第48話 本音を言って
「まずは、俺の話を聴いて頂けないでしょうか」
誠也がそう言って懇願した後、2年7組の教室は再び沈黙に包まれた。時間にして恐らく数秒ではあるが、誠也にとっては判決を待つ被告人さながらに長く感じた。
やがてまりん先輩は近くの座席の椅子を引くと、そこに座って言った。
「……あんたも突っ立ってないで座れば?」
その声を聞いた誠也は安堵し、息を長く吐き出す。緊張のあまり無意識に呼吸を止めていたらしい。
「ありがとうございます」
息を振り絞って礼を述べた後、誠也は呼吸を整えながら、元座っていた椅子に着いた。
「先ほどは、つい調子に乗ってしまって、申し訳ございませんでした」
誠也が改めて頭を下げる。
「余計なことはいいから、早く始めてくんない?」
まりん先輩は足を組んだままの姿勢で先を促す。誠也は素直に従って話し始めた。
「先日の部長選挙で、26名の部員がまりん先輩に投票しました」
「不正だらけの選挙だったけどな」
まりん先輩はそう言って
「少なくとも俺は、投票自体に不正があったとは思っていません」
誠也が真顔でそう答えると、まりん先輩はあきれ顔で続ける。
「確かに選挙結果が改ざんされたわけじゃないだろうけどさ。あんなの
誠也はまりん先輩の意見に素直に頷く。
「残念ながら、美羽先輩たちの目的はまりん先輩の言う通りだったと思います。でも、結果については誤解があると思います」
「誤解?」
まりん先輩は怪訝そうな顔をする。
「はい。まりん先輩に投票した部員は、必ずしも美羽先輩たちに
「ふんっ、そんなわけないでしょ」
真顔で話す誠也を、まりん先輩は鼻で笑った。しかし、誠也は大まじめに続ける。
「実際、選挙後に1年生でミーティングをしたとき、自分の意思でまりん先輩に投票したという意見もありました」
「誰だそんなこと言った奴は?」
まりん先輩は露骨に顔をしかめる。
「さすがに選挙ですから、それは言えません。でも実際1年生の中には、まりん先輩は俺たち1年生にも気さくに声をかけてくれて、面倒見がよい先輩だから、って言う声も聞かれました」
「アホか、そいつは」
「でも、実際にそういう意見が聞かれたのも事実です」
まりん先輩は「バカバカしい」と吐き捨て、窓の外に目をやる。
「2年生にも、同じようにまりん先輩を信じて投票した先輩もいます」
誠也が構わず続けると、再びまりん先輩は視線を誠也に移した。
「そんな奴いるわけないだろ」
「います。実際、莉緒先輩のコンクール一辺倒の考え方に疑問を感じ、まりん先輩ならその辺りも中立で話を聞いてくれるからって、まりん先輩に投票したっていう話も聞きました」
まりん先輩は一瞬眉間にしわを寄せたが、すぐに合点がいった様子で溜め息をついた。
「どうせ
誠也は軽く目を見開いたが、すぐに冷静に返答する。
「それはお答えできません」
しかし、誠也の返答は否定の形にはなっていなかった。むしろ肯定と捉えたまりん先輩は、見透かしたような表情で続ける。
「そうだ、柑奈も琴里も誠也と同じ大道具係だもんな。接点はあるよな。確か柑奈は大道具の暫定リーダーだったよな? 誠也にそんな話をするとしたら、柑奈だろうな」
誠也は驚きつつも冷静に黙秘する。
「柑奈から話を聞いたとき、不自然に呼び出されたりしなかった?」
「それは……言えません」
誠也はその時の様子を思い出し、ハッとしたが肯定する訳にいかない。誠也はそう答えるのがやっとだった。
「あっそ。柑奈のしそうなことだわ。まぁ、どうでもいいや。とりあえず誠也が嘘をついていないことは分かった。あんた、もっとポーカーフェイスできるようになった方が良いんじゃない?」
誠也は自分の演技力の無さを憂いたが、そんなことを気にしてはいられない。誠也は自分の考えをしっかり伝えることに専念した。
「俺の言ったこと、信じてもらえるんなら、是非、部長を引き受けてください。多くの部員がまりん先輩を信任しているんですよ」
誠也の精一杯の気持ちもむなしく、まりん先輩には軽くいなされる。
「関係ないね。部長は莉緒がやるべきだよ。あの子はこれまで友梨先輩に付いて、部長になるための準備をしてきたんだ。だから私は辞退する。彼女の気持ちを考えたら、そうするべきなんだよ」
「本当にそうでしょうか?」
誠也の切り返しに、まりん先輩は怪訝そうな顔をする。
