第3話 不信感

 未来は、中立だ。そこに善悪は無く、ただ結果だけがある。勝負には勝敗が付き、理論には正誤が付く。彼等の勝負もまた、その中立を保っていた。「強い者が勝つ」と言う中立を。彼等の本質は別にして、その真実だけは保っていた。


 ……将軍は、冥王との勝負に敗れた。彼が自分の武器を走らせた瞬間、相手の刃も走って、その攻撃自体を止められてしまったのである。彼は自分の体が倒れる感覚に合わせて、その頭上に広がっていた空を見上げた。「すま、ない。私は」

 

 。皆の人生を壊した、男に。奴の王笏に負けて、地面の上に倒れてしまった。彼は両目の端に涙を溜めて、その人生に終止符を打った。「許して、くれ」

 

 ハデスは、彼の声を無視した。声の意味すら聞き流して、将軍の頭を「うるさい」と踏みつづけた。彼は将軍の口から血が溢れた所で、相手の頭蓋から足を退けた。「頑固な頭だ、頭の中は空っぽの癖に。側の造りだけは、頑丈に出来ている」

 

 本当に間抜けな頭だ。そう呟いたハデスだったが、今の状況をふと思い出すと、その口元から笑みを消して、自分の周りを見渡した。彼の周りには、敵の死骸が転がっている。彼の仕留めた骸達が、それぞれの無念を浮かべて、地面の上に倒れていた。

 

 ハデスは、その光景に溜め息をついた。彼が起こした謀反にも、そして、その謀反がもたらした結果にも。夜の風に髪を揺らす中で、その愚かさに呆れたのである。ハデスは敵の死骸をしばらく見て、自分のこれからを考えた。自分がこれから成すべき事を。「宮殿に戻るのは」


 論外だ。足の速い連中は、とりあえず潰したが。宮殿の中にはまだ、反乱軍の兵士達が残っている。建物の陰に隠れて、暴君の帰りを待っていた。そんな場所に戻るのは、どう考えても得策ではない。また(体の回復を待つ意味で)この場に留まるのも、色々な意味で危なかった。


 あれだけの準備を整えた将軍が、こんな程度で終わる筈はない。(兵達の数を考えても)獲物が逃げそうな場所、隠れられそうな場所に伏兵を忍ばせている筈だ。一時の感情に任せた反抗、馬鹿な感情に走った謀反ではない。相手の命を確実に奪う、文字通りの謀殺である「そうなると……」

 

 ハデスは無感動な顔で、自分の右側に目をやった。彼の右側には、深い森が広がっている。森の中へと続く一本道が、夜空の月に照らされる形で、その不気味な口を開いていた。


 ハデスは、道の先に目をやった。道の先には、何も見えない。底なし沼のような暗闇が、底なし沼のように広がっているだけだ。光はおろか、陰すらも見えない。言葉通りの漆黒。ハデスはその漆黒をしばらく見ていたが、あれ以外に進めそうな場所もなかったので、不本意ながらもそのおぞましい道を進みはじめた。「まったく」

 

 とんでもない連中だ。宮殿の中から主を追い出した上にこんな道も歩ませるなんて。帝国の歴史はもちろん、世界の歴史でも有り得ない。正に前代未聞の事だった。この一本道以外の道が荒れ地や崖である事も、それを示す道標だったし。森の中にいざ入ってみても、その森自体が魔境。魑魅魍魎ちみもうりょうが蔓延る魔境だった。ハデスは月明かりも見えない森の中に苛立ちを感じながらも、真剣な顔で自分の足を動かしつづけた。「静か、だな。あらゆる音が、夜の闇に」


 溶けている。いや、いないらしい。ハデスが頭上の空に意識を移した瞬間、茂みの中から野生動物が飛び出した。野生動物はハデスの方を何度か見ると、その眼光に縮み上がって、茂みの中にサッと飛び込んだ。


 ハデスは、その姿に溜め息をついた。あんな動物を怖がった自分に。彼は自分の心を呪って、その不安に「情けない」と呟いた。「あんな動物に驚くなんて」

 

 本当に呆れる。こんな姿は、ロボアに見せ……。ハデスはそう考えた所で、自分の心に「ハッ」と驚いた。「ロボアは……」

 

