第28話 夏休みの課題

 7月23日、日曜日。昨日で梅雨も明け、良く晴れた夕方の空の下、えり子と陽毬ひまりは安堵と疲労の混じる表情で帰りの電車に揺られていた。

 えり子たち構成係は何とか今日、企画をまとめ上げて3年生の先輩に提出が出来た。今日の締め切りに間に合ったのは奇跡に近かった。


 期末テストが終わってから、元々タイトなスケジュールであったにもかかわらず、作業は遅々として進まなかった。2年生の意見の不一致に、1年生が幾度となく振り回された。そして、ついに一昨日、2年生の芽唯めい先輩、優奈ゆうな先輩と1年生の真藤実紅みく、藤原桃香ももかが衝突するという場面もあった。この時は萌奈もな先輩が双方を立てる形で丸く収めたが、互いの不信感は深まるばかりであった。

 しかし、このまま対立ばかりしていては、作業が進まない。構成係の作業が滞れば、他の係のスケジュールにも影響してくる。それだけは避けなければならない。陽毬は莉緒りお先輩に相談しながら円滑なディスカッションが進むよう、実紅と桃香に根回しした。その甲斐もあって、今日、締め切りギリギリに何とか企画を提出することが出来た。


「いや~、ホントしんどかったね」

 元気のないところを見せたことのない陽毬が、珍しくぐったりしている。

「もげだね~」

 その横でえり子も半ば魂が抜けたように、隣に座る誠也に寄りかかっている。

「ちょっと重いんですけど……」

 誠也はしかめっ面をしつつも、今日までの二人の苦労を見てきているので、咎めることはしなかった。

 

(3年生が直接係活動に携わらなくなって、早速この有様では先が思いやられるな)

 誠也はそう思いながらため息をつくと同時に、自分が所属する大道具係もこの先どうなることかと、心配していた。


 ♪  ♪  ♪


 翌24日、月曜日。この日は文化祭で演奏する予定であるバンド「アーリオ・オーリオ・ペペロンチーノ(仮)」の初練習となった。

 昨日夜遅くに、陽毬からグループLINEで急遽練習を行う旨が送られてきた。練習は潮騒駅周辺のスタジオを借りて行うこととなっていた。ここのスタジオ「Galaxyギャラクシー」のオーナーは陽毬の知り合いである。陽毬が事情を話すと「前日夜までに予約が埋まってなければ無料」という好条件で借りられることになった。


「こちらが、オーナーの山崎さん。この界隈では『ヤマさん』って呼ばれてるんだよ」

 受付カウンターで陽毬が紹介してくれた男性は、長髪に少し色の入った眼鏡、柄物の半袖シャツという容姿で、いかにもスタジオのオーナーという雰囲気をまとっていた。


「よろしくお願いします!」

 誠也たちが元気に挨拶すると、ヤマさんはにっこりとほほ笑む。

「まぁ、狭いけど好きに使ってくれや」


 陽毬がオーナーから鍵を預かると、狭い廊下を進んでいく。廊下の両サイドにはカラオケボックスの様に防音のドアで仕切られた部屋が並び、いくつかの部屋から演奏の音が聞こえた。

「なんか『ヤマさん』って、『ヤマセン』みたいな響きだけど、雰囲気は全然違うね」

 誠也の前を歩くえり子がそう言って振り返りながら笑顔を見せる。

 廊下の突き当りまで来た。頑丈で重そうな防音扉の横に、まじめなゴシック体の文字で「アーリオ・オーリオ・ペペロンチーノ」と印刷された紙が貼られている。中に入ると、学校の教室の半分くらいの広さに、ドラムセットがセッティングされ、壁際にはアンプとミキサー、そして部屋の隅にはスピーカーが置かれていた。

