第18話 ボールの行方

 誠也せいやがえり子から「もう一つの誕生日」をお祝いしてもらった翌日より、期末テスト前の部活動休止期間に入った。二人にとって楽器を吹けないこの期間は、苦痛以外の何物でもない。

 

 放課後は授業が終わると多くの生徒が一斉に下校するため、帰りのスクールバスの乗り場は長蛇の列だ。ようやくバスに乗れても車内は大混雑。加えてこのところ連日、最高気温が30度超えの日が続いており、午後の一番暑い時間帯に帰らなければならないというのも、誠也たちをさらに苦しめた。

 一度えり子の提案で、少し図書館で勉強してから時間をずらして帰る作戦に出たが、考えることは皆同じ。図書館は満席で、早々に諦めた。


 6月最後の金曜日の放課後。誠也とえり子は乗換駅のホームで地元方面に向かう電車を待っていた。接続が悪く、15分ほどホームで待たされる。昼までの雨は止み、日差しが出てきた。雨も鬱陶しいが、晴れると日差しが暑い。誠也は恨めしそうに太陽を見上げる。


「ねぇ、片岡~。暑くてもうダメ~」

 虚ろな目をしたえり子が、我慢の限界とばかりに訴える。

「電車の時間までホームに上がらないで、下の日陰で待ってたらよかったな」

 誠也たちがホームに上がる階段へ差し掛かったところで、電車の接近を知らせる放送が鳴ったので、急いで階段を上がってきたら貨物列車の通過だった、というオチである。

 

「でも、今からまた下に降りるのもめんどくさい~。でも、暑い~」

「ただでさえ暑いんだから、いちいち暑いって言うなよ」

 北国育ちの誠也の方が、まだ暑さの耐性があるようだ。

「だって、暑いんだもん~」

 えり子が制服のスカートの裾でバサバサを仰ぐ。

「コラ、えり子! スカートを捲りあげるな!」

 誠也が慌ててえり子の手を制止する。

「だって、暑いし~。それに見せパン履いてるから大丈夫……」

「ダメ! そういう問題じゃない!」

「むしろ、暑いから見せパン脱ぎたい……」

「もっとダメ!」


 そうこうしているうちに、再び電車の接近を知らせる放送がかかる。今度こそ、誠也たちの乗る電車の到着だ。ようやく冷房の効いた車内に入れる。

 電車が止まる寸前、これまで虚ろだったえり子が、急に眼を見開き、明るい笑顔になった。

「みかんだ!」

 その車両には、誠也とえり子の中学校時代の同級生で、共に吹奏楽部だった樋口美香みかが乗っていた。


 乗客の降車が終わると、えり子は元気に車内に乗り込み、美香に声をかける。

「みかん~!」

 スマホをいじっていた美香は驚いて顔を上げた。

「あっ、えり子! 片岡も! 久しぶり~」


 美香は誠也たちと別の高校に進学したが、通学には同じ路線を利用している。しかし、誠也たちが電車で美香に会ったのは、今日が初めてだった。

 お互いに簡単な近況報告をしているうちに、あっという間に地元の駅に着き、3人は電車を降りた。


 駅からの道を久々に3人で話ながら歩く。

「そう言えばみかん、来週誕生日だね!」

 先ほどまで暑さでグダグダだったえり子は、久しぶりの親友との再会に、すっかり元気を取り戻した様子だった。

「うん。えり子、よく覚えてたね!」

 えり子は、いつものひまわりのような笑顔で続ける。

「ねぇ、テスト終わったら、私と片岡と3人で、みかんのお誕生会やろう!」

 かくしてえり子の発案で、テスト明けの7月9日に美香のお誕生会を開催することとなった。


「それじゃ、みかん、詳しくはまたLINEするから~。片岡もまたね~」

 道が分岐する公園のところで、えり子と別れた。誠也と美香は、この先も同じ方向なので、引き続き話しながら帰る。


「片岡はどう? 最近えり子とはうまくいってるの?」

 美香は早速、二人の仲を気にして話題を振った。

「おう。先週、初めての定期演奏会が終わってね。なかなかいい演奏だったよ」

 誠也が答えると、美香は笑って言う。

「相変わらず片岡は、部活の事ばっかりだなぁ~」

「あ、ごめん、無意識に」

 誠也はバツが悪くなり、頭を掻いた。

 

「プライベートではどうなの?」

 美香が改めて聞く。

「まぁ、相変わらず。えり子とは楽しくやってるよ」

「ってことは、特に進展も無しか」

 そう言って美香は微笑み、続ける。

「確かにさっきもえり子、相変わらず『片岡』って呼んでたしね」


 美香はえり子の幼馴染である。中学生時代もえり子と同じ吹奏楽部に所属し、誠也とえり子の間にあった出来事をほぼ全て知っている、二人にとっての良き理解者である。誠也にとって美香は、えり子に対する思いを気兼ねなく吐露できる唯一の存在だ。

 

「片岡はさ、えり子ともう一度付き合いたいとは思わないの?」

 美香が不意に核心に迫る問いを投げかけて来たが、誠也は素直に答える。

「うーん、改めてそう聞かれると、えり子とまた付き合えたら良いなとは思うけど、それは俺が決める事じゃないからね」

 

 美香は怪訝そうな顔をする。

「なんで?」

「だって、ほら、みかんも知ってると思うけど、1月に俺、えり子から『もう一度友達からやり直したい』って言われてるからさ。俺もさ、またえり子のことを傷付けるのは嫌だから、彼女の意思は尊重したいと思ってる」

