第5話 大統領補佐官

 異常なまでの平等主義。才能や資本、努力や工夫を無視した、究極の平等。凹も凸も許さない、真っ平らな世界。その実現が彼等の、エデンの目標だった。「人間は弱き者を助け、強き者を挫かなければならぬ」と言う。彼等は高も低もない、究極のユートピアを目指していた。


 ヤカオンも……いや、彼の場合は違うらしい。平等の概念は知っていたが、その本質には疑問を、普通常人の嫌悪を抱いている。「真の平等は、相対的でなければならない」と、そんな風に考えていた。彼は補佐官としての仕事を抱える中で、その疑問をずっと抱えつづけた。「どうして、間違えるんだろう?」


 彼の父、現大統領の男は穏やかな顔で、その疑問に「無学だからさ」と応えた。「知識の表面だけを見て、その本質を見ない。彼等は、だけじゃないな? 人間は見たい物を見、聞きたい物を見る。その本質をたとえ、掴んでいなくても。人間は自分にとって気持ち良い、都合の良い事しか見ないんだ」


 ヤカオンは、父の言葉に眉を寄せた。それが伝える本質に胸を打たれたから。父の笑顔にも、思わず俯いてしまった。彼は部屋の壁に目をやって、そこに掛けられている国の紋章を見た。二匹の竜が、背中合わせになっている紋章を。「人間の清濁を併せ持つ。大統領は、この国を統べる元首なのに。実際の政治に関われるのは」


 議会の長、内閣の首長。大統領の下にある、行政の王だった。国の頂きに大統領を置いて、その内政を回す人物。大統領の権限を抑えて、その両手に権力を握る統治者。国の法律にもある、事実上の統治者だった。宰相主義を掲げた、文字通りの皇帝である。皇帝の決定にはたとえ、大統領でも逆らえない。内閣が纏めた書類にただ、サインを書くだけである。「そんなのは、子供の仕事だ」


 ヤカオンは恨めしげな顔で、父の顔に目をやった。今の言葉に落ち込んでいる、父の顔に。


「法律を変えましょう。これでは、ただのお飾りだ。奴等の言葉にただ、『うん』とうなずくだけなんて。国の統治者のする事じゃない。大統領は」


「国の統治者だよ? 統治者だが、すべてを統べられるわけじゃない。私の力が及ばない所もある。かつての王達がそうだったように。私もまた、民の代理人でしかないのだ。民の代理人が、民以上にはなれない。民の代表者で作った……」


 ヤカオン。そう言って、息子の顔を見た。彼に自分の人生を語るように。


「辞めても良い」


「え?」


「今の身分に不満があるなら、この仕事を辞めても良い」


 ヤカオンはまた、眉を寄せた。父の達観……いや、諦めに対して。青年特有の反抗心を抱いてしまったのである。彼は父の笑顔に落胆を覚えて、執務室の中から出て行った。「ちくしょう!」


 そう言って、廊下の壁を殴った。彼は自分の頭を掻いて、二階の屋上に向かった。二階の屋上は、静かだった。彼が屋上の扉を開けた時にも、その静寂を聞いただけ。屋上の手摺りを握った時も、夜空の星が見えるだけだった。彼は夜空の星を見上げる中で、父の言葉を憂い、そして、議会の状況を思った。「このままじゃ」


 いけない。過去の歴史に基づいて……それだけなら良いが、王の立場を蔑ろにして、自分達に強い力を与える。行政の長に力を、それも絶大な力を与えて、過去の絶対王政を振りかざす。大統領の教書を無視して、その力をどんどん使っていた。彼等が力を振りかざせば、それだけ反抗勢力も怒る。異常なまでの平和主義を唱える。彼等が国の機関に攻撃を仕掛ける動機は、その異常なまでの不信感だった。


 ヤカオンは「それ」を分かった上で、今の父に苛立ちを覚えた。「父さんがもっと、強い力を持っていれば」と。父が絶対の力を持っていれば、彼等の力を封じられる。今の議会にも「止めろ」と言えて、その影響を防げる。余所の国にはもっと、強い大統領が居るが。我が国の大統領は民衆の力を怖れた、ただの傀儡になっていた。「暴君とまでは、行かなくても」

 

