第8話 道化師の遊び
モルス帝国の夏は、暑い。熱中症で倒れる程ではないが、それでも暑い事に変わりはなかった。道行く人々は厚手の服を脱いで、薄手の服を纏っている。教会の関係から修道服を脱げない者は別だが、それ以外は自身の身分に応じて、今の気候に合った服を着ていた。
ハデスやロボアも、動きやすい服を着ている。彼等は周りの視線を浴びる中で、町の通りをゆっくりと歩いていた。「良い眺めだな」
ハデスの父が「絶対王政」を強いていた時とは違って、あらゆる景色が整っている。あらゆる人間が自分の身分を認め、その身分に応じて、自身の心を引き締めていた。ハデスはそれらの景色に胸を打たれて、臣下の方を振り返った。周りの景色に落ち込んでいた、臣下の方を。「どうした?」
ロボアは、「何でもありません」と返した。顔の奥に動揺を隠して、その顔に笑みを浮かべたのである。ハデスが「それ」に騙された時も、口元の笑みを浮かべつづけた。ロボアは彼が自分の正面に向き直った所で、顔の表情を戻した。「ただ、疲れているだけで」
ハデスは、その声に振り返られなかった。「疲れている」の部分には「大丈夫か?」と思ったが、すぐに「大丈夫だろう」と思い直した。彼は穏やかな顔で、自分の正面を見つづけた。「そう言う事なら。今日は、ゆっくり楽しもう。日々の疲れを癒て」
ロボアは、「はい……」とうなずいた。本音では、行きたくなくても。「クスッ」と笑うハデスの顔に「分かりました」とうなずくしかなかった。彼はハデスの隣に並んで、町の中を歩きはじめた。
町の中には、市が立っていた。全国から集まった商人達が、その通りに露店を開いている。通りの商人達を巻き込んで、国の許した定期市を開いていた。ロボアは露店の一つ一つを見渡して、それらが怒りに染まっているのを見た。
「ハデス様」
「うん?」
「お気持ちは、嬉しいのですが。やっぱり」
「帰るな」
ハデスは「ニコッ」と笑って、通りの人々を見渡した。自分の事を睨んでいる(「見つめる」と思っている)、通りの人々を。「せっかくの祭りに。人々の笑顔を見るのは、お前も嬉しい筈だ」
ロボアは、今の言葉に固まった。彼の「お前も嬉しい筈」と言う部分に。感情はおろか、思考すらも忘れてしまった。ロボアは人々の表情を見、それが泣いているのに気付くと、彼等に頭を下げて、ハデスの顔に視線を戻した。ハデスの顔は、彼の反応に首を傾げている。「分かりました」
そう言って、自分の意見を正した。彼等の気持ちも分からない者が、自分の気持ちも分かる筈はない。一つの反論でグズグズ言われるなら、四の五の言わずに「はい」とうなずく方が楽だった。ロボアはあきらめ顔で、ハデスの隣を歩きつづけた。「お供致します、何処までも」
ハデスは、子供のように笑った。まるで、自分の少年時代を思い出すように。「そうでないと。これは、治世の内を見る遊びだ」
ロボアは、その言葉に暗くなった。特に「治世」の部分、これには恐怖を感じてしまった。国の民がどんなに怒っても、その怒りを「怒り」とも思わない。嫌々ながらも謙る姿を見て、それに忠誠心を感じている。
彼等が何を考え、何を思っているのか? その本質をまるで見ようとしない。ロボアは、「ニコニコ」と笑う青年の背中に嫌な空気を感じてしまった。「この子は、帝国の為に」
死ぬべき人間かも……駄目だ、何を考えている? どんな人間だろうと、死んで良い人間は居ない。その命を生きる義務がある。命の本質が腐っていたとしても、その本質だけは決して変わらなかった。ロボアは陰鬱な顔で、ハデスの隣を歩きつづけた。「将軍……」
ハデスは、彼の声に足を止めた。わけではない。ロボアの目にはそう映ったが、通りの出し物に目が留まっただけだった。ハデスは民衆の間に入って、通りの出し物を見た。通りの出し物は、大道芸。一人の道化師がふわりと躍る、国でも人気の見せ物だった。ハデスはロボアにも「ほら、観て見ろ?」と言って、道化師の方を指差した。「面白い芸だ」
