第13話 労いの飴(※主人公、一人称)

 清掃の仕事は、大変だった。会社のリアカーを使って、所定のゴミ捨て場からゴミを集める。二大の上にゴミが入った麻袋を乗せて、次の場所にリアカーを引く。リアカーの上が重くなったら、町のゴミ処理場に麻袋を持って行く。正に社会の労働だった。


 ゴミ処理場の中に麻袋を放った後もまた、町のゴミ集めに戻るし。それが終わっても、全身の痛みに苦しめられた。僕は会社の休憩所に行くと、無料で飲める水を飲み、自分の体を揉んで、テーブルの上に顎を乗せた。「疲れた……」

 

 もう、動けない。体のすべてが軋んで、頭の奥にも痛みを感じてしまった。僕は体の痛みに耐えながらも、水の残りを飲み干して、テーブルの上にまた突っ伏した。「う、ううっ」

 

 社長は、その声に「フフフッ」と笑った。僕の事を馬鹿にしたわけではないが、それでもおかしい事に変わりはない。僕が「う、ううっ」と呻いていると、僕の前に近づいて、この顔を「大丈夫か?」と覗き込んで来た。彼は「優しい」と「厳しい」の中間に立って、僕の背中をそっと擦った。「明日は、休んでも良いぞ?」

 

 僕は、その提案に首を振った。仕事は。日給制。一日休めば、それで安くなる。今の生活に困っているわけではないが、未来の事を考えると、「やっぱり休めない」と思った。僕は社長の厚意に頭を下げながらも、真面目な顔で相手の目を見返した。「大丈夫です。お気持ちは嬉しいですけど、僕にも僕の意地があるので」

 

 社長は「え?」と驚いたが、やがて「そうか」と笑いはじめた。「最近の若者にしては、根性がある」と、そう笑顔で喜んだのである。彼は僕の顔をしばらく見、(おそらくは、僕への労いとして)今夜の夕食に僕を誘い、僕に様々な物を食べさせて、僕の背中を「頑張れよ」と叩いた。「自分の汗を嫌わない者は将来、大物になれる」

 

 僕は、「そう、ですか?」と苦笑いした。気持ちは嬉しいが、そんな物には興味がない。自分が食べていける分を稼げれば、僕としては充分に嬉しかった。僕は社長の厚意に頭を下げて、翌日の仕事にまた精を出した。

 

 翌日の仕事もまた、しんどかった。昨日とは別のルートを回るので、それを覚えるだけでも一苦労。道の脇にリアカーを置いていたら、郵便馬車の御者に「邪魔だ」と怒られた。僕は相手の声に「ごめんなさい」と謝って、今の場所からすぐに動いた。「気を付けます!」


 相手は「ふんっ!」と喜んで、馬の体に鞭を打った。馬術に関する知識は少ないが、それで馬が歩き出すらしい。僕の顔をチラッと見ると、不機嫌な顔で通りの奥に消えて行った。相手は僕が町のゴミを集めるように、町の中を進んで、それぞれの家に郵便物を届けつづけた。


 僕は、その様子をしばらく見つづけた。「同じ巡回でも、あっちの方が良かったのでは?」と。周りの視線を受ける中で、そんな風に思ってしまったのである。郵便の仕事は、個人の信用がないと雇われない。


 他国のスパイがたくさん入っている中で、信用のない人間は雇えない。自分の心に任せてフラフラしている、僕のような存在には決して、ありつけない仕事だった。僕は自分の境遇に苛立ちながらも、「これでは終われない」と思いなおして、自分の仕事にまた戻った。「頑張ろう」

 

 そう言って、ゴミの回収に勤しんだ。地図の上に書かれたルートを一つ一つ。周りの人々からは「大変だね」と笑われたが、それが自分の仕事である以上、仕事の内容だけは「きちんとやろう」と思った。僕は荷台の上に溜まったゴミを見て、人生の大変さを感じた。「ふうっ」

 

 疲れた。あれからずっと、働いているけれど。お昼時まで働くのは、流石に辛い。疲れの中に空腹を感じる。貧困者の救済としてパンは配られているが、それを持って町の公園に行くと、自分の置かれた状況に思わず唸ってしまった。僕は空いているベンチの上に腰掛けて、昼食のパンを頬張りはじめた。「う、ううん、うん」

