ふうちゃん3

いくつかの民家の玄関先に掲げられた日本国旗が、秋風に吹かれて小さく揺れている。祝日のことを『旗日』と呼ぶ人がいるのはこの習慣が由来だそうで、手話でも祝日を表す時は交差させた掌を旗のように揺らめかせるらしい。専門学校でそう教わった。

仕事が休みだったので朝から散歩に出てみたら、向かいに住む幼馴染のふうちゃんが見計らったように家から出てきて、そのまま私についてきた。


「私のどこが好きなん」


ダルそうな顔で隣を歩くふうちゃんにそう尋ねてみた。ふうちゃんは 「乳がデカいところ」などと返してきたが、幼い頃から私を想い続けているという男の答えとしては無理があるしつまらないので、彼の二の腕をつねって真なる答えを催促した。


「わかった、わかった」


ふうちゃんはつねられた部分を擦りながら、私について「好きだなぁと思った瞬間」とやらを挙げ始めた。

まず20歳の夏に2人で入った、商業施設に作られた期間限定のお化け屋敷。壁から飛び出てくる手や、いつの間にかついてきていた女の霊や、真正面から迫ってくる落ち武者と、次々に襲いかかってくるお化けに対してしっかりと驚きながらものんびり歩く私を見た時。

次いで社会人になって2人で出かけた七夕祭り。酒と飯を全力で楽しもうとTシャツにハーフパンツ、運動靴という格好で家を出た私と並んで歩いた時。

それと一昨年の8月に2人で行った福岡旅行。豪雨によって帰り道が全て通行止めになり、急遽駆け込んだファッションホテルの部屋を見渡すなり「ソファまでついて2人で宿泊13800円?価格崩壊やんか」と歓喜する私を見た時。

他にも色々あるが、特に好きだなぁと思ったのがその3度らしい。


「いやいやいや意味が分からんし。女として終わっとる部分ばっかやん。謎に夏ばっかやし」


「ちーがーうーよ。俺はあんたが楽しいことを俺と同じ熱量で楽しんでくれるんやって思ったの。女なことを変に意識して一歩引いてみたりめかし込んだりしてさ、楽しむことに全力注げん人よりさ、女終わらせても全力で楽しんでくれる人が好きなの。夏はイベント多いけん、そういう瞬間が多くなるやん」


「いや好きな人の前とかやったら女意識するんやけど。可愛こぶるしオシャレするし。ていうか、こないだスカート履くの要求してきたやん」


「たまには見たいもん、スカート履いとるとこ」


「あと大人になってからの話ばっかやん」


「だって学生ん時はお互い友達と遊びよったし」


「あ、そっか」


学生時代は小中高すべて同じ所に通っていたのに、お互い同級生の目が気になって話していなかったのだった。

「それでも日々女らしく成長していく姿に惚れ惚れしていた」などと気持ちの悪いことをかすふうちゃんを無視して歩き続ける。

住宅街と大通りを隔てる小川に架かる茶エン橋を渡って交差点に出て、無数の車が行き交う県道56号線を南へ進みながら、何となしに左前方へ目を向けた。2階の窓にでかでかと『本』と書かれた書店が佇むその向こうに、2本の細い鉄塔が横一文字の足場で繋がれてスクエア・アーチのような形状になった珍しい形の送電鉄塔が見える。もう少し南下すれば4本の鉄塔を繋いで直方体にしたものも見えてくる。


「あんたアレ好きね」


ふうちゃんに言われてはっとした。

あの送電鉄塔は何十年と前から下郡の町に立っている。恐らく下郡に住む大多数の住民にとっては風景の一部でしかなく、気にも留められないような存在なのだろうが、私はあの送電鉄塔を、何か自分でも説明をしきれないような不思議な気持ちになりながら見ている時がある。その時胸に生じる感覚を既知の感情に当て嵌めるなら『懐かしさ』が近いだろうか。


「好きってんじゃないけど、なんかこう…見よると『地元やな〜』と思う」


「何じゃそれ。でもそういうジモティーなところも好き」


「これジモティーか?」


思わず苦笑いをした。

それから「この辺も昔に比べて店が増えたな」などという話をしながら歩き続け、直方体の鉄塔が近くに迫った辺りで折り返した。そうして来た道を戻ろうとしたら、突如ふうちゃんが手を繋いできた。


「何さ」


「結婚、応えてくれてありがとう」


「あぁ、はい」


また苦笑いをした。

夏の初め頃から始まったふうちゃんからの求婚は私が応じることで落ち着いた。応じた理由は、結婚について考えた時にメリットだらけだったこと。

もともと私はキャリアアップの為に地元を離れるべきか悩んでいたが、ふうちゃんと結婚すれば彼が大黒柱になってくれるそうなので、キャリアアップの必要も地元を離れる必要も無くなる。親や自分自身の老後に訪れるであろう諸々の問題も心配だったが、一緒に考えてくれる相手ができれば少しは安心できる。

デメリットといえば男として好いていない相手とつがいになることだけ。気持ちの問題でしかないので、しばらく寝食を共にしていればそのうち慣れると己に言い聞かせている。

しばらく来た道をまっすぐに戻っていると、ふうちゃんが「うなじに汗」と呟いた。


「舐めていい?」


「マジキモいんやけど。どこをどうしたらその発想になるん?」


「好きな女の汗舐めるのは男として当たり前かと」


「当たり前じゃないよ。多分それふうちゃんだけの性癖やけんな」


「結構多いよ、汗舐める人。どうせなら全身舐めたい。今からでも自分の部屋に連れ込んで、気が済むまで」


「キモいて」


「1日の大半あんたの首なり脇なり顔突っ込めそうなところに顔突っ込んで暮らしたい」


「その発言もだいぶキモいで」


「この辺のアパート借りて2人きりで暮らしたい」


「急に方向性変えたな」


「あんたの味噌汁が毎日飲みたいとかそんなつまらんこと言わんけん、とにかく毎日顔が見たい」


「顔はほぼ毎日合わせとんやん」


「時々遠出しよ。あんたの行きたいとこ全部連れてく」


「えーじゃあ八女と浮羽と人吉と青島と」


「しっっっぶ。もっと可愛いとこ言って」


「可愛いやろうが」


「可愛いことにしてあげよう」


「この話ってプロポーズとかで言ってくることやないん?」


「だって俺らプロポーズの前段階が存在せんやん」


「そうやったわ」


茶エン橋のある交差点が見えてきたので、右へ曲がって住宅街へ戻ると、車も人も往来がめっきりと無くなった。元々閑静な住宅街であるとはいえ、普段は子どもなり老人なりの往来がそこそこにあるというのに、今だけは別世界に迷い込んだかのように静かである。


「なんか世界に2人だけみたいやな」


背後からふうちゃんに抱きつかれた。


「道で抱き着くなや。誰に見られとんか分からんやん」


「見とらんて」


ふうちゃんの大柄な身体が背中にのしかかってきた。首筋に温かいものが触れて、チュッという音と共に何かが吸い付くような感覚を一瞬覚えた。


「お前いま首に何かしたやろ!」


「チューした」


「言い方キモ!」


「痕できた」


「マジでキモ!」


ふうちゃんの愉快そうな笑い声を背後に聞きながら、ふうちゃんを振り解こうと身体を左右に振ってもがく。笑い混じりの怒声で「本気で嫌がってはないですよ」といった雰囲気を出しているが、好きでない男からマーキングされた部分にはずっと嫌な違和感が残っている。

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