第4話 ごみ捨て場の邂逅
ユザ処刑から一夜明け、カイゼンは皇宮前広場に足を運んでいた。
昨朝の熱気はとうに冷め、人気もまばらだった。
のろのろと処刑台があった場所に近づき、空を仰いだカイゼンの目の下は少し青黒くなっている。
ユザが今の自分を見たら叱責するだろうか。それとも微笑んでくれる?
――どれもしっくりこない。
昨夜は寝台の上でじっとしていることすらできなかった。
後悔なんて言葉では表せない。
ぽっかりと心に空いた穴を埋められる日が来るとは到底思えなかった。
目を閉じれば瞼の裏に浮かぶのは、憑き物が落ちたように清々しい表情を浮かべたユザの姿。
(俺はこんなに駄目なのに)
真っ直ぐなヘーゼルアイも煌めく銀髪も、今の自分には眩しすぎて。
薄い雲が張った明るい空から目の前にそびえる皇宮に視線を移すと、いやでもあの塔が視界に入り込む。
『――カイ。私、カイには過去じゃなく、未来を生きてほしいな』
あの言葉はかえってカイゼンを「ユザのいた時間」に留まらせていた。
(それを分かって言っていたとは思えないが)
何せ、正論をぶつけても怒りを煽ろうとしても“暖簾に腕押し”に終わらせてしまうユザのことだ。
(考えても仕方ない、か)
ふっと息を吐いて、カイゼンは次の目的地に向かうため踵を返した。
と同時に、向かってきた何者かとぶつかった。
「――っ、申し訳ありません!」
勢いよく頭を下げる少女の姿には見覚えがあった。
「フィズ?」
その名を呼ぶと、赤みがかった色素の薄い瞳と目が合った。
フィズはユザの専属侍女だ。
ユザがアヴィエス皇室に入った時に彼女に付けられた、たった一人の侍女である。
ユザとは姉妹のように仲が良かったから、ユザに会うたびに見かけていた。
(そんな彼女がなぜ?)
「ここに用でも?」
返事はない。
どういうわけかカイゼンと目が合った一瞬の後、一度も視線が交わらない。
胸の前で両手を握り締めて、カイゼンのみぞおち辺りで視線を泳がせていた。
「大丈夫か?」
(いや、大丈夫なわけないか)
主人をあんな形で喪ったのだ。平静でいられないのも頷けた。
「フィズ、具合が悪いなら――」
「ごめんなさい」
謝罪の言葉とともにカイゼンに向けられたのは、鈍色に光るナイフだった。
ちょうどフィズが視線を泳がせていたみぞおちに刺し込まれたナイフの柄を茫然と見遣って、ようやく自分が「刺された」ことに気付く。
一歩、二歩、よろよろと後ずさると、涙に濡れたフィズの顔が見えた。
「ごめんなさいカイゼン様……」
皮肉なことに、ようやくその赤みがかった色素の薄い瞳と焦点が合った。
「……っ、が……げほっ」
咳きこむのとともに身を屈めると、無意識に腹を押さえていた手を生温い液体が赤く染めていた。
錆びた鉄の匂いが鼻腔に広がる。
(あー……もう本当に駄目かも)
徐々にぼやけていく視界に赤い影がちらつく。
それはフィズの瞳か、己の生き血か。
(何でもいいや)
身体が傾いたように感じて、苦い諦観を受け入れるように天を仰ぐ。
ユザが最期に見た空と同じ青だろうか。
……そうだといい。
***
脳天を突き破るような悪臭で、意識が徐々にはっきりしてきた。
「ん……」
喉から漏れた声が妙に軽い。
こんな生ごみの匂いが漂う天国があるはずもないから、ここは地獄かと思う。
そう、今カイゼンの鼻孔を占めるのは生ごみの匂い――
「……生ごみ?」
呟いた途端、眠気が吹き飛んだ。
ぱっと目を開けると、曇天が広がっていた。
何となく安堵している自分を心の片隅に感じながら、ゆっくりと体を起こし、辺りを見渡すと。
「走馬灯……じゃあるまいし」
カイゼンがそう考えるのも無理はない。
そこはカイゼンが幼少期を過ごしたふるさと――貧民街の中央にあるごみ捨て場だった。
ぼろぼろの掘っ立て小屋が隙間なく建ち並ぶ光景は、紛れもなく彼方に追いやっていたカイゼンの古い記憶と合致する。
(いやいやいや)
茫然となりかけた頭を振って、一呼吸。
違和感と言おうか、確かめたい点があまりに多すぎた。
(まずは声)
先ほどから自分の言葉を幼い声が代弁している妙な感覚があったが、どうやらその幼い声は自分の「今の身体」から発せられているようだった。
嫌な予感がした。
両手を広げると、悔しいことに予想通り。
「もみじ……」
辺りを見渡して、記憶通りの貧民街であることを再確認する。
カイゼンは頭に浮かんだ一つの仮説を恐る恐る声に出してみた。
「過去に戻ってきた……?」
しかしこの仮説に説得力を持たせるには、もう一つ確かめねばならないことがある。
(この空の厚い雲、地面の濡れ具合……)
すばやく地面に視線を張り巡らせ、所望のものを見つけると駆け寄って覗き込む。
「……大正解」
水たまりの水面に映ったのは、カイゼン・ウォードの面影を備えた少年の苦笑いだった。
(ここまではまだ想定内というか)
何とか自分なりに消化して受け入れられている。
だが最大の問題は――
「…………」
(なんか、見られているんだよなー……)
起き上がって周囲を確認した時から感じていた。
視線の主は隠れているつもりのようなので、カイゼンも見ないようにしていたが、やはり気にしないのにも限界がある。
何よりこの視線の主は視界の端にちょろちょろと入り込んでくるせいで、「誰かさん」だろうと目星が付いてしまっていた。
本当にその「誰かさん」であればそんな嬉しいことはない。
過去に戻ってきたという自説がより強力になるうえ、再会できた喜びがこみ上げてくる。
同時に、下手に淡い期待を持ちたくないとも思う。
心に空いた穴はまだ埋まっていない。
傷口に塩胡椒を塗り込む覚悟は出来ていなかった。
しかし見方を変えれば、これは元よりないはずの機会だとも思う。
利用し尽くして絞れるだけ絞り切って、くたくたにくたびれるまで使い潰せばいい。
意を決して、カイゼンは振り返った。
「……なに見てんの」
「……っ」
ごみ山越しに見える小さな肩がびくりと跳ねた。
「出ておいで」
それから鳥の鳴き声を二回聞いた後、「誰かさん」はようやく動き出した。
恐る恐る顔を覗かせたのは、カイゼンが焦がれた人をうんとあどけなくした少女だった。
身に纏った服は薄汚れていて、顔色も悪い。
貧民街暮らしの片鱗があちこちから窺えるというのに。
(ああ……)
「よかった……」
予想に反して、こみ上げてきたのは喜びよりも大きな安堵と得体のしれない涙だった。
確かに目の前の少女は“生きている”。
カイゼンの頬を一筋の涙が伝ったのを見て、少女は目を見開いて澄んだヘーゼルアイを揺らした。
貧民街暮らしの片鱗は、カイゼンの記憶にある眩い銀髪をもくすませていた。
(それでも眩しいんだなあ、君は)
五、六歳頃だろうか。
ユザは幼くてもやっぱり美しく、そこに在るだけで花が咲いたように煌めいていた。
それこそ、空を覆った厚い雲すら吹き飛ばしてくれそうなほど。
ユザのヘーゼルアイは記憶の中と同じ力を持って、輝いている。
今度こそ幸せになって がてら @Gattera
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