誘拐婚を羨んだ男

"誘拐婚"という言葉を知ったのは17歳の頃だ。毎週土曜の夜に放送されていたニュース番組で、誘拐婚を敢行する男達の映像が流されたのがきっかけだった。

中央アジアのどこぞの集落で、若い女の子が何人もの男に捕まって車に乗せられ、男達のうちの1人の家で無理矢理結婚式を挙げさせられる映像。新郎側の親族に囲まれ逃げられないようにされ、結婚は良いことなのだと説得され、すっかり疲弊した女の子が花嫁衣装である白いスカーフを被り「私は幸せになった」と己に言い聞かせていた。

映像が終わり、カメラがスタジオを映し出したところで俺は猛烈な尿意を覚えてトイレに駆け込んだ。用を足し、便座に座って一息ついた時、やけに鼓動が高鳴っていることと、俺の中に邪な羨望が芽生えていることに気づいた。俺は誘拐婚を羨んでいたのだ。

我が家の真向かいに幼馴染の女の子が住んでいる。異性と会話をすると過剰にからかわれる少年少女特有の因習のせいで長らく話せていないが、俺は幼い頃から彼女に片想いをし続けている。

日本にも誘拐婚の文化が根付いていれば、俺は彼女を攫ってしまうことだろう。きっとTVで見たあの男よりも上手くやれる。お裾分けしたいものがあるとでも言って家に誘い込み、そのまま結婚式を挙げてしまえば良いのだ。

彼女はきっと最初こそ嫌がるだろう。俺のことを心底嫌うだろう。それでも良い。どれだけ泣いても喚いても、最後には結婚を受け入れざるを得ないことを彼女は理解しているだろうから。彼女の家族だって喜んでくれるハズ。誘拐婚が当たり前になっている世界線とはそういうものなのだ。


あと十数年のうちに日本でも誘拐婚が当たり前にならんかなぁ─


日本でこんな願望を抱くのは俺だけだろうなと思った。気づけば右手があらぬところを擦っていた。





結局、誘拐婚の浸透を待たずとも俺が30歳になった頃に彼女と結婚をすることができた。

彼女とは高校を卒業してからよく話すようになった。俺が大学、彼女が専門学校と別々の学校へ進んだことで、2人で話しているところを同級生に見られてからかわれる心配が無くなったからだろう。

俺が運転免許を取ってからは彼女を乗せて遠出をし、成人してからは2人で近所なり府内なりの居酒屋でサシ飲みをすることが増えた。傍目から見ればカップルに見えそうなほど親しくなっていたが、付き合うには至らなかった。彼女の目つきから、話し方から、何から何まで、俺のことを"友達"としか認識していないことを窺わせる振る舞いをしていたのだ。

この頃の俺は人生で最も誘拐婚の浸透を願っていたことだろう。誘拐婚が当たり前になった時に備え、親が経営している会社を継げるよう経営学を学び、女の扱いを知る為に同じゼミの山岸聖子を練習台にした。初詣の度に「男として完璧になるので、どうか1日も早く彼女を、俺に見向きもしない彼女を俺のものにさせて下さい」と何度も願った。

そのうち山岸と自然消滅したり、大学を卒業して親の会社に入社したり、彼女を妻に迎える準備が着実に整っていったのに、彼女との関係だけは友達から変わらぬまま何年も経過した。彼女に対して下手にアプローチをして、距離を置かれる可能性があると思うと怖かった。だからこそ誘拐婚によって彼女を唐突に、そして強制的に娶り、距離を置く暇を与えたくなかった。

しかし虫の良い願望を抱いたままではいられなくなった。30歳を目前にして彼女に転勤の可能性が出てきたのだ。


『将来の為にある程度出世しとかんといけんと思うんやけど、その為には転勤も必要でさ』


そう打ち明けた彼女に対し、俺は反射的に「俺と結婚すれば万事解決」などと口走った。するとそれまで俺の中にあったアプローチへの躊躇いが一切消え失せて肩が軽くなったような心持ちになり、思いつく限りのアプローチをした。

俺から結婚を申し込まれた彼女は酷く困惑した。「一度持ち帰らせて」と言われたので了承し、そのまましばらく様子を見ていたが返事をくれる気配が無かったので、彼女の休日にドライブに誘って応えを促した。すると「検討中」と返されたので、今度は家の前で彼女と会う度につけ回して応えをせがんだ。

最後には我が家の夕食に誘い、俺の両親や祖母が見ている前で結婚の話を持ち出した。彼女はとうとう折れてくれた。

後から知った話だが、彼女は俺につけ回されるようになった時点で両親に(半ば冗談交じりに)相談し、とんでもなく喜ばれたらしい。

結婚が決まるなりアパート選びやら各種手続きやら結婚式場選びやらに奔走し、1年ほど経った今、ようやく結婚式に漕ぎ着けた。

別府湾を臨むチャペルで、式場スタッフの指導の下で予行演習を行う間、俺は彼女の花嫁姿に釘付けになっていた。ハートカットのビスチェとベルラインのスカートが組み合わさった純白のドレス。ベールの中に小さく収まった愛おしい顔。長年想い続けた女が、今までで最も美しい姿で俺に笑いかけてきていた。

彼女に見惚れるあまりに足取りを何度も間違える俺に「本番この後すぐなんですけど」と彼女がからかってきた。いつもなら若干の憎らしさを感じる笑顔が、今は気が遠くなるほど美しかった。「めっちゃ綺麗」と呟くと、彼女が照れ臭そうに肩を叩いてきた。

予行演習を終えて、チャペルが来賓で埋まった。司会の女性に促されてまず俺だけが入場し、教壇の前に立つ。続けて礼服姿の父親と共に入ってきた彼女の姿に思わず目を見張った。

彼女が泣いていた。晴れの日にあたって感極まったわけでなくネガティブな感情のもとで泣いているのが彼女の顔から読み取れた。彼女は悲しい理由で泣く時、能面のように無表情になるのだ。

誘拐婚じゃなくても嫌われたな─彼女が求婚に応えた時の顔も能面だったことを思い出した。コーラス隊によるアメイジンググレイスが、俺を愚か者だと嘲笑っている気がした。

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思いついた恋愛の話 むーこ @KuromutaHatsuro

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