 床から天井まで、全て黒一色。同じ音楽の世界でも、普段身を置く吹奏楽の世界とはずいぶん違うスタジオの雰囲気に、誠也は異世界にでも迷い込んだ気分だった。


「ふぉ~、しゅごい~」

 えり子が目を輝かせている。

 バンドメンバーの5人に、誠也と奏夏かなの7人が入ると、部屋は狭く感じたが、贅沢は言ってられない。なにせ、タダでお借りしているのだから。


「さて、早速今日何かできる曲があるかしらね?」

 そう言って陽毬は持参したバンド用の楽譜の束をバサッとテーブルの上に置いた。

「すご~い、いっぱいある~」

 ドラムス担当の柚季が、早速いくつかバンド譜を手に取る。

「あ、これ、えり子の十八番おはこじゃん!」

 そう言って、誠也が1冊の譜面の袋を手に取る。

「はにゃ~!」

 えり子の目が輝く。

 

 夢見る少女じゃいられない――90年代を代表するロック歌手、相川七瀬の代表曲だ。中学校時代からえり子はよく、この曲をカラオケで歌っては、場を盛り上げていた。


「じゃ、とりあえず、やってみようか!」

 そう言って陽毬が袋から楽譜を取り出す。まずは音出しと譜読みで1時間程度とることにした。


 それぞれのメンバーがアップを始める中、「裏方」担当の誠也と奏夏は部屋の隅に丸椅子を置いて座っていた。

「ここ、吹奏楽の練習にも使えるみたいね」

 そう言って奏夏が指さす方向に、「管楽器はツバを床に捨てない事!」という貼り紙が貼ってあった。

「まぁ、そういう注意書きがあるって言う事は、逆に言えば使っていいってことだよね」

 誠也はマナーの悪い一部の同志を想像し、苦笑した。


 そろそろ30分が経とうという頃に、陽毬が三脚を立て、その上にビデオカメラを載せた。

「誠也くん、ビデオ係お願いしていい?」

「あぁ、もちろん」

 誠也は陽毬からカメラの操作方法のレクチャーを簡単に受ける。


「じゃ、とりあえず合わせてみますか」

 陽毬がそう言うと、メンバーに心地よい緊張感が走る。皆、一瞬にして本番の顔つきになるのは、吹奏楽でこれまで鍛えられてきたからだろう。


「1、2、3、4!」

 陽毬のカウントで演奏が始まる。ベース、ギター、キーボード、ドラム、そしてヴォーカル。いつものメンバーが、パーカスの柚季以外いつもと違う楽器を手に、演奏している姿が新鮮だった。

 皆真剣な表情で演奏する。さすがにブラバン経験者、初見でありながら止まらずに最後まで演奏しきった。


「なかなかいいじゃん!」

 演奏が終わった瞬間、誠也と奏夏は立ち上がって拍手する。メンバーもそれぞれ笑顔を見せる。


 早速陽毬のノートPCでビデオをチェックする。

「いいね!」

「なんか、バンドっぽくない?」

 映像を見ながらも、皆、笑顔があふれた。1曲見終わると、再び皆で拍手をした。


「初見にしては、なかなかだよね! これは、結構いいところ目指せちゃうかも~」

 そう言って、陽毬も満面の笑みでPCを操作しながら、続ける。

「じゃあさ、もう一度映像を見てみるよ。今度は、より客観的に。う~ん、例えば家でテレビを見るように。何げなくテレビをつけたら知らないバンドが演奏してた、みたいな感じで見てみようか」


 そう言って、陽毬はもう一度先ほど撮った映像を再生した。

 2回目の再生。先ほどと同じ動画なのに、メンバーの表情から徐々に笑顔が薄れていく。


 1番が終わったあたりで、陽毬が動画を止めて、えり子に聞く。

「リコ、どう? このバンド。100点満点中、何点?」

 えり子は眉間にしわを寄せながら答える。

「3点くらい。なんか、全然面白くない。魅せられてない」

 おそらく皆、同じ意見だったのだろう。誰一人反論するメンバーはいなかったのがその証左だ。

 

「なんか……、ひまりんがこんなにストイックだと思ってなかった」

 そう言って、ベースの遥菜はるなが目を白黒させている。それを見た誠也は、一瞬ハッとした。

(もしかしたら、こんなにガチでやるんなら抜けるとか言い出さないか?)

