本編:トレジャー・ナイト
第1話 嘘と真実
晴れた夜は、心地よい。町の中には活気が溢れて、通りのパブからも声が聞こえる。一日の労働に疲れた市民達が僅かな収入を使って、安酒に鬱憤を晴らしている。町の真ん中にある激情からも荘厳なオペラが聞こえ、通りの橋にはガス灯が、ガス灯の近くには馬車が、夜の世界に光と音を作っていた。彼女の住んでいる家もまた、その空気に溶けている。部屋の中にランプを置き、その明かりに仲間達を集めて、彼等に今回の獲物を話していた。
彼女は革表紙の上に「冥王録」と書かれた本を置いて、本棚の方にまた歩み寄った。そうする事で、自分に彼等の視線が集まるように。「中途半端では、あるけれど。ハデスの……正確には、歴史小説だけどね? 冥王録の話は」
おしまい、らしい。彼女の話に寄れば、この終わりが正式であるらしかった。あの二人がどうなるのか? その続きに関しては、何の続きも書かれていないらしい。彼女は「執筆放棄ね?」と笑って、仲間達の方に振り返った。「私が担当なら、まあいい。とにかく終了。小説の続きは、現実の歴史から引っ張るしかない」
それを聞いた一人の男も、彼女と同じように呆れた。彼は長椅子の肘掛けに頬杖を突いて、彼女の目を見つめた。「それで、史実の方は?」
女性は、今の質問に目を細めた。彼等が求める、歴史の真実を伝えるように。「ハデスは宮殿の中から出た後、小説の中で自分の追っ手と戦った場面ね? その場面で、兵士達に殺されている。自分の周りを囲まれてね? 史実のハデスも、武芸に優れていたけれど。一対多数の戦いには、流石のハデスも敵わなかった。ハデスは四方から兵士の槍に刺されると、彼等に呪いの言葉を置いて、地面の上に倒れた」
そう言って、少しの休憩を入れた。女性は自分のお茶を進んで、喉の奥を潤ませた。「兵士達は、彼の御印を取った。彼の頭と笏を、戦利品として掲げた。彼等は将軍の指揮に従い、討伐の戦利品を持って、町の凱旋門を通った。町の人々は、彼等の偉業を称えた。自分達には出来なかった事を、彼等が代わりにやってくれたから。歴史の中に彼等を刻み込んだ。彼等は宮殿の中に兵士達を入れて、彼等と彼等を導いた二人に……これが、議会の始まりね? 法の下に代表者を決める、現在の民主主義を作った。彼等は国の権利を三つに分けて、それぞれに互いの事を睨み合う……今では、議会が幅を利かせているけれど。三権分立の基礎を作った」
そこまで言うとまた、休憩。カップの中にお茶を注いで、その中身をゆっくりと飲み干した。「ロボアは、議会の議長になった。議長になったけど、大統領にはならなかった。『国の統治者は、人々の下知に従うべきだ』と。貴族の身分を捨てて、国の復興に励んだ。『それが、自分の償いだ』と言う風に。彼は周りの人々に未来を託して、その人生を駆け抜けた」
女性は本棚の中から本を取り出して、テーブルの上にそれを置いた。それを見ていた仲間達が、本の中身を見やすいように。「悲しい人生ね。彼が『ハデスから奪った』とされる王笏は、帝都の国立博物館に収められている。国の歴史を描く、貴重な資料として。彼の王笏は今も、国の闇を描いている。今回の獲物は、この王笏よ」
先程の男、分かりやすいように「トレン」と呼ぼう。色黒の肌にキラリと光る瞳が、自分の名前を訴えていた。トレンは自分の顎を撫でて、女性の顔を見返した。「俺はまだ、監獄には入りたくないんだが?」
女性は、その冗談を笑った。彼ならそう応えるだろうと思ったらしい。「私も、入りたくない。私が言っているのは、本物の王笏よ?」
それにもう一人の男、ここからは「ゲラジ」と呼ぶ事にしよう。無口な印象はあるが、必要な事はきちんと言う。背格好もトレンと似たような感じで、二人が並んでいると、まるで大きな山が連なっているようだった。ゲラジは丁寧な手付きで自分のティーカップを置き、トレンの顔を見てからすぐ、女性の顔に視線を戻した。「どう言う事だ?」
