第12話 かっとう
情報屋は、時流との戦い。相手が欲しがる情報を与える、その架け橋になる仕事だった。それが本当である根拠も含めて、相手にその情報を与える仕事である。彼は、その原理を分かっていた。分かっていたから、今回の仕事に懐疑的だった。「こんな仕事が果たして、金になるのか?」と、そう内心で思ってしまった。
自分の仲間達がお宝に浮き足立つ中で、その疑問を抱いてしまったのである。彼は今回の話に不満を抱いていたが、それを否める気力もなかったので、チェミンが作った朝食を食べると、店の厨房に食器類を片して、喫茶店の中から出て行った。「行って来ます」
チェミンは、「行ってらっしゃい」と返した。彼が今回の事に加わらないのは残念だが、彼にも本来の仕事がある以上、その本音は決して言えない。彼が店の中から出て行く時にも、その背中に「頑張ってね?」と微笑んでしまった。彼女は少年の姿を見送ると、寂しげな顔で店の準備に戻った。「バザムくん……」
マスターも、彼女の言葉に続いた。彼女ほどではないが、彼も彼で思う所があったらしい。試飲用の珈琲を煎れると、チェミンの手にも「それ」を渡して、珈琲の出来を確かめた。彼はカップの中身を飲み干すと、皿の上にカップを置いて、チェミンの顔に視線を移した。「彼には、彼の人生がある。何かの組織に属していても、それに従うかは自分次第だ」
チェミンは悲しげな顔で、その考えに「はい……」とうなずいた。彼の気持ちを思って、それに「分かりました」とうなずいてしまったのである。彼女は喫茶店の扉をしばらく見、そして、自分の仕事に戻った。「楽しく働けたら良いのに」
バザムは、その声を無視した。正確には聞えなかっただけだが、それを無視するように歩いた。彼は心の気晴らしとして、町の中を歩きつづけた。町の中には、様々な人が見られた。自分の店で商売を営む人、工場の中で仕事に勤しむ人、いつもの制服で郵便馬車を走らせる人。それらが、バザムの視界を流れて行った。彼はそれらの景色を眺めて、いた時だ。ある少年に目が留まった。
彼が覚えている範囲で、見た事のない少年。自分よりも二、三歳上の少年が、ゴミ回収用の荷馬車に乗って、道路のゴミを集めていた。バザムは通りの向こうに立って、その少年を見はじめた。「見慣れない顔だ」
相手は、その声に気付かなかった。自分の仕事に意識を向けているのか、周りの事をほとんど見ていないらしい。バザムが自分の前から去った時も、その足音に気付いていなかった。相手は真剣な顔で、自分の仕事をやりつづけた。
バザムは、その気配に眉を寄せた。ああ言う人間は、特に珍しくもないのに。彼が話すオーラ、「雰囲気」と言うべきか? その雰囲気が、妙に引っ掛かってしまった。彼は少年の雰囲気に不安を抱きながらも、自身の目的をすぐに思い出して、町の中にまた意識を戻した。
町の中は、さっきと同じ。あらゆる人間のあらゆる人生が流れている。まるで、社会の鏡のように。すべての人間模様が、そこで繰り広げられていた。バザムは彼等のドラマにイライラする中で、町の中を進み、そして、馴染みの果物屋に頭を下げた。「おはよう」
相手も、それに「おはよう」と返した。相手は商品が並んでいる店の棚に目をやって、その中から林檎を取り出した。「一番良いの、撮って置いたよ」
バザムは、「ありがとう」と笑った。値段の方は普通だが、ここの林檎は最高。果肉の中に加重が詰まっている。コイン三枚で、買えるのも嬉しい。彼は店の店主にコインを渡すと、相手から林檎を受け取って、その林檎を頬張った。「美味い」
店主は、「ニコッ」と笑った。毎日来るわけではないが、それでも来てくれるのは嬉しい。本人には内緒だが、いくらかオマケもしている。周りの客には、気付かれないように。林檎の値段を少しだけ落としていた。店主は少年の顔をしばらく見て、彼に「儲かっているかい?」と訊いた。「浮かない顔をしているから」
