第37話 初めての川釣り(下)
「敵を知る前に、先ずは自分からだ。この毛鉤は水に少し沈むタイプなんだ」
おじちゃんは毛鉤をちょんと川に落とす。すんっと水中に潜ったと思ったら底まで沈まずに、弛んだ糸と一緒に流れていく。
「なっ?」
「本当だ。すげー」
「んだべ、おんちゃんの自信作だ」
おじちゃんが竿を操ると、ピュッと毛鉤が水中から飛び出してくる。
「おじちゃんが作ったの? すっげーー!」
「他にもあるぞ。でもな、この時期はこれが一番釣れる」
宙を舞う毛鉤を目で追う僕の鼻は興奮で大きくなり、おじちゃんの鼻は高くなる。
「動いてると本物の虫みたい」
「毛鉤を本物の虫そっくりに作って、魚に勘違いさせて食いつかせることも大事だけどよ。大事なのは他にもある」
おじちゃんは竿を振り、川岸近くの上流に毛鉤を飛ばす。毛鉤が足元に流れてくると、アタリに合わせるように竿を起こす。でも、さっきみたいに毛鉤は水中から出てこないでそのまま流れていく。
「見ての通り糸を弛ませすぎると合わせることができなくて、せっかく食いついたのに毛鉤を吐き出しちまうんだ」
下流に流れていった毛鉤は、再び水中から勢いよく飛び出す。それから、さっき僕が言った水中から頭を出した岩の近くに飛んでいく。毛鉤は岩のすぐ近くに落ちる。
「今のはダメな例だ。何がダメだと思う?」
僕が悩んでいると、おじちゃんは竿を振って同じところに毛鉤を投げる。
「何がダメだか、見つけられっかなー。目があれば見つけられっかなー?」
おじちゃんは惚けながら、同じところに毛鉤を落とす。
「あっ! 毛鉤が沈む前にポイントを過ぎちゃってるんだ」
「正解。あそこじゃ魚に見つけてもらえね。落とした瞬間に食いつくことはあるけれど、流れが早いところだと望み薄だ」
ピュッ! と水中から飛び出した毛鉤は、岩の上流にストンと着水する。おじちゃんの竿捌きは無駄がなくて、指揮者みたいでカッコいい。
流れに乗る毛鉤に合わせて竿を上下に操るおじちゃんを、見惚れるようにして僕は見つめる。もちろん、仙人の技を目で盗むためだ。
おじちゃんは川の流れを探るように、さっきとは少しだけ横にズレた位置に毛鉤を落とす。
「いると思う……、おっ!」
おじちゃんは素早く手首を返す。竿先から伸びる糸はピンと張り、竿はククッとしなる。
「やった、かかった!」
嬉しくて思わず声を出してしまった。
魚はさっき見えたからいるはずだった。何度も投げたのに食いつかないのは、おじちゃんの言う通りなんだと納得できた。
「ヒロ君」
やっちゃった、静かにしなくちゃいけないのに。僕は急いで手で口を塞ぐ。
でも違った。
僕は慌てておじちゃんが差し出してくれた竿を受け取る。竿を通して生き物の力強さを感じる。僕の心臓は一気にドキドキする。
(あれ? どうしよう)
僕の右手はあるものを探す。
(リールがない)
いつもあるものがそこにない。
(どうすればいいんだ?)
頭の中が空っぽになる。
「ヒロ君、竿上げて」
おじちゃんの慌てる声で、僕は正気に戻る。
「竿振って、こっちこっち」
おじちゃんは水際ですでにスタンバイを終えている。
「うん」
そうだ、別に難しいことなんてしてない。ヨリモドシで巻けない時と同じにすればいいんだ。竿先をおじちゃんの方に振ると、パシャパシャと水しぶしき上げて現れた個体には小判形の模様がしっかりとある。ヤマメだ。
「残念」
おじちゃんが言葉を漏らす。
僕はその言葉の意味をすぐに理解する。
「リリースだな」
やっぱり。
水の中に突っ込んだおじちゃんの手の中にいるヤマメは、見るからに小さい。
「逃すぞ?」
「うん」
残念だけれどしょうがない。
「大きくなって帰ってこいよ」
僕はあっちゃんから教わった魔法の言葉を、勢い良く泳いで行ったイワナにかける。
「そだな。大きくなってヒロ君の毛鉤に食いついてくれよー」
おじちゃんは手についた水を振って落とす。おじちゃんも魚が釣れて興奮しているみたいだ。
「とまあ、こんな感じだ。分かったけ?」
「分かった」
僕は元気良く答えてから、魚の引いた感覚が残る手で竿をギュッと握る。
「ここは荒らしたから、別のところさいくべし」
「うん」
「魚のいるポイントや、上手に毛鉤を流す方法は歩きながらだな。ここ以外にもいいポイントは沢山ある。その都度、教えてやる」
「よろしくお願いします」
「任せてけろ」
おじちゃんは、近くに置いてある自分の道具を拾い上げる。
「あとは実践あるのみだね」
僕は力こぶを作ってみせる。
「ヨシ、その意気だ」
おじちゃんは僕の頭をポンッと叩く。それから釣り場に向かって頭を下げる。
僕も釣ったヤマメが元気で成長してくれることを祈って頭を下げる。
「ヨシ、いくぞー」
「レッツラゴー! だね」
「おっ! ヒロ君もイケる口だね」
僕とおじちゃんは、笑い合いながら歩き始める。
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