 この謀反にどうして、加わったのだろう? 彼ほどの忠臣は、帝国の何処にも居ないのに? 自分の身分を忘れて、あんな連中と関わったのだろう? ハデスは、その疑問に頭痛を感じた。「ロボアは自分の立場を、己の役目を分かっている男だ。王が王の道理を忘れないように。ロボアも、臣下の道理を忘れない男だった。俺に主君の道理を教えた、言葉通りの……。それなのに?」


 どうして、あんな裏切りを? ロボアがロボアの立場を忘れる。そんなキッカケがあったのだろうか? ハデスは彼の思想を考えようとしたが、たまたま通った泥道に足を滑らせて、その上に思わず転んでしまった。「くっ!」

 

 思った以上に痛い。普段なら受け身を取れるが、今は心身共に参っているようで、腰の奥にも鈍痛が走っている。まるで自分の未来を占うような、そんな不安を感じてしまった。その時にたまたま落ちてきた物、これは烏の羽だろうか? それがふわりと舞い降りた時にも、言いようのない恐怖を憶えてしまった。

 

 ハデスは頬の羽を払って、今の場所から「くそっ」と走り出した。だが、それが良くなかったらしい。ハデスは自分の利き足に力を入れたが、それが泥水の上を滑って、彼自身も泥の上に倒れてしまった。「踏んだり蹴ったりだ」

 

 一度転んだ場所にまた、転ぶなんて。幼い子供にも、笑われる。泥水の上から立ち上がる時も、誰も見ていないのに自分の周りを思わず見てしまった。ハデスは服の泥を払って、今の場所から今度こそ歩き出した。「馬鹿にして! 俺は、国の皇帝だぞ!」

 

 玉座の上に座る、神の代理人。その代理人がこんな、こんな目に遭う事など! ハデスは自身の不幸に腹を立てたが、流石に疲れたのだろう。あれだけの人数と戦って、今更に「疲れた」と思いはじめた。


 ハデスは良さそうな茂みを見せて、その中に簡単な寝床を作った。そこら辺の草木を集めただけの、本当に簡単な寝床を。彼は寝床の上に寝そべって、束の間の休みを味わった。「少し休もう」


 朝になればまた、奴等が追って来る。ロボアの側に付いた有力者達が、将軍達の策に従って、自分の駒を放つに違いない。各地の貴族達、ならず者達にも同じような命を下す筈だ。「我等が主君を討て」と。「そうなったら」


 厄介である。国のすべてが、「敵になった」も同然だ。これから出会う人々はもちろん、あらゆる地域にも注意を払わなければならない。ハデスは自分の置かれた状況にガッカリしながらも、「今は、耐えよう」と思い直して、自分の隣に王笏を置いた。「チャンスは、必ず来る」


 そう信じて、夢の世界に落ちた。だが、何だろう? おかしい。彼の感覚では「これは、夢だ」と認めていたが、その中に現実が混じっていた。夢と現実が、半々にある世界。意識と無意識が、五十になった世界である。ハデスはその狭間に立って、夢現の世界に落ちつづけた。


 森の中に影……いや、足音か? 足音のような影が現れたのは、雲の中に月が隠れた時だった。影は森の中をしばらく歩いたが、茂みの中にふと人影を見ると、人影の近くに歩み寄って、その正体が何者かを確かめた。


 。端正な顔立ちの青年。その服装や隣に置かれている王笏から「高貴な身分」と思われる青年だった。青年は寝間着姿の状態、それも服の至る所に血を付けていたが、余程に疲れているようで、影が自分の寝顔に顔を近づけても、その気配にまったく気付かなかった。

 

 影はその様子に息を飲む、あるいは、「ニヤリ」と笑ったかも知れない。彼の王笏に手を伸ばした時も、不安と興奮とが混ざった顔を浮かべていた。影は彼の笑顔をしばらく眺めて、その夢を、あるいは、様子を窺いはじめた。「どうか、起きないで欲しい」と。彼が目覚めれば、その夢も奪えなくなるから。夜のように起きないで欲しい。影は二つの感情を重ねて、彼の夢を、あるいは、回想を奪いはじめた。

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