第17話 二つの誕生日
6月25日、日曜日。定期演奏会の翌日の昼過ぎ。
今日も
「ほげぇ~。外、暑そうだね~。今日は30度超えるらしいよ」
えり子が今にも泣きそうな顔で、スマホの天気予報アプリをチェックしている。
「暑さもそうだけど、湿度が高いのも嫌だよな」
誠也もうんざりした顔で相槌を打つ。
昨日は定期演奏会終了後、ホールの片付けが済んだ後、そのまま解散となったので、今日は午後から高校での後片付けが待っている。
「ねぇ、片岡。今日、部活終わった後、時間ある?」
えり子が突然思い出したかのように、笑顔で誠也に問いかける。相変わらずのえり子の百面相には感心しながら、誠也が答える。
「あぁ。今日は特に予定ないけど」
すると、えり子は更に表情を明るくする。
「じゃあ、久しぶりに二人でご飯食べに行こっ!」
誠也は高校に入って以来、ほぼ毎日えり子と行動を共にしているが、確かに二人だけで食事をする機会は最近なかった。
「あぁ、いいよ」
誠也が了承すると、えり子は「ありがとっ」と言って、小さくウインクした。
13時半、部活開始。
まずはトラックから全ての楽器と荷物を下ろし、音楽室へ搬入する。パーカッションや大道具の看板などもあり、ずいぶんな量の荷物だったが、約90名の部員が総出で取り掛かれば、大した時間はかからない。搬入のついでに、楽器庫となっている音楽準備室の掃除も合わせてやることになったが、誠也たち大道具係は製作した看板などを倉庫にしまう作業に回った。
係の作業となれば、誠也は必然的に
15時。作業は終了し、全員音楽室に集合した。部長の
「みなさん、改めまして昨日はお疲れ様でした。とても素晴らしい演奏会になったと思います。頑張った自分と仲間のために、今一度みんなで拍手をして称え合いましょう」
音楽室中に拍手が響き、笑顔が咲いた。誠也も周りの部員たちと笑顔を交わしつつ、無意識に
拍手が鳴り終わると、友梨先輩が再び話し始める。
「さて、今後の予定の確認です。明日からは期末テスト前の部活動休止期間に入ります。練習の再開は、テスト最終日の7月7日からです。再開後はコンクールの練習はもちろんのこと、並行して野球部の応援と、9月の文化祭の準備が始まります。夏に向けて、みんなで頑張っていきましょう!」
「はい!」
約90名の鋭い返事が響き、今日の部活は解散になった。
解散後、すぐに帰宅する者もいたが、多くの生徒はそのまま音楽室周辺の空き教室に残って、おしゃべりに花を咲かせていた。音楽室は施錠するため、早々に追い出されたが、定期演奏会が無事終了した解放感に加え、屋外は気温が30度を超えていたため、もう少し涼しくなってから帰りたいという部員が大勢を占めた。
誠也たちトランペットパートの面々も、なんとなくいつものパート練習会場である1年6組に集まっていた。そして誰からともなく演奏会の打ち上げをやろうという話題になり、日程調整の結果、7月8日に開催することが決まった。7月14日が
16時を過ぎたところで、そろそろ帰宅する生徒が増えてきた。誠也はいつものメンバーであるえり子、
「はにゃ~、さかな、お疲れの様子だね」
えり子が疲れた表情の奏夏を気遣う。
「まぁね~」
奏夏はため息交じりに答える。
部活の終了後、多くのパートで和気あいあいとした時間を過ごしていたが、奏夏の所属するホルンパートだけは雰囲気が違っていた。社交性に乏しい夏鈴は先に帰り、2・3年生の先輩と奏夏は改めて夏鈴について話をしたらしい。
「最近、パート内での夏鈴ちゃんの様子ってどうなの?」
萌瑚が心配そうに聞く。
「それがね、良くも悪くも、変わらずなのよ」
そう言って、奏夏は何度目かのため息をつく。
5月の初めまで、コンクールの選抜方法について批判をしていた夏鈴だったが、それ以降、何のアクションも起こさず、先輩たちも気にしていたらしい。表情も乏しく、ホルンパートの中ではこのまま夏鈴が部活を辞めてしまうのではないかという予想も出ているようだ。無理もないことだ。しかし誠也は、昨日市民会館で目にした夏鈴の様子について、言うべきかどうか迷って、結局言い出せなかった。
