第27話 大局的な見地

 午後5時。夏休み初日の部活が終わった。えり子と陽毬ひまりは、穂乃香ほのかと共に構成係のミーティングの続きがあるとのことで、誠也は奏夏かな萌瑚もこと先に帰ることとした。

 スクールバスが駅に着くと、ここで萌瑚と別れ、誠也は奏夏といつもの電車のホームに降りる。

 

「今日は賑やかな二人がいないから、静かだな」

 誠也がそう言うと、奏夏も笑う。

「ホントはリコがいなくて、寂しいくせに」


 電車が静かに走り出す。二人は自然と部活の話になる。

「今日も練習、長かったな~」

 奏夏がそう言いながら、伸びをする。奏夏の所属するホルンパートは、2・3年生が全員コンクールメンバー。1年生は夏鈴かりんが退部したため、コンクールに出ないメンバーは奏夏ただ一人だ。


「奏夏のところは、ずっと個人練習だもんな」

 誠也はホルンパートの実情を鑑みて、奏夏を思いやる。

「まぁ、パート練の始めの基礎練習だけは、先輩たちが一緒にやってくれるけどね」

 誠也たちトランペットパートは、コンクールに出場しない1年生が5名いるため、いつもワイワイとやっているが、さすがに練習時間が長くなると集中力が持たなくなってくる。それが終始ひとりとなると、更に厳しいだろう。この時期はスキルアップのチャンスとはいえ、その集中力を保ち続けることは並大抵ではない。


 そんな話をしているうちに、奏夏の降りる駅が近づく。

「そうだ。たまには、ご飯でも一緒にどう?」

 奏夏が誠也を食事に誘う。誠也も話の続きがしたいと思い、誘いに乗った。

「いいね。ちょっと降りてみるか」

「あ、リコに怒られる?」

 奏夏がそう言っていたずらっぽく笑う。

「なんか、笑い方がえり子っぽいぞ」

 誠也がそう言うと、二人して笑った。


 誠也は、いつも奏夏が降りる乗換駅、北野原駅で電車を降りた。初めて降りる駅に、鉄道好きの誠也は気分が高揚する。

 地下のホームからエスカレーターを上がっていくと、反対側のエスカレーターから同じく上がってきた、まりん先輩とばったりと出会った。

 

「まりん先輩!」

 奏夏が声をかけると、まりん先輩がパッとこちらを向く。

「あれ、誠也とさかなじゃん!」

「お疲れ様です!」

 誠也は笑顔で挨拶する。

「あれ、誠也。今夜はさかなと浮気?」

 まりん先輩はいつものからかうような笑顔を誠也に向ける。

「違います! 今日はたまたま、さかなと食事でもってことで……」

 誠也がそこまで話すと、奏夏が思いついたように提案する。

「まりん先輩も、一緒にご飯食べていきません?」

「え? いや、私は邪魔しちゃ悪いし。後は若いお二人で……」

 そう言って、乗り換え改札口の方に向かおうとするまりん先輩の腕を奏夏がつかみ、出口方面の改札口に引っ張る。

「ちょ、ちょっと、さかな~!」

 誠也はそんな2人を笑いながら、あとからついて行った。


 

 結局3人は駅近くのファミレスに入った。

「ごめんね、またイタリアンで」

 奏夏はそう言って誠也に首をすくめる。このあたりはなぜかイタリアンのお店が多いようだ。

 3人はドリンクバーでそれぞれ飲み物を用意し、席に戻る。

「かんぱーい!」

 誠也は初めての組み合わせでの食事に不思議な感覚を覚えながらも、この雰囲気を楽しむことにした。


「さかなは最近、どう?」

 早速運ばれてきたサラダをフォークで器用にすくいながら、まりん先輩が奏夏に話かける。

「まぁ、ぼちぼちですね。夏鈴が辞めてから1年生は私ひとりなんで、パート練の時とかは寂しいですけどね」

 そう言いながら、軽く微笑む。

「夏鈴の件は愛色あいたちも、心配してたからね」

 まりん先輩も少し心配そうに奏夏に言う。ちなみにホルンパートの2年生は高梨愛色先輩と久保田舞琴まいこ先輩の2人だ。

「ええ。先輩たちも心配してくださるんですが、やっぱり私も夏鈴のことはショックで……」

 そう言って変わらず微笑みを見せる奏夏に、まりん先輩は肩をすくめる。

「さかなは、相変わらずだね」

 まりん先輩のその一言で、誠也はまりん先輩と奏夏が元々同じ中学校の出身であることを思い出した。駅でまりん先輩と合流した時から、二人が妙に親しいと感じていた誠也は、理由が分かり納得した。

 

 しかし、親しさというものは、時にいらぬ災いをもたらすこともある。

「あんたは夏鈴なんかより、直樹なおき先輩のことでも気にしてなさいって」

 まりん先輩が屈託のない笑顔でそう言い放った瞬間、誠也は思わずフリーズしてしまった。

「あ、えーと……」

 奏夏も思わず苦笑するしかなかったが、誠也にはどうすることもできなかった。


「あれ? 私、何かまずいことでも言っちゃったかしら?」

 そう言うまりん先輩に、誠也は心の中で毒突く。

(えぇ。ものすごーくまずいこと言っちゃいましたよ)

