第24話 マリオネット
7月10日、月曜日の朝。
「ねぇ、片岡。今朝も眠そうだね。大丈夫?」
今日もひまわりのような笑顔を見せるえり子と対照的に、誠也は暗い表情で答える。
「いや、ちょっとね」
「うにゅ~、もしかして、今朝の地震で目覚めて不機嫌とか?」
「地震なんてあったのか?」
誠也は記憶になかった。
「うじ。5時前かな? 震度1」
「1なら電気の紐を眺めてでもいない限り、気付かねーよ」
先週の金曜日で期末テストも終わり、この週末は
しかし実際には、金曜日、
誠也が棚上げしていた課題が一気に噴出した週末だった。おかげで今日も、誠也は寝不足だ。
電車がトンネルを抜けると、朝日が容赦なく照り付けた。誠也はまぶしさに耐えかねて、目を細める。
「はにゃ~、今日もいい天気だね~! でも最高気温34度はきついよ~」
えり子はパッと笑顔になったり、急に泣きそうな顔をしたり、忙しい。
「そう言えば、梅雨って明けたんだっけ?」
「それがまだなんですねぇ~。平年でも19日ごろだから、まだ10日くらい先かもですね」
気象に関する知識が豊富なえり子は、得意げに話す。
「さすが、えり子さん。俺も早く梅雨明けしてぇな」
「はにゃ?」
誠也は、アヒル口で首をかしげるえり子から目を逸らし、呟く。
「いや、こっちの話」
放課後。音楽室ではいつも通り、部活開始時のミーティングが行われていた。やや張り詰めた空気の中、部長である
「今日は皆さんに、残念なお知らせがあります。先週、ホルン1年の木村夏鈴さんから退部届が提出され、本日受理されました」
音楽室内の約90名の部員たちが俄かにざわめく中、誠也やえり子、奏夏は真剣な表情のまま、視線を友梨先輩から外さなかった。
「静かに」
友梨先輩の声は大きくなくともよく通る。音楽室は再び静寂に包まれる。
「退部理由は、学業に専念したいとのことです。寂しくはなりますが、このメンバーで引き続きコンクール、そして文化祭と全力を尽くしていきましょう」
「はい!」
「学業に専念、か」
楽器を出す部員たちで混雑する音楽準備室の入り口で、人込みを避けて廊下の壁に背を預けていた誠也が呟く。
「今日、
隣でえり子が、ツインテールの先を人差し指でクルクルと回しながら、控えめな声で言う。
「あぁ」
誠也が短く答える。恐らくえり子も、退部の理由は他にあるのだろうと考えている様子だ。
「さかなのためにも、よろしく頼むね」
「うん。わかってる」
トランペットパートの誠也と、クラリネットパートの真梨愛は、部活中、なかなか直接話をする機会が持てなかった。そのため、待ち合わせ場所などの打ち合わせは、全てLINEで行った。真梨愛は夏鈴の件を誰にも知られたくないとし、待ち合わせ場所として、彼女の家の最寄り駅である菊田駅を指定してきた。誠也も真梨愛と会うことを、できれば誰にも見られたくないと考えていたので、これは好都合だった。
部活が終わって、誠也はえり子たちいつものメンバーと一緒にスクールバスに乗り込む。バスの中では終始和やかに、他愛もない会話をしながら駅へ到着した。
「じゃ、今日はよろしく!」
そう言って
「了解!」
えり子は特に何も言わず、誠也にウインクして合図を送ってきたので、誠也も軽く頷いて応える。
いつも誠也はここから
真梨愛に指定された菊田駅までは、萌瑚と一緒だ。誠也は萌瑚と引き続き他愛もない話をしながら、重い気分を晴らした。
誠也は菊田駅で萌瑚と別れて下車。改札を抜けると突き当りに真梨愛を認めた。
「お待たせ」
誠也が真梨愛のもとに寄ると、真梨愛は少し微笑んだ。
「私も一本前の電車で着いたところ」
誠也は真梨愛の表情が硬いことが気になった。
「とりあえず、どっか店でも入るか?」
「うん。このあたりハンバーガー屋くらいしかないけどいい?」
「もちろん」
誠也は真梨愛と共に駅前へと続く階段を下りて行った。
「早速なんだけど」
ハンバーガーショップで席に着き、トレーをテーブルに置くなり真梨愛が言った。
「夏鈴に口止めされてるから、ホントは誠也にも言えないんだけど……誰にも言わないでね」
「あぁ。もちろん。約束する」
誠也もやや緊張した面持ちで答えると、真梨愛は早速本題に入った。
「今日、友梨先輩から『学業に専念したいから』ってアナウンスがあったけど、ホントはね、親に部活辞めさせられたのよ」
