#40 八咫烏

 無限回廊での戦闘が終わったのは、陽が西へと傾きかけた頃だった。


 血と汗に塗れた装甲服を脱ぎ捨て、仮設シャワーで埃と疲労を洗い流す。

 その時間でさえも足早に過ぎ、乾いた髪へと手ぐしを通す頃には、再び現実の時間が動き出していた。

 更衣区画に残された余韻は、静かというよりはいっそ空虚だった。


「……はぁ、こっちは戦闘続きで疲れてるっつーのに、呼び出しってどういうことだよ」


 着慣れないイヅナ精密電子の制服に袖を通しながら、ブラストがわざとらしいため息を吐く。

 ネクタイの結び目を乱暴に締め直しつつ、鬱陶しげに襟元を掻いた。

 その隣で、ヒューズは軽装の戦闘服の裾を整えながら、穏やかに相槌を打った。


「我々が、いえ……貴方が十年間積み上げてきたことが、ようやく日の目を浴びたということでしょう。そして、それは私の悲願の第一歩でもあります」

「ヒューズのダンナに言われちゃあ、返す言葉もねぇっつーの」

「では、喜びはあとでじっくりと噛みしめましょう。身なりも整えましたし、イヅナ本社の会議室に向かわないと……タロスたちも、きっと待ってるはずです」

「……アイツら今回何もしてねぇじゃん。それがまた腹立つというか、なんというか」


 そう毒づきつつも、ブラストはヒューズと肩を並べ無限回廊から本社ビルへ向かうための車両搬入口に歩を進める。

 敷地内専用の黒塗り車両に乗り込んだ時、窓の向こうには、層間プレートの僅かな隙間から覗いた夕焼けに照らされた研究棟が過ぎていった。


 移動の最中、車内には言葉がなかった。

 疲労も、安堵も、まだ言葉に昇華するには早すぎたのだ。

 やがて到着したのは、高層階がガラス張りになった近代的なオフィスビル。イヅナ精密電子本社である。

 広大な敷地に整然と立ち並ぶビル群。その中でも一際高いビルの屋上にはためく社旗には【I.P.E.】の三文字が風に踊っていた。


 車から降りた二人はエントランスへと足を踏み入れる。

 磨き上げられたフロアには控えめに観葉植物が配されており、白と灰を基調にした色合いが無機質ながらも落ち着いた印象を与えていた。


 そのロビーで、先に待っていた二人の姿が目に入る。

 タロスは漆黒の着物を端正に着こなし、背筋を伸ばして立っていた。

 隣のセイナは、スーツ姿だがより柔らかな印象のオフィスカジュアルな装いだった。

 ジャケットを羽織り、自然体ながらも凛とした空気を纏っている。


「やぁ、遅かったね」


 セイナが微笑を浮かべて声をかけた。


「こっちはアンタらと違って一日中戦ってたんだっつーの」


 ブラストがぼやき混じりに返すと、タロスが一歩進み出て眉根を寄せる。


「無限回廊での戦闘中、黄昏劇団に混じり【鎧の男】の尖兵、常闇の抱擁者共が暗躍しておった。手を煩わせまいと報告はしなかったが……戦っていたのは、貴公らだけではないということだ」

「へぇ、そいつは初耳だな。アンタらは一日詰所で暇と戦ってたかと誤解してたわ。……何を狙ってたか知りたいとこだけど、まずはハムドたちんとこ行こうぜ」


 肩をすくめるようにして言うと、ブラストはロビー奥に続くエレベーターを親指で指し示した。

 仲間たちも、ひと息遅れてその後に続く。

 夕日がビル街の隙間から差し込むなか、I.P.E.本社ロビーの天井からは、柔らかな光が穏やかに降り注いでいた。

 無限回廊での激戦を潜り抜けた四人の足音が、磨かれた石床に静かに響く。


 ヒューズは戦闘服の裾を片手で払いつつ、やや緊張した面持ちで無言で歩く。

 少し遅れてセイナ、タロスが続き、彼ら三人をブラストが先導していた。

 いずれも戦闘装備を脱ぎ、今はそれぞれの企業の正装に近い服装に身を包んでいた。


「なぁブラスト。これから向かうのは会議室だよな? 呼ばれた理由って聞いてるか?」


 後ろから声をかけたのはセイナだ。他企業の、しかも戦闘職には無縁の場所のため皮肉まじりの声色だったが、どこか緊張を隠すような軽さも混じっていた。


「ああ。……正確には第一会議層の第三会議室。六大企業の重役を集めるにしちゃ、ちょいと格式が高すぎるくらいの場所だよ」

「つまり、それだけ厳重なセキュリティが必要だ……ということか」

「俺だって聞いたことあるだけでフロア自体に入ったこともねぇよ。仮にセイナの内通とタロスの無許可の戦闘行為を咎めるとしても、贅沢すぎるとは思うけどな」

「我々は一課の制式装備を拝借して戦闘していた故、不審に思われることはないはずだ。警戒するのは結構だが、既に三分以上遅れている。目上の者を待たすのは組織としての規律を問われかねんぞ」


 タロスがぴしゃりと返す。背筋を正し、漆黒の着物と鉄紺色の袴に身を包んだその姿は、戦闘中のそれとはまた違う意味で隙がない。帯には赤と金の意匠がさりげなくあしらわれ、控えめながらもスサノヲの紋章が覗いている。ときおり襟元を指で直す仕草が、かえって周囲へと緊張を振りまいていた。


 四人は軽口を叩き合いながらエレベーターへと乗り込む。一瞬の浮遊感の後に、彼らは上階へと運ばれていった。

 視界の外では、遠くに見える無限回廊が夕焼けに照らされていた。


 一分ほど上昇し続けたエレベーターが停止し電子音と共にドアが左右に開くと、そこは上質なカーペットと静寂に包まれた廊下だった。

 踏み出せば靴先が埋まるほどの贅沢な仕様で、壁面には企業の歴史や理念を示すレリーフが等間隔に並ぶ。

 淡い照明が、まるで舞台の袖のようにフロアを照らしていた。


 「傭兵としては戦闘服が正装扱いなのですが、場違い感が半端無いですねぇ」

 「いっそ気楽で羨ましいわ。こんな堅苦しい服、着たのなんて何年振りってレベルだよ」

 「私は今、規律を問われている……? いや、社風はそれぞれ。口を出すべきでは無いのか……」


 雑談まじりに四人は