 

「まりん先輩、誰にも言っちゃだめですよ」

 奏夏はさわやかな笑顔に戻る。

「う、うん」

 まりん先輩が少し緊張気味に頷くと、奏夏はさらりと話し出す。

「実はですね、直樹先輩はペットの彩夏さいか先輩と付き合ってるんですよ」

 

「えーっ!」

 普段、口ではからかって見せるものの、本心は他人の色恋沙汰に全く興味を示さないまりん先輩が、露骨に驚く様子を見て、誠也は思わず笑ってしまった。


 そんな話をしているタイミングで、奏夏のスマホの通知音が鳴る。

「あ、リコからだ」

 そう言って奏夏がスマホを開くのを見て、誠也も自分のスマホをチェックする。えり子から「Osteriaオステリア」のグループLINEにメッセージが届いていた。


【誠也~、いまどこ? 私、今すぐ誠也に会いたいの……】


「え? 誤爆?」

 メッセージを見て、目を丸くしながら心配する奏夏に、誠也は冷静に言う。

「わざとだよ。よく見てみ? 俺宛にわざわざメンションしてるし、あいつ普段、俺のこと『誠也』って呼ばないから」

 おそらくえり子は、誠也が奏夏と、もしかしたら萌瑚も一緒にいるかもしれないと思ってLINEをしているのだろう。


「あんたの彼女、怖いね」

 まりん先輩は呆れ顔で言う。

「いや、俺の彼女じゃないんで。良かったら先輩に譲りますよ」

 誠也がそう言うと、まりん先輩は目をそらす。

「ごめん、ちょっと遠慮しておくかな」


 事情を察した奏夏が、えり子のLINEに返信する。

【リコ、ごめん。誠也は今、私と一緒よ】

 すると、えり子からすぐに返信が届く。

【はにゃ~! どこにいるの? 今からひまりんと乗り込んで邪魔してやる!】

 誠也はLINEのやり取りを奏夏に任せることにした。

 

【ちなみに、今夜はまりん先輩も一緒よ】

 奏夏がそう送ると、今度は陽毬から返信が来る。

【それは好都合かも】


 ここまでのやり取りで、誠也は大体の事情を察することが出来た。恐らく構成係のミーティングに不満があったのだろう。

 しかし、わざわざこんなスパイのような回りくどい文章でやり取りしなくても良いのにと、誠也は思う。つくづく女子の考えは分からない。そこまで考えて、誠也は改めて思った。

(いや、えり子が特殊なのか……)


「それじゃ、おばさんは邪魔だから先に帰るかね?」

 状況を察したまりん先輩は気を使ってそう言った。しかし、陽毬の「好都合」という表現を、寧ろまりん先輩にも聞いてほしいのだろうと理解した誠也は、まりん先輩を引き留める。

「もし、お時間が許すようでしたら、引き続きお付き合い願えますか?」

 そう言う誠也に、まりん先輩は、飄々とした表情で答える。

「私が聞いてもいい話なのかしら?」

「はい。むしろ聞いてほしいんだと思います」


 

 それから30分ほどでえり子と陽毬が到着した。

「はぎゃ~! まりん先輩~」

 えり子は到着するなり、いきなりまりん先輩に抱き着く。

「こら、リコ! やめろ! 胸を触るなー!」

 抵抗するまりん先輩に、えり子はいたずらを続ける。

「うにゃ~、ちっぱい~」

「黙れリコ! 誠也、こいつをつまみ出せ!」

「え~!、今来たばっかりだよ~」


「仲がいいんだか悪いんだか……」

 そう言いながら呆れる誠也に、同じくあきれ顔で奏夏が言う。

「仲悪かったらできないでしょ、こんなこと……」


 えり子と陽毬のオーダーが済み、ドリンクを調達すると、早速本題に入る。

 誠也たち吹奏楽部では、期末テスト明けから、コンクールの練習と並行して9月の文化祭の準備に着手した。まずは構成係がステージのテーマや選曲を決定しなければ他の係が動けない。当初の締め切りは23日の予定だったが、作業は遅れているようだ。

 これまで係活動をはじめ部の運営は3年生が主体で行ってきたが、その3年生は9月の文化祭で引退となる。そのため、世代交代を意識してこの文化祭は2年生が中心となって準備をすることになっているのだが、構成係ではその2年生がうまく機能していないようだった。


「そもそも、構成の2年生って、誰がいるの?」

 誠也の問いに、えり子が答える。

「フルートの金澤芽唯めい先輩と、クラの赤坂莉緒りお先輩、サックスの武藤優奈ゆうな先輩、トロンボーンの松井萌奈もな先輩、あとチューバの田島清風きよか先輩。あれ? 誰か抜けてないよね?」

