第26話 真面目な性分

 7月21日、金曜日。今日からいよいよ夏休みが始まった。誠也せいやたち高校1年生にとっては、高校生活初めての夏休みだ。初日の今日は朝からあいにくの雨模様だったが、誠也もえり子も、気分は高揚していた。

 

「ねぇ、片岡。今日から夏休みだよ~!」

 いつもよりも2時間ほど遅い朝の電車の中で、えり子が笑顔を輝かせている。

「何を当たり前のことを……」

 そう冷静に突っ込む誠也も、顔がほころんでいる。


 誠也たち村上光陽高校吹奏楽部は、8月5日に開催される吹奏楽コンクールの県予選に出場するため、練習もいよいよ正念場を迎えている。練習は曜日に問わず、朝9時から夕方17時まで。これは誠也たちコンクールに出場しないメンバーも同じである。夏休み明けの9月9日・10日には文化祭のステージも控えており、こちらの準備も並行して行われる。

 ちなみに吹奏楽コンクールは8月5日の県予選を通過すると、翌週12日に県大会の本選、9月に東関東大会、そして10月に全国大会と続いていく。5日の県予選で本選進出が確定すれば、翌6日以降も練習が続くが、残念ながら予選敗退となれば、6日以降は夏休みとなる。休みが増えるのはありがたいが、吹奏楽部員にとっては望ましくない結果であることは、言うまでもない。


「おはようございます!」

 朝9時。今日も音楽室に吹奏楽部員たちの、はつらつとした声が響く。

「今日からいよいよ夏休みがスタートしました。そして、コンクールまであと15日です。今日もしっかり気合を入れて頑張っていきましょう!」

 部長の友梨先輩の凛とした声に、部員一同、更に気が引き締まる。

「はい!」


 再び部員たちの声が響き、部活開始時のミーティングは解散となった。本日の練習メニューは午前中パート練習、午後から合奏あわせである。誠也たちコンクールメンバー以外の部員は、終日パート練習または個人練習となる。この時期になると、前半のパート練習からコンクールメンバーとは別れて練習を行うため、誠也たち1年生は早速、下のフロアの空き教室に移動した。


「各自音出しして、9時半から基礎練で良いかな?」

 誠也が提案に他のメンバーは特に異議無く同意し、ウォーミングアップを始める。


 誠也はマウスピースだけのロングトーンから始め、丁寧にアップをしていく。コンクールメンバー以外の部員たちは、文化祭の楽曲が決定するまで、練習すべき曲は無い。一方で時間はたっぷりとある。誠也はこの機会に基礎トレーニングをしっかりと行い、この夏はスキルの向上を図ろうと計画していた。


 予定通り、9時半から1年生5名で基礎練習。春に初めてトランペットを始めた穂乃香ほのかも、えり子の熱心且つ的確な指導のおかげで見違えるほどに上達した。

 30分程度の基礎練習を終えた後は、個人練習となる。夕方までの長丁場だ。誠也たちは適宜休憩を挟みながら、個人での練習を進め、午前中の練習を終えた。



 昼休み。誠也は学食で昼食を摂っていた。えり子の他、いつものメンバーに加え、今日はコントラバスの江口遥菜はるなとパーカッションの熊田柚季ゆずきも一緒だ。


「……ってゆうわけでさ~。文化祭のステージでバンドやろうって話になったんだけど~、遥菜ちゃんと柚季ちゃんも、一緒にどうかな~って、思って~」

 陽毬ひまりがアイドルの笑顔で二人を勧誘する。

「すご~い! 面白いかも~。やりた~い!」

 先に柚季が反応する。既に乗り気である。

「ありがと~! 遥菜ちゃんはどう?」

 続いて陽毬が遥菜に振る。

「ベースは中学校の時もやったことあるから大丈夫だと思うんだけど、私、楽器持ってないのよね」

 少し困った表情を浮かべてそう言う遥菜に、陽毬が笑顔で答える。

「大丈夫! 楽器は借りられるアテがあるから~」

 すると、遥菜はパッと笑顔になった。

「だったら、私もやっちゃおうかな~!」

「やった~! じゃ、バンド結成、確定だね~」

 えり子が満面の笑みで喜ぶ。


「ぶっちゃけ今、練習暇だし、ちょうど良かった~」

 そう言う柚季に、陽毬は手のひらを上げてストップのサインをする。

「一応、部活の時間にバンドの練習はNGね。先輩たちとかに何か言われたら困るし~」

「なるほど。じゃあ、練習どうするの?」

 柚季の心配はもっともだが、その辺り、陽毬は抜かりない。

「大丈夫。私の知り合いの使ってるスタジオ、安く借りられるように交渉してるから~」

「すご~い!」

 これには一同驚きである。

「その代わり~、潮騒駅の近くだけど、それでもい~い?」

 陽毬の問いかけに、遥菜と柚季はそれぞれ答える。

「うん! 大丈夫だよ~」

「私も!」

 これで、文化祭のステージの前提条件は整った。

「それじゃ、あとでこのメンバーのLINEグループ作るから、招待するね~」

 かくして、文化祭のバンドプロジェクトは、幸先よくスタートした。



 13時半。午後の練習がスタートする。誠也たちトランペットパートは、午後も引き続き個人練習がメインとなるが、えり子と穂乃香が構成係の会議に出席するため不在となり、誠也、颯真そうま恵梨奈えりなの3人となった。

 

