第23話 みかんの忠告

「ねぇ、片岡! 最っ高に気持ち良かったね~!」


 えり子は左手にトランペットを持ったまま両手を広げ、思いっきり息を吸い込んだ。生憎の曇り空で日差しは無かったが、時刻は15時すぎ。一日のうちで最も暑いこの時間帯、当然気温は30度を超えており、蒸し暑かった。しかし、暑さが苦手なえり子も、今日ばかりはご機嫌の笑顔である。


 誠也せいやたち村上高校吹奏楽部のメンバーは、県立の野球場にいた。今日は夏の高校野球県大会の第1回戦。吹奏楽部は応援部とタッグを組んで、毎回試合がある度に応援へ出かける。誠也たち1年生にとって初めての野球応援は、みごと村上光陽高校の快勝。明後日の2回戦へとコマを進めた。かつては甲子園出場経験もある村上光陽高校だが、ここ最近は県大会で中堅に位置する。今年こそは甲子園を合言葉に、応援にも熱が入った。


「はにゃ~、このまま、まっすぐおうちに帰れたらいいのにね~」

 えり子が楽器をケースにしまいながら、誠也に話しかける。

「ホントそれな。まぁ、楽器片づけなきゃならんからなぁ」

 誠也は面倒くさそうに言うが、勝利の喜びに表情は明るい。

 県立野球場は誠也たちの住む街から電車で7、8分であるため、現地解散が非常に楽なのだが、楽器を片付けるため、一旦高校に戻らなくてはならない。誠也たちは来た時と同じように、用意されたバスで高校へ戻った。


 高校に戻って楽器の片づけを終えると、まもなく17時になろうとしていた。今日は練習は無く、このまま解散となる。

「えり子、早く帰るぞー」

 先に身支度を終えていた誠也がえり子の支度を促す。

「うにゃ~、待って待って!」

 今日、誠也とえり子は中学校時代の同級生、「みかん」こと美香みかの誕生日会をする約束をしていた。いつもは奏夏かなたちと一緒に帰る誠也とえり子だったが、今日は予め事情を伝えていたため、一足先に帰ることにした。


 誠也たちが昇降口を出ると、バス停にスクールバスが止まっていた。

「お、バス来てるぞ。急げー!」

「ひぇ~、待って~」

 二人がダッシュでバスに乗り込むと、ちょうど扉が閉まった。

 

「助かった~」

 えり子が息を整えながら、誠也にグッドサインを出す。二人は空いている二人掛けの座席に座った。今日は日曜日であるため、スクールバスの本数が少ない。このバスを逃すと、暫く待つか、少し離れた路線バスのバス停まで歩かなくてはならないので、大分ロスになるところだった。

「ちょうどいい時間だね」

 誠也は時計を見ながら安心した表情で話す。美香とは地元の駅で18時に待ち合わせをしている。えり子が早速、乗り換えアプリで電車の時間を調べている。

「道路が混んでなければ16分の電車に乗れるから、56分には着くね。はにゃ~、意外とギリギリかも。一応、みかんにもLINEしておくね」

 そう言ってえり子は、早速メッセージを送った。

 

 誠也とえり子、美香の3人のLINEグループ。随分前に作られたグループだが、去年の7月を最後に止まっていた。最後のメッセージはコンクール後のお互いを労う内容だった。スタンプも交えながらの楽しげなやり取り。そしてその翌日から、突然の沈黙。

 そのLINEグループが先週から、何事も無かったかのように再び使われ始めた。えり子が送ったLINEに、当たり前のように美香から返信が来る。過去に遡れなくなるくらい、新しいメッセージがどんどん埋まればいい。誠也はぼんやりとそんなことを考えているうちに、バスは駅に着いた。


「ひゃっほ~! お待たせ~」

 地元の駅の改札機を抜けるなり、えり子はトレードマークのツインテールを躍らせて、コンビニ前に立つ美香の元へ駆け寄っていった。

「えり子、お疲れ~! 片岡も!」

 美香が笑顔で二人を出迎えると、誠也も笑顔で軽く手を挙げて応えた。三人は駅から歩いて、いつものファミレスに向かった。

 

