4‐12

 ベオはギルド会館の一階にある、本来なら客人を座らせるための横長のソファに寝転がって、尻尾で床を叩き続けていた。


 その勢いたるやいつもの不機嫌時のパタパタと言った程度ではなく、ビタンビタンと表現する方がしっくりくるほどの勢いだ。


 とはいえ彼女がギルド内でサボっているのはいつもの光景なので、依頼を持ってくる人も、受付で働いているアディとお手伝いのエレナも特に気にした様子はない。


 文字を習うために図書館から借りてきた本を仰向けになって眺めながら、全く内容が頭に入ってこないことに苛立つ。ここ数日のベオは、そんな無駄な時間を過ごしていた。


 これが普通のギルドならば団員から文句の一つも出ることだろうが、他の全員はその理由がわかっているから何も言わない。


 勿論それはベオ自身が平時は何もしないが、有事の際は有能であることを各々が知っているからでもある。




「そんなに気になるなら一緒に行けばよかったのに」




 とは言え、誰でも口が滑るものだ。特にエリアス・カルネウスという男は特に。


 ぼそりと彼が呟いたその一言は、ベオの苛立ちを加速させるには充分な威力を持っている。


 ベオはソファから起き上がり、何も言わず火球を放つ。




「うおおおっ!」




 慌ててエリアスがそれを剣で打ち払った。以前面接に来た連中はそれもできなかったのだから、彼も大したものである。


 エリアスが弾いた炎の弾は奇跡的にオーウェンの元へと飛んでいき、彼が槍の切っ先で受け止めて、その先端の炎を使って煙草に火をつけた。




「おぉ」




 と、アディの間抜けな声が静寂の空間に響く。


 時間帯的に人が捌け始めていたのが救いだった。もっとも、それでも驚いた人は多かったが。




「いきなり撃つなんて酷いじゃないっすか!」


「黙れ。それに未だかつてお前を予告してから燃やしたことがあったか?」




 エリアスの言葉など半ば耳に入っていないように、一瞬状態を起こしたベオは再び仰向けになって本を開く。




「……言われてみれば、ないかも。でも、それにしても酷いっすよ。俺だって心配してるんすから」


「私は別に奴を心配などしていない」


「いや、ルクスじゃなくてベオさんのことっす」




 エリアスが手を振りながらベオの言葉を訂正する。


 彼の一言はベオにとって予想外で、思わず自信を指さして聞き返す。




「私を?」


「そりゃ、何かあったかって思うっすよ。ベオさんがルクスに付いていかないなんて」


「……別にそう言うこともあるだろう。常に一緒に居なければならない法でもあるのか、この国には?」


「あったとしても、法律なんて守らないくせに」


「で、でもでも確かに意外です。アディもベオさんはルクス君と一緒に行くとばっかり」


「……ふん、なんでそうなる」


「だってベオさん、ルクス君のことを大好きだから」


「なん……!」




 取り落とした本が、仰向けに転がっていたベオの顔に落ちた。




「なんで私が奴のことを大好きになるのだ!」


「も、もしかして自覚ない?」


「黙れ、燃やすぞ」


「ふへへっ、燃えないです」




 ベオの火球を警戒して、アディは自前のスライム状の何かで膜を張って防御する。


 苛立ったベオがエリアスに八つ当たりをしようとしたところで、受付の中からのんびりした声が響いた。




「あのー、時間なのでお店に戻りますね」




 エレナはそう言うと、返事を待たずにカウンターの中から出ていく。それからベオの下に歩いてくると、




「ベオちゃん。ちょっと休憩中のお茶に付き合ってもらえるかな?」


「いや、私は」


「ありがとー。じゃ、いこっか」




 ベオの返事も聞かずに抱きかかえると、そのまま夕立亭へと連行していった。


 夕立亭へと拉致されたベオは、そのまま一番隅っこの席へと座らされる。エレナの意外な行動に驚いている間に、彼女は厨房へと引っ込んで自分の分の飲み物と、アイスを持って戻ってきた。




「はい、どうぞ。わたしの奢りだよ」


「ふん」




 落ち込んでいても目の前でアイスを溶けさせるわけにはいかない。ベオはスプーンを掴むと、白い塊を掬って口に運ぶ。


 甘い味が口の中に広がって、ささくれ立っていた心が多少はマシになっていく。自分のことながら単純だと、ベオは心の中で自嘲した。




「理由は話さんぞ。物で釣ってもな」


「別にいいよ。でもアディちゃんを怒らないであげてね」


「……怒ってなどいない。奴が妙なことを言うのは、今に始まったことではないからな」


「そうそう。ちょっと人と話すのが苦手みたいだからね」




 にこやかに笑いながら、エレナは飲み物を口にする。




「ベオちゃんは何かを我慢したんだよね」


「…………」




 答えない。その代わりに、乱暴にエレナの大きな胸を叩いた。




「こらっ」




 ベオのその行動は、彼女に対しての回答には充分だったのだろう。エレナは口では怒って見せたが、表情は納得していた。




「偉いね」




 柔らかな手が、ベオの頭を撫でる。


 微笑みながらベオを覗き込むエレナの表情はとても優しげで、男女問わず大勢を見惚れさせるに足るものだった。




「私は奴の枷にはなりたくない」




 ベオが我が儘を言えば、ルクスは行かなかったかも知れない。


 だがそれでは意味がない。魔王ベーオヴォルフではなく、何者でもなくなったベオがルクスの役に立てないまでも、足を引っ張ることなんてあってはならない。


 何故なら彼は、本気で英雄になることを目指しているから。そして幾ら人から蔑まれようともそれを諦めない高潔な精神は、他でもなく一緒にいたベオが一番知っている。




「問題ないと思ったのだがな」




 今の一言は失言だった。


 離れているたった数日が、これだけ心を締め付けるとは思わなかった。これが単なる遠出ならばこうはならなかっただろう。


 そこでは戦いが起こる。そしてその時ルクスが傷つき、傍に居られないことが何よりも恐ろしい。


 ――まるでそれは、以前も同じようなことを味わったことがあるような言い知れぬ不安がベオの胸の中にはあり続けていた。


 その感情はベオがルクスにだけ抱くものだ。例えばエリアスが同じことをしたところで、ベオは特に何も思わない。彼が実力的に無理そうなことに挑むのならば反対はするだろうが。


 それをアディによって言葉にされたことで、少なくはない混乱があった。




「私はあいつを導いていたつもりだったが、本当は違ったのかも知れんな」


「そんなことないと思うよ」




 優しく頭を撫でながら、柔らかな声色でエレナが言う。




「ルクス君は、ベオちゃんと会って変わったよ。元々無茶をする子だったけど、計画的になって、ずっと前向きになった」




 屋敷で働いてきた時のルクスは、人造兵であるという劣等感から、常に誰かの顔色を窺っていたようにも思える。


 それがベオと出会って、明らかに変わっていった。




「わたしは、それがちょっと悔しいかな」




 エレナの呟きを、ベオは聞かない振りをした。もっとも彼女が手を置いている獣耳の部分が反射的にぴくりと動いたので、ばれていたかも知れないが。




「……まぁ、そうだな」




 エレナの手を退けて、ベオはスプーンに大きく掬ったアイスを食べて器の中を空にする。




「奴もまだまだ未熟だからな。やはり、私がギルドを纏めておいてやる必要がある」




 まだ全てを割り切れたわけではないが、それでもエレナの言葉は確かにベオにとっての救いにはなった。

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