「午後は一段と寂しいね~」

 そう言いながら恵梨奈が苦笑する。

「まぁ、構成係が企画をまとめてくれないと他の係も動けないし、何より曲の練習できないからな」

 誠也がそう言うと、颯真も同調する。

 基礎練習は午前中に合わせたので、午後ははじめから個人練習とした。教室の角にそれぞれ陣取って、練習を始める。


 比較的真面目な3人であったが、集中力を途切れさせずに練習するには、時間が長すぎる。15時を過ぎたところで、なんとなくおしゃべりタイムとなる。


「なぁ、誠也」

 颯真が少し遠慮がちに口を開く。

「どうした?」

 誠也が先を促すと、颯真が少しはにかみながら続ける。

「あのさ、噂で聞いたんだけど、誠也って昔、リコと付き合ってたんだって?」

「え? あ、あぁ……」

 改まって聞かれたので、誠也はもっと何か重要な話かと思ったが、拍子抜けした。しかし、その様子が颯真には、触れてはいけないことに触れたように映ったらしい。

「あ、ごめん。なんか、変なこと聞いちゃって……」

 そう言って、少し慌てる颯真に、誠也は笑顔で答える。

「いや、大丈夫。気にしてないから。あまりにも予想外の話だったから拍子抜けしただけ」

「でもさ、元カノなわけでしょ? 毎日一緒にいて、気まずくなったりしないの?」

 颯真がそう言うと、恵梨奈もその話に乗ってくる。

「むしろ、『焼け木杭に火が付く』的な感じとか無いの~?」


 誠也は困った。これまで誰に何をどこまで話すなどといったことは、全てえり子に任せてきたので、誠也が今ここでどこまで話してよいのか、正直分からなかった。


「まぁ、気まずいとかは今更ないかな。もう昔の話だし。それより、お二人の方こそ、毎日あまり会えなくて大変なんじゃない?」

 誠也は質問をさらりとかわしつつ、話題を恵梨奈と颯真の方に振った。先に答えたのは颯真の方だった。

「そうなんだよね。意外と同じ部活でもパートが違えば話す機会も無いし、俺たちは帰る方向も違うからね。リナはどうなの?」

「まぁ、うちらもあまり会えないのは確かにそうだけど、私はもう慣れちゃったかな。今の距離感に」

 付き合い始めて2か月ほどの颯真と、中学校時代から付き合っている恵梨奈では事情が違うが、それでも颯真は恵梨奈の発言を聞いて少し恥ずかしくなったらしい。

「そう……だよな」

 歯切れの悪い颯真に、恵梨奈が慌ててフォローする。

「ほら、私たちはもう付き合いが長いからさ。颯真たちは今が一番楽しい時期だもん」


 そのやり取りを見ていて誠也は笑いそうになるのを必死でこらえた。当の颯真はそんな誠也の様子に気付かずに続ける。

「まぁ、そうなんだけどね。俺さ、女の子と付き合うの初めてだから、なんか色々どうしたらいいかわかんなくてね。リナは彼氏と二人の時とか、どうしてるの?」


(随分大胆に聞くねぇ)

 誠也は心の中でそう呟いたが、恵梨奈は気にする様子も無く、あっけらかんと答える。

「う~ん、街ぶらぶらしたり、ご飯食べに行ったり、まぁ、普通な感じ?」

「その『普通な感じ』が分からないんだって~」

 颯真が困り顔で笑う。


「ねぇねぇ、誠也はさ、リコと付き合ってた時、どんな感じで二人で過ごしてたの?」

 恵梨奈が興味津々で誠也に問う。

「え? 俺? いやぁ……」

 戸惑う誠也に、恵梨奈がハッとして言う。

「ごめん、あまりにもデリカシーなかったよね!」

 

 そんな話の流れの中で、タイミング悪くえり子と穂乃香が構成係の会議から帰ってきた。

「ただいま~! あれ、なんか楽しそうだね。何の話~?」

 えり子が満面の笑みでそう言いだすと、恵梨奈と颯真は気まずそうに視線を逸らす。

「なになに~? 私に言えない話~?」

 えり子がいたずらっぽく二人に迫る。


(お前ら! 無責任だぞ~!)

 誠也は心の中で毒突きつつ、その様子を見守っていると、恵梨奈が申し訳なさそうにこれまでの話を正直に話す。それを聞いたえり子は更にいたずらっぽい顔で答える。


「私と片岡は、いつも結構マニアックなプレイだったよね! 片岡っ!」

「おいおい! 人聞きの悪いことを言うなって!」

 誠也はそう言いつつも、どうせいつものことと呆れながら、えり子の話を聞いていた。


「プ、プレイって……!」

 ピュアな穂乃香は目を丸くしている。

「聞きたい?」

 意味深にもったいぶるえり子に、颯真と恵梨奈はさらに興味津々で続きを促す。

 

「大体いつも、私の部屋か、片岡の部屋でね……」

「うん、うん」

 颯真と恵梨奈が身を乗り出す。

「あ、音とかリビングの方に漏れないように、気を付けたりしてね」

「うん、うん!」


「……いろんな音楽聞いてた」

 えり子があっけらかんとオチを話すと、誠也を除く3人は呆気にとられていた。

「音楽? 何の?」

 恵梨奈が問うと、えり子が続ける。

「いつも大体、誠也が吹奏楽とかオーケストラの曲をスマホで再生してくれてね。その曲の解説とかしてくれるの。おかげで随分たくさん曲覚えたよ!」

 そう言ってえり子は誠也にウインクする。誠也は正直に暴露され、赤面する。


「そ、それは確かにマニアックだな……」

 目を丸くする颯真を横に、恵梨奈は笑い出す。

「すごく、誠也っぽいよね~! プライベートでも真面目な性分がにじみ出てる!」

「でしょ~」

 えり子もそれに同調する。

「どうせ、俺はマニアックですよ!」


 そう言って不貞腐れる誠也に、穂乃香が笑って言う。


「でも、私、マジで誠也にそのプレイしてもらいたいかも!」

「プレイって言うな!」


 トランペットパートの教室は、再び笑い声に包まれた。

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