日記を使って詩を書いてみませんか?

皆様お久しぶりです。

自称とっても忙しい人です。(多分言うほど忙しくない……)

これを読んでくださる方はかなり少数人数だと思いますが、その皆様へお伝えしたいです。

今に始まった事ではありませんが、続きが、遅くなり申し訳ありません。そして、読んでくださりありがとうございます。


今回は前回の内容の続き、詩を比較的簡単に書く方法についてお話を続けて行きたいと思います。


その方法は小学生の心を持って感情を込めて日記を書くことが必要だとお伝えしました。


『お母さんに頼まれて、初めて一人でお使いに行って、それから、八百屋さんに行って、それでトマトを買いました。ちゃんとできて嬉しかったです』


前回の私が、書いた日記です。

このままだと、ちょっと詩とは呼びにくい気がします。

でも、書いた本人、今回なら私ですけれど。

私自身が、これは詩だと胸を張って言えばそれは、本人にとっては詩なのかもしれません。

周りの多くが中々認識しづらいとは思うのですけれど……。


私自身も今の所この日記を詩だと認識できないので、なんとか詩にしたいと思います。

じゃあこの日記、どうやって詩にするかと言うと、前回お話した通り、詩の型の一つ、俳句の型を使用します。

俳句の型にはまるように日記を分解するんです。

そして、型にはめるために分解する時は大切なポイントがあります。

……あるのですが、それを一旦、無視して、適当に分解してみようと思います。


そうですね……。例えば……。


『初めての お使いトマト 買いました』


どうですかね……?

詩に見えますかね……?

ちゃんと型通りに五七五、トマトという夏の季語も入ってますけれど……。


一応、書いた本人が詩だと、自信をもって言い切り、さらに伝えたい思いを文字のアートに乗せることができているというのであれば、世界の全てが反対しても、これは、詩だと思います。


でも、実際に書いた本人である、私の意見としては、これを詩だと認識できないような気がします。

書いた本人的に、この文章には伝えたい思いを文字のアートとして乗せることができていないように感じているからです。

こうなると型にはめてるのに、詩にならないという不思議なことになってしまいます。

やっぱり伝えたい思いがなければ、それは詩として機能しにくいのかもしれません。


それでは、詩にするために入れる必要がある、伝えたい思いって何って話ですけれど、もしかしたらこれを読んでいる何人かは気がついていらっしゃるでしょうか?


私は、前回日記を書いたら詩を書きやすくなるよという事を書きました。

ただし日記を書く条件の一つに、必ず感情を書くようにしてね、と書いたように思います。


この感情こそが、文章を詩にするための、大切なポイントなのだと思っています。


作者の感動を込めて、それが読者にきちんと伝わった時に読者の心を揺らすことがあります。

そうなった時、自他ともに認められる詩なのかなと思うんです。


もちろん、自分の為のアートですから、自分だけがそれを詩だと思えればそれはそれで良いとも思うのですけれど。


やっぱり、自分が作った作品。

良いね!

ってしてほしいじゃないですか!

さらに良いねだけじゃなくて、感想がもらえて……。

さらに、その相手の感想が自分の思い描いた景色と同じ物を魅せる事が出来たとしたら?

もしも相手に自分と同じ感動を魅せる事が出来たら?


それってとても幸せなことじゃないかなって思うんです。

そして、自分も自信をもって認められ、かつ、周りの多くの人達にも同じ感動を与えることができた時こそが、究極完全な詩アルティメットポエムだと言えるんじゃないかなと思います。