予想外の言葉に誠也は目を見開き、思わず口に運びかけていたポテトをつまむ手が止まった。
「……辞めさせられた?」
「そう。あ、食べながら聞いてもらっていいのよ」
真梨愛は誠也の手が止まったのを、遠慮したのだと思ったらしい。
「いや。びっくりしてつい。あ、真梨愛も食べながら話をしようぜ」
誠也も真梨愛に食事を勧めた。
「ありがとう。でもね私は、ハンバーガーは少しおいてから食べる派なの。こうすると余熱で中のチーズがとろけておいしいのよ」
「そ、そうか」
(どうも、真梨愛と話をしていると調子が狂うんだよな……)
誠也はそう心の中で呟きながら、話を進めた。
「その、親に反対されたっていうのは?」
真梨愛は中学校時代からの出来事を詳細に話してくれた。
真梨愛と夏鈴は同じ野原市立第八中学校の出身で、同じく吹奏楽部の所属だった。野原八中の吹奏楽部と言えば、吹奏楽コンクール全国大会の常連校で、実際昨年、真梨愛たちが中学3年生の時も、全国大会で銀賞に輝いている。そんな強豪校で、二人ともレギュラーメンバーではあったが、当時から交友関係は同じグループではなく、関係性は希薄だったとのこと。
中学校時代から、夏鈴は時折母親と衝突して、部活を休むことがあったらしい。中学校とはいえ、強豪校ともなればそれなりに練習もハードになる。そのため夏鈴は部活に集中し、その結果、母親の望む上位の高校に進学できなかったとして、母親は村上光陽高校への進学をあまりよくは思っていなかった。
それでも高校入学当初は、学業を第一優先にすることとして、母親は夏鈴が吹奏楽部に入部することを渋々許したものの、5月の連休中も毎日練習が続いたため、「話が違う」と言う事になったらしい。直ちに退部を迫られたものの、「定期演奏会まで」という条件で折り合いがついたとのことだった。そして定期演奏会が終わり、実際に退部届が提出された。
「なんだかな……」
真梨愛の話が一通り聞いた誠也は、何と言っていいかわからず、萎れたフライドポテトを口に運ぶのが精いっぱいだった。
「私もテストが終わってから話を聞いたから、もう結論が出た後で、どうすることもできなかったんだけどさ」
そう言いながら、真梨愛はようやくハンバーガーの包みを開いて食べ始めた。
「まぁ、そうだよな。何も言えないよな……」
誠也もそう応えるのがやっとで、黙ってハンバーガーに手を付ける。
「確かに、チーズとろけて、旨いな」
誠也は場違いだと思いつつも、素直な感想を口にすると、真梨愛も微笑む。
「でしょ? おススメよ」
それ以降は会話が続かず、にぎやかな店内の中で、二人は黙々とハンバーガーを食べた。
「なんかな……」
誠也はナゲットのソースをポテトでかき混ぜながら、大きくため息をついた。いつもは多弁な真梨愛も、そんな誠也を黙ってみている。
「本人は部活を続けたいって意思があるのに、親に言われて辞めなきゃいけないって、理不尽だよな」
誠也はにわかに憤りを感じていたが、真梨愛は意外と冷静に答える。
「でも、こればっかりは仕方がないことよね。やっぱ親の意見を無視はできないでしょう」
しかし、誠也の解せない思いは変わりなく、何度目かの大きなため息をついた。
♪ ♪ ♪
翌朝。誠也は高校へ向かう電車の中で、昨日真梨愛から聞いた話をえり子にした。
「想像してたより、事態は深刻だったね」
えり子も自分のことのように悲しい顔をしてそう言った。
「ホントだよな。やりたいことをやらせてもらえないんだもんな」
二人の暗い表情とは対照的に、今日も朝から太陽が燦燦と輝いている。その日差しさえも誠也は疎ましく思った。
「でもさ、夏鈴ちゃんのお母さんが理由だとするとさ、今まで私たちが憶測で言ってた話も、前提が変わってくるよね」
えり子のその一言に、誠也はハッとした。確かに誠也がどこか矛盾を感じていた夏鈴の言動にも、説明がつくかもしれないと思った。
この日は午後から野球部の応援。誠也たち吹奏楽部と応援部の面々は、午後の授業を公欠扱いで欠席し、野球応援に出かけた。結果は村上光陽高校の快勝。皆、笑顔で学校に戻って来た頃には18時を回り、楽器を片付けただけで解散となった。
誠也はいつものメンバーで帰りのスクールバスに乗り込む。昨日の真梨愛の話を皆に早く伝えたかったが、同じバスには他の吹奏楽部員も乗っているため、話すことはできない。しかも今日は奏夏の誕生日。奏夏は今夜、家族と過ごす予定とのことで、どこかの店に立ち寄って話すこともできない。バスが駅に着き、萌瑚とは残念ながら何も話ができないまま別れた。
