第4話 総取りの算段

 王の地位は、神から授けられた物。それ故に逆らう事は許されない。王への反逆は神への反逆であり、王党派への反逆は王への反逆である。王権神授説が説かれているモリス帝国には、その心理がまかり通っていた。


 皇族に不満を持つ者は、ことごとく処刑。国の伝統に従って、火炙りの刑に処せられた。国の人々は「公開」で行われるそれを恐れ、気持ちの内側では「反逆」を抱いても、それを「実行に移そう」とは思えなかった。


 自分の命が惜しければ、皇族の横暴に屈しなければならない。彼等の贅沢を支える意味で、その重税にも耐えなければならなかった。人々は彼等が作る地獄に喘いで、ある者は端の上から飛び降り、またある者は家の中で首を吊った。


 「華やかな世界に生まれなければ、人間として生きられない」と、そう絶望のままに死んで行ったのである。「普通の人間に生まれた自分は、普通の人間になれない」と。彼等は自分の運命に「悲劇」を感じて、その来世に希望を抱いた。

 

 だが、その希望は叶わない。叶う可能はあっても、それを確かめる手はなかった。「今日の不幸が、明日の幸運になる」とは限らない。不幸は不幸のまま、更なる不幸を呼ぶ事も……。その意味で、皇族の生活は贅沢だった。


 表面上では「神」と崇められていても、その実体は欲とカルマ。見栄と損得だけである。だからこそ、息苦しい。彼等が「現実逃避」として行う遊びは、そんな地獄から脱ける鎮痛剤だった。

 

 幼少期のハデスは、そんな世界に飽き飽きしていた。第七皇子の立場から皇帝になれる確率は低かったが、毎晩のように狂った宴を見させられると、それに人間への絶望感、自分と世界への不信感を抱いてしまった。

 

 ハデスは自分と、自分の一族を呪った。自分の中に流れる、その血潮を嘆いた。自分にも、彼等の血が流れている事に。言葉に出来ない嫌悪感を覚えてしまったのである。ハデスは今も宴会が行われている大広間の中から出ると、燭台の明かりが光る廊下を通って、自分の部屋に戻った。「気持ち悪い」


 そう言って、机の椅子を引いた。ハデスは椅子の上に座ると、蝋燭の火を明かりにして、部屋の暗闇を見つめた。「気持ち悪い」


 あの連中が、その特権意識を含めて、心の底から「気持ち悪い」と思った。あの連中が、色恋に耽る姿も「気持ち悪い」と思った。町の中から見つけて来た娼婦、それと戯れる姿も「気持ち悪い」と思った。彼等は自分の妻、「妻」となるだろう人が居ても、商売女の体を貪っていたし、それに怒る筈の女達すらも宮殿の中に色男を見つけて、相手に自分の体を曝していた。


 「快楽は、倫理の上にある」と。その乱れた肢体を使って、自身の欲望を表していたのである。彼等はまだ十にもならないハデスを誑かして、彼に人間の色恋を諭していた。「お前も、コッチに来い。気持ち良ぞ?」


 ハデスは、彼等の前から逃げた。子供好きの女性が自分に手を伸ばしたが、その誘惑から「嫌だ」と逃げ出してしまった。ハデスは興奮の中に罪悪感を覚えた状態で、自分の部屋に駆け戻った。


 彼の部屋、正確には部屋の中だが。部屋の中には、彼の恩師が座っていた。ハデスは恩師の顔に安心を覚えたが、今の記憶を思い出して、相手の前に「うわん」と泣き崩れた。「もう、嫌だ! こんなの」

 

 耐えられない。あんな景色を観るのは、もう……。ハデスは恩師の足にしがみついて、彼に「どうして?」と訴えた。「僕だけがこんな目に?」

 

 恩師は、彼の頭を撫でた。そうする事で、彼の不安をなだめるように。「それは、貴方が善人だからです」

 

 ハデスは、その答えに涙を止めた。「自分が善人だ」と言う部分に。変な興奮を覚えてしまったのである。彼は真剣な顔で、恩師の顔を見返した。


?」


「そうです。貴方は、善人。人間の悪に染まらない、善人だ。善人が悪に苦しむのは、至って普通の事です」


 恩師は「ニコッ」と笑って、彼の頭から手を退けた。彼が「普通の事?」と驚く前で。


「普通の人間は、自分の心を律せる。『こうなれば、こうなる』と言う気持ちを。貴方は……貴方には、その気持ちがあるだけです。己を律せない者は、周りの人間も律せない。それが、古代から続く道理です。己の分を弁えられる者だけが、稀代の名君になれる。現代の人間は、その道理を忘れているようですが……」


