第49話 まりんの采配
9月7日、木曜日。文化祭のステージまであと3日。今朝の
昨夜のうちに、まりん先輩、
電車の中でのえり子との会話も弾む。しかし、そんな誠也たち笑顔とは対照的に、流れゆく車窓はどんよりと暗い。誠也の心配そうな視線に気づき、えり子はスマホを取り出して画面を開く。
「ねぇ、片岡。残念なお知らせです。明日、台風直撃かもだよ」
えり子がアプリの台風情報を見せてくれる。昨日見せてもらった時は、台風は太平洋側に逸れる予報だったが、今朝は関東を貫く進路に変わっている。
「降水確率90%かぁ。台風直撃でも100%にはならないんだな」
誠也が素朴な疑問を口にする。
「良い質問ですねぇ~」
えり子が得意げな顔で続ける。
「そもそも、台風がこの予報円に入る確率が70%なんですよぉ~」
「さすが、えり子さん。詳しいですなぁ。まぁ実際、降水確率90%って言われても、100%と何が違うんだって話だよな」
「うにゃ~。例えばカップ焼きそばを作るときにお湯を捨てるでしょ?」
「え? あ、うん」
えり子の唐突なカップ焼きそばの話題に誠也は戸惑いながらも、相槌を打つ。
「その時、シンクが『バコンッ』ってなる確率が大体90%くらいじゃない?」
「……まぁ、言いたいことは分かるような、分からないような……」
誠也は相変わらずのえり子の独特な世界観に苦笑しながらも、明日の天気を案じた。
「折角、部内の嵐は去ったというのに、迷惑な話だね」
「うじ。電車止まらなきゃいいけど……」
♪ ♪ ♪
放課後。誠也が音楽室に入ると、既に多くの部員たちが集まっていた。前方の席にまりん先輩の姿を認め、誠也の顔も思わずほころぶ。改めてまりん先輩が部に戻ってきてくれたことを実感した。
定刻となり、部長である
「まず初めに、少し遅くなりましたが、先日の部長選挙の結果に基づいて、新役員が決定しましたのでお知らせします」
音楽室内が俄かにざわめく。
「静かに。まず、部長。トランペット、青山
「はい」
部員たちが拍手をする中、まりん先輩が前に出て、友梨先輩のやや後方に立つ。
「続いて、副部長。選挙では次点は赤坂
名前を呼ばれた二人は、同じく拍手で迎えられる中、まりん先輩の横に並ぶ。
誠也は隣に座るえり子と顔を見合わせた。えり子は黙って首をすくめる仕草をする。誠也は莉緒先輩が副部長を辞退したと聞いて、予想はしていたものの些か残念に思った。恐らくえり子も同様に思っているのだろう。昨日、まりん先輩は「私に考えがある」と言っていたが、交渉がうまくいかなかったのだろう。
「続いて、その他の役員です」
友梨先輩が新役員の発表を続ける。村上光陽高校吹奏楽部では、部長と副部長は選挙で選出したのち、新部長・副部長が中心となってその他の役員が指名されるシステムである。つまりは新部長の手腕が早速発揮される人事となる。
「学生指揮者。クラリネット、赤坂莉緒さん、そしてパーカッション、飯田
誠也は思わず再びえり子と顔を見合わせた。今度はえり子も笑顔を返してくる。
「続いて、演奏会実行委員。オーボエ、川嶋
部員たちの拍手に迎えられて、新部長となるまりん先輩をはじめ、7名の新役員が並んだ。
「では、新役員を代表して、青山さん、一言挨拶をお願いします」
友梨先輩に指名され、まりん先輩が一歩前に出る。まりん先輩は軽く目を瞑った後、真っ直ぐ部員たちの方を見て話し始めた。
「村上光陽高等学校吹奏楽部、第44代部長に任命されました、トランペットパートの青山 凛です。まずは部長選挙の後、心の整理に時間がかかり、早速皆さんにご心配、ご迷惑をおかけいたしましたことをお詫びいたします」