誠也たちが地下のホームに降りると、折り返しの電車がホームで出発を待っていた。
「あまり時間が無いから、要点だけを話すね」
座席に座るや否や、誠也がそう言うと、奏夏も陽毬も話の内容を察し、サッと真剣な面持ちに変わる。
誠也は昨日、真梨愛から聞いた夏鈴の件について、アウトラインだけを話した。しかし、それでも奏夏が降りる乗換駅までギリギリの時間だった。
二人とも想定外の理由に驚きつつも、十分に話が出来ないまま、奏夏とは別れた。
「そう言う理由じゃ、どうしようもないよね」
電車が奏夏の降りた駅を出発すると、陽毬がため息交じりに呟く。相変わらず、誠也の中では解せない思いが渦巻いていた。
♪ ♪ ♪
14日金曜日。夜、誠也たちは奏夏の誕生日会を開いた。会場はいつもと同じ
「かんぱ~い!」
大人たちがお酒と共に盛り上がる店内の一角で、明らかに場違いな高校生の集団がソフトドリンクで乾杯をする。
「さかな、誕生日おめでと~」
「ありがとう! みんな」
主役の奏夏を中心に、笑顔の花が咲く。陽毬のいとこでこの店のオーナーである「たっくん」の計らいで、スペシャルディナーコースが運ばれてくる。明らかに採算を度外視したメニューに一同感激しつつ、美味しく頂いた。
そんな晴れがましい宴席ではあったが、コース料理が一段落した頃、話題は夏鈴の件に移っていった。
「それにしても、夏鈴の件は驚いたよね」
口火を切ったのは他ならぬ奏夏だった。皆、今日は誕生会だからネガティブな話題は遠慮していたのだが、主役である奏夏から話題を振れば、誰も止める者はいない。むしろこの話題は学校内では触れられないので、この機会は非常にありがたかった。奏夏の所属するホルンパートの出来事でもあり、その辺りも奏夏が気を使って意図的に話題を出したのかもしれないと誠也は思った。
「初めはコンクールメンバーの選出方法に反対してたのに、急に何も言わなくなったのとかも、時期的に辻褄が合うし、納得だよね」
陽毬が少しトーンを落とした笑顔で奏夏に応えた。
「レベルの低い私たちへの当てつけだとか言ってたけど、そうじゃなかったみたいね。ちょっと私も反省」
そう言って、奏夏がうつむく。
「まぁ、それは誰もわからなかったし、あの時点ではそう考えるのが妥当だったから、さかなちゃんが気にすることないと思うよ」
そう言って萌瑚が奏夏を優しくフォローするが、奏夏はさらに続ける。
「同じパートにいて、夏鈴のこと全然わかってあげられなかったのはやっぱり後悔するよ。パート内で唯一の同学年なのに、何も話が出来ずに去って行ってしまったんだから……」
そう言って奏夏は自嘲気味に笑う。
「それについては奏夏の責任じゃないと思うよ。実際、中学校時代から付き合いのある真梨愛だって、話を聞いたのは退部届を出す当日だからね」
誠也はフォローするが、重たい空気はあまり変わることが無かった。
「それよりも俺は、夏鈴が自分の意思に関係なく部活を辞めざるを得なかったことが、やっぱり解せないな」
誠也が続けてそう言うと、えり子が相槌を打つ。
「まぁ、それは確かに気の毒よね」
「ま、理不尽は抗うだけ無駄よ。特に親に関してはね~」
突然陽毬が、場違いなほど明るい笑顔でそう言った。皆は驚いて陽毬の方を見た。しかし、ここにいる全員が陽毬の過去を知っている。その一言で陽毬の言わんとしていることを悟った。しかし、それでもなお、誠也は解せない思いがあった。
「陽毬ちゃんの言う事は、多分正しいと思うんだけど、やっぱり俺は解せないんだよね。だって、俺たちもう高校生じゃん。いつまでも親の操り人形じゃないだろ?」
そういう誠也に、陽毬が変わらず、笑顔で応える。
「う~ん、どうかな~? 陽毬はやっぱり~、私たちはまだ、操り人形だと思うよ~」
「どうして?」
誠也の問いに、陽毬が答える。
「だって~、私たちいくら生意気なこと言ってもさ、上から吊っててもらわないと~、まだ自分で立てないでしょ~」
誠也はハッとした。確かに自分たちはまだ社会的にも、経済的にも、何一つ自立していない。学費も生活費も、全て親が払ってくれている。一人では生きていけない存在。
しかし、だからと言って、部活や将来の進路くらい、自由に選択する権利すらないのだろうか?
