第6話 狂気の始まり

 。そう思わせるような処刑だった。公衆の面前で、自分の首を刎ねられる処刑。その首が真っ黒な布に覆われて、墓地の中に放られる処刑。そのおぞましい光景が、処刑の世界に色を添えた。


 最初は忌み嫌われていた処刑が、人々の娯楽に色を変えたのである。人々は貴族の面々が処刑場に運ばれると、その周りに輪を作って、処刑の様子を「ニコニコ」と観はじめた。「今日は、誰がくんかねぇ?」

 

 処刑人達も、彼等と同じように笑った。安い給金で雇われた彼等だが、こう言う仕事にはやる気が出るらしい。ギロチンの仕掛けを動かし、貴族の首に刃を落とす瞬間にも、言いようのない興奮を覚えてしまった。彼等は貴族の断末魔を賛美歌にして、自身の所業に正義を感じた。「天の刃を食らえ」


 人々は、その掛け声に続いた。自分達が神の代理人になったような、そんな興奮を覚える中で。貴族の死に声を上げ、その断末魔に抱き合ったのである。彼等は午前の処刑が終わると、近くの酒場に行って、勝利の宴に酔い痴れた。「我等は、天の使いなり!」


 その声に叫び、そして、乱れた。民衆の勝利に狂った。「これからは、自分達の世界だ」と、新しい時代に夢を抱いた。彼等は勤勉な人間を除いて、それぞれに歓喜の歌を歌いつづけた。「悪魔の使いは、滅びるのだ」


 宮殿の中から「それ」を聞いていたハデスも、民衆の声に「素晴らしい」と微笑んだ。ハデスはロボアの見ている前で、窓の外に目をやった。青空が広がる、窓の外に。「あの声は、神への賛美歌だ」


 ロボアは、彼の思想に眉を寄せた。彼に人間の正しさを教えた(と思う)彼だが、今のハデスには思う所があるらしい。ハデスが「フフフッ」と笑う前で、その表情を曇らせつづけた。


 ロボアは窓の外に目をやって、冥王と同じ風景を見はじめた。「お気持ちを乱すようですが。今の世界は、いくら何でもやりすぎです。『あの方々を止められなかった』と言うだけで。彼等は」


 ハデスは、ロボアの前に手をやった。彼の意図を察した上で、その続きは「要らない」と思ったらしい。ロボアの狼狽にも、「当然だよ」と微笑んだ。ハデスは氷のような笑みで、目の前の臣下を見つめつづけた。


「彼等は、それだけの事をしたんだから。国の民から税を搾って、自分の財を増やす。歴史の中に出て来る僭主は皆、そう言う類の人間だった。自分の利益を第一に、国民の、他人の利益は考えない。文字通りの屑。俺はね、そう言う人間を罰する」


 存在になりたい。らしいが、それがロボアには苦しかった。善行で相手を正すならまだしも。彼がやっているのは、正しく正義の押し付けだった。聞き心地の良い声で、相手の加虐心を満たす。ハデスは自分の知識と道徳に溺れるあまり、その留め具をすっかり忘れていた。ロボアはその事実に触れて、目の前の男に恐怖を抱いた。


「それでも、です。それでも」


「うん?」


「いつまでやるのですか、?」


 ハデスは、当然のように「ずっとだ」と答えた。ロボアの震えに興奮を覚えて。


「人間は、そう簡単には変われない。変化には、時間が掛かる。俺の仕事は、世界の思想を変える事だ。今までの価値観を壊し、新しい価値体系を作る」


「その為にあんな……」


「変化に犠牲は、付き物だ。歴史のそれが語るように。多くの血が流れる。この国が出来た経緯にも」


 ロボア。そう言って、恩師の肩に手を置いた。自分の思想に怯える、臣下の肩に。「それは、ロボアも分かっているだろう? 無価値な人間を生かす意味はない」


 ロボアは、黙った。本当は、何かを言おうとしたのに。ハデスの笑顔が、その意欲を奪ってしまった。ロボアは自分の前から立ち去る教え子を見て、その背中に不気味な物を感じつづけた。「化け物」


 か、どうかは分からない。分からないが、破壊者であるのは確かだった。ハデスは国の破壊者達を殺した事で、国の人々から「名君」と称えられた。「あの連中を殺した、国の英雄である」と。彼は玉座の上に座って、自身の理想を叶えつづけた。「さて」