ロボアは、「はい」と返した。ハデスの笑顔に笑みを返して、彼と一緒に道化師の舞いを観はじめたのである。彼は周りの空気に溶け込んで、道化師の舞いを観つづけた。道化師の舞いは、面白かった。
表面の顔に裏の顔、娯楽の奥に批判を混ぜる。正に悪趣味な遊びだった。道化師は観客の一人一人に「Free」と書かれたメダルを渡して、自分の周りにも「それ」をばらまいた。「これがPeace、これが平和。我等が本音で、求める物」
観客達は、その声に叫んだ。自分の理性、その抑圧から逃げるように。「自由」と「平和」を叫びはじめたのである。彼等は道化師の方に拳を上げて、その芸に賞賛を飛ばした。「我等が世界に自由をぉおお!」
道化師は、その声に指を鳴らした。「その答えを待っていた」と言う風に。自分の両手を掲げたのである。道化師は自分の体から力を抜いて、自分以外の何かになりはじめた。「我は、冥王。死の世界を統べる者なり」
観客達は、自分の声を忘れた。それを観ていたロボアも、自分の呼吸を忘れてしまった。彼等は道化師の悪ふざけに表情を消して、その動きをじっくりと観はじめた。「止めろ」
そう言ったが、相手は止まらなかった。自分の体に冥王を降ろす、道化師。彼または彼女は自分の前に見えない人間を作って、その人間に罰を与えはじめた。相手が叫んだ(と思う)瞬間には、相手の体に蹴りを入れる。「止めて」と願った(と思う)瞬間には、足の付け根に剣を落とす。「許して」と頼んだ(と思う)瞬間には、心臓の上に剣を突き刺す。そんな動きをずっと、狂ったようにつづけた。「我は、天の代理人なり」
道化師は仮面の奥から人々を見渡して、ハデスの顔に視線を移した。今の光景に言葉を忘れた、演目の主役に。「陛下」
そう言われても、答えない。道化師の顔をただ、眺めるだけだ。声の返事はおろか、気持ちの変化すらも見せない。道化師は「それ」を笑って、この憐れな男を蔑んだ。「私と一緒に躍りませんか?」
ハデスは、相手の顔を睨んだ。不気味な仮面に覆われた、道化師の顔を。周りの人々が怖がる勢いで、その奥を睨み付けた。ハデスは道化師の仮面をしばらく見たが、隣のロボアを思い出すと、道化師に統治者の余裕を見せて、今の場所から歩き出した。「娯楽は所詮、娯楽だ。真実ではない」
道化師は、相手の反論に黙った。周りの人々は、道化師の身を案じていたが。道化師自身は、ハデスの威嚇に笑い返すだけだった。道化師は今の演目を終えて、次の大道芸をやりはじめた。それに合わせて、ハデスも自分の足を速めはじめた。二人は互いの姿に背を向けて、それぞれに芸を続けたり、町の中を歩いたりした。「嫌なピエロだ」
ロボアも、「そうですね」とうなずいた。神の政治をあんな風に弄って。道化師の内面を推しても、「悪趣味」としか思えなかった。ロボアはハデスの横顔を見て、その機嫌を何とか取ろうとした。
「あ、あの?」
「うん?」
「申し訳ないのですが。急に」
「なんだ?」
「水飴が食べたくなりまして」
ハデスは、「はっ?」と驚いた。驚いたが、すぐに「プッ」と吹き出した。いい歳した大人が、子供のお菓子を求めるなんて。ハデスは、彼の無邪気さに思わず笑ってしまった。「良いだろう、奢ってやる。国の為に励んでいるお礼だ」
ロボアは、隣の男に頭を下げた。自分の作戦が上手く行った事も含めて、その成果に思わず微笑んでしまった。彼は教え子の足を促して、飴屋の前に彼を導いた。「あの店です、パン屋の隣にある店。あそこは市の中でも、かなり有名な飴屋なんですよ」
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