バスが駅に着く。萌瑚は別の路線なのでここで別れ、誠也たち4人は地下のホームへ向かい、停車している始発電車に乗り込む。空いている車内で座席に座ると、陽毬がおもむろに話し始める。
「私も最近、ちょっと気になることがあるのよね」
陽毬曰く、最近、クラリネットパートの1年生、上原
「慶ちゃんのグループって、他に誰がいるの?」
えり子の問いに、陽毬が答える。
「私もまだよくわかんないんだけど、フルートは
すると、奏夏がそれに続ける。
「多分、パーカスの小笠原
「うにゅ~、桃香ちゃんは違う気がするな~。なんか桃香ちゃんは『孤高のトロンボニスト』って感じがする~」
そう言うえり子に、陽毬も同調する。
「確かに、桃香ちゃんは慶ちゃんたちとは一線を画している気がするわ」
陽毬の話では、リーダー格の慶は頭脳も明晰らしく、状況を冷静に分析しているようで、5月のディベートの際に特に動きを見せなかったのも、今動くのは現実的でないと判断し、様子をうかがっていたのだろうということだった。
「しかし、なんで陽毬ちゃんはそんなに情報が入ってくるの? すごいな」
誠也はこの手の話題には、とんと疎い。女子特有の洞察力にはいつも脱帽である。そんな誠也に陽毬が答える。
「恐らくね、慶ちゃんたちは、私も仲間に入れたいと思っているのよ」
「まぁ、楽器のうまい面々を仲間にしてるんだったら、当然そうなるだろうけど、なんで陽毬ちゃんにはまだお声がかからないのかね?」
そう疑問に思う誠也に、陽毬は笑って答える。
「それは、私が『ひまりん』だからじゃない?」
「なるほど、得体の知れないアイドルだから躊躇してるって訳か」
誠也は陽毬の自己紹介を思い出しながら、部活内での陽毬の印象から合点がいった。
「そ~うで~す!」
陽毬がアイドルモードでお道化る。
「でもさ、演奏レベルの向上を目指すっていうんなら、別にそれは悪いことじゃないんし、気にする必要ないんじゃないの?」
そう言う奏夏に、陽毬は再びプライベートのモードで答える。
「それがそうでもないのよ。彼女たち、古典的な『吹奏楽ガチ勢』だからさ、私たちの目指す『魅せる吹奏楽』とは相容れない可能性があるのよね」
話の途中で残念ながら奏夏の降りる駅に着いてしまった。
「また今度、詳しく聞かせて」
そう言って、奏夏は電車を降りて行った。
陽毬は話を続ける。
「その証拠に、誠也くんやリコちゃんには声掛からないでしょ? きっと例のディベートで誠也くんとは考えが違うと判断されたのよ」
「くだらねーな」
誠也は心底呆れたが、陽毬が釘をさす。
「もし中途半端に私たちの考えが彼女たちに伝わったら潰される可能性が高いから、気を付けた方が良いわ」
それを聞いて腕を組んで唸る誠也の横で、えり子が飄々と答える。
「で、ひまりんは、最終的に慶ちゃんたちとの融和を目指すって訳ね」
「そゆこと~」
陽毬が笑顔で答える。
「こりゃ、ひょっとして結構高度な頭脳戦になるんじゃないか?」
渋い顔をしたままの誠也に対し、陽毬が笑顔のまま答える。
「大丈夫! こっちには奏夏ちゃんと萌瑚ちゃんがいるじゃない!」
「なるほどね」
誠也は首をすくめて笑った。
乗換駅で陽毬と別れ、誠也とえり子は地元へ向かう電車に乗った。
「お腹空いたね~」
ややこしそうな話から解放され、えり子は俄かに空腹を感じた。
「いつものファミレスで良いか?」
「そだね。その方が落ち着く~」
誠也たちは地元の駅で降りた後、ファミレスに向かった。
誠也とえり子は店に入り、食事をオーダーした後、まずはドリンクバーで飲み物を調達。そして二人でささやかに乾杯をするとき、えり子が言った。
「誠也、お誕生日おめでとう!」
それを聞いて、誠也はハッとした。
「その様子だと、誠也忘れてたね~」
えり子は笑顔でそう言う。
♪ ♪ ♪
それは、
12月24日。当時中学2年生だったえり子は、かねてから好意を抱いていた誠也に告白し、二人は交際を始めた。翌日の12月25日は誠也の誕生日だった。二人は早速、水族館へデートに出かけた。
