4‐13

 目が覚めた時、ルクスは硬い床の上に申し訳程度に敷かれた布の上に転がっていた。


 起き上がろうと身体を動かして、両手が縛られていることに気が付く。


 何とか上半身だけを器用に起こして、今の状況を確認すると、場所はどうやら狭い小屋のようだった。


ルクスのいる部屋には小さな窓があり、そこから陽の光が差し込んでいる。


 見たところ牢屋と言うわけでもない。木でできた扉が一つある以外は家具もなく、隅の方に多少の荷物が重ねられているところからして倉庫に使っていた部屋を急遽使っているのだろうか。




「……みんなは」




 最後の記憶を思い返す。


 レンツォと呼ばれていた獣人の男は強く、その剣には真っ赤な血がべっとりと付いていた。恐らく直前まで戦っていたケントは殺されただろう。いや、彼だけでなくあの場にいた者達は全滅させられている可能性が高い。




「……だったら、どうして僕だけ」




 その疑問に対する答えはすぐに出た。


 ルクスが起き上がった音が外まで響いたのだろうか、扉が開いてみたことのある人物が部屋の中に入ってくる。


 ベオと同じような獣耳を生やした黒髪で短髪の、活発そうな印象を受ける少女だ。




「君は確か……エルマ?」


「久しぶりだな、ルクス!」




 エルマはルクスを見ると笑顔になり、傍に近寄ってくる。




「ごめんな。みんながお前を信用できないって、手だけは縛らせてもらってるんだ。でも大丈夫、あたしが監視するって名目でオルバスの中なら自由にさせてあげられるから」


「……オルバス?」


「そう。あたし達が今暮らしている場所の名前だよ。獣人を中心として、エルフ達も一緒なんだ」




 彼女は先日、魔王再誕で滅びた亜人の村――村とは名ばかりの強制労働施設からルクスが助け出した少女だった。


 確かウィルフリードの紹介状と資金を受け取って、ここにやってきたはずだ。




「身体は大丈夫か? 怪我はしてないみたいだけど、ルクスが強かったから手加減が効かなかったってエルフの魔導師が言ってたから」


「……いや、大丈夫。大丈夫だけど……どうして僕だけ」


「……ああ」




 エルマはルクスが言いたいことを察したようで、表情を曇らせる。彼女自身は再会を喜びたいが、その背景には臨時とは言えルクスの仲間をエルマの同胞が殺したという事実があった。




「レンツォってあたし達のリーダーが、子供は殺せないって連れてきたんだ。それでも処刑すべきって意見が多かったんだけど、あたしが何とか説得した。あの村の人達も、ルクスは恩人だからって必死で庇ったんだぞ」