女性は、今の質問に微笑んだ。「彼ならそう返すだろう」と思って。トレンの「説明しろ」にも、「ええ」とうなずいた。彼女は机の中から資料を取り出して、二人の前にそれを置いた。「ロボアの謀反に加わった兵士達、その内の一人が書き残した記録よ。その中に王笏が、本物についての記録が書かれている。彼は周りの人々、特に強い人達に口止めされて、家族以外にこの記録を見せなかった」
トレンは、表情を変えた。この記録が「正しい」とは限らないが、今の定説を破る真実。歴史の真実を書いた資料になるかも知れない。真実の底に沈んだ記録。その断片が、自分の前にあるかも知れなかった。トレンは女性が取り出した資料を持って、そのページをペラペラとめくりはじめた。「なるほどね。つまりは、歴史の暴露本か。記録の中に隠された記録、歴史の中に葬られた歴史か。葬られた歴史は、誰の目にも止まらないけれど。この本は、その闇を掘り起こした物か」
女性は、「そう言う事」と微笑んだ。彼の思考を読むように。彼が「ニヤリ」と笑う顔を見たのである。彼女は彼の手から資料を受け取って、本棚の中にそれを戻した。「ハデスは、王笏を失った。兵士達の槍が襲う前、恐らくは森の中で休んでいる時に。彼は何者かに自分の笏を奪われ、失意の中に槍を刺された。自分の命を奪われるように。彼は、己の分身を失ってしまった。兵士達は彼を討った御印として、彼の王笏を捜した。でも」
それが見つからなかった。兵士達は十字架の上にハデスをはりつけると、森の中はもちろん、そこから進んだ所にある山道も捜したが、彼の王笏はおろか、その欠片すらも見つけられなかったらしい。山道から少し進んだ所にある民家、誰も住んでいない民家だったらしいが、その中を捜しても、王笏の姿はまったく見つからなかった。女性はそれらの情報をまとめて、トレン達に自分の仮説を話した。「本物の笏は、別の所にある」
青年二人は、その推理に息を飲んだ。「自分達が知っている宝が、実は本物ではない」と言う。その恐ろしい事実に恐怖と、そして、不安を覚えてしまった。二人は互いの顔を見て、女性の青に目をやった。
「笏の在処は?」
「分からない」
だろうな。
「でも、想像。あくまで想像だけどね? 笏の経緯は、推し測れる」
そう言って、冥王録の内容を振り返った。ハデスが謎の女性と出会った場面を。「あの場面は二重、二つの事象が同時に進んでいる。女性がハデスに近づく動きと合わせて、何者かがハデスの所に歩み寄っている。まるで二つの影が重なるようにね? 夢と現実が、混ざっている。私は、この部分に興味を引かれた」
青年二人、特にトレンは、その想像に眉を寄せた。彼も確かに「うん?」と思ったが、それはあくまでフィクション。現実の歴史を基にしたフィクションである。フィクションの世界がすべて、本当の事とは限らない。多少のリアルは混ざっても、そのほとんどが想像である筈だ。
架空の話に出て来る情報が、現実の情報に繋がるとは限らない。トレンはそんな事を考えて、女性の推理に「ただの妄想だな」と苛立った。「そんなのは、根拠にならない。本物の王笏に繋がる根拠には。お前のそれは」
女性は、「妄想じゃない」と遮った。まるで、話の続きを読んでいたように。彼女は嬉しそうな顔で、青年達の顔を見渡した。「この記録を書いた作者が、『冥王録』を書いた兵士だからね?」
二人の青年は、「え?」と固まった。最初に冥王録を読んだ意味が、この真実に繋がっているなんて。「驚くな」と言われても、「まさか!」と驚いてしまった。二人は女性の前に歩み寄って、その瞳を見はじめた。自信の光に溢れた、彼女の目を。「その情報を何処で?」
女性はまた、「クスッ」と笑った。自分の偉業を誇るように。二人の目を見て、それぞれの肩に手を置いたのである。彼女は得意げな顔で、二人の肩から手を退けた。「私の専門は、歴史だから。色々な情報が集まる。ずっと昔の記録から、最近のゴシップまで。今回の情報を送ったのも、この話を書いた作者の子孫よ?」
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