第2話 奉仕と支配
追っ手は、思いの外多かった。最初からこうなる事を考えていたのか、宮殿の門を出た所はもちろん、そこからしばらく言った通路にも、「将軍が置いた」と思われる兵士達が、通路の端や裏に潜んでいた。
ハデスは、彼等の殺気に目を細めた。宮殿の中に居た時もそうだが、彼等は本気で自分を殺そうとしている。自分の後ろから聞える怒声、罵倒、それに中傷は、彼への憎悪を示す意思表示だった。
ハデスは背中の憎悪に眉を潜めながらも、自分の優位性が感じられる場所まで、彼等の前から逃げつづけた。「よし、そろそろ……」
良いか? そう思った瞬間に自分の後ろを振り返った。ハデスは右手の王笏を操って、彼等の攻撃を退いた。自分の後ろから攻めて来る敵も、左右の隙を突いて来た敵も。みんなまとめて、その攻撃を受け流したのである。彼は目の前の兵士に王笏を刺して、その喉元から王笏を引き抜いた。「しつこい連中だ。こんな事をしても」
無駄かどうかは、自分達が決める。叫びの中に怒りを込めていた彼等だが、その意思だけは決して曲げないようだった。彼等は自分の槍を振り回して、ハデスの左から右、前から後ろにも攻撃を繰り出した。「うるさい! 俺達は何としても、この国を立て直すんだ! 冥王に荒らされた、この国を。俺達は」
ハデスはまた、声の続きを遮った。それをするのは、お前達ではない。天の神に「統治」を託された、国の王が行う物だ。王の支配下にある、働き蟻のする事ではない。ハデスは自分の王笏を振って、兵士達の首を切り、腹を破って、足を落とした。「蟻は、地面を這っていれば良い」
兵士達は、地面の上に倒れた。時間はそれぞれに違うものの、その全員が断末魔を上げて、地面の上に次々と倒れて行った。ハデスの前に居た若い兵士も、自分の槍が躱されたの合わせて、相手の王笏に「グサリ」とされてしまった。彼等は口の端や喉、腹の脇や足の付け根から血を流して、自分の命を次々と手放した。「う、ぐっ、くそっ……」
ハデスは、彼等の力に溜め息をついた。「自分が戦いやすそうな場所を選んだ」とは言え、「ここまで殺れる」とは流石に思わなかったらしい。王笏の先に付いている血を払った時も、そのひ弱さに「やれやれ」と思ってしまった。
ハデスは次の相手に備えて、自分の体に闘志を流した。「まったく。最初の威勢は、何処に行った? 俺の刃に次々と落ちて? お前達は……恥ずかしくも、我が帝国の兵士だろう?」
兵士達は、彼の前から少し離れた。今の威嚇に怯えたわけではないが、それでも不利な事に変わりはない。ハデスが今の場所から一歩、あるいは半歩、右か左の足を動かすと、それに合わせて思わず怯んでしまった。彼等は自分の槍を握る形で、自身の恐怖を何とか抑えた。「そうさ」
俺達は、帝国の兵士。この国を守る、天の守護天使だ。守護天使がこんな男に負ける、敗北の二文字を背負うわけには行かない。彼等は自分の槍に殺気を込めて、目の前の男に挑み掛かった。「絶対に殺してやる!」
ハデスも、それを迎え撃った。彼等が槍を振るえば、自分も「それ」を防ぐように。その闘志をメラメラ燃やしたのである。ハデスは兵士の一人に王笏を刺して、残りの兵士達に向き直った。残りの兵士達は、今の光景に殺気立っている。
「雑魚が」
「うるさい!」
そしてまた、槍を振り下ろした。目の前の男に天罰を下すように。「俺達は、代弁者だ。お前の暴政に苦しむ人達の! お前の一族に未来を奪われた人達の! 俺達は、天の許しを得た」
断罪者、らしい。目の前の男を罰する断罪者。神の信託を得た、言葉通りの代理人だった。代理人には、神と同じ力がある。あらゆる邪悪を薙ぎ払えるような、そんな力があった。神の代理人は、その責任を果たさなければならない。
彼等は仲間の死に胸を痛める中で、目の前の男に次々と挑み掛かった。「俺達の未来は、俺達の手で掴む、誰の支配も受けない、真の未来を。お前は」
ハデスは、彼等の主張に眉を上げた。特に「誰の支配を受けない」の部分、ここには妙な違和感を覚えたらしい。彼等が自分の政治を「暴政」と言い、その根幹を「支配」と言い切る事にも、言いようのない恐怖を憶えてしまった。
彼は頭の恐怖を振り払って、自分の精神にこう言い聞かせた。「自分が今までやって来たのは、奉仕である」と。奉仕は「奉仕」であって、支配にはなりえない。目の前の兵士達はどうやら、「奉仕」と「支配」の違いが分からないようだった。ハデスはその事実に呆れて、彼等の威勢に溜め息をついた。
「愚かだな」
「なに?」
「そんな事も分からないで。お前等の為に使われた税が、本当に勿体ない」
兵士達は、その言葉に「カチン」と来た。兵士も兵士で、国に税を払っている。収入の一部を削って、本来なら家族に使う金を削って、国にその金を払っていた。税すら払った事のない男にそんな事は言われたくない。彼等は冥王の価値観に震えて、頭上の空に怒りを叫んだ。「だったら、その金を活かしてやるよ!」
