第3話 困った下僕である。

 これは、しっかり分からせる必要があるか。

 威智め。

 しかし、我が黄金の左前脚を華麗に見舞ったとて、悦び悶える威智の姿しか思い浮かばない。何たることか。

 先程張った胸がへちょんと萎む。

 褒美として受けとめ兼ねないからな、この下僕は。

 さて、どうするか。

 如何にして我を愚弄した事を反省させるか、なかなかに難題ではないか。

 いや、難しく考える必要はないのでは。

 構うと悦ぶのだ、構わなければ効果があるのではないか?

 以前そばに寄らなかっただけで、この世の終わりの如く地に伏して嘆いていた姿を思い出す。



「ただいまー!!」

「帰った!!」

 帰宅を知らせる挨拶が聞こえ、翔有と悠良が元気に帰ってきたようだ。

「ねる!!」

「ねーるー!」

 一目散に我の前までやって来る2人。

「二人ともおかえりなさい。ねると遊ぶのはランドセル下ろして、宿題終わらせてからよ」

「はーい」

「はいはいはい」

「とあにぃ、ゆらにぃ、おかえりー!! 早くちゅるるするよ!!」

「仁和、お兄ちゃんたちを急かさないの。宿題はあわてず真面目にやりましょう」

 我にちゅるるを捧げたい仁和が、翔有と悠良を急かす様を理乃が窘める。

「ぶぅーーーー!!」

 顰め顔で唇を尖らせ頬を膨らます仁和。

「にぃーか……もう」

 そんな仁和の唇を摘み、膨らんだ頬をつつき理乃は困り顔で微笑んだ。

「今日のプリント、はい」

 翔有がランドセルから取り出したプリント類を理乃に渡し、宿題も取り出した。

「はい。明日何か必要な物ある?」

「特にはないかな」

 見ていた仁和の幼稚園の連絡帳を脇に置き、翔有からのプリントを受け取った理乃。

「おかか、プリント」

 悠良もプリントを理乃へ渡し、学校へ持っていった水筒と箸箱をキッチンへ。

「悠良は何か持って行かなきゃならないものは?」

「ない」

 水筒と箸箱を出し洗面所へと向かう翔有を追って行く悠良。



「父さん、ただいま」

「ただいま」

「お゙がえ゙り゙ー」

 手洗い、うがいを終えた翔有と悠良が威智の元へとやって来る。

「父さん、ねるのご機嫌損ねたの?」

 我の傍で項垂れ、うるうると瞳を濡らす威智にようやく声をかける翔有。

 帰宅してから項垂れ咽び泣く姿は、ずっと見えていただろうにスルーする程度には、慣れたモノになりつつあるのか。

 はたまた、関わりたくない面倒と捉えたのか。

 この歳で大したスルー力であるな。

 ぐずる威智の相手を今するのだからそこまでは思ってはいないのか。

「おとと、ねるに嫌われた?」

「嫌゙いに゙なら゙ない゙でぇ゙ぇ゙ーー!!」

「ねるの傍で騒いだら、ますますねるが嫌がるよ父さん。 悠良も、父さんを刺激する事は言ったら駄目だ」

「ゔゔゔ……」

「はーい」

 我の尻の脇で蹲り嗚咽をもらす威智をつつく悠良。

「仁和のお迎えから帰ってきたら、ねるちゃんご機嫌ナナメになってたみたいで」

 お昼寝から起きたら、威智ちゃんに塩対応なのと、理乃が話す。

「ととちゃんにツンツンなの」

 悠良の真似をして仁和が威智を「ツンツンなの、ツンツンなの」と繰り返し突く。

 威智はされるがままだ。

「ね゙る゙、ごめ゙ん゙ーーゆる゙じでー」

 失念しておったわ。

 威智は我がすげなくすると、この世の終わりの如く地に伏し許しを乞うだけでなく、傍でひたすらに嘆き離れず我にまで精神的ダメージを与え辟易させられることを。

「ねるしっぽイライラだ」

 びたーんびたーんと左右の床に打ち付けられる我のしっぽに気付いた悠良の呟きに、喚いていた威智がぴたりと黙る。