「みかん、誕生日おめでとう! かんぱ~い!」

 えり子の発声で三人はグラスを合わせた。

「二人とも、ありがとね! 今日は野球応援で疲れてるだろうに」

「なんか、みかんの言い方、おばあちゃんみたいだな」

 誠也が思わず、突っ込みを入れると、えり子も調子に乗って続ける。

「みかん、ご心配なく。私たち、まだ15歳なんで」

「どうせわたしゃ、16歳のババアだよ」


 そんな他愛もない話から、この三人が揃えば、次第に部活の話になっていく。

「みかんの高校のブラバンって、どんな感じ?」

 えり子が満面の笑みで、好物のハンバーグを口に運びながら聞く。

「うちの高校はさぁ……」

 美香が話し始めた途端、えり子が突然悶え始める。

「熱っ! あちゅ、あちゅ!」

 どうやら口に入れたハンバーグが熱かったらしい。

「ちょっと~、大丈夫?」

 相変わらずのえり子に呆れる美香。

「うじゅ~、ごみん。あちゅくて……」

 そう言って、えり子はドリンクで口の中を冷やす。

 

「ふぅ~、熱かった~。このQooの白ぶどうって、美味しくて、好き~♪」

 満面の笑みのえり子に対し、美香がこめかみを抑えながら言う。

「あんた、私の話、聞く気あんの?」

「ごめ~ん、どうぞ続けて」

「続けさせてくれなかったのは、えり子でしょうが……」

 そんなやり取りを、誠也は呆れつつ傍観していた。


 美香の高校は、野球は強いが吹奏楽部はそうでもないようだ。部員の人数が少なく、コンクールも村上光陽高校の出場するA編成が55名以下なのに対し、美香の高校は30名以下のB編成でエントリーしているとのことだった。


「みかんとはコンクールでは一緒にならないけど、野球で対戦するかもしれないよね?」

 目を輝かせるえり子に、誠也が冷静に答える。

「可能性が無いとは言えないけど、お互い決勝まで行かないと当たらないんだけどね」

「そっか~。ブラバンの雰囲気はどんな感じ?」


 美香はストローでウーロン茶を啜ってから話す。

「うちは人数も少ないし、全体的にモチベもあまり高くないからね。私としてはちょっと物足りなさもあるけど、大学進学のことを考えると、ちょうどいいかもしれないね」

 そう言って、美香は微笑んだ。

 

 美香の高校は大学の付属高校だ。もちろん、そのまま系列の大学に進む者も一定数いるが、他の大学へ進学していく生徒も多いらしい。つまりは進学校である。1年生のうちから、卒業後の進路を見据えている生徒が多いのだろう。

 誠也は、少し高い位置で纏められたポニーテールの美香が、少し大人に見えた。そして、誠也の左側には、ツインテールのえり子が、相変わらずのひまわりの様な笑顔をしている。

(うーん、髪型のせいじゃないか)

 誠也は少し自嘲気味に笑ったのを、二人は気付いていなかった。


 食事の最後に皆でケーキを食べ、改めて美香の誕生日を祝った。その後は、明日は月曜日と言うこともあり、早めの解散となった。


 

「今日はありがとうね!」

 いつもの公園まで来ると、美香は改めてえり子に礼を言った。

「今日は楽しかったね! またご飯行こうね!」

「うん!」

 

 ここの公園でえり子と別れ、誠也と美香は自宅の方へと歩き始める。

「その後、えり子とはどう?」

 美香はふたりを心配してか、早速えり子の話を切り出した。

「うーん、色々わからないことがあってね」

 誠也は何と答えていいものかと迷った。

「わからないこと?」

「あぁ。この前みかんが、ボールは俺の方にあるのかもよ、って言ってくれたじゃん?」

「うん」

「それがねぇ、どうもそうでもないような気がしてさ」


 誠也は一昨日の七夕の夜のことを美香に話した。

「えり子が俺に触れてきたから、『サイン』かなと思ってさ。それで俺が自分の思ってることを伝えようとしたんだけど、遮られちゃって……」

 それを聞いた美香は、考え込む仕草をする。

「うーん……。また、寄ってく?」

 そう言って、美香は先日誠也と話をした公園を指さす。

「ありがたいけど、時間遅いけどいい?」

 時刻は20時半を回っており、誠也は遅くなることを心配した。

「中学生じゃないんだから、大丈夫よ」

 そう言って、美香は公園に入っていく。その美香の後ろを誠也はついて行った。公園内は防犯の為か、LEDの照明が煌々と灯り、周りの建物の光もあるので、夜にもかかわらず誠也が思っていたより明るかった。


「確かに、一貫性が無いわね。まだ迷いがあるのかしら?」

 美香はベンチに座るなり、いきなり本題に入る。

(やはり、誠也の知らない去年の秋ごろの何かが、えり子の思いにブレーキをかけているのだろうか?)

