、紛れもなくユザの無二の幼馴染だった。


 殺風景な部屋が鮮やかに色づいて見える。


 柔らかな小麦色の髪、真っ直ぐな灰色の瞳は、紛れもなくカイゼン・ウォードだ。


 数か月前のあの別れの後、隣国イシュガルドに留学しているはずだった。


「なんで、来ちゃったの」


「泣いているかと思って」


「……また適当なことを」


 ふっと微笑んで、カイゼンはそっとユザの傍に跪いた。


「食事は?」


「ご丁寧にきっちり三日間、生かしてもらったわ」


「そうか」


 開け放たれた扉から、脇腹を押さえながらおたおたと階段を駆け降りていく衛兵の後ろ姿が見えた。


「カイ、応援が来る前にここを離れた方がいい」


「だったら、ユザも連れていく」


(やっぱり)


 ユザはそっと目を伏せた。


「……カイゼンは優しいね」


 どこが、と自嘲気味に鼻を鳴らすカイゼンの灰色の瞳は、今夜の満月よりも綺麗だった。


 この三日間、配膳係以外に来訪者はなかった。


 皇宮は目と鼻の先にあるのに、皇族はただの一人も来なかった。


 なのにこのカイゼン・ウォードという男は、馬を駆っても二日以上かかる隣国から遥々やってきたかと思えば、見張りを倒してまで傍に来てくれる。


 だから、答えは決まっていた。


「私はここで死ぬよ」


「なんっ……で」


「明日の晴れ舞台を見守っていてよ」


(それが私に出来る精一杯)


 せめて最後は笑顔で別れたいと思ったけれど、目を細めたら涙が零れてしまった。


 呆然としていたカイゼンの整った顔が歪む。


「なんで……なんでこうなるまで頼ってくれなかったんだ……!」


 あなたに救われた人生だった。


 何のために一人で走ってきたのか。その理由は自明だった。


 ユザの心はやっぱり凪いでいて。


「これが最善だったんだよ」


 零れた声は自分でも驚くほど落ち着いていて。


 カイゼンは、もうすぐ念願の公爵位を授与される。


 その障害にはなりたくない。


「カイ。私、カイには過去じゃなく、未来を生きてほしいな」


 今度はちゃんと笑えた。


(……かな。 そうだといい)


 高窓の向こうで、空が白み始めた。


 カイゼンはやって来た衛兵たちに連れ出され、ユザもまた、処刑のために引き立てられた。


 皇宮前広場の処刑台の上からは、アヴィエス帝国民の作った街がよく見渡せた。


 ユザを迎えた広場の空気はぐわんぐわんとうねっていた。


 民衆が絶えず叫んでいるせいだ。


 悪魔の末皇女が処刑されるという世紀の瞬間を一目見ようと、民が押し寄せていた。


 広場の外まで溢れた民が皆、ユザを一心に見つめていた。


 口々にユザを罵倒する言葉や処刑を歓迎する言葉を叫んでいる。


 しかし、アヴィエス皇族はただの一人もいない。


(イサク兄さまには、来てほしかったな)


 一歩ずつ断頭台に歩み寄りながら、この期に及んでそんなことを思う。


 自分に希望を見せるのも、絶望を味わわせるのも、やっぱりイサクだけだから。


 もうすぐ首がとぶというのに、やっぱり心は穏やかだった。


 むしろ晴れ晴れとしている。


 断頭台の前に膝をつき、ふと群衆のほうに視線を放った。


 その瞬間、凪いでいた心にさざ波が立った。


 群衆の中にある人影を見たせいだ。


(どうしてあの人が)


 断頭台に置こうとした頭を上げ、その人影を凝視する。


 深く被ったフードが目元を覆っているが、紛れもなくそれは――


「ユザフィリア・アヴィエス。時間だ」


 処刑人の冷たい声と同時に、ユザの頭が強い力で断頭台の窪みに押し付けられる。


「ちょっと待って……!」


(まだ逝けない)


 首の向きを変えて、もう一度あの人影を視界の中に入れる。


(……え)


「――ユザフィリア・アヴィエス。国家反逆及び内乱教唆の罪により、斬首刑に処す」


 処刑人の声は全くユザには届かなかった。


 最期の一瞬まで、ユザの心は一点に注がれていた。


 フードの中で光った、一筋の涙に。



 ***



 ユザ処刑の前夜。


 皇宮の一室で、ラーゲン・アヴィエスは兄皇子に抗議していた。


「斬首刑だなんて、やはりやりすぎではないですか」


「どうして? お前も賛成していたのに」


 イサクは歌うように軽やかな口調で微笑んだ。


「皇帝命だ。余計なことはしなくていい」


 窓の外にはひときわ大きな満月が輝いているのに、イサクの深い青の瞳は何も映していなかった。


「本当にそれだけですか」


 ラーゲンは背筋に走る冷気から何とか目を背け、声を絞り出した。


「あの日、ユザに希望を見せたのはなぜです。余計なことだったのでは?」


 イサクがユザに深く関わろうとするなど滅多にないことだった。


 なのにあの時、ユザの背中を押すようなことをイサクはわざわざ言った。


「俺があいつを突き落とすのは理解します。でもこの結末のためにやったんじゃない」


(それも命をるような――)


 刹那の沈黙の後、ふっとイサクが頬を緩めた。


「ラギは本当にユザが好きだよね」


「……答えになっていません」


「うん」


 刹那、イサクの長い指がラーゲンの首を捉えた。


(痛……くる、し……)


「あに、うえ――」


「お前の飼い主は誰だ?」


 地の底から響くような低い声。


 ぞわりと肌が粟立った。


 無意識の身震いの後、身体が岩のように固まる。


 ラーゲンは頭の中をけたたましい警告音が鳴り響くのを感じた。


(あの日と、同じだ)


 ユザがアヴィエス帝国の末皇女として迎えられた日、同じ声でラーゲンはイサクの下に縛られた。


 ラーゲンの首を掴む手の力が強くなって、ぎりぎりと締め上げられていく。


 皮膚にはイサクの指が食い込み、鋭く痛む。


(いき、が……)


 ラーゲンを見下ろす深い青の瞳に仄暗い炎が見えた。


「答えろ、ラーゲン」


「……イ…サク兄上、です」


「うん」


 ようやく呼吸が自由になり、首を押さえて咳きこんだ。


 まだ手の感触が残っている。


 イサクは何もなかったかのように手首を軽く回すと、いつもの穏やかな笑みを浮かべてラーゲンを見つめていた。


「また噛み付いてくるようなら、飼い主だってうっかり口が滑ってしまうこともあるかもしれないよ。ラギ」


 ――例えば、皇妃の前で。


 イサクの口がゆっくりと形作った言葉の前で、ラーゲンは唇を噛むしかなかった。

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