「は?」
「まりん先輩が辞退したら、莉緒先輩、部長を引き受けると思いますか?」
誠也の発言の意図を理解したまりん先輩は、その上であえて誠也の話にはまともに扱おうとはしなかった。
「さぁ。引き受けるんじゃない?」
ぶっきらぼうに応えるまりん先輩に、誠也は丁寧に答える。
「俺はそうは思いません。まりん先輩が辞退したら、莉緒先輩もきっと辞退すると思います」
そういう誠也に、まりん先輩はやや強めに答える。
「だったら他の奴がやればいいじゃない。私には関係ない。部活自体、もう辞めるから」
「え? 先輩……」
まりん先輩の突然の退部宣言に、誠也は言葉が続かなかった。
まりん先輩は再び声のトーンを落として続ける。
「私には大学進学という目標がある。ただでさえ練習が多い部活なのに、これ以上ごたごたに巻き込まれたら、勉強に支障が出る。誰も私の勉強を邪魔する権利はないはずだろ?」
「それはそうですけど……」
正論を主張され、誠也は反論に困った。
そんな誠也を見て、まりん先輩はやや伏し目がちに、これまでと対照的に弱々しい声で話し始めた。
「……今まで、あまり言ってこなかったけどさ。うちは貧乏で、私立大はムリだからさ。一生懸命勉強して、国公立狙わなきゃいけないんだ。そして早く医療系の資格とって家族を養わなきゃいけないんだよね……」
そう言ってまりん先輩は視線を足元に落とす。
しかし、誠也はそんなまりん先輩を正面から見据えて堂々と言った。
「先輩、それ、嘘ですよね?」
「はぁ?」
驚いて目を見開くまりん先輩に、構わず誠也は続ける。
「先輩、お父さんはお医者さんで、お母さんは大学教員ですよね? しかも、お兄さんは医大生じゃないですか」
誠也の発言にまりん先輩は更に目を丸くする。
「誠也誰から……。直樹先輩? それとも、さかな?」
「違います」
誠也はまっすぐ前を見て否定する。
「もしかして……友梨先輩?」
誠也は答えない。まりん先輩は黙秘を肯定ととらえた。
「何で友梨先輩が誠也に……」
「すみません。この前の日曜、友梨先輩にお会いして、伺いました」
「日曜? 部活なかったじゃない」
誠也はあの日、自分では思考が処理できなくなり、友梨先輩に話を聞いてもらったことを話した。
「友梨先輩も音大の受験で忙しいのに、迷惑な話ね」
誠也の話を聞き終わると、まりん先輩は半ば呆れながら言った。
「自分でもそう思います。でも……」
誠也は一瞬言葉が詰まる。
「でも、何?」
今この段階で躊躇して一体何になるというのか? まりん先輩に促され、誠也は続ける。
「俺は、どうしてもまりん先輩に部長になって欲しいんです!」
不器用な愛の告白にも似た、あまりにもストレートな誠也の思いを不覚にも真正面からぶつけられたまりん先輩は、それをうまく受け止めることができなかった。
「まだ言ってる。あほらしい」
そう言って、まりん先輩は座っている椅子の座面に右足のかかとを載せた。まりん先輩の足癖が悪いのはいつものことだが、誠也は直接見ないよう、顔を背ける。
誠也が窓の外に目をやると、風に乗った雲が流れていくのが見える。誠也はそんな雲を眺めながら言う。
「友梨先輩だってまりん先輩の事、部長として認めてましたよ」
「嘘だね」
即答するまりん先輩に、誠也は思わず視線をまりん先輩に戻して食い下がる。
「何で嘘だって言い切れるんですか?」
まりん先輩は鼻で笑いながら言う。
「友梨先輩が部長選に意見を述べるわけない」
誠也は少し笑いながら答える。
「確かに、そうですね。でも、多分嘘じゃないです」
「は? どういうこと?」
「俺、友梨先輩に、まりん先輩が部長に選ばれたことについてどう思うか聞いたんですよ。そしたら、案の定、『それは言える立場じゃない』って」
「まぁ、そう言うだろうね」
「でもその後、『個人的には』って言って、その後、『やっぱり、ヒミツ』って言って、友梨先輩、いたずらっぽく笑ったんです。俺、友梨先輩がそんな笑い方するの初めて見たんで驚きました」
誠也の話は、まりん先輩にとっても意外だった。
「友梨先輩が? ……確かに、先輩らしくないな」
「だから、きっと、答えはそういうことなんだろうと」
まりん先輩は溜め息をついて、右ひざの上に顎を載せた。誠也はそんなまりん先輩の様子をチラッと見て、また目を逸らす。
