第2話 トレジャー・ナイト

 冥王録の作者、世間では「革命の一人」と言われているメルン・バンは、魔王討伐の革命に加わった兵士だった。国の危機に立ち上がった兵士、病弱の母と結婚前の妹を思って、将軍の声に続いた青年。森の中までハデスを追い込み、その槍で冥王を打ち倒した、文字通りの英雄だった。彼は周りの仲間と力を合わせて、冥王の首を討ち取り、十字架の上に残りを張り付けて、都の凱旋門に戻った。

 

 都の人々、特に国の変革を求める人々は、彼等の凱旋を喜んだ。「冥王の手から国を救った英雄」と。革命の一人に数えられ、歴史書の中にもその名を刻んだのである。彼は新国家の軍人として、新しい人生を歩みはじめた。


 組織が定めた役目を全うし、戦争の際には前線、それも最前線に出る。味方の危機にはすぐさま駆け付け、衛生兵顔負けの救護活動に勤しんだ。彼は「兵士の一人である」と共に軍の象徴、「発展の象徴」としても奉られたが……。それが彼自身の思想、その根幹を壊してしまった。

 

 彼は「皇帝」が「大統領」に変わった世界で、自身の存在意義に疑問を持ちはじめた。「これが果たして、自分の目指した未来なのか?」と。軍務を行う中で、その疑問にぶつかってしまったのである。「国の政治が三つに分かれた程度では、その根幹は決して変えられない」と。


 彼は周りの人々、偶然、奇跡、その他諸々の出会いを通して、今の状況を脱する。つまりは軍を辞め、個人の道に入った。彼は軍の入隊前から好きだった趣味、現在の評価に繋がる執筆活動をはじめて、その処女作である冥王録を書き上げた。


 冥王録は、好評だった。彼が英雄の一人である事も相まって、その出版に様々な力が加わったのである。彼が知り合いの伝手で訪れた出版社も、「他社の数倍」と言われる報酬を示して、彼に「自分の所で出して欲しい」と頼んだ。冥王録はその出版社に出版権を与えて、現実の社会に顔を出した。


 メルンは、その光景に喜んだ。執筆の動機も曖昧、作品の内容も「未完」で終わっているが、それがある種の想像力を駆り立てる、現在では「考察系」と呼ばれる先駆けになった事で、ある種の開拓者になったような気分を味わったからである。彼は冥王録の印税で莫大な富を得ると、その美しい奉仕精神に従って、地域の慈善活動に勤しんだ。


「悪くない人生ね。若い頃には、苦労も多かったけど。それが、晩年の糧になっている。他人の為に自分を使える人は、そう居ないわ」


 トレンも、「確かに」とうなずいた。そう言う人間は、多くない。大抵が自分の為に生きている。自分が気持ち良くなる為に。他人の人生を使って、自分の人生を満たしているのだ。彼のような人間は、今の社会でもごく少数である。トレンは作者の生い立ちにうなずく中で、女性に「それが、この裏話とどう結び付くんだ?」と訊いた。?」


 女性は、青年の目を見た。彼女なりの信念を込めて。


「怖かったのよ」


「怖い?」


「あるいは、『危険だ』と思ったのかも知れない。彼は、国の歴史を変えた人だからね? 変化の恐怖を知っている。自分達をまとめる政府が嘘、それも象徴に関わるような嘘を付いていたとなれば、その信頼を失う。信頼は、統治の基本だからね。信頼の持てない政府に国は任せられない。メルンはその経緯はどうであれ、『この秘密は決して、漏らさない』と決めた」


「なるほどね。だから、『家の奥底に隠していた』と言うわけか。でも」


「うん?」


「それでも、おかしい。そんなにヤバイ秘密なら」


「とっとと燃やす? 暖炉の中でも、放り投げて?」


「そう言う事、本当にヤバイ物なら。一、二もなく、消去が基本だ。手元にわざわざ残す意味はない」


 そう言った瞬間に一言。ゲラジが二人の会話に割り込んで、両者の顔を見渡した。「葬れなかったんじゃないか? その情報を」


 トレンは、ゲラジの顔に目をやった。彼の指摘の意表を突かれた顔で。「どう言う意味だ?」


 今度は、ゲラジが目をやった。相棒の顔をじっと眺めるように。「。今の政治が必ずしも、『良い物になる』とは限らない。大統領の暴走や、議会の混乱など。少しのエゴが、多くの悲劇を生む事もある。賢者の中に愚者が生まれるように。『政治』と言うのも、『絶対に良くなる』とは限らないんだ」