 そう言い掛けた瞬間に後ろから声を掛けられた。「ここに居たのかい?」と笑われる声。彼の肩に手を置いて、彼に「随分探した」と微笑む声を掛けられた。彼は声の調子を聞いて、自分の後ろを振り返った。彼の後ろには、一人の男。隠密部隊の長が立っていた。ヤカオンは彼の手に目をやって、その顔にまた、視線を戻した。「すいません」


 相手は、「気にするな」と笑った。組織での身分は、ヤカオンの方が上。少しの面倒はあっても、自分の方から青年を探すのが、彼の仕事である。青年がわざわざ謝る必要はない。男は青年の前に報告書を見せて、彼に「なかなか難しそうだ」と言った。「ボスの居場所を吐かない」


 ヤカオンは残念そうな顔で、今の報告に「そうですか」と落ち込んだ。ラダオほどの人間を使っても、その情報が手に入らないなんて。彼等が外国にも戦力を保持する国際的な無政府主義者なのは分かっていたが、こうも手こずる所を見ると、「大統領の権限がますます必要である」と思ってしまった。ヤカオンは頭上の空を仰いで、その青さに目を細めた。「みんな、ワガママです」


 男は、「フッ」と笑った。ワガママの点では、彼も似たような物だが。苦痛にまみれた表情を見ると、その本年も飲みこまずにはいられなかった。男は彼の隣に立って、彼と同じ物を曲げた。


「人を思う世界と人を落とす世界は、違う。彼等は人道に格好付けた、ただのワガママ集団だ。しかし」


「え?」


「『だから』と言って、議会の暴走を許すわけには行かない。奴等の弾圧、特に平和主義者や魔族に対する弾圧は、日に日に強くなっている。俺がまだ、ガキの頃は……」


 男は地面の上に目を落として、今の台詞に「フッ」と思った。「ちょっとセンチになりすぎた」と、そんな風に思ったらしい。「幼馴染みが殺された時は、ショックだったよ」


 ヤカオンは、その返事に困った。その記憶も、大統領の言葉で終わる筈のに。今の政府には、その言葉すら届かなかった。行政の長にみんなが「うん」とうなずけば、その瞬間にすべてが決まってしまう。「だからこそ、変えなければならないのに。一部の異常者に動かされるのではなくて、正しい者が正しい政治を」


 行うべき。そう呟いた瞬間に「どうかな?」と言われてしまった。ヤカオンは今の台詞に表情を変えて、男の顔に目をやった。「え?」


 男は、悲しげに笑った。そうする事で、自分の感情を表すように。「正しい政治は、人の数だけある。お前さんが『正しい』と思う政治も、他の誰かには『誤り』と思うかも知れない。政治が一足す一の算数じゃない以上。全体の幸福を目指す政治には、その数だけ正義があるんだ」


 ヤカオンは、自分の足下に目を落とした。確かにそう、かも知れない。人々の意見を尊ぶ民主主義なら、そう考えるのが「普通」と思った。一つの考えに盲従、ただ「はい」とうなずくわけではない。


 全体の幸福か個々の幸福かの違いはあるが、その本質はほとんど同じだった。全体の空気に従うのが、真の民主主義ではない。ヤカオンはそれを分かっている上で……いや、分かっているからこそ、今の政治に対して嫌な感触を覚えていた。


「ワヅナッティ長官」


「うん?」


「ありがとうございます。僕の愚痴を聞いてくれて」


 長官は、「いやいや」と笑った。「それは、若者の特権だ」と。彼の不安を思って、彼と同じように俯いた。長官は自分の頭を掻いて、彼の方に背を向けた。「歴史には、修正力がある。何かの加減で、間違った方に進んでも。それを阻む者が現れて、正しい軌道に引き戻される。お前や俺の仕事に誤りがなければ、その軌道にゆっくりと正される筈だ」


 ヤカオンは、「ああ」と喜んだ。長官の言葉に救われて、その目に涙を浮かべてしまった。彼は長官の背中に頭を下げて、その厚意に「ありがとう」と微笑んだ。「貴方が長官で、良かった」


 長官も、その返事に「フッ」と笑った。彼は穏やかな顔で、彼の方に振り返った。


「ヤカオン」


「はい?」


?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る