第8話 情報屋の少年
うるさい夜だった。労働者の声が静まる日は、ないけれど。安息日を明日にする土曜日はいつも、人々の愚痴で溢れていた。バザムは騒がしい町の通りを横切って、トレジャー・ナイトの扉を叩いた。
喫茶店の扉は、すぐに開いた。扉のドアノブに「貸し切り」の看板が掛けられていたので、その扉を三回ほど叩くと、扉の奥から「いらっしゃいませ!」が聞こえて来た。彼は扉の前から少し下がって、目の前の店員に「よお」とうなずいた。「ただいま」
店員は、その声に喜んだ。年齢は彼と同じくらいだが、人目も気にせず抱きつく癖があったので、バザムが「や、やめろ!」と狼狽えても、彼の体を「おかえりなさい!」と抱きしめつづけた。彼女は大人しい顔に似合わない大胆さで、少年の体を抱きしめつづけた。「美味しいご飯が出来ているよぉ」
最後の部分には、音符マークが見えた。店員は店の中に彼を通して、空いている席に「どうぞ」と座らせた。「ご飯、持って来るからね?」
バザムは一言、「ああ」とうなずいた。とても無愛想な返事、だが。内心では喜んでいるらしく、店員が彼の前に夕食を運ぶと、嬉しそうな顔で今夜の食事を頬張った。彼は「お帰り」と話し掛けてきたマスターに「ただいま」とうなずいて、夕食のスープを平らげた。「今日も、美味い」
店員は、その感想に喜んだ。珈琲の焙煎は別にして、料理のほとんどは彼女が作っているからである。子供に人気のハンバーグから、大人に人気のケーキまで。一日に多くは作れないが、そのアイディアから調理まで彼女一人が作っていた。彼女もとえ、チェミンは「ニコッ」と笑って、彼の顔に「ニコッ」と笑った。「良かったぁ」
バザムは、それに赤くなった。彼女の方は分からないが、好きな相手に笑顔は可愛い。普段はクールを決める彼も、その笑顔にはドギマギしてしまった。彼は気持ちの照れ隠しで、自分の珈琲を飲み干した。「ふぅ」
マスターは、その反応に「ふふっ」と笑った。あらゆる男がかつて、少年だったように。その反応に懐かしさを覚えたようである。彼は少年の姿に自分を重ねて、その姿に過去を思い出した。「良い時代だ」
それに「悪い時代だ」と返す者が一人。体の内部に脂肪を蓄えた男が、今の光景に不満を表した。彼は小洒落た私服を光らせて、マスターの方に視線を移した。「わたしにゃ、無縁の世界なんでね。生まれてこの方」
マスターは、その続きを遮った。相手の過去を考えて、その続きは「大丈夫」と止めたのである。彼は男の注文である珈琲を煎れて、男の前に「どうぞ?」と置いた。「今は、今の事だけを考えましょう?」
男は、「うっ」と唸った。唸ったが、すぐに「そうだねぇ」と微笑んだ。男は珈琲の半分ほどを飲むと、皿の上にカップを置いて、テーブルの上に頬杖を突いた。「わたしにはもう、立派な女房が居る。わたしの生計を立てる、ね? この商売には、どんな女も敵わない」
そう言って、「ニヤリ」と笑った。男はバザムの方を振り向いて、食事中の彼に「バザムくん」と話し掛けた。「君もどうだい? 女性の慈悲も美しいが、古美術の世界も美しいぞ?」
バザムは一言、「興味がない」と返した。「俺が欲しいのは、金だ」と、正面から相手の誘いを断ったのである。彼はスープの具を飲み込んで、皿の上にスプーンを置いた。「あんな古臭い物、生活の足しになるなら良いが。家のスペースを奪う物なんて」
男は、「要らないか?」と落ち込んだ。心の底から落ち込むのではなく、彼の能力を惜しむように。その瞳を眺めては、彼の才能を「勿体ない」と思ったのである。男は残りの珈琲を飲み干して、少年の目をじっと見つめた。「君は、良い目を持っているのに?」
バザムは、返事に困った。褒められているのは分かるが、それを素直に受け取れない。相手の言葉に「う、うん」とうなずいてしまう。自分の本心はどうであろうと、その賞賛自体には「そんな事はない」と拒んでしまった。彼は残りの夕食を平らげて、厨房の方に食器類を片付けた。「俺は、ただの情報屋だよ」