バザムは、その言葉に暗くなった。特に「儲かっているか」の部分、ここには思い切り落ち込んだ。彼は不満げな顔で、林檎の反対側を囓った。「まったくだよ。仕事の依頼も無いし、金儲けの話も怪しい。一発屋がギャンブルに賭ける。あの連中が、俺に言った儲け話も」
店主は、「そうか」と笑った。彼のガッカリ顔を見て、それに同情を頂いたようである。彼はいつものお礼として、彼にもう一個林檎をあげた。「これでも食べて、元気を出しな?」
バザムは複雑な顔で、それに「ありがとう」と言った。厚意は嬉しいが、気分は上がらない。一口含んだ林檎の味も、さっきより「酸っぱい」と感じた。彼は残りの林檎を平らげて、ポケットの中に両手を入れた。
「ありがとう」
「いや」
また、来い。そう言って、バザムの事を労った。「お前の店は、ここにある」
バザムは「ああ」と笑って、店の前から離れた。彼の厚意に胸を躍らせるように。さっきまで沈んでいた心も、散歩の途中でスッキリしてしまった。彼はいくつかの通りを曲がって、いつもの喫茶店に戻った。「ただいま」
チェミンは、「お帰りなさい」と喜んだ。オーラの何処かに「ふらっ」と消えてしまう雰囲気があったバザムは、その出発や帰宅に一期一会の空気があった。彼女は店の奥に彼を通して、彼に仕事の手伝いを頼んだ。「今日は、お客さんがいっぱいなの」
バザムは二つ返事で、「分かったよ」とうなずいた。この店に住んでいる以上、その仕事も手伝わなければならない。彼は「ニコッ」と笑って、店の仕事を手伝いはじめた。店の仕事は、忙しかった。客の数が多い事もあって、注文の受け答えが激しい。一つの注文が終わったら、すぐに「お願いします」と頼まれてしまった。バザムは(主に)注文の運搬を請け負って、客の回転率に力を注いだ。「ふう」
終わった。店の中にはまだ、客が残っているけれど。ピークの時間が過ぎた事で、店の中を見渡すくらいには余裕が出来た。バザムは店の奥に引っ込んで、少しの休憩を取った。「なかなか疲れたな」
チェミンは、「お疲れ様」と微笑んだ。彼女も彼女で疲れていたが、彼の頑張りには癒される部分があるらしく、彼が自分の顔を見ると、その視線に胸がときめいて、自身の疲れを忘れてしまった。彼女は二人分のコップに水を注いで、目の前の彼にそれを渡した。「ありがとう」
バザムは、無愛想に「ああ」とうなずいた。自分の照れを隠すために。わざと無愛想な態度を取った。彼はコップの水を飲み干して、厨房の流し台にコップを戻した。
「残りも、頑張るぞ」
「うん!」
チェミンは、「ニコッ」と笑った。バザムも、「フッ」と笑った。二人は互いの顔をしばらく見合って、店の仕事にまた戻った。店の仕事は、いつもの時間に終わった。昼の一部に忙しい時間はあったが、夜は普段と同じ流れ。トレジャー・ナイトの常連以外が、日々の疲れを癒すだけだった。二人は店の片付けを済ませて、それぞれに互いの頑張りを労った。「お疲れ様」
マスターも、彼等の頑張りを称えた。住み込みで働いているチェミンはもちろん、店の居候であるバザムにも、同じように「ありがとう」と微笑んだのである。彼は二人と一緒に遅めの夕食を食べて、店の奥に引っ込んだ。「それじゃ、明日もよろしくね?」
チェミンは、「はい!」とうなずいた。バザムも、「ああ」とうなずいた。二人はお互いに「お休み」と言って、自分の部屋に戻った。「また、明日」
バザムは「ああ」と笑って、部屋の中に入った。部屋の中は、暗かった。部屋の中から出て行く前は朝だったので、手前の明かりを点けるまでは、周りがすべて闇に覆われていた。バザムは手前の明かりを点けて、ベッドの上に倒れた。「また明日、か」
明日は、何をしよう? 情報屋の一人として。自分は……。
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