第2話 まだ終われない
末皇女ユザフィリア・アヴィエスの投獄。
この衝撃的な報せは、その日のうちに隣国イシュガルドにも伝わった。
イシュガルドに留学していたカイゼン・ウォードのもとにも、いち早く早馬がいった。
「三日後にユザが処刑……?」
言うが早いか、カイゼンは勢いよく立ち上がった。
「あの皇太子……!」
報せを携えてきた遣いもカイゼンのあまりの剣幕に身を縮める。
アヴィエス帝国の小公爵カイゼン・ウォードは、人前で声を荒らげない。
けれど今は小公爵ではいられなかった。
他でもない、ユザのことだから。
アヴィエス帝国の末皇女は、カイゼンのたった一人の親友であり何よりも大切な幼馴染だった。
(くそっ、あの時止めていれば……!)
悔やんでも悔やみきれない、それはひと月前のこと。
カイゼンはアヴィエス帝国を発つ前に、皇宮のユザの元を訪れていた。
「そんなことをすれば味方までも敵に回す。良いことなんて、一つもないだろ」
皇宮の廊下を慌ただしく進むユザを追いかけながら、カイゼンは半ば怒鳴るように言った。
「いいの。このくらいしなくちゃ、流れは変えられないだろうから」
ユザは見向きもせず、静かに言い放った。
それはまるで自分自身に言い聞かせるかのようだった。
皇太子イサクへの心酔ゆえか、エイドラへの執着ゆえか。
ユザは持ち前の頑固さに磨きをかけていた。
カイゼンはもどかしげに眉間を押さえ、目の前の華奢な肩を掴んだ。
「いいか、ユザ。君の志は立派だが、これ以上は度が過ぎている」
「……どうしてよ」
振り返ったユザは形の整った眉を寄せ、カイゼンを上目遣いに見た。
金色の瞳がまっすぐカイゼンを射抜く。不満げな、だがどこか悲しげな眼差しだった。
「私はこのアヴィエス帝国の皇女なのよ。いくらエイドラの人々が独自の信仰を持っているとはいえ、アヴィエスの民である以上、私には彼らを護る義務があるわ」
「ユザ――」
「それに、私はやがて皇后になる身。兄さまが皇帝になれば、私は妻として兄さまを支えることになるのだから、何としてもやり遂げなくては。そうでしょう?」
ユザのヘーゼルアイは使命感で満たされていた。
しかしカイゼンは何としてもユザを止めなければならなかった。
(君には幸せになってほしいから)
伝えることは許されない。
だからユザには口が裂けても言えないけれど。
だからこそ、ユザにはここで止まってもらわねばならなかった。
カイゼンはユザの美しいヘーゼルアイに映る自分が、何とも情けない表情をしていることに気付いた。
(……はは、ひどい顔)
何かに駆り立てられているかのように、自分でも驚くほど必死だった。
だからだろうか、普段は絶対に使わない方法でまくし立てていた。
ユザを傷付けると分かっている言葉をわざとぶつけるという、最低な方法で。
「これではエイドラの人々を迫害する彼らと、彼らを断罪する君、どちらが悪者か分からない。もうすぐ皇后になる? 立后早々、廃后になってもおかしくはないな」
カイゼンがこれほど声を荒らげるのは数年に一度あるかないかという珍事だというのに、ユザは微塵も動揺した素振りを見せず、じっとカイゼンの黒い瞳を見上げていた。
それはカイゼンの焦りをいっそう煽った。
とにかく何か――ユザの凝り固まった決意を動かす一言を言わなければ。
そういう空回った思考を後押しされた。
「今、帝国民が君のことを何と言っていると思う? “エイドラに取り憑かれた悪魔”だ!」
一気にまくし立てたカイゼンは肩を上下させていた。
言い切った後、少し胸に影が差したのを必死で振り払った。
自分がユザに嫌われるかもしれなくても、譲れないことがあるから。
(お願いだから止まってくれ)
案の定、ユザの表情が翳った。
カイゼンはまた胸が締め付けられたが、後悔はなかった。
(むしろこれでユザが危険な歩みを止めてくれるならば本望だ)
しかし末皇女の答えは予想を遥かに超えるものだった。
「いいじゃない。“悪魔”」
「……は?」
「こうなったら悪魔にでもならなきゃ戦えないでしょう」
一転、ユザは澄んだヘーゼルアイをキラキラと輝かせた。