そう言って、まりん先輩は深く頭を下げた。そんなまりん先輩に、部員たちは温かく拍手を送る。
「正直、今でも葛藤があります。こんな私が友梨先輩の後を引き継ぎ、この伝統ある村上光陽高校吹奏楽部の部長を務め上げることができるのかと。しかし、私が部長を引き受けることを決断をするにあたり、こんな私でも、信じて支えてくれる仲間がいる事を改めて実感しました。『一人で抱え込まなくても良い』と言ってくれた人もいました。私はそんな仲間を信じて、この1年間、部長の責務を果たしていきたいと思います。そして、今ここにいる新役員7名が力を合わせて、歴代の先輩たちが紡いできた『光陽サウンド』を守っていきたいと思っています。1年間、よろしくお願いします!」
一歩前に出たまりん先輩に合わせて、後ろに並ぶ6名の新役員も礼をすると、再び音楽室は温かな拍手で包まれた。
誠也は不覚にも涙が出そうになり、ふと横に座るえり子を見る。いつものごとく感動して号泣しているだろうという誠也の予想に反して、えり子はニコニコ笑っている。
「あれ? 今日は感動して泣かないの?」
誠也が思わずそう言うと、えり子は笑顔のまま答える。
「うにゃ~、だって、まりん先輩だよ? なんか部長っていう実感がわかなくて」
誠也は思わず軽く噴き出した。えり子はいつだって、裏の裏をかいてくる。失笑する誠也にえり子がいたずら顔で続ける。
「そう言う片岡こそ、若干涙目になってない?」
「う、うるせぇ!」
誠也が顔をそむけると、えり子は更に面白がって続ける。
「『あいつは俺が育てたんだぞ』とか、思ってる?」
「アホか!」
合奏が終わり、誠也はいつものメンバーで帰路に就く。バスの車内は他の部員も多いため、当たり障りのない話題に終始する。いつも部活の話題に触れられるのは電車に乗った後になるが、
今日もスクールバスを降りて萌瑚と別れた後、えり子、
「まりん先輩、絶妙な人選で来たね~」
座席に着くなり、えり子が早速トピックに触れる。10分ほどで奏夏の降りる駅に着いてしまうので、電車に乗るなり本題に入るのが最近の定番となっていた。
「特に、副指揮! もう私、鳥肌立っちゃった~」
陽毬も目を輝かせて答える。学生指揮者は副指揮とも呼ばれている。
「正直、副部長のところで莉緒先輩が辞退したって聞いて、『あちゃ~』って思ったけどさ。そこからの、副指揮で莉緒先輩と柑奈先輩だもんね!」
えり子は誠也に背中を向け、興奮気味に陽毬と奏夏に向かって話す。誠也はそんなえり子に呆れながらも笑顔で頷く。
「ホント、絶妙なバランス!」
奏夏も笑顔でそれに答える。
今日発表になった部の新役員。昨日、まりん先輩が「私に考えがある」と言っていた通り、ほぼまりん先輩の意向に沿って決められたものだと誠也は予想した。そして、えり子たちが評する通り、実に絶妙な人事だと誠也も感じた。
まず、莉緒先輩が副部長を辞退することは容易に予想が出来ていた。そして、莉緒先輩の辞退により、隼人先輩と杏奈先輩が繰り上げで副部長になったわけだが、この時点で、部長選挙で名前の挙がった4人のうち、莉緒先輩を除く全員が役職に就いた。
さらに、学生指揮者に莉緒先輩と柑奈先輩を選出したのが、実にまりん先輩らしい采配だと誠也は感じていた。まず莉緒先輩は、これまで新部長の最有力候補であった。莉緒先輩自身もその自覚があり、これまで友梨先輩の下で相応の準備をしてきたのだろう。しかし、様々な経緯により部長選挙では次点に甘んじることとなったが、そのまま副部長となることは莉緒先輩のプライドが許さなかったのだろう。一方で、今回の部長選挙で不可解な動きをし、誠也たちが「首謀者」と呼ぶ一部の2年生の思惑は、友梨先輩の築いてきた「厳しい部活」を緩和させることである。しかし、ここで学生指揮者として莉緒先輩が任命されれば、演奏に求められるスキルは必然的に高くなるため、「首謀者」たちの思惑を阻止することが出来る。そのうえ、恐らくプロを目指している莉緒先輩にとって、学生指揮者は貴重な経験となり得る。