 そろそろ移るか。。それが終われば、本当の平和が来る。皆が幸せに暮らせる、本当の平和が。ハデスは「ニヤリ」と笑って、次の課題に移った。次の課題は、統制。民衆の支配だった。貴族の時と同じ手法を使って、民衆の心をゆっくりと抑えはじめたのである。


 ハデスは反逆罪の内容を強めて、国民のギロチン処刑をはじめた。「国への文句? そんな物、許されるわけがないだろう?」

 

 そう言って、罪人の首にギロチンを落とした。ハデスは宮殿での仕事を終えると、自分の馬車を走らせて、町の処刑場に向かった。人々の悲鳴と歓喜、それらが渦巻く町の処刑場に。ハデスは馬車の中から出ると、彼専用の見物席に行って、そこから処刑の様子を眺めた。「フッ」

 

 フフフッ、素晴らしい。処刑の対象は怯えているが、それを眺めている連中は喜んでいる。貴族の連中を殺った時と同じように。自分が生きている事に興奮を覚え、自分以外が死んでいる事に優越感を覚えていた。


 国の言う事を聞いていれば、自分も強い側に居られる。国が「正しい」と言う側に居れば、その存在を認められる。自身の存在が認められれば、それだけで加害者の立場を守られた。彼は恐怖の中に興奮を覚えて、罪人の処刑に声を上げた。「良いぞ、もっとやれ!」

 

 ハデスは、彼等の歓声に「ニヤリ」とした。善の面では許されない事だが、それを広める為には仕方ない。最初は、餌付けの必要がある。餌付けの味を覚えて、それを手懐ける必要があった。ハデスは人間の弱さを活かして、自分の色に国を変えつづけた。「正義は、現実に先立つ」


 現実がどんな場所であろうと。そこに正義があれば、どんな悪も許されるのだ。国の重罪人を呼んで、その喉元に王笏を突き刺した時も。彼は王笏の先から死を感じて、それが伝う感触に「フフフッ」と喜んでしまった。「これは、良い」


 王笏の先から伝って来る血が、彼の全能感を満たして来る。「重罪人には、この王笏を使おう」と、そう本能の内に思ってしまった。彼は、王笏の新しい使い方に歓喜を感じた。「汚れた血は、汚れた血で洗い流す。ロボアも、そう思うだろう?」


 ロボアは、彼の言葉に口を閉じた。気持ちの上では、「止めてくれ」と頼んでいたが。ハデスが自分の肩に手を乗せると、その言葉自体が「うっ」と引っ込んでしまった。ロボアは「気分が優れないので」と言って、自分の部屋に戻った。「私の所為だ。私が」


 あの青年を狂わせてしまった。善の世界を教えて、その倫理を……。彼がああなったのは、自分の教育が悪かった所為だ。正義の魔力に狂ってしまったのも……。ロボアは自分の過去を呪って、ハデスにも「申し訳ありません」と謝った。「どうか、許して下さい」


 ハデスは、彼の謝罪に驚いた。謝罪の理由も分からないし、それで泣き出す理由も分からない。ただ「疲れているのだろう」と思って、彼の体を労っただけだった。ハデスは恩師の気持ちも分からないで、自分の正義を信じ、そして、その悲劇を広げつづけた。「美しくない者に生きる価値はない」


 国の人々は、彼の正義に苦しみつづけた。表面上では決まりを守っていたが、処刑の魔力が薄れると、その内面に反抗心を抱きはじめた。「アイツの政治は、おかしい」と、そう内心で思うようになったのである。


 彼等は慎ましい生活を送る中で、その確かな不信感を広げつづけた。「アイツは、おかしい。狂っている。人間よりも正義を重んじるなんて」


 有り得ない。そう考えるロボアも頭を抱えていたが、自分の立場を考えると、彼等のようには怒鳴れなかった。どんなに狂っても、主君は主君。宮殿の廊下で擦れ違えば、彼の所業に「素晴らしい」と言うしかなかった。


 彼は陰鬱な顔で、宮殿の廊下を歩きつづけたが……。その曲がり角で将軍に呼び止められてしまった、らしい。ハデスの視点では分からないが、将軍とロボアの関係性を見ると、そう考えるのが自然のように見えた。

 

 ロボアは作り笑いを浮かべて、将軍の顔に目をやった。将軍の顔は、いつも以上に強張っている。


「どう、した?」


「お話があります。この国の未来について」

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