「大丈夫~。その5人だよ~」

 まりん先輩がいるからか、今日の陽毬は「ひまりんモード」だ。


「それで? 昼のミーティングがうまくいかなかったってことなの?」

 誠也が続けて質問すると、今度は陽毬が説明してくれた。


 今日の午後、コンクールメンバーが合奏中に、1年生のメンバー5名と、構成係の2年生で唯一コンクールメンバーではない優奈先輩が企画会議を実施した。1年生それぞれが出した案に対し、優奈先輩は基本的には賛同してくれた。しかし練習終了後、改めて全員での企画会議になったとき、1年生の出した案は、暫定的にリーダー役を担っている莉緒先輩から、複数のダメ出しをされたらしい。

 

「でも~、莉緒たん先輩の言ってることは~、ひまりもその通りだと思うから、理解できるのよ~」

「莉緒たん……」

 陽毬に対する免疫が無いまりん先輩が、怪訝な顔をする。

「あ、そこはもう、無視してください」

 誠也がまりん先輩に耳打ちする。

 

「でもね~、優奈先輩も『それでいいよぉ~』って言ってくれたのにぃ~、なんか全体の会議に時になったら~、ひまりたちが~、勝手にまとめたみたいに言われちゃったのよね~」

 恐らく陽毬は、まりん先輩を意識して発言しているのだろう。


「いやぁ、武藤はやりかねないよな~」

 まりん先輩の反応は陽毬の期待通りだったようだ。


 当然、はしごを外された形になった1年生も黙ってはいなかった。クラリネットの真藤実紅みくと、トロンボーンの藤原桃香ももかが反論し、2年生の芽唯先輩、優奈先輩と対立する構図になり、場が一時険悪になったようだ。

「まぁ、そこは2年生の先輩が何とか治めてくれたんだけどね」

 そう言うえり子に、まりん先輩が再び眉をひそめる。

「もにゃ先輩?」

「あ、多分、萌奈もな先輩の事だと思います」

 誠也も無駄な解説に忙しい。


 その後、莉緒先輩が大まかな方向性を示し、明日の会議までに各メンバーが再度意見を出すこととして、今日は解散となったとのことだった。


「私もさ、優奈先輩とか芽唯先輩には不信感があるけど、まずは今、作業が遅れてるから、それを取り戻さないと、だと思うんだよね」

 えり子は不満の表情を隠せずにいながらも、事態を大事にしないようにと捉えているようだ。

「ひまりはさ~、とりあえず1年生として、やるべきことはやって~、あとは2年生の先輩たちにお任せしたらいいんじゃないかと思うのよね~」


 そう言う陽毬に、誠也はどうも納得がいかなかった。

「う~ん、でも一番大事なのは、文化祭の当日、ステージを見に来てくれるお客さんだろ? そのお客さんのためにも、妥協せずに先輩たちとディスカッションすべきじゃないのか?」

 

 しかし、まりん先輩が誠也の意見に反対する。

「私は、ひまりんの意見が正しいと思うわ。誠也の意見は、正論だけど、きっと『今』じゃないのよ」

 まりん先輩の言葉が、誠也の胸に刺さった。まりん先輩が続ける。

「理想を追求することは、やめちゃいけない。でも、常に時間とか、人材とか、そう言った現実も加味しないとね。常に理想が正解とは限らないもんよ」


「う~ん」

 誠也は腕を組んで唸った。決してまりん先輩の意見に異存があるわけじゃない。むしろ大局を見ろと言われた気がして、自分の視野の狭さに気付かされたようだった。


 ♪  ♪  ♪


 それから程なくして、誠也たちは解散した。奏夏とまりん先輩はそのまま別の路線で帰っていった。途中の乗換駅で陽毬とも別れ、最後はいつも通り誠也とえり子の二人になる。


「ねぇ、片岡。今日はやっぱりさかなと、イチャイチャしてたのね!」

 えり子がいつも通りの笑顔で誠也をからかう。

「イチャイチャはしてないだろ」

 誠也は呆れ顔で返す。

「萌瑚ちゃんはいないかもと思ってたけど、まりん先輩が一緒だったのは予想外だったな~」

「あぁ、ほんと偶然、ばったり会ったからね」

「でも、ひまりんがすぐに『ちょうど良かった』って」

 今日のやり取りを見ていて、誠也には陽毬の目的がわからなかった。

「それが良くわからなかったんだけど。別にひまりんは、まりん先輩に2年生のこと、告げ口したかったわけじゃないんだよね?」

 えり子はいつものようにツインテールの先を人差し指でクルクルと回しながら続ける。

「多分、まりん先輩の反応を見たかったんじゃないのかな~」

「反応?」

 誠也は意図がまだ読めなかった。

「うじ。少なくとも同学年であるまりん先輩から見た、優奈先輩たちの印象とか評価とかを見極めてたんだと思うな。まぁ、私もそのことについてひまりんと話したわけじゃないから憶測だけど、あの子ならそう考えるかもなって」


 えり子の話を聞きながら、誠也は先ほどのやり取りを思い出していた。

 高校生になって、3か月とちょっと。誠也は最近、周りの友人たちが急に大人になった気がしていた。それと同時に、自分の短絡的な発想が恥ずかしくなることも多くなってきた。

 もっと冷静に、大局を見られるようにしなくては。そう思う誠也だった。

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