 誠也がそう考えていると、美香が誠也に問う。

「何か、えり子が他に気にしてそうなこと、言ってなかった?」

「他に……」

 

 誠也は、必死になって当日のえり子との会話を思い返した。

「あ、あれかな?」

「何か思い当たることあった?」

 誠也は眉間にしわを寄せながら続ける。

「うん。あの日は俺、えり子たちと合流する前、多希って子と飯を食いに行ってるんだけど、そのこと、気にしてた気がする」

「その多希って子の話、詳しく聞かせて」

 

 誠也は多希と初めて話をした時のことや、多希の家庭のこと、『充電』を求められたことなど、えり子に話していないことも含め、すべてを美香に話した。誠也が話し終わると、美香は少し間をおいてから言った。


「片岡は、その多希って言う子と、えり子、どっちが好きなの?」


 それは誠也にとっては、あまりにも的外れだと思う質問だったが、戸惑いながらも答えた。

 

「多希は、そう言う『好き』とかじゃないよ」

 

「だったら、片岡はもう、それ以上多希って子に関わるべきじゃないと思うわ」


 美香がはっきりとそう伝えると、誠也は思わず美香から目をそらした。

「多希は孤独なんだよ。……まぁ、俺がその受け皿になって良いものかどうか悩んでるんだけど」

 消え入りそうな声で話す誠也に対し、美香は変わらずハッキリと伝える。


「片岡は、その受け皿になる資格があるとは思えない」

「資格?」


 怪訝そうな顔をする誠也に、美香は更に問う。

「そう。片岡は、その多希ちゃんの全てを受け入れ、支える覚悟と自信があるの?」

「そう言われると自信ないけど、でも、ほうっておけなくて……」

 誠也は答えが見つからず、うつむくしかなかった。


「もし片岡が多希ちゃんに優しく接して、多希ちゃんが片岡のこと好きになったらどうする?」

「え?」

 誠也は思いがけない質問をされ、思わず頭を上げる。そんな誠也を見て美香は笑う。


「相変わらず無自覚ね。もし多希ちゃんに告られても、今の片岡なら、結局えり子を選ぶでしょ? そしたら多希ちゃんは大きく傷つくじゃない」

「そうかもしれないけど、でも、今の状況を見て見ぬ振りもできないし。色々聞いちゃったから……」

 そう言って再びうつむく誠也に、美香は言う。


「高いところまで持ち上げられた方が、落とされた時の衝撃は大きいものよ」


 美香の言うことを、誠也は頭では理解できる。しかし、この期に及んで一体どうしたらよいか、誠也は答えを見いだせなかった。


「……みかんの言う事はもっともだと思う。でも、今、多希を突然見放すことはできないし、彼女を傷つけたく無い。でも、もちろん、えり子のことも傷つけたく無いし。いったいどうすりゃいいんだ?」

 情けない顔をする誠也に、美香は冷ややかに言う。

「そんなの自分で考えなさいよ。私は片岡のお姉ちゃんじゃないのよ? いつまでも片岡の代わりに判断してあげることなんて、できないんだから」


 美香の言う事はもっともだ。誠也は反論の余地も無かったが、それでも今の誠也には自力で答えを出すことが難しかった。

 二人の間に、暫しの沈黙が流れる。

 

「仕方ないわね。ヒントをあげる」

 美香はそう言って笑いながら続ける。

「今まで通り、片岡と多希ちゃんの間にある出来事を、全てえり子に話す必要はないと思うわ。多希ちゃんのご家庭のこととか、プライベートの話もあるだろうし。それにえり子に無用なストレスをかける必要もないからね」

 そこまで話すと、美香は誠也の方に向いて強調して話を続ける。

「でもね、会話の内容をいつえり子に聞かれても、またその場面をいつえり子に見られても良い範囲にしておきなよ」


「えーと、どういうこと?」

 誠也は言われている意味がピンと来ていないらしい。

「つまり、やましいことはするなってこと。多希ちゃんに『充電』してる場面、えり子に見せられる?」

「……いや、それは誤解されると思う」

「でしょ? だから、その場にえり子がいても、堂々と同じことが出来る範囲の言動のみにしなさいってことよ!」


「あぁ。わかった」

 誠也はようやく具体的に美香のアドバイスを理解できたようだった。


「こりゃ、えり子も心配が絶えないね」

 美香はそう言ってため息をつきながら苦笑した。

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