 トレンは、彼の考えに眉を寄せた。その一言一言を噛み締めるように。彼の目を見ては、その奥を覗いたのである。彼は自分の両手を組んで、指の上に顎を乗せた。「なるほどね? もしもの為のストッパーか? 国の中が『ヤバイ』と思ったら、国民の前に真実を見せる。そいつらの目を覚まさせる為に。作者は、アイツ等の首に『鎖を付けた』ってわけか?」

 

 ゲラジは、今の推理に目を細めた。皿の上にティーカップを戻して。「そいつを捜すのは、気が乗らない。俺達が本物を見つければ、国の中が乱れてしまう」

 

 女性も、「そうかもね?」とうなずいた。うなずいたが、「それでも」と言い直した。彼女はゲラジの顔を見、そしてまた、トレンの顔に視線を戻した。「それを犯すのが、私達でしょう?」


 トレンは彼女の顔を見たが、やがて「プッ」と吹き出した。それに「クッ」と苛立つゲラジを無視して。彼は窓の傍に行って、そのカーテンを開けた。「。宝の夜は、歴史の中に潜んでいる。俺達が捜すのは、人間の真実だ」


 ゲラジ。そう言って、相棒の顔に目をやった。今も「ムスッ」としている、相棒の顔に。「奴等の心臓を奪いに行くぞ?」


 ゲラジは、相棒の顔を見つめた。見つめたが、最後には「分かったよ」とうなずいた。彼は長椅子の背もたれに寄り掛かって、頭の後ろに両手を回した。「俺達は、正義のトレジャーハンターだからな」


 トレンは、「ニコッ」と笑った。女性も、その声に続いた。二人は彼の反応をしばらく眺めたが、トレンが「そうと決まれば」と言うと、それぞれに本棚の資料を出したり、家の電話を借りたりして、次の段階をやりはじめた。トレンは電話局の通信士に繋いで欲しい場所を伝えて、その相手が出るのを待った。


 相手は、すぐに出た。店の客が引けたのか、数秒もしない内に「いつもご贔屓にありがとうございます!」と聞えて来た。相手は少女らしい声で、電話の相手に謳い文句を言った。「美味しい珈琲なら、ここ! 喫茶店のトレジャーナイトです!」


 トレンは、「クスッ」と笑った。この子は、いつも元気である。


「今晩も元気だね、チェミンちゃん。トレンだよ」


「トレンさん! いつもご贔屓にありがとうございます!」


「いえいえ、こちこそ。いつも、お世話になっています。マスターは、居るかい?」


「はい、居ますよ。ちょっと待って下さい」


 電話越しから聞える、「お電話ですよ」の声。少女はマスターなる人物を呼んで、彼に電話の送話器を渡した。マスターは穏やかな声で、電話の相手に「お待たせしました」と言った。「ご予約ですか?」


 トレンは一言、「ああ」と答えた。「それ以上の返事は、ない」と言う風に。マスターの「畏まりました」にも、「よろしくぅうう」と笑っていた。彼は電話の相手に詳しい日時を伝えて、元の場所に送話器を戻した。「さて、お次は」

 

 ルガル、と言う男らしい。声の印象から中年、四十代くらいの男らしいが、トレンがお宝の事を話すと、その話に語気を変えて、相手の話を促しはじめた。


「冥王の王笏、か。それはまた、厄介な物を」


「だが、捜す価値はある。マスターにも、集合時間を伝えた」


 ルガルは、「仕事が早い」と呆れた。この人は、いつもこう。自分の仕事には、全力を出す。それで周りに呆れられる事はあっても、それが彼の持ち味であり、トレン・ラシムの矜持だった。ルガルはご自慢の禿げ頭を掻いて、電話の相手に「分かったよ」と返した。「絶対に遅れない」


 トレンは、彼との通話を切った。用件を伝えたら、それで終わり。余計な話は、相手を苛つかせるだけだ。要らない世間話で、貴重な時間を奪う事はない。トレンは相棒達の方に顔を戻して、彼等の顔を見渡した。「それじゃ、みんな。宝探しを始めるかね?」

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