煌めく銀髪と相まって、一番星のように。
とっておきのいたずらを思いついた、幼子のように。
「そうよ、私が悪役を引き受ければ、今まで皇太子という立場上動けなかった兄さまも動きやすくなるでしょうし。このまま私の計画通りに進めればいい」
「……そうした後は? 俺は――」
「皇女殿下」
呟くように言ったカイゼンの声は、ふいに現れた侍女のユザを呼ぶ声にかき消された。
「……ちょっと待って」
侍女を制止したユザは、カイゼンがかき消された話を再開するのを期待したのか、カイゼンの顔をじっと見つめた。
(言える、わけがない)
カイゼンが唇を真一文字に結び、何でもないというふうに肩をすくめると、諦めたのか侍女のほうに振り向いた。
「なに?」
「お取込み中申し訳ございません。陛下が執務室でお待ちです」
「すぐ行くわ」
答えると、再びユザはカイゼンのほうに向き直った。
「カイが私をすごく心配してくれているのは分かってる。でもカイは自分の心配をしなくちゃ。日没前には発つんでしょう? 私は大丈夫だから、早く帰って」
何を思ったか、ユザにしては珍しく、随分言葉を選んでいるように感じられた。
後腐れなくカイゼンを突き放すための言葉を。
ユザの思惑通りだったのか真相はユザのみぞ知る、だが、結局カイゼンは彼女の涼やかな後ろ姿を見送るしかなかった。
「あの時引き留めていれば……っ」
何か変えられただろうか。
カイゼンは手綱を強く握りしめた。
ユザ処刑の報せを受けてすぐ、カイゼンは早急にいくつかあった喫緊の仕事を引き継ぎ、アヴィエス帝国に向けて馬を走らせた。
荒く息を吐く馬の吐息が白く立ちのぼり、乾いた大地を蹄が叩く音が夜気に響く。
あれから一睡もしていない身体は怠く、瞼も重い。
けれど目を閉じれば、あの日遠ざかっていった揺れる銀髪の煌めきが瞼の裏に浮かんでしまう気がした。
まだ夜は明けない。
すでに数刻走り続けている馬を、なおも奮い立たせるように鞭を振るった。
「……まだ死ぬな……ユザ」
***
同じ頃、ユザは幽閉塔の最上階に押し込まれていた。
「貴殿はこれより三日の後、皇宮前広場にて斬首刑に処されることになります」
もう、「皇女」とは呼ばれない。
目の前の騎士が話していることが、ずいぶん遠くから聞こえた。
イサクの感情の抜け落ちた端正な顔、その口から放たれた無味乾燥な言葉がユザの世界を占めていた。
(国家反逆に内乱教唆、か)
決して皇位簒奪を目論んでいたのではない。
イサクから皇太子の座を奪いたいなどとは露ほども考えていない。
それさえ分かってくれていたらいい――
この期に及んでそんなことを考えてしまう自分に嫌気が差す。
信じてもらえたのだと、信じていた。
(兄さまも『裏切り者』だと思っていたのかな)
やはり耳にこびりついていたのは最後の皇帝の言葉で。
だったらどうして皇女にしたのか。
問うたところで、答えてくれる者はいない。
今のユザは罪人であり、アヴィエス皇室の一員ではないのだから。
最後に投げられた、騎士の言葉を反芻する。
『――皇宮前広場にて斬首刑』
つまるところ「公開処刑」だ。
エイドラを擁護するあまり度が過ぎた人間は、たとえ皇女であろうと命を落とすことになる。
そういう脅しを国中にかけるつもりなのだろう。
(やっぱり、私の目の付け所は悪くなかった)
ユザはぼんやりと、掴みかけていた「獲物の尾」を思い浮かべた。
この結末はユザが核心に迫っていたことの証明だ。
もちろん、望んだ結末はもっと明るいはずだったけれど。
(一生懸命、走っていただけのつもりだったんだけどな)
唇に薄く自嘲気味な笑みが浮かぶ。
努力は必ず報われる。そんな優しい世界ではなかっただけのことだ。
(まあ、これで終わりになんてしないけれど)
おもむろに立ち上がり、扉の前に立つ。
扉の向こうに衛兵は二人。
下っ端だろうが、まあ何とかなるだろう。
一つ息を吸い、ユザは扉を蹴り上げた。
「ここにっ……フィズを呼んで」
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