「でも……」
誠也が言いかけると、隣に座っていたえり子が、テーブルの下で誠也の膝を強く押さえつけながら、誠也の言葉を遮った。
「確かに、ひまりんの言う通りだよね。私たち、まだ自立してないからね。それに、ひまりんも前に言ってたじゃん。『世の中は理不尽なものだから、自分が変わるほうが楽』ってさ。そう言った意味では夏鈴ちゃんの選択も、今の時点では良かったのかもしれないよね」
えり子がそう言うと、陽毬は笑顔で首をすくめて反応した。
「まぁ、確かにな……」
誠也は、解せない思いは変わらなかったが、えり子の制止を理解してこれ以上の主張は控えた。えり子はテーブルの下で、子どもをなだめるように、誠也の膝を優しく撫でた。
♪ ♪ ♪
「やっぱ、納得がいかねーな」
帰りの電車でえり子と二人になると、誠也は改めて解せない思いを吐露した。
「う~ん、私は片岡の思いも理解するよ」
えり子は優しい笑顔で答える。
「じゃ、なんで、さっき俺のこと止めた?」
誠也が不服そうに言うと、えり子は少し笑顔のトーンを落とす。
「ひまりんが、『ひまりん』になってたからね」
「ん? なんだそれ?」
誠也が怪訝そうな顔をする。
「ひまりんって、普段私たちの間では普通にしゃべってるでしょ? でもあの時、学校で他の皆に話すみたいな、アイドルっぽい『ひまりん』になってたじゃん」
「あぁ、言われてみれば……。でも、なんで?」
誠也はさらに混乱する。
「きっと、本音を隠したかったんじゃないかな?」
「本音……」
困惑する誠也に対し、えり子は淡々と続ける。
「多分、片岡の主張があまりにも正論だから、ひまりんはもしかしたら、実はちょっとイライラしたのかもしれないなぁと思って」
「なんで?」
「多分、ひまりんもお母さんには良い思い出が無いのよ。だから、そんな理不尽にも、どうやったって抗えないことを知っているからじゃないかしら?」
それを聞いて、誠也は唸った。
「やっぱ、えり子ってすげぇな」
途端にえり子はいつものいたずら笑顔に変わる。
「私のこと、彼女にしたくなった?」
「いや、俺の彼女にはもったいないくらだ」
そう言って、誠也が笑うと、えり子はまた少し笑顔のトーンを落とす。
「私もね、解せない部分はあるよ。ひまりんも『自分の人生は自分が主役』とかって言ってて、ダブルスタンダードなところあるからね。でも、やっぱり感情って理屈じゃないじゃん? きっとひまりんも夏鈴ちゃんも、私たちには想像できないような経験やトラウマを抱えているのかもしれないからね」
えり子の話を聞いて、誠也は何度目かの大きなため息をついた。
「ホント、えり子ってすげぇわ」
「ねぇ、やっぱり私のこと彼女にしたくなった?」
誠也と二人でいるとき、えり子はいつも巧みに空気感をコントロールしてくる。
「えり子だって、ダブスタじゃん! どうせ『もう少し時間が欲しい』とか言うんだろ?」
誠也がいつも通りの笑顔に戻ったのを認めたえり子は、ひまわりの様な笑顔で返す。
「私はダブスタじゃないよ~。だって、そのうちまた付き合っちゃうかもって、前から言ってるじゃん!」
「あー、はいはい。そうでしたね」
誠也はそんなえり子のいたずらっぽい笑顔を見つつ、今夜は久しぶりにぐっすり眠れそうな気がした。
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