第2話 不思議でいい。

 湖面に浮かぶ蓮の形の花、水中にはガーベラやダリア。百合や桜が風に流れ浮島には鈴蘭や芍薬。

 他にも多種多様な花の形をした夢が至る所に点在している。

 花の姿格好は現世のものと変わらない。

 いや、花の部分だけが浮いていたりするので、変わらないと断言するのは些か語弊があるか。


「さて……」

 湖面に着いた足先が波紋を描く。

 沈む事なく湖面を移動する。

 湖面に着いた足先が濡れる様子はなく、毛も肉球も乾いている。

 これが一度ひとたび水に濡れると意識した途端、濡れる。

 夢世の理の不思議であろうか。

 沈むと思えば水中へといざなわれ、濡れる事はないと認識していれば毛や皮膚が濡れる事のない水中散歩となる。

 勿論目も開いても先を見る事が出来るし痛みもない。そして息も問題ない。

 濡れず水に毛を撫でられる感覚の不思議な事よ。

 浮島へと意識を向ければ空中を移動出来る。

 空中を踏む感覚の不思議な事よ。

 夢世の理を深く考える事はせぬ。

 考える事はすぐ飽きる。

 不思議な事でいい。

 難しく考える必要はない。

 夢世このせかいの有り様は、創ったモノにしか分からんのであろう。

 目の前に現れた夢世をただ楽しめば良いのだろうさ。


 とまぁ、そんななんとも取り留めのない思考回路でもって、夢を吟味し歩いてみたが、なかなか惹かれる夢は見つからず足を止めた。

「何かありそうではあるのだがなぁ」

 その時、風に乗りふわふわと移動していた夢が視界の端を横切った。

「ふむ、印付しるしつきであるか」

 カラーの花が、肉球の印が付いた透明な膜に覆われている。

 肉球印は予約の証。

 見つけた夢が他の夢猫に食われぬように付ける印。

 夢世には無数の夢が形作られている。

 形作られた夢たちは夢主が夢から覚めても暫くは夢世に存在する。

 印が付いた夢は、消えることなくずっと夢世に在り続けられる。

 気になる夢を複数見つけた時や、食らう気分ではないが、ふらりと夢世を散歩している時などに夢が消えぬように印を付けるのだ。

 夢主に直に印を付ける事も出来る。

 我が下僕の威智にも燦然と肉球印が左頬に輝いてある。

 夢猫にしか見えぬがな。

 印の場所は決まってはおらん。気分だ。

 印の付いた夢主の夢は、この夢世に形作られる瞬間から肉球印の膜に覆われて現れる。

 印の付いた夢は呼べば傍にやって来る探し回る必要のない、楽ちん仕様なのである。

 我にも印を付けた夢のストックは有るのだが、片手間の三時のおやつ感覚で食らう為の夢は残念ながら今はないのだ。

 なのでこうして探し歩いてみたのだが、こんな時に限って惹かれるものがないと言う始末。

「さて、どうするか」

 諦めて現世へ戻るか、もう暫く粘って探すか。

 しかし、髭がモゾっと何かを訴えている感覚が僅かながらずっとあるのだ。

 我の髭は優秀であるから微弱ながらも何かを感じとっているのであろう。

「これは、何か出会えるか……」

 髭の予感を頼りに止めていた足を踏み出す。

 髭の感覚に身を任せ浮島へと登って行く。

 あと僅か数歩で、浮島へと到着する所でそれは現れた。

 金木犀の細やかな花が浮かんである。

「ふぬ、あれか」

 やはり我の髭は優秀であるな。多少時間を要した事は斜め下にでも埋めておこう。

 出逢えたその夢の前に立ち様子をうかがう。

 この夢ならばおやつとして最適であるか、見定めねばならぬ。

「見極めねばならぬがしかし、時間切れか……」

 現世の騒がしさを感じとる。

「印を付けておくか」

 迎えに出ていた威智が仁和を連れ戻ったのであろう。ゆっくりと味わう時間はない。

 ならば印を付けるのがいいだろう。


 左前脚の肉球をチロリチロリと丹念に湿らせる。湿りが足りんと印が付かぬのだ。

「こんなものか、それ」

 肉球がよく湿ったところで、ぺちっと金木犀を猫パンチ。

 見る間に薄い膜で覆われる金木犀。

 膜にはしっかりと肉球印が浮かんでいる。

「これでこの夢が他のに食われることはないな」

 夢が消えてしまう心配もなくなる。

 探し歩く必要もない。

 呼べば来るからな。

「さて戻るか」



「ねるー!! ただいま!!」

 キャットタワーの前で両手を万歳してぴょんぴょん跳ねながら、仁和が帰宅を知らせる挨拶をする。

「仁和、手洗いうがいするよ」

「はーい。 ねる、すぐ戻ってくるね」

 片目をうっすら開きチラリと仁和の後ろ姿を眺める。

「しっかりアワアワして、指の間もごしごししてー」

「亀さんにしてー」

「上手だね。 はい、しっかりアワアワ流して次はうがいだよ」

 少し離れた所で威智と仁和の声がする。

「3回ごろごろってしてぺっね」

「はーい」

「はい、上手に出来ました」

「ととちゃんも上手に出来ました!!」

 パチンと威智と仁和が手を合わせた音が聞こえた。

「仁和、出すもの出してからよ」

 一直線にキャットタワーへと駆け寄って来る仁和に、理乃が両手を差し出し促す。

「おべんとうとー、れんらくちょう!!」

 仁和は、リュックから連絡帳を手提げから弁当箱の入った巾着を取り出し理乃へと渡すと、目的のキャットタワーの前に立つ。

「ねる!!」

 高さのあるキャットタワーなので、仁和の背丈では我のいる場所には届かない。

「ねる、きて!! おいで!!」

「ねるはお昼寝してるんじゃないの?」

 キャットタワーのハンモックから動く事なく丸まったままでいる為、まだ寝ているのではないかと言う理乃。

「おきたよ! 目があいたもん!!」

 子供の甲高い声で呼ばれて、寝ていられる程我は鈍感ではない。

 しかし、呼べばほいほい寄って来ると思ってもらっては困る。

 我、猫ぞ? 気高き誇り高き夢猫であるぞ?

 呼べば尻尾を振って走り寄る生き物と一緒にしてもらっては甚だ遺憾であるのだ。

「ねる、『ちゅるる』しよう!! 『ちゅるる』!!」

 仁和よ、そんな甘言かんげんに惑わされる我ではないぞ。

「仁和、ねるのおやつは翔有と悠良、お兄ちゃんたちが帰ったら一緒にあげる約束でしょ?」

 『ちゅるる』を出せば簡単に釣れると思ったら大間違いである。

 そう何度も騙される我ではないわ!!

 我は賢いからな、学習というものをちゃんとしているのだ。

 仁和の『ちゅるる、あげる』は我を動かす為の甘言であると。

 ちゃーんと覚えておるわ。

 理乃の言葉に心持ち胸を張り、ふすんと鼻息をもらした。

「今日は仁和のちゅるる作戦は失敗かい?」

 ハンモックを覗き込み、我が薄目を開いて起きている姿を見つめ、我がいつも仁和の甘言に惑わされているが如き発言をする威智。


 威智よ、我が下僕でありながら我を愚弄するその発言は聞き捨てならぬぞ。

 問題発言というやつだ。

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