「あの、椅子から足下ろしてもらえませんか? 目のやり場に困ります」
そうためらいがちに言う誠也に、まりん先輩はふんっと鼻を鳴らしながら、意に返さぬ様子で言う。
「いちいちうるさいわね。いつもの事でしょ? 言いたいことがあるなら構わず、堂々と私の目を見て言ったらいいじゃない」
誠也は大きく息を吸うと、意を決したように言った。
「じゃぁ、ハッキリ言わせてもらいますよ! いつまで意固地になってんすか!」
誠也は理性のタガが外れるのを自覚しながらも、自制できなかった。それにまりん先輩も応戦する。
「誰が意固地だ? あぁ?」
互いの鋭い眼光が教室の真ん中でぶつかる。ただでさえ導火線の短い二人。しかも今日は手綱を引く者がいない。ブレーキの壊れた二人を止めるものは何もなかった。
「先輩のことに決まってんだろ? 何でわかってくれないんだよ! 部長、引き受けてくれよ!」
「できるわけないだろ! ホントはみんな、莉緒が良いって思ってんだよ!」
誠也はついに椅子から立ち上がった。
「だから違うって言ってんだろ! みんな、まりん先輩が良いって。誰に聞いたって、まりん、まりん、まりん! だからもう、美羽先輩たちの策略なんかじゃないんだよ! みんなでまりんを選んだんだよ。だから、まりんが部長になるべきなんだよ!」
まりん先輩は、誠也の鋭い眼光に圧倒され、すぐに返答が出来なかった。誠也は更に続ける。
「それと、もう一つ! 椅子から足降ろせよ! 今、見せパン履いてないの忘れてるだろ!」
まりん先輩は一瞬呆気にとられた後、誠也に言われたことを理解し、素早く足を下ろした。
「しかも今、生理中なのに……」
「それ以上言うなーっ!」
さすがのまりん先輩もあまりの失態を恥じ、赤面して俯いた。
「なんか……、すみません」
誠也は気まずくなって、一応謝ると、まりん先輩は顔を少し上げて言う。
「……見た?」
「見……ました」
「最低!」
まりん先輩は顔を上げてそう吐き捨てる。
「先輩が見ろっていうから!」
誠也もつられて思わず大声で反論すると、まりん先輩は顔を両手で覆って、大きく溜め息をついた。
「……私、自信ないんだよ」
急にまりん先輩が弱々しく言う。
「まぁ、こういう日はみんな、そういうパンツなんじゃないですか?」
誠也の間抜けな返しに、まりん先輩はあきれ顔で声を上げる。
「部長の話だよ!」
誠也は自分のあまりにも馬鹿げた発言を後悔するとともに、急激に冷静になるのが分かった。
「さっきはすいません、なんか苛立ってタメ口利いてしまって……」
まりん先輩は苦笑して答える。
「しかも後半、私の事、呼び捨てだし」
誠也はそう言われてハッとする。名前に関しては無自覚だったようだ。
「……すみません」
まりん先輩は微笑みながら言う。
「別に怒ってない。その方がお互い言いたいこと言えていいじゃん」
「そうですかね」
「この際だから、私は敬語より、タメ口でも呼び捨てでも良いから、誠也の本音が聞きたい」
そう言って、まりん先輩は軽く俯く。
やや間を開けて、誠也が口を開く。
「俺はやっぱり、今の部の部長には、まりん先輩が適任だと思いますよ」
まりん先輩は伏せていた顔を上げる。
「敬語に戻ってる」
「なんか、すみません……」
誠也は急に居心地の悪さを感じた。
「まぁ、いいけど。本当にそう思うか?」
まりん先輩の問いかけに、誠也は目をそらして答える。
「さっきの2年生の話は柑奈先輩の事だろうとか、友梨先輩が部長選挙に言及するはずがないとか。まりん先輩の言ったこと、全部当たってる。まりんは本当によく周りのこと見てるし、相手をよくわかっていらっしゃると思います。そういう先輩の洞察力って部長に向いてるんじゃないかなって……」
敬語とタメ口の入り混じる誠也のたどたどしい口調に、まりん先輩の表情は僅かにほころんだ。
暫しの沈黙ののち、まりん先輩が口を開く。
「私さ、美羽たちのことが許せないんだよ。今回の部長選挙の事だけじゃなくて、日ごろの練習態度とかも」
急にまりん先輩が「首謀者」の話題に触れる。誠也は一瞬ためらったが、やはり今話すべきだと考えた。
「その件なんだけどさ。実は今、色々問題になってて……」
誠也はここ数日間、部内で起こっている出来事を話し始めた。誠也が話を進めるごとに、まりん先輩の表情は険しくなっていった。
「あいつら、ホント許せない!」