話がそれて行っている気がするので、もどします。

ごめんなさい。


日記から詩を書くために分解するコツですが。

必ず感情を俳句の型の中に埋め込むことです。

今回の日記ならば『嬉しいな』が該当します。

『嬉しいな』は一旦は、必ず俳句の中にねじ込んでください。一旦は、ですよ……。


実は感情をずっとは俳句に入れないのです。

感情は必要なのですが、感情を詩の中に直接書くと、無粋に見えます。

勘違いしないで頂きたいのは、感情を直接書いちゃいけない、ということではないのです。

感情を書いてしまったら詩にならない。そんな事はありませんので。

書きたい時は直接書いてもいいと思います。


でも、詩にするためには感情は書かないほうがやりやすいです。だから、一旦、ねじ込んで後でいい感じにします。

そしてその、いい感じにするのが、楽しくて、でも難しいんです……。ですがね。

ところがなんと、俳句なら、誰でも簡単にいい感じにできます。

これも昔の人が作った俳句の型のすごい所です。


じゃあやってみます。

今回、私は、どういうアートを作りたいのかと言うと、初めてお使いにった所、成功できて嬉しかった。という所を詩にしたいのです。

この感動をアートにして発信したいです。


嬉しいなというポジティブな気持ちを込めた詩です。小説で言うハッピーエンドを目指します。


嬉しいなは絶対に入れて、なので……。

うーん……


『大成功 初のお使い 嬉しいな』


一旦こうしてみましょう。

これもまだ、書いている本人は詩とは思えないです。

嬉しいなって自分の感情を説明しているので。

ちょっと詩としては無粋だなと、私は、思います。

嬉しいなの所に自分の工夫を込めているなら別ですが、今回そいうわけでは無いので。


それでは、さらにこれを詩に近づけたいと思います。


嬉しいなをいい感じにしましょう。

いい感じってどうするんだよって話ですけれど、俳句と言えば必要なものがあります。でも、それを今回の俳句は使ってません。

それは何かというと、そう、季語です。

この俳句、季語が入ってないんですよね。

だから入れましょう。


いれるスペースがないじゃないか。

そう思った方いますか?

実は意外とそうでもないのです。


先ほども書いたのですけれど、嬉しいなという感情は、詩には必要ですが、実際に書いてしまうのはちょっと無粋です。

いい感じにしないといけません。

いい感じにする一つの方法が季語に置き換えてしまうというものです。


季語は、俳句に原則入れるものです。

このルールがあるからこそ、季語は俳句に入れれば勝手に主役となれます。

主役になると、どうなるのかと言うと、強い感情を代弁させたり、その感情の気配を強めたりすることができます。嬉しいな、は感情です。

季語によっては嬉しいという感情は、代弁してくれます。


例えば……。


『大成功 初のお使い 山笑う』


なんてどうですか?

春の季語である、山笑うという季語は春が芽吹いて山が華やかになっていてまるで笑っているみたいという、ポジティブな意味を持つ季語です。


『春のある日に初めてお使いに行った私は、きちんと母の言い付け通りに買い物をすることができました。春の暖かな気候の中、まるでこの街を見下ろす山々も、まるで私の成長を喜んでくれているように華やかに色づいているようにみえます。私は、とても嬉しく思います』


って感じに読者に伝わったら嬉しいな〜なんて思ってます。

でも、まあ、これで行くなら個人的には上五の大成功が説明っぽい気がするからちょっと嫌かも……。

説明も必要な時はありますけれど、今回は説明しなくても、山笑うという季語が大成功の部分の意味を持ってくれてる気がするし……。


そう考えると、上五また変えられるかも……?

いや! 今回の句は成功したという喜びを強く表現したいんだ。だから、このままが良いとも、いえます。でも、説明するくらいなら風景描写や行動を見せて間接的に成功していると言うことを説明する方がさらに良くなる気もする……。

例えば成功している所を見せるなら、スキップしてる様子を描写するだけでも良いわけだし。スキップなら説明ではないし。


成功はとりあえずアリだとして、大ってつける意味はあるのだろうか……?大をどけて、成功とするだけで良いのでは?


『〇〇成功? 初のお使い 山笑う』

『〇〇〇〇〇 初のお使い 山笑う』


ニ文字あれば結構色々できるけれど……。

こうやって悩むのも詩の楽しいところです。

多分、一番楽しいところかも?


このあたりの塩梅は作者が、これをアートとして認められるかどうかな気もします。


ちょっと季語や順番を変えて違うのにしてみましょう。


そうですね……。

例えば……。


『お使いの 帰路の夕焼け スキップで』


『ある夏の日のこと。私は、母に頼まれてお使いへ向かいました。私は、初めてのお使いでしたが、母に頼まれた品物きちんと買い揃えることができ、嬉しく思いました。帰り道を彩る夕焼けもなんだかいつもより美しく見えます。嬉しさのあまり思わず、帰りはスキップになってしまったほどに、嬉しい出来事でした』


と、伝われば嬉しいなと思っています。

これならば感情は一切説明していませんが景色でなんとなく喜んでいることが伝わるのではないかなと思います。

夕焼けのシルエットにスキップする子供の姿。

その愛らしく喜びに満ちた姿を見れば少し心が温かくなるのではないかなと。


でも、これだと初めてのお使いに成功したと言う一番伝えたい事が伝えられない気がするんですよね……。初めてっていうのが個人的には大切なんです

私のアートとしてはこれでは不完全な気がします。

いっその事、こうしてしまいたいかも。


『初のお使い 帰路の夕焼け スキップで』


ちょっとだけさらに改造してみましょうか。

良くなるか悪化するか、変わらないかは分からないですけれど。


『初のお使い 帰路夕焼けに スキップを』


さらにちょっと改造してお使いからの帰り道、夕焼けに向かってスキップする私を強調してみたつもりの感じです。

アートとしてはどっちが良いのかな?