二人ともまだ中学生であり、夕方には帰宅しなくてはならない。しかも、クリスマス。それぞれの家では家族でクリスマスパーティーが開かれる予定だ。
「誕生日とクリスマスが一緒だと、パーティーも、ものすごく豪華なんでしょ?」
そう言うえり子に、誠也は笑って返答する。
「でも、他の人よりケーキを食べられる日が1日減るんだよ」
するとえり子が提案した。
「じゃあ、ちょうど半年後の6月25日を、誠也のもう一つのバースデーにして、二人でケーキを食べよう!」
そして実際、去年の6月25日、今と同じこのファミレスで、誠也とえり子はケーキを食べて、もう一つの誕生日を祝った。
しかし、そのちょうど1か月後の7月25日、残念ながら誠也とえり子は破局することになったのである。
♪ ♪ ♪
「ごめん、すっかり忘れてた」
そう言って、申し訳なさそうな顔をする誠也に、えり子は笑顔で答える。
「ううん。誠也はそれでいいの。もう一度、友達からやり直そうて言ったのは私だから」
誠也は返答に困った。
しかし、ちょうどそのタイミングでオーダーしていた料理が運ばれてきて、誠也は安堵した。
「わーい! ハンバーグ♪」
大好物のハンバーグを前に、えり子もご満悦の様子である。
「いただきます!」
二人そろって、手を合わせ、食事を始める。
「今日はこのあと、ケーキもあるからね!」
誠也はいつもと変わらない、ひまわりのようなえり子の笑顔を、複雑な心境で見ていた。
訳あって別れた二人だが、今はどうなのだろうか?
「好き・嫌い」のレベルで言ったら、えり子の気持ちを確かめるまでもない。先日、奏夏に自分たちの過去を少し話した際、えり子はハッキリと誠也のことが好きだと言っていた。
しかし、同時に複雑な心境も吐露していた。
誠也が負わせた彼女の心の傷。その傷が癒えるまでは、えり子と付き合うわけにはいかない。そうでないと、また彼女を傷付けることになりかねないから。
心の傷が癒えたかどうかは、誠也は直接知り得ない。ボールはえり子が持っている。今は焦らず、えり子がそのボールをどのように打ち返してくるのかを見守るべきじゃないか。誠也はそう考えた。
「何考えてるの?」
不意にえり子に話しかけられる。
「え? なした?」
誠也が驚いて我に返ると、えり子が笑いだす。
「なんで笑うんだ?」
「だって、私が話しかけたら誠也があまりにも驚いたって言うのと、あと驚いた拍子に久しぶりに誠也の北海道弁が聞けたから」
そう言って、えり子はまだ笑い続ける。
「ちょっと、さっきの話、思い出してただけだよ」
「さっきの話って?」
「夏鈴の話とか、陽毬ちゃんの話とか」
誠也がとっさに嘘をつく。
「もう! せっかく誠也のお誕生日をお祝いする日なのに!」
そう言ってえり子は一瞬ふくれっ面をするが、すぐに笑顔に戻る。
「でも、そうやって部活の事を真剣に考えるのも誠也らしくて嫌いじゃないけどね」
そう言ってえり子は笑ってくれたが、誠也はせっかくのえり子の好意を無にしてしまったことを後悔した。
「ごめん、えり子。やっぱ今日は、部活の話は無しにしよう!」
誠也が笑顔で追う言うと、えり子の表情がパッと明るくなった。
「じゃ、そろそろケーキ頼もう!」
二人それぞれの食事が終わり、ドリンクバーで新しい飲み物を用意して席に戻ると、ケーキが運ばれてきた。
「では。誠也の15・5回目の誕生日、おめでとう!」
二人はコーヒーカップを目の高さまで上げて、乾杯した。
この後二人は、過去の話も未来の話もしなかった。ただ、今という時間だけを楽しんだ。
♪ ♪ ♪
ファミレスを出た二人は、他愛もない話をしながら帰路に就いた。途中の公園で誠也とえり子はそれぞれの自宅の方向へ別れる。
「それじゃ、また明日!」
「えり子、今日はありがとね」
「うん! こちらこそ。そんじゃ~ね~」
それぞれが家の方向に歩き始める。
えり子が数歩進んだところで立ち止まり、振り返った。遠ざかっていく誠也の背中を見ながら呟く。
「誠也のバカ……」
そしてえり子は自嘲気味に笑って、再び自宅の方へ歩き出した。
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