 しかし、そんな誠也の心配をよそに、遥菜が続ける。

「ねぇ、ひまりん。私たちに足りないものって、何かな? どうしたら良くなる?」


 どうやら誠也の心配は杞憂に終わったようだ。陽毬が笑顔で答える。

「本家の動画見てみようか!」

 そういって、陽毬がPCでYouTubeを開く。

「今はさ、ほとんどのアーティストが公式で動画上げてくれてるから、これを使わない手は無いわよね~」

 えり子も同調する。


 幸い、すぐにご本人の公式動画が見つかり、再生する。

 圧倒的なスキルはもちろんのこと、魅せ方がとにかく素晴らしい。広い会場ハコでも、観客と双方向でのやり取りがあり、それが一体感を生んでいるのが分かる。そのパフォーマンスにメンバー一同、感動した。


「目指すべきは、ここよね」

 動画が終わると、陽毬がそう言ってほほ笑む。

「そのためには、まずは基礎的なスキルの向上よね」

 そう言うえり子に、陽毬は意外にもストップをかける。

「それはちょっと違うかも」

「はにゃ?」

「もちろん、スキルアップは欠かせないんだけど、特にヴォーカルのリコは、初めから『魅せる』と言う事を意識して練習した方が良いわよ。癖が付いちゃうから」



 それから2回ほど演奏し、その度にビデオチェックを繰り返したのち、休憩となった。えり子は陽毬の持ってきた楽譜の束を1冊ずつ見ていた。

「あ、アイドル~! YOASOBIかっこいいよね~」

 えり子がツインテールを揺らしながら、サビの部分を歌い始める。

「今人気だからね~。それもやる?」

 そう言う陽毬に、えり子は目を見開いて、首を横にブンブンと振る。

「本物のアイドルである、ひまりんを差し置いて、それは無理!」

「そんなことないよ~」

 陽毬はそう言って笑うと、柚季が突然、立ち上がる。

「ひまりん、『アイドル』歌ってみて!」

 柚季の提案にメンバー一同が沸く。

「え~、高いよ~」

 そう言って陽毬は笑いながら、快諾してくれた。


「ちょっと準備するね」

 陽毬は自分のカバンからiPadを取り出すと、慣れた手つきでミキサーに繋ぎ始めた。

「誠也くん、曲流してくれる?」

 そう言って陽毬はiPadを誠也に手渡した。

「これは?」

 誠也が画面を見ながら首をかしげる。

「DJアプリ。この曲、イントロ短いから、私がアウフタクトで合図するから、ここ押して再生して」

 そう言って陽毬は誠也に指示をする。

「OK、わかった」


「じゃ、いくよ」

 陽毬がマイクを軽く挙げた合図に合わせて、誠也が曲を再生する。


 陽毬が歌い始めた途端、皆、陽毬のステージに目を奪われた。

 

  小さなスタジオ。目の前には黒い壁。しかし、陽毬の視線の先には明らかに観客がいた。目に見えぬ観客に向かって手を振り、笑顔でレスを送る。その表情と声音は、歌詞の単語単位で目まぐるしく変わる。そして、陽毬の輝く瞳にはアニメのごとく星が宿り、観るものを魅了する。誠也たちの目の前で歌う彼女は、まさに本物のアイドルだった。


 陽毬が歌い終わった後、メンバーは拍手も忘れて半ば放心状態だった。


「ひまりん、凄すぎて、言葉が出なかった」

 柚季が目を丸くしながら、ようやく感想を述べると、陽毬は何食わぬ笑顔で応える。

「え~? そんなことないよぉ~」


 陽毬の目指す「魅せるステージ」の本当の意味を知った瞬間だった。



 休憩時間が終わり、もう一度演奏してみることになった。

 えり子は黒い壁の向こうに、本番のステージから見るであろう体育館の客席を想像しながら、歌った。


 演奏が終わると、すぐにビデオチェック。初めの灰色のステージに、ようやく少しずつ色がついてきたようだ。しかし、これでは先ほどの陽毬のステージの足元にも及ばない。


 

「魅せる」とはどういうことなのか。


 誠也とえり子にとって、この夏休みのとてつもなく大きな課題が見つかった。

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