私は、何を表現したかったのかな?

色々考えてしまいます。楽しいです。


どちらの句も、上五が字余りにした代わりに伝えたい事をねじ込みました。

中七下五はきちんと音を守っています。

これもまた個人的な意見なのですが、私は、後ろの音を合わせれば最初の上五は字余りしてもあまり気にならないタイプです。

日本語の、終わりよければ全て良し、みたいな物を私は、感じているのでしょうか。


逆に下五が崩れていると、不穏だったり、何か重々しかったりと、そう、例えば、ピアノの不協和音を聞かされているような、そんな気分に私はなります。

でも、これは、自分のアートなので、人による気がします。

後が崩れてる方が好きという方もいると思います。

それは自由な気がします。

だってアートですし。


アートというなら全体の音を合わせるでもまだ、バランス取れる気がします。

例えば上五字余り、後半八四で韻をふませて整えるなど?


『初のお使い 夕焼けの帰路の スキップ』


ちょっと無理やりすぎるし、今回、表現したいことはこれなのだろうか?

ちょっと疑問に思います。


この詩の事を色々考えて、このエッセイ書くよりも、楽しくなってたのは内緒です。


詩の書き方はなんとなく伝わりましたでしょうか?

もちろん、別にこうでなければいけないことは無いのですけれどね。

書き方も自由だから。

それが詩だから。

詩を書く手助けになっていたなら嬉しく思います。


後は話が変わりますが、何故小学生の心になる事が必要なのかということについて簡単にお話して、今回は終わろうと思います。




大人になると単純な話、感動しにくくなります。

涙腺が弱くなるから感動しやすいのではと思う方もいますが、それはちょっと違うと思うのです。


大人と違って子供は初めての事が多いです。

だからこそ、大したことでも、何でもないことでも、感動し興味を持ちます。


しかし、大人になるにつれて、初めての事なんてどんどん少なくなっていきます。

そして、あらゆる事に慣れてしまいます。

慣れというのは大切で、人間は慣れていかないと日常生活を送るのが大変な事になります。

例えば、毎回買い物へ行って夕焼けがなんて綺麗なのだろうと、毎日感動していたらそれだけで時間がなくなってしまいます。


お仕事も家事もなんでも、生きていくには、スピードも段取りも必要です。

そこに感動する時間なんて無いです。

それに、この世界は美しいものばかりではありません。

いちいち心をさらけ出してばかりいては、むしろ傷つきボロボロになってしまうかもしれません。

慣れることで、淡々と過ごすということは、この現実を生きていく上で、とても大切な事です。


しかし、詩を書くには感動が必要です。

それは大人になってから初めての珍しい出来事であったり、ドラマのような劇的な展開でなければいけなかったり、そんな難しい事はないです。

日常生活のちょっとした感動で良いのです。ちょっと足を止めたその出来事で良いのです。


でも、大人になった私たちは、日常の感動を知らず知らずのうちに捨ててしまっています。

涙腺が弱くなるだけでは、日常の感動を捨てずに拾いきるのは少し難しい気がします。

もちろん、捨てることが、生きるうえでは大切なことだと思うので、間違ってはいないのです。


でも、普段捨てているような、見向きもしない小さな感動。それこそ子供の頃なら足を止めたこの時は、ほぼ全てが詩の材料になると思います。

小学生の頃の自分を思い出し、この視界を子供時代のフィルターで見る事は生きることにおいて不要なことですけれど、詩を書く時はとても大切な事です。

そして、そういう風に詩を作るからこそ、ちょっと立ち止まって休憩するのにも、詩は役に立つのじゃないかなって思います。


小学生の頃に見たあの景色。

今もまた見えますか?

もし見えたのなら、それはきっと、唯一無二の素敵な詩になるんじゃないかなって思います。


次回は何を書こうかな……?


多分無いとは思いますけど、こういう事書いて欲しいなんてあれば、書きたいです。

書ける内容は私の独りよがりの意見でしか無いし、そもそも私の力では返事が出来ない可能性もあるので、その点ご了承頂けるのならばですけれど……。


とりあえず次回は書きたいことがまとまったら書きます。

また、かなり遅いと思います。

下手すると年単位でまた止まるかもです。

ご興味ある方は、かなり気長くお待ち下さい。

ここまで、読んでくれてありがとうございました。

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