 ハデスは、今の言葉に眉を寄せた。確かにその通りだ。彼等の遊びを見てみても、それを裏づける物しかない。人間は「神」の代理者になって、人間以下になったのである。自分の本能に従うだけなら、それはもう人間ではない。


 人間の姿をした、何かだ。寝る、食う、交わる事だけを考える、ただの動物である。ただの動物に「今の社会を保てる」とは思えない。何処かの場面できっと、その根幹が崩れる。それも、最悪の形で。


 過去の国々が滅びた理由は、その大半が人間の不道徳から来ていた。ハデスはその知識も含めて、国の未来を憂えた。「悔しいな。本当に悔しいよ、こんな時代に生まれて。僕は、自分の命を呪いたい」


 恩師は、彼の肩に手を置いた。また小さい、少年の肩に。


「貴方の命は、国の宝です。そこに住む人々も含めて、貴方には『それ』を治める才がある」


「ロボア……」


 恩師もとえ、ロボアは、目の前の少年に微笑んだ。少年が子供の心を燃やすように。


「ご自分をあまり卑下なさらないように。ご自分への卑下は、国民への卑下にもなります。彼等の尊厳を壊してはならない」


 ハデスは、それにうなずいた。うなずいた上で、その言葉に眉を寄せた。彼は自分の足下に目を落として、目の前の家庭教師に「それじゃ」と問いはじめた。「どうすれば、良い?」 どうすれば、国を正せる? 自分や皆が生まれた国を?」


 ロボアは、それに答えなかった。その沈黙こそが、「答え」と言う風に。彼は穏やかな顔で、少年の目を見返した。


「分かりません。私は、ただの家庭教師ですから。知識は教えられても、知恵は教えられません。私に出来るのは次代の君主を育て、その方に『善』を教える事だけです。人が人として生きる為に。私はただ、その道標を示すだけです」


 ハデスは、黙った。それが伝える意味、その本質にも黙ってしまった。「ロボアはやっぱり、最高の哲人だ」と、そう無意識に思ったのである。彼は真剣な顔で、家庭教師の目を見返した。


「ロボア」


「はい?」


「僕は、何をすれば良い?」


 ロボアは「ニコッ」と笑って、彼の机を指差した。彼が開こうとした机の上に置かれている、歴史書を。「学ぶ事です、一つでも多くの事を。自分の頭と目で、その本質を見るのです。貴方には、その力がある。私は、貴方の力を信じています。貴方が自分の夢を叶える、その力が宿っている事を」


 自信を持ちなさい。ハデスはそう、少年に微笑んだ。自分の言葉に酔い痴れる、少年に。「貴方には、正しい心があるんです。物事の本質を見る、目が」


 ハデスは、彼の言葉にうなずいた。彼の言葉が伝える事に。それをきちんと守っていれば、自分の夢も叶えられる。誰もが平和に暮らせる世界、それを叶える夢も。どれくらいの時間が掛かるかは分からないが、彼の言葉を守っていれば、「その世界もきっと訪れる」と思った。ハデスは自分の中に柱を作って、その理想郷を目指しはじめた。


 だが、それで変わる世界ではない。ロボアの思想は確かに真実だが、それが現実の追い付く事はほとんどないからだ。人間は美しい真実よりも、愚かしい現実を好む。現実世界に快楽が溢れているのなら、それに「ひたすら浸りたい」と思う。


 現実はハデスが自分の理想を追い掛ける一方で、その快楽を決して忘れなかった。帝国は、今まで以上に乱れた。国の政治には「賄賂」と「見栄」が飛び交い、国民の不満には「麻薬」と「対外戦争」が当てられた。


 ハデスは、その現実に打ちひしがれた。恩師の言葉を信じて、十五の今も勉強に励んでいるのに。彼が学んだ教養は、現実ではまったくの役立たずだった。彼は、そんな事実に肩を落とした。これでは、何のために学んでいるか分からない。ロボアの言葉に従っても、例の次代は やって来なかった。


 彼は、教えの「次代」を捨てた。そんな物を待っていたら、いつまで経っても平和は来ない。今よりも酷い泥沼が、底なし沼のように広がるだけだ。東方の書物に出て来る、「極楽浄土」の世が来るわけではない。「だったら」


 待つのを止めよう。誰も手を下さないのなら、自分が彼等に手を下せば良い。彼等の部屋や食事に毒を仕込んで、その命を奪ってやろう。(幸か不幸か)彼の兄弟達は、権力争いに忙しい。


 誰も彼もが自分の利を求めて、自分以外の者を殺そうとしている。その状況を活かせば、漁夫の利以上の成果が出る筈だ。ハデスは自分の闇を笑って、総取りの算段を立てはじめた。「美しくない者に生きる価値は、ない」

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