第11話 孤独は、地獄

 女性は、彼の拳を躱した。「ふわり」と、まるで木の葉が舞うように。その動きを見事に見切ったのである。女性はハデスの腹にまた蹴りを入れて、地面の上に彼をもう一度倒した。「解らない人ね。人間が、魔族に叶う筈ないでしょう?」

 

 ハデスは、言葉を失った。彼女の言った、「魔族」と言う言葉に。彼は今までの怒りを忘れて、目の前の女性をまじまじと見た。「お前が魔族? 国の伝承に出て来る、あの? 人間の世界に災いをもたらした」

 

 そんな化け物が何故? ハデスは不安な顔で、彼女の前から下がった。反撃の手段がない以上、今は防御に徹するしかない。「その魔族が、俺に何の用だ?」

 

 女性は、「プッ」と吹き出した。「お前程度に自分の時間を使うわけがない」と、そう態度に表したのである。彼女は木の幹に寄り掛かって、ハデスの動きをじっと窺った。


「貴方の夢を覗いただけ」


「俺の夢を覗いた?」


「そう」


 女性は、「クスッ」と笑った。その中で、相手の反応を窺うように。「楽しかったわ」


 ハデスは、その返事に呆然とした。理屈の方は分からないが、相手は人間の夢を覗けるらしい。相手に「回想」とも言える夢を見させて、その光景を楽しめるらしかった。ハデスはその事実に触れて、相手に怒りを覚えた。「それはまあ、随分と。『魔族』と言うのは、余程に暇な種族らしい」


 女性は、今の反論に眉を寄せた。彼のような人間に見下されて、心の底から怒ったようである。彼女は彼の前に歩み寄り、その顎を摘まんで、腹の部分を蹴った。「学ばない人ね? 流石は、『暴君』と言われるだけはある」


 ハデスはまた、女性の体に殴り掛かった。今度は反撃の恐怖を忘れて、女性の顔に拳を入れようとした。ハデスは今の攻撃を躱されてもなお、彼女に自分の怒りをぶつけつづけた。


「知った風な事を! お前に何が」


「知っているわ。私は、貴方の知らない貴方を知っている」


「くっ!」


 ハッタリだ、そんな事分かる筈はない。こんな馬鹿者に風情に何が。


「仮に『そうだ』として、それが何だ? 俺の知らない俺を知っていて?」


「貴方のこれから考えられる」


 貴方が考える以上に。


「貴方の未来を守るつもりはないけど」



 ハデスは一瞬、反論を忘れた。彼上に彼の事を考えられる?


「俺の未来が分かるのか?」


「分からない。でも、助言は出来る。貴方がこれからするべき事も。私は私の考えで、貴方にそれを教えられる」


 ハデスは、自分の足下に目を落とした。彼の足下には、彼の歩いた足跡が残っている。


「俺は、間違っていない」


「うん?」


「間違っているのは、アイツ等だ。国の秩序を破って、その礎を……。俺の国に必要なのは、国の意思に逆らわない者だ。自分の役目を守って、その役目を果たせる者。公の世界に自分の命を使える者だ。自分の命を使えない者に生きる権利は必要ない」


 女性は、溜め息をついた。彼の思想を心から見下すように。


「そう、かしら? 私は、そう思わない。人間はたとえ……貴方の理屈を使うなら、生きる価値がない人間でも、命を使う権利がある。自分の為に、自分が愛する人の為に。人間は、自分の命を燃やす」


「権利は、ない! そんな気持ちの人間には」


「ねぇ?」


「なんだ?」


?」


 ハデスは、反論の言葉を忘れた。自分は、人形が好き?


「どう言う意味だ?」


「そのままの意味よ。貴方が好きなのは、自分の意見に逆らわない。貴方の言葉に『うん、うん』とうなずく、操り人形よ。操り人形に自分の意思は、ない。貴方は『美徳』と言う糸で、自分の人形を操りたいだけだわ」


 ハデスは、今の言葉に「カチン」と来た。自分は一度だって、そんな事を考えた事はない。人間の有り様を考えただけだ。社会の決まりを守って、自分の立場も弁える。その重要性を説いて来ただけである。それなのに? ハデスは「分からない」と言う顔で、女性の顔を見返した。


「ならば、訊こう」


「なに?」


「『人間の美徳』とは、何だ?」


 女性はハデスの顔を見たが、やがて「プッ」と吹き出した。本気で彼の質問を笑うように。「世界の本質を見つめ、そこから己の魂を悟る事」


 ハデスは、その答えにガッカリした。そんなのは、美徳でも何でもない。哲学者が好む、ただの言葉遊びだ。社会の秩序に結び付く物ではない。ハデスは蔑むような顔で、女性の顔を見返した。「鉄の統制。それこそが、人間の本質だ。個々の人格を重んじてはならない。我々は、積み木細工の部品なのだ」


 女性は、首を振った。今の話を聞いて、「仕方ない」と諦めたらしい。ハデスの前から離れた時も、彼の「待て!」を無視してしまった。女性はハデスの方を振り返って、その表情に「さようなら」と微笑んだ。「ハデス」

 

 ハデスは、「なっ!」と驚いた。彼女が自分の名前を知っていた事に。彼は「恐怖」と「驚嘆」の混じった顔で、相手の顔を見返した。今の反応に「クスクス」と笑っている、女性の顔を。


「な、何だ?」


「孤独は、地獄よ」


 ハデスは、今の台詞に怒った。怒ったが、急な目眩に襲われた。周りの景色がグルグルと回る世界。ハデスは女性の方に手を伸ばしたが、頭の目眩に負けて、その意識を手放してしまった。

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