「まぁ、それはそうだろうけどさ……」


 誠也と美香は次の公園に差し掛かった。

「せっかくだから、ちょっと寄ってかない?」

 誠也は美香の誘いに応じて、二人は公園のベンチに座る。


 落ち着いたところで、誠也は話の続きをする。

「ボールはえり子側にあるわけだし、俺は彼女の心の傷が癒えるまで、信じて待つことが俺の役割だと思うんだよね」

「それは確かにそうだとは思うんだけど、うーん……」

 

 美香は足を伸ばして、両足のつま先を交互に動かす。その度に、脱げかけのローファーがパカパカと音を鳴らす。

「片岡の言ってることは正しいんだけどさ、でもえり子は去年のことがあるからこそ、いつまでたっても『100%もう大丈夫』って言えないんじゃないのかな?」

 

「うーん、まぁ、そういう考えもあるよな」

 今度は誠也が唸る番だった。

 

 美香が続ける。

「えり子ってさ、普段お道化てるけど、ホントは真面目で、臆病で、そして自分の事よりも相手のことを大事に思う子じゃない?」

「まぁ、そうだね」

「だからさ、片岡のことを思ったら、きっとあの子、一生『もう一度付き合ってほしい』なんて言わないんじゃないかな?」

「なんで?」

 美香の意外な言葉に、誠也は視線を美香の横顔に移す。


「片岡にまた迷惑をかけたり、片岡のこと、傷つけたくないって思うからじゃない?」

「でも、えり子を傷付けたのは俺の方であって……」

 

 既に脱げかけていた美香のローファーが、地面に落ちた。

「少なくともえり子はそう思ってないと思うよ。きっと今でも、自分が片岡のこと、傷つけたと思ってると思う」

 

「そんなことは……。いや、確かに。実際はそうじゃなくても、えり子ならそう考えかねないよな。さすが、みかん」

 誠也が少し微笑む。

「そりゃ、えり子とは、かれこれ10年以上の親友ですからね」

 そう言って美香は破顔し、宙ぶらりんだった足を引っ込めて、ベンチの上で小さく体育座りをする。

「スカートできわどい体勢とるなよ」

 誠也は美香から目を逸らすが、美香は歯牙にもかけないと言った様子で、

「大丈夫。中に見せパン履いてるから」

 と、言い放つ。

 

「説得力あるわ~」

 つい先ほども誰かさんから聞いた同じ言葉に、思わず誠也は苦笑した。

「え?」

「いや、パンツじゃなくて、親友の話ね」

 美香は怪訝そうな顔をしつつ、本題に戻る。

 

「案外、ボールは片岡が持ってるのかもよ?」

 その言葉に誠也は、眉間にしわを寄せる。

「それは、すごく難しいな。えり子が『もう大丈夫』っていうタイミングを見極めて、俺からアプローチしなきゃならないんだもんな」

 

 美香は抱えた膝の上に軽く顎を載せながら言う。

「きっと、えり子は片岡に気付いてほしくて、何らかのサインを出してくると思うから、その時がアプローチのタイミングかもね」


「なるほどな~」

 誠也は空を仰いだ。さっきまで晴れていた空には、再び雲が広がりつつあった。

 

「片岡も部活の事ばかり考えていると、えり子のサイン見逃しちゃうかもよ~」

 美香がそう言って笑う。誠也は空を眺めながら言った。

「そう言えばこの前、えり子が俺の『もう一つの誕生日』を祝ってくれたんだよ」

「あー、6月25日ね。そんなのもあったね!」

 美香が思い出したように言う。

「すごいな、みかんも覚えてたんだ!」

 誠也は美香の方に向き直した。

「まぁね。えり子らしい発想だから、印象的だったって言うのもあるし」

 

 美香も誠也の顔を見てほほ笑むが、誠也はそんな美香から視線をそらして続ける。

「俺、すっかり忘れててさ」

「ひど~い!」

「しかもその時、俺、相変わらず部活の話しちゃってさ。そしたらえり子に言われたんだ。『せっかくの誠也のお誕生日をお祝いする日なのに!』って」

「ホント、片岡らしいね! 光景が目に浮かぶわ」

 そう言ってみかんが笑う。


「ホントだよな。自分でもそう思うし、えり子にも『誠也らしい』って言われて……」

 そこまで話して、誠也はハッとした。

 

「どうしたの?」

 突然表情を曇らす誠也を、美香は怪訝そうに見つめる。

 

「やべぇ。俺、全然気づかなかった」

「何が?」

 

 誠也は一瞬の間を置いてから、言った。

「あの日、ファミレス行ってから帰るまでの間、えり子ずっと俺のこと『誠也』って呼んでた」

 

 誠也は頭を抱え込んだ。

 

「あぁ、それは……。えり子がやりそうなことだね」

「やっぱそれって、『サイン』なのかなぁ?」

「う~ん、どうかな? その可能性はあるけど、最近のえり子のことは分からないから、その情報だけじゃ私には判断できないな~」


 暫しの間をおいて、美香が再び口を開く。

「まぁ、焦る必要はないと思うよ。きっと余程のことがない限り、えり子の気持ちは変わらないと思うし、さっきも言ったようにえり子の中で『100%もう大丈夫』っていう考えに至ることはないと思うから、時期を完全に逃すってことはないと思うのよね」


 美香のその言葉で、誠也は少しだけ救われた気がした。

「俺もちょっと、色々考えを改めることにするよ」

「そうね。すくなくとも、ボールをえり子に預けっぱなしは良くないと思う」

 美香は足を伸ばすと、地面に落ちているローファーを器用につま先でひっかけて拾い上げる。

 

「ありがとう。さすがえり子の親友だな」

「片岡ともね! また何かあったら、いつでも話聞くから、LINEして」

 

 二人は公園を後にしてそれぞれの家路についた。

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