お前の命を奪って。お前が死ねば、すべてが……。
「変わる!」
「変わらない」
そんな程度では、何も変わらなかった。彼等の言う暴政も、ハデスの考える治世も。それが相反するだけで、何も変わらないのである。ハデスは兵士の一人をまた殺して、その頭を思い切り踏み付けた。
「お前達が、ただの駒である以上。この世は」
「ふざけるな!」
兵士は、駒なんかじゃない。お前と同じ人間だ。お前に喉を突かれた死ぬ。ただの人間なんだよ? そんな人間に向かって……。「お前も、ただの人間の癖に」
ハデスは、今の言葉に表情を変えた。兵士達がハデスの事を怒ったように。彼もまた、相手の言葉に「カチン」と来たようである。王笏を握る手にも、圧が加わっていた。
ハデスは地面の上に王笏を刺して、服の中から短剣を取り出した。思わぬ奇襲に備えて、彼が常に持ち歩く御守りである。彼は兵士達の方に短剣を向けて、その一人一人を睨み付けた。「お前達に王笏は、勿体ない。阿呆の極みたる、お前達には。この御守りだけで、充分」
兵士達は、彼の所に挑み掛かった。今の言葉で、理性の鎖が切れたらしい。ハデスの体に振り下ろされる槍からも、その躊躇いが感じられなかった。彼等は自身の怒りに任せて、文字通りに暴れつづけた。だが、「うっ」
相手の怒りもまた、それ以上に強かった。ハデスは左右の敵を同時に殺して、目の前の敵にも短剣を突き刺した。
「駒はどこまで行っても、駒だよ。差し手の指示に従う駒。マスターの従順たる僕だ。僕が差し手になる事はない。国の奉仕者たる、皇帝には。どう足掻いても、なれないんだ。駒は『駒』として生まれた以上、その差し手に従わなければならない。それが国家の基本だからな? 駒は国に仕える事で、その真価を発する。……差し手の意を汲まぬ駒に用はない」
兵士達は、彼の攻撃に怯んだ。短剣一本の攻撃に。鎧を纏った兵士達が、次々と倒れて行った。彼等は最後の一人になるまで、ハデスの刃に叫び、そして、狂った。声に鳴らない断末魔を上げた。彼等は薄れ行く意識の中で、自分の大切な人を思いづけた。「ごめん、かあさ」
ハデスは、その続きを踏み付けた。彼等が自分の死を嘆く上で、最後の敵に目をやっていたからである。ハデスは地面の上から王笏を抜いて、その相手に王笏を向けた。「さて」
残す敵は、一人。今までの戦いを見ていた、将軍の一人だけだ。コイツを殺れば、この追撃からも逃げられる。「それからの事は、お前を倒してから考えれば良い」
将軍は、彼の目を睨んだ。不気味に光る、青年の目を。獲物を狙う大鷲のように睨みつづけた。彼は王笏の先に視線を移して、その持ち主に「出来ますかな?」と言った。「あれだけの人数を
ハデスは、それに「殺れる」と言い切った。相手が「それ」に驚く顔を無視して。「コイツ等よりも、マシな程度だろう?」
将軍も、彼の嘲笑を無視した。「そう思いたければ、思えば良い」と。彼は皇帝の方に槍を向けて、相手の動きを窺った。
「一つ、良いですか?」
「うん?」
「どうして、お聞きにならないんです? 我々が謀反を起こした、その理由を?」
ハデスは、鼻で笑った。その質問が、あまりに下らなかったから。相手の睨みにも、「阿呆らしい」と返してしまった。彼は口元の笑みを消して、目の前の男を睨んだ。
「必要ない、からだよ」
「どうして? それは」
「うん?」
「私が思うに『最も大事な質問だ』と思いますが?」
ハデスはまた、「プッ」と笑った。今度も、相手を嘲笑うような声で。「それでも、必要ない。お前達にどんな理由があろうと、行き着く答えは一つしかないからな? 『お前の存在が、気に入らない』と言う答え。子供が大人に文句を言うのと同じだよ? 『自分の思い通りにならない』と言って、目の前の大人に駄々をこねる。お前達が起こした謀反も、その原理と同じだ。古今東西、あらゆる愚者共が起こす反乱と同じだよ」
将軍は最後まで、彼の言葉を聞いた。その上で、「やれやれ」と思った。「この男には、何を言っても無駄だ」と、そう結論付いてしまったのである。言葉が通じない相手に言葉の説得は、通じない。その心を思い切りへし折ってやるだけだ。将軍はハデスへの同情、最後の温情を忘れて、目の前の男に挑み掛かった。
ハデスも、それを迎え撃った。相手が自分の槍に魂を込めたように。ハデスもまた、王笏の先に信念を込めたのである。ハデスは相手の槍を擦り抜ける形で、相手に自分の王笏を突き進めた。「良いだろう。お前と俺、どちらが強いか」
この一撃で。そう言って、互いの武器を走らせた。これからの未来を決する為に。
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