男は、「そうか」と微笑んだ。マスターも、「ふふっ」と微笑んだ。二人は少年の未来を思って、その姿に「まあ、仕方ない」と思った。「何でも突っぱねたい歳だ」
男は「ニコッ」と笑って、マスターの顔に向きなおった。自分と同じように笑う、マスターの顔に。「さて」
マスターも、「はい」とうなずいた。彼はチェミンの顔にも目をやって、店の扉に目をやった。「そろそろですね?」
彼等が来るのは。そう言った瞬間に店の扉が開いた。マスターは仕事の手を止めて、扉の向こうに目をやった。扉の向こうには、いつものメンバーが立っている。メンバーのリーダーを先頭にして、店の奥に「来たよ?」と微笑んだ。マスターは店の中に彼等を通して、空いている席に「どうぞ」と促した。「今夜は、貸し切りです」
リーダーは、嬉しそうに笑った。前以て話してはいたものの、こうして通されるのは嬉しい。自分達だけがこの店を独り占めする、そんな全能感を覚えられた。リーダーは全員分の注文を集めて、チェミンにそれを頼んだ。「時間は、たっぷりあるから」
チェミンは、「ありがとうございます」と笑った。普通なら「ダメですよ」と怒られる内容だが、今日は大丈夫。話のペースに合わせて、人数分の珈琲を出せば良い。彼女に注文を言った相手も、その速さに不満を抱かなかった。彼女は料理の出来やすさに応じて、彼等の注文をゆっくりと叶えはじめた。「お待たせしましたぁ!」
彼等は、彼女の料理を食べた。フォークとナイフを使って、ゆっくりと。話の内容に意識を向ける中で、料理の味をじっくりと楽しんだ。彼等はテーブルの端に皿を重ねて、お宝の話を聞きつづけた。「なるほどね。つまりは、その王笏を」
見つける。それが今回の目標らしい。今までも様々なお宝を探して来たが、こう言うお宝は彼等も初めてだった。彼等はトレンの話に腕を組んで、それが見つけられる確率を考えた。「作者の話が『本当だ』としても。それを見つける手段が」
ほとんどない。消息不明のお宝を見つけるなんて、古代の文字を解き明かすよりも難しかった。「物語の舞台」とされる場所に行っても、その証拠が「見つかる」とは限らない。一年、二年の話ならまだしも、百年以上も前に消えたお宝を探すのは、流石に「無謀ではないか?」と思った。彼等は話の内容に唸る一方で、その内容自体には不安を抱いた。「お宝としては、申し分ない。だが……」
トレンは、相手の顔に目をやった。顔の表情を窺うような視線で。
「うん?」
「コイツはちっと、じゃないな? 無茶苦茶難しい。不確定要素がこんなにも多い中で。アンタがしようとしているのは、海の中に落ちたコインを見つけるような物だ。普通の手段では、見つかりっこない。資料の逆算からお宝を見つけようとしても」
バザムも、その意見にうなずいた。今の現実と地続きにある情報なら別だが、今回の獲物はあまりにふわふわしている。「道標」となる資料が、道標になっていない。今ある資料から新事実が分かる事もあるが、その資料自体が信じられない以上、この宝探しに希望を抱けなかった。バザムは椅子の背もたれに寄り掛かって、トレンの顔を見つめた。
「リーダー」
「うん?」
「俺にも、本業がある。一発逆転のお宝も良いが、それがハッキリしないとなると」
「手伝えない、か?」
「うん」
即答。
「アンタの仕事を疑うわけじゃないが。俺は、可能性を選びたい。宝探しが嫌いなわけじゃないが、それでも」
バザムは「ごめん」と謝って、今の場所から立ち上がった。「今回は、他の山を狙う」と。チェミンやマスターにも頭を下げて、店の奥に消えたのである。
彼はマスターから借りている部屋の中に入ると、ベッドの上に寝そべって、今回の仕事に「ついていない」と思った。「あるかどうかも分からないお宝に貴重な時間は使えない。俺は……」
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