slow・sugar・drop

『恋人が死んでいるのを見つけたケルマは、スノードロップを摘んで彼の傷の上に置きました。

それは彼を目覚めさせることはありませんでしたが、彼の肉体は雪の雫(スノードロップ)に変わりました。

このことから、花は死の象徴でもあります。』


ーイギリスの一部の農村地域より伝わる話より抜粋ー


「スノードロップは死の象徴である」







「泣いているの」


声が聞こえた


雪が降り頻る中、ひとり蹲って泣いていると、声が聞こえた。聞いたことのある声だったので、顔を顰めながら後ろを振り返ると、想像していた通りの奴が其処に立っていた。


ずず、鼻を情けなく啜りながら「泣いちゃぁいねぇよ」と強がりに返す。そんな幸壱(こういち)を見て雪乃(ゆきの)は微笑んだ。


「嘘吐きね」


雪乃は絹のように美しい肌を着物に隠し、振袖を口元に当てて、くすくすと笑った。

幸壱は居づらくなって顔を背けた


「何をしに来たんだ」

「渡したいものがあってきたのよ」

「雪乃がおれに?」

「えぇ、泣き虫な幸ちゃんへ贈り物」


渡されたものは小さな白い花が植えられた小鉢だった。


「これをおれに?」

「幸ちゃんは直ぐ泣いちゃうから、綺麗でしょう?スノードロップって言う緒花なんですって」

「すのうどろっぷ」


幸壱は小鉢の中の花を見つめた。雪の滴みたいで、綺麗だと純粋に思った。


「私、この村を離れちゃうのよ」

「なんでだ?」

「親が勝手に決めた婚姻とやらみたい」


雪乃は笑った。本心で笑っていないな、と一目見ただけで分かるような、諦めた笑い方だった。

雪乃は良家の一人娘である。

だから普通の人間がしなくてもよい我慢を沢山しなくてはならない。

幸壱にとって、其れはとても酷なことだな、と幼いながらにも思った。


「人生を添い遂げて、一生涯を捧げて、愛する人くらい自分で決めたかった」

「...そうか」

「そう、だから、村を離れる前に幸ちゃんに此の御花を贈りたかったの」

「どうして此の花なんだ?」


「それは」と一言、ほんの一瞬だけ時が止まった気がした。その間にも雪はしんしんと静かに降り積もる。

雪乃が躊躇ったように、口を開いた。言葉は震えていた気がした。


「...希望、よ」

「希望」

「その緒花の花言葉よ、未だ在るけれど、此れは内緒」

「そこまで言っておいて、今更出し惜しみするなよ」

「でも言ったら泣き虫な幸ちゃんは恐がってしまうだろうから、未だ内緒なの」


「だから」雪乃が涙を堪えるように微笑んだ


「また会えたら、その時に花言葉を伝えるね」


強く吹雪いていた雪が、ほんの一瞬だけ止んだ気がした



「泣いてるのか」


声に出ていた


雪の降り頻る中、ひとりで蹲って泣いている女性が居た


側から見て直様上質な着物だと、分かる其れは裾がボロボロになっていて、雪や泥で到底じゃ無いが綺麗な着物だとは言えなかった。


ずび、と鼻を啜り「泣いてなんかいないわ」と見栄を張って返す。そんな雪乃を見て幸壱は笑った


「嘘を吐け」


数十年ぶりに会った幼馴染に傘を差し出す。


「いつ村に帰ってきたんだ?」

「...一昨日あたり、かしら」

「こんな夜中に危ないだろ、家まで送っていく」

「馬鹿ね、私の帰る場所なんて無いわ」


無いのよ、そう雪乃は薄紫色の唇を噛み締めて戦慄いた。

幸壱は右手に傘を、左手にビニール袋を引っ提げたまま雪乃に殊更優しく訊ねる


「追い出されたのか」

「違うわ、家出をしてやったの」

「なんで家出をしたんだ?」


「無理矢理、婚約相手じゃない人と、結婚させられそうになったから、ふざけんじゃ無いわよって、私は貴方たちの将棋の駒なんかじゃないのよって、無性に腹が立って、村へ戻ってきちゃった」