「隣に居るのはいいけど、煩くするなってとこかしら? ねるちゃん」

 威智の隣から離れることなく留まっている我の姿に、理乃が我の言葉として呟いた。

「とりあえず、傍には居てくれるみたいだから、威智ちゃん落ち着いて、ね?」

「ゔゔぅ゙」

 ぐもった小さな嗚咽で返事をする威智。

 精神的ダメージに負けここで簡単に威智を許してはならぬ。

 我を愚弄すればどうなるか反省させねばならぬのだ。ヘタりかかる耳を反らせる。

「ね゙る゙ーぅ゙、ね゙る゙ぅぅ゙ぅ゙」

 幾度反省させても威智は我を小馬鹿にするのだ。我の下僕としての心掛けがなっとらん。

 まったく困った下僕だ。

 物覚えの悪い下僕を持つと苦労する。

「父さん、ねるが大好き過ぎるよね」

 困ったね? とでも言うように翔有が我の喉をこしょぐる。

 全くだ。我を敬うのは構わぬが、威智は好きの暴走が激し過ぎるのだ。

「にっ」

 思わず翔有へ鳴き返す。

「ねるもそう思う?」

「にゃうん」

「威智ちゃんのねるへの愛情は留まるところを知らない、膨らむ一方らしいからね~。 それにしても、相変わらずねるちゃんは話してる事が分かってるかのように鳴き返してくれるわねぇ」

「ねるは賢いからね、多分僕たちの話してる事分かってるんだよ」

 うん。うん。と自分の言葉に腕を組んで頷く翔有の頭を理乃は撫でる。

「そっかー」

 翔有の考えが可愛いくって仕方ないとばかりに撫でくりまわしている。

「ねる天才猫」

 悠良が翔有に賛同して頷いた。

「仁和もそー思う」

 仁和も手を挙げ賛同を示した。

 子らよ、よく分かってるではないか。

 我の偉大さ、英明えいめいさは、隠しても隠しきれず溢れ出ているのであろう。

 思わず、先程萎んだ胸を張りむふーっと鼻息がもれでてしまうが、澄まし顔でやり過ごす。

 気づかれてはいまい。

「ねるドヤ顔?」

 悠良が目敏く見ていたようだ。

 悠良はなかなか観察眼が鋭い所がある。

 今度は鳴き返すことはせず、しっぽをパタン、パタン、と上下に振る。

 悠良が翔有と一緒になり、我の喉をこしょぐりながらじっと見つめてくるがアタマを左右、上下に動かして指先の位置を誘導する。

「翔有、悠良、宿題やっちゃいなさい。 威智ちゃん、ねるのご機嫌伺いでブラッシングしてみたら?」

 宿題が終わらねば、ちゅるるがおあずけ状態の我としてはら早々に着手してもらいたい案件である。

「ぶらっしんぐ……」

「仁和も2人が宿題終わるの待ってるから、宿題に取り掛かっちゃおう。はい、威智ちゃんブラシね」

「ぶらっしんぐ……ねる……、ねる、ブラシしてもいいですか?」

 翔有と悠良が宿題に取り掛かるのを横目に、我にブラッシングの許可を願う威智に顔を向ける。

 敬語でおずおずと理乃から渡されたブラシを我の前に差し出した威智。

 ブラッシングは嫌いではない。

 威智が我の為にと買い揃えたブラシたち。

 威智めが、1日1度は触れ合いですとか、体調管理の一環ですと言い訳がましく申して伺いをたてるのを、奉仕の一つであると容認している。

 別に許した訳ではないが、いつまでもめそめそと脇で愚図られては我の精神衛生上よろしくもなかろう。

 立ち上がり背伸びをし、威智の前に背中を向け再び座り、チラっと威智を見る。

 我が意を汲み取ったとばかりにいそいそとブラシを優しく背にあててくる。

 うむ、誠心誠意ブラッシングするがよい。

 背中から尻尾の付け根辺りは念入りにな。

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