 

 硬い。でも、不思議と美味しかった。味も素っ気もないパンだけど、それが喉を通った瞬間は、文字通りの幸せだった。僕は少ないパンを千切り、それを少しずつ飲み込んで、今の飢えをどうにか凌いだ。「はぁ……」


 終わった。掌サイズのパンが、あっと言う間に消えてしまった。「少しでも味わおう」と頑張ったのに。公園の中から子供達の声が聞こえた来た時にはもう、昼食のパンがすっかり無くなっていた。


 僕はパンの消失に悲しみを感じて、ベンチの上から立ち上がった。少女が駆けよってきたのは、正にその瞬間だった。少女はポケットの中から包みを出すと、目の前の僕にそれを渡して、包みの方を指差した。僕は、彼女の指をまじまじと見た。「これは?」

 

 どうやら、飴らしい。彼女が「開けてみて!」と言うと、包みの中から飴が出て来た。僕は掌の飴をしばらく眺めて、彼女の顔に視線を戻した。彼女の顔は、嬉しそうに笑っている。


「くれるの?」


「うん!」


 純粋な返事。


「お兄ちゃんにあげる」


 僕は「ありがとう」と笑って、口の中に飴を放った。飴は、とても美味しかった。優しい甘さが、口の中に広がって。彼女の友達らしき子供達も、遠目から僕の感想を見守っていた。僕は飴の形が消えるよりも前に「ありがとう」と笑って、少女の頭をそっと撫でた。「助かった」


 少女は、「あはっ!」と笑った。純粋無垢な顔で。僕がベンチの上から立ち上がった時も、その様子をニコニコしながら眺めていた。少女は自分の周りに友達を呼んで、僕の事を「遊ぼう!」と誘った。「お兄ちゃんも、一緒に!」


 僕は、「ありがとう」と言った。そして、「ごめんね」と断った。「知らない人に近づいちゃダメだよ」と。飴のお礼も込めて、彼女にそう諭した。「世の中は、良い人ばかりじゃない」って。彼女の優しさを重んじたのである。僕は子供達の顔を見、それが「う、うん」とうなずいた所で、彼等の前から歩き出した。「暗くなる前に帰れよ?」


 子供達は、「うん!」とうなずいた。さっきの少女が、少し大袈裟だったけど。それ以外は年相応の顔で、僕の事を見送った。僕は会社のリアカーを押して、公園の中から出た。公園の外は、賑やかだった。


 午前から午後の空気に変わって、町の中にも活気が流れている。通りの両端にある商店やそこを訪れる客達にも、その活気が溢れていた。僕は彼等の姿を眺める中で、自分の仕事を熟し、そして、会社の前に戻った。「終わりましたぁ」

 

 社長は、それに「お疲れ様」と言った。事務員の女性も、「お疲れ様です」と微笑んだ。二人はそれぞれに「飯でも食いに行くか?」とか「お茶を煎れます」とか言って、僕の事を労った。「新人にしては、なかなかの根性だ」

 

 僕は、その言葉に首を振った。首を振って、二人の厚意も断った。僕は所定の場所に作業着を戻し、自分の服に着替えて、会社の中から出た。「ありがとうございます。ご厚意は、嬉しいんですが。明日もあるので」

 

 二人は、「そっか」とうなずいた。少し残念そうではあったが、その遠慮が何故か嬉しかったらしい。僕の肩を何度か叩くと、穏やかな声で「また、明日もよろしくな?」と笑った。「君は、本当に優秀だよ」

 

 僕は、その言葉に傷付いた。傷付いたが、二人にはそれを隠した。僕は二人の笑顔に頭を下げて、自分の家に帰った。「ただいま帰りました」と言う風に。下宿のみんなにも、「お疲れ様です」と微笑んだ。僕は女将さんの作った夕食を食べると、自分の部屋に戻って、ベッドの上に「ふうっ」と倒れた。「今日も一日、お疲れ様。明日も一日、頑張ろう」

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