「...それで頼れる知人も居なくて、一昨日から三日三晩食わず、寝床も無く、ここで泣いていたと」

「...寝床は本家の廃屋を使っていたから問題はないかしら」

「問題大有りだわ馬鹿、空巣にでも襲われたらどうするつもりだったんだ」

「護身用のナイフで闘うわ」


幸壱は安堵の息を吐いた。良かった、此奴は変わっていない。馬鹿のままだ。


雪乃は...、この幼馴染は昔から計画性が無い。しかし想像力だけは一丁前に豊かなのだ。

慎重に考えすぎて大した行動力もない癖に、だ。

まぁ、だからこそ放って置けないのだが。


「言おうか悩んだんだが、雪乃の婆ちゃんからお前が失踪したって訊いてな」

「...お婆ちゃんめ」

「まぁそれで、この場所に来たって訳だ」


よく幸壱が幼い頃、両親の不仲問題で泣いていた時、よく逃げ込んだ、雑草に囲まれた平らな場所、そして家の縛りに飽きた雪乃が度々遊びにきた場所

二人だけで色々話した場所


ガサリ、音を立てて、ほい、と幸壱は雪乃にビニール袋を渡した。ぶすくれていた雪乃は素直にそれを受け取り、中身を見ると途端目を輝かせた


「食べて!いいの!?」

「おー、食え食え、久々に会ったんだ」

「戴きます!食べますわ!」

「文脈がおかしくなってんぞ」


菓子パンやらお握りやら、そして


「...スノードロップ?」


プラスチックの透明な箱に入ったスノードロップが、袋の底で、ちょこんと鎮座していた


「『あなたの死を望みます』」


雪乃が固まった。幸壱はそれを見て微笑んだ


「ここで死んでくれ」


「...どういう意味?」

「幼い頃、雪乃から貰ったスノードロップ、御前は、はぐらかしたが、あれ、おれの『死を望む』って意味で渡したんだろう」


雪乃が黙った。

降りゆく雪は降り積もる


長年の想いが積もってゆくような感覚だった。雪乃が静かに口を開いた。


「そうよ、泣き虫な幸ちゃんなんか居なくなってしまえばいいと思った。だから渡した」


「そうか」


「泣いてばかりで弱くて、不幸な幸ちゃんが居なくなれば、新しい幸ちゃんになると思った。だから、渡したのよ」


「じゃあ、今これを受け取れ」


雪乃の肩が強張った。どう返答していいのか分からない、といった表情だ。

この幼馴染は昔からそうだ。大事な事は、はぐらかして、大切なことは口に出さない。虚勢と見栄ばかり張って、自分を強く見せているだけの、つまるところ、臆病者なのだ。


雪乃は、きっと雪乃が思っている以上に脆い人間なのだ。


「でも、これを受け取ってしまったら、良家の娘の私は死ぬ、なにも残らないもの」


「残るだろう」


口に溢せば雪乃は大きな目を溢れんばかりに、ぱちくりと瞬かせた。

幸壱は意を決したように口を開いた


「ただの雪乃が残る。死んで、生まれ変わったなら、おれと結婚してくれ」


静かに降りゆく雪の夜、その声ははっきり届いた

少しの沈黙の後、雪乃は微笑んだ。泣いているようにも見えた。

真っ新な雪の上にぽたりぽたりと涙滴が落ちゆく。嗚呼、なんて綺麗な雪の滴だろう。


「たった今、良家の娘は死んだわ」

「漸く死んだか」

「ええ、でも、とうの昔に死んでいたのかもしれないわ、私はずっと、幸ちゃんに恋していたもの」


「そうか」


「私たち、お揃いなのよ」


スノードロップ、冬の終わりを告げ、春を告げる花

怖さだけではない、その花の他の花言葉は『慰め、希望、恋の最初の眼差し』


「そうだな、じゃあ、早速だが一生そばにいてくれ」

「えぇ、上等よ」



END

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短編 雪乃 空丸  @so_nora9210

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