「もうさ、首謀者たちにとっては『してやられた』って感じじゃない?」
陽毬が意地悪そうな笑顔でそう言うと、奏夏が続ける。
「しかも、もう一人が柑奈先輩っているのも絶妙よね!」
「うん、うん!」
えり子も前のめりになって同意する。
今回の部長選挙でまりん先輩に票が流れた背景の一つに、莉緒先輩のストイックさに対する懸念があった。実際、莉緒先輩を「コンクール一辺倒」と評する声もあった。そこで、学生指揮者のもう一方に柑奈先輩を指名したのも、まりん先輩の采配が絶賛される理由である。
柑奈先輩は莉緒先輩のコンクールに拘り過ぎていることに疑問を抱いている一人である。かといって、首謀者たちのように練習をしたくない訳ではなく、純粋に音楽が好きで楽しみたいタイプである。加えて、楽器のスキルや知識も十分にあり、人望も厚い。そんな柑奈先輩を学生指揮者にあてることにより、莉緒先輩を敬遠しまりん先輩に投票した層の支持も受けることになり、結果としてバランスの取れた人選となった。部の全体的は運営は部長に依るところが大きいが、音楽的な側面は学生指揮者のウエイトが高い。そのため、今回学生指揮者2名がバランスよく人選されたことは、非常に大きな意味を持つだろう。
「まぁ、これで部長選挙の騒動も一件落着。あと心配なのは明日の天気くらいかな?」
誠也は晴れやかな顔でそう言うと、陽毬は少し表情を曇らせた。
「それが、そうでもないかもよ~」
ここで残念ながら電車は奏夏の降りる駅に到着し、奏夏と別れた。
「そうでもないって?」
再び電車が走り出し誠也は陽毬に続きを促すと、陽毬は眉間にしわを寄せながら答える。
「なんだかね、首謀者たちの不満が未だにくすぶっているのよ」
陽毬の話では、さすがに友梨先輩の目が良く届くクラリネットやフルートパート周辺では表立った言動はないようだが、それでも首謀者とその「トリマキ」たちは、お世辞にも友好的とはいいがたい雰囲気だと言う。
「うじだねぇ。でもさ、それってある意味、まりん先輩の思惑が早速効果を発揮してるってことじゃない?」
えり子がそう言うと、陽毬は引き続き表情を曇らせながら続ける。
「まぁ、そうなんだけどさ。でも、いまいち意図が良くわからないのよね」
そんな話をしているうちに、電車は誠也たちが降りる乗換駅に着いた。陽毬と別れた誠也とえり子は、階段を上って地元方面に向かう電車のホームに向かった。19時半を過ぎ、辺りはすっかり暗くなっていた。
駅の電光掲示板や構内放送では、明日は台風の影響により電車の遅延や運休が見込まれる旨のアナウンスがひっきりなしに流れている。
「うにゃ~。明日、電車止まるかなぁ?」
えり子が心配そうに呟く。高架のホームには生暖かい風がゆっくりと流れていく。
「今のところそんな雰囲気じゃないけど、嵐の前の静けさってやつかな?」
誠也は心配そうに空を見上げる。
「なんかさ、さっきのひまりんの話を聞くと、部活の方も心配だよね」
えり子は視線を空から誠也に向ける。
「そうだな……。まぁ、部活の方はまりん先輩の手腕に期待するかな」
「そだね」
そう言って、二人は微笑んだ。
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