「そうなんだ……ありがとう」


「お礼なんていいよ。……あたし達の仲間が、ルクス達を攻撃したことには変わらないし」


「どうしてそんなことになってるの? 僕達のミリオーラの方でも、獣人達の野盗が活発化してた。ひょっとして君達は」


「……その話は、レンツォ達とした方がいいと思う」




 エルマはルクスの両手の縄を解き、手を差し出す。


 彼女に手を引かれて立ち上がり、小屋の外へと連れられていく。




「縄はいいの?」


「いいよ。ルクスはあたしの客人として扱うって決めてあるから。でも武器は返せないし、この村からは出させないけど」




 小屋の外に出ると、そこにはのどかな村の光景が広がっていた。


 木造の小さな建物が並び、中央には土を固めて舗装された道が伸びている。


 村の外れの方には畑も見え、農作業をしている人の姿もある。


 人影はまばらだが彼等は全員、獣人かエルフなどの亜人種で、恐らく人間はいないのだろう。


 エルマに連れられて辿り着いたのは、村の中でも特に大きな建物だった。柵で囲まれた広い庭があり、そこには打ち込み用の藁人形が並んでいる。


 そこでは若い男の獣人達が、気合の声を発しながら打ち込みを続けていた。中には実戦形式での訓練を行っている者達もいる。


 その中で一人、ルクスは見覚えのある姿を見つけた。


 ジェスと呼ばれていた、あの若い獣人だ。彼は訓練をしていたが、ルクスを見つけると一瞬手を止める。


 とは言え特に何かをされるわけでもなく、そのままエルマに先導される形で建物の中へと通される。


 建物の中には見知った二人の姿があった。


 一人は大柄の獣人、レンツォ。エルマが言った通りなら、彼がこの集団を束ねているらしい。


 そして彼の対面で頬をはらした姿で、カーティスが座らされていた。恐怖からか、その身体は小さく震えている。




「来たか、エルマ。そして……ルクス」




 それを聞いたカーティスは振り返り、ルクスに向けて縋るような視線を向ける。




「お、お前、人造兵! 早くこの状況を何とかしろ!」




 その物言いにエルマが何かを言おうとしたが、それをレンツォが視線で制する。




「つい今しがた、彼への話も終わったところだ。結論だけ言えば、彼はアルテウルに対する人質だ」


「……人質、ですか」


「ああそうだ。まさか騎士団も王家の人間を見殺しにはできないだろう。彼の身柄と引き換えに、我等は利を得る」


「……ここ最近、獣人を中心とする亜人達の野盗が増えていました。僕のギルドでも、彼等を捕まえたことがあります。それは貴方が指示したことなんですか?」


「正確には違う。私の声ではなく、彼ら自身の怒りと信念によって一斉に動き出したのだ。私はほんのきっかけに過ぎない」


「自分が何をしているのか、貴方は理解しているんですか? 王族を攫って、人質にするなんて、騎士団だけじゃなくてギルドも黙っていません」


「よく理解しているとも。だからこそ今のタイミングなのだ。二度にわたる魔王の降臨によって、人間達は疲弊している。現に、騎士団は王子の護衛に戦力を割くことすらできなかっただろう」


「この卑怯者め! だから亜人なんて連中はのさばらせておいては駄目なんだ! 僕が城に戻ったら、父上に頼んで英雄を派遣してもらうからな! そうなればこんな小さな村、一時間もしないで全滅だぞ!」


「静かにしていろ、カーティス殿。声を聞きつけたジェスにまた殴られるぞ」




 そう言われて、カーティスは口籠る。どうやら、彼の頬の腫れはジェスによって受けたものらしい。




「反乱を起こすつもりですか?」


「エルマ達を助けた君なら、そうするだけの理由があることを理解出来ていると思うが?」


「だとしても、それは大勢の血を流す行為です。そんなこと、絶対にあってはならない」


「それは平和なところで生きている者達の理屈だ。蔑まれ、命を軽んじられてきた我々には通じない。君が見てきたようなことが、この国では当たり前のように起きている。簒奪者である君達人間が、我等から奪い続けて何年の月日が流れたと思っている?」


「……だとしても」


「人造兵か、酷い名だ。君とて人間に奪われた側だろう。私達と共に戦え」


「……お断りします。僕は貴方達の仲間になる理由はない」


「君とて人間に奪われた側だろうに。カーティス殿にも随分と蔑まれたのではないか?」




 ルクスは答えない。不安そうにカーティスがこちらを見上げていた。彼は今、心底自分の発言を後悔していることだろう。




「戦争の手伝いはできません」


「……あの、レンツォ」




 恐る恐る、エルマが口を開いた。




「取り敢えずルクスのことはあたしが説得するからさ、その……村で過ごさせてやってくれないかな?」


「構わん。私達の敵はあくまでも人間だ。人造兵である彼は、本来ならば同胞だ。……だが、食事分の仕事ぐらいはしてもらうぞ」


「う、うん。ありがと……ほら、ルクス」




 弱々しく、エルマがルクスを引っ張って建物の外へと連れだしていく。


 村の中をしばらく歩いて、人気がなくなってきた辺りで、エルマはルクスの方を振り返った。




「……そう言うわけなんだ。あたし達はこれから、あの王族を人質にして戦争する。詳しいことはあたしは知らないけど、レンツォもジェスも、みんなそう言うつもりで動いている」


「無茶だよ。幾ら王族を人質に取れても、まともにぶつかり合ったから勝てるわけがない」




 例えこの村と同じだけの規模の軍隊が百あったとしても、弱体化した騎士団の規模にすら遠く及ばない。


 そしてそれだけでなく、本格的な戦いになればギルドが参入してくる。




「無駄死にになる」


「レンツォ達には何か作戦があるみたいだから、あたし達はそれを信じてついていくしかないんだ」


「……そんなの……!」




 確かに彼は優れた戦士であり、リーダーなのかも知れない。




「言いたいことはわかるよ。でもレンツォは約束してくれたんだ、あたし達に安息の大地をくれるって。……ルクスは、そんなことはできないよね」




 エルマの最後の一言に、ルクスは答えることはできない。


 亜人達に対する迫害、そして積もり積もった彼等の怒りと恐れ。


 かつて戦った魔獣も、それらを発端としたものだった。そしてルクスはあの魔獣と化した少女を救えなかったのだから。

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