まりん先輩は憤りに満ちた顔で拳を震わせる。
「だから、俺としてはまりんが部長になって、今の部を変えてほしいと思ってる。まぁ、まりんが部長になるってことは、ある意味美羽先輩たちの『思う壺』にはなってしまうんだけど」
そう言う誠也に、まりん先輩は不敵な笑みを浮かべて言う。
「大丈夫。そこは私に考えがある。まぁ、莉緒が引き受けてくれるかどうかだけど」
誠也にはその「考え」が推測しかねたが、きっとまりん先輩の事だから、何か妙案があるのだろう。
「ちょっと、急いだほうがよさそうだな。今日の合奏は無くなったんだろ?」
「えぇ、パー練に」
「よし、まずは友梨先輩にコンタクトをとるか」
迷いのないまりん先輩の表情を見て、誠也は胸をなでおろした。どうやら誠也は重責を果たすことができたらしい。
「誠也、今日はありがとな」
「いえいえ、こちらこそ。それに先輩に対して数々のご無礼、大変失礼いたしました」
誠也は仰々しく敬語で謝罪する。
「……やっぱ、あれだよな。私も先輩として、後輩の前ではあくまでも先輩であるべきだよな」
自分に言い聞かせるようなまりん先輩のその言い方が気になったが、誠也も「後輩」に戻ることにした。
「そうですね。その方が自然ですね」
「じゃ、早速部長のところに行ってくるわ」
そう言ってまりん先輩は踵を返す。誠也は笑顔で見送ろうと思った瞬間、足元に放置されたスパッツが目に入る。
「先輩、コレ!」
誠也はスパッツを拾い上げ、歩き始めたまりん先輩のもとへ駆け寄る。
「あぁ、忘れてたわ。サンキュ」
まりん先輩は笑いながら誠也からスパッツを受け取ると、何のためらいもなく誠也の目の前でスパッツを履きだす。
「あのさ、そのガサツなところ、どうにかならないの?」
「今更でしょ。誠也こそ、敬語に戻すんじゃなかったの?」
まりん先輩はスパッツを上まで上げると、スカートのホックを緩め、制服のシャツを直し始める。
「まりんが先輩らしくしないから、なんか、ばからしくなってきた。それに『まりん』って名前で呼ぶのもなんか慣れたし」
「いいんじゃない? 言いたいこと言えた方が。ちなみに私の名前、『まりん』じゃないけどな」
「じゃぁ、
まりん先輩は手を止めて眉間にしわを寄せる。
「……さすがにそれはハズいからやめろ」
まりん先輩は手際よく身なりを整え終えた。
「ねぇ、まりん……」
誠也が、改めて話しかける。
「何?」
「あんまりさ、一人で抱え込まなくても良いんじゃないかな?」
誠也の言葉にまりん先輩は一瞬目を見開くと、次の瞬間、誠也に背を向けて言った。
「ばかやろう! 泣くぞ」
誠也は微笑みながらまりん先輩の背中に向かって言う。
「良いんじゃない? たまには泣いても」
誠也の言葉に、まりん先輩は背を向けたまま答える。
「女はな、パンツは見せても涙は見せないんだよ」
「ふつう逆だろ!」
たまらず誠也が失笑しながら続ける。
「パンツ見られてお嫁にいけないとか言って泣き出すんなら分かるけど」
まりん先輩は再び誠也の方を振り返って言う。
「そう言って私が泣きつけば、誠也は責任取って私と結婚してくれるの?」
「先輩が将来、無事に医者になって俺を養ってくれるなら」
誠也がそう応えると、まりん先輩は少し考えるふりをして続ける。
「でも、そしたらリコに『一番苦痛が長引く方法』で殺されそうだから、やめとくわ」
「怖っ!」
誠也も苦笑する。
「それに私、医学部じゃなくて、薬学部志望だから、将来は薬剤師ね」
「ヤクザな医師ならまりんにピッタリじゃん!」
「誠也、今ここで私に殴られたいらしいわね」
まりん先輩は誠也の頬に拳を軽く当てて、笑った。
♪ ♪ ♪
誠也はパート練習に戻ると、まりん先輩との話をメンバーに報告した。皆、安堵し、数日ぶりにトランペットパートに笑顔が咲いた。そんな教室内の明るい雰囲気とは裏腹に、外はいつの間にか土砂降りの雨。ドラマの様に都合の良い情景描写にはならないなと、誠也は笑った。
部活終了時のミーティングは、部長は不在で副部長が仕切った。おそらく友梨先輩はまりん先輩と話をしているのだろう。これで一部の2年生の陰湿な嫌がらせも収束するはずだ。
帰り道。夕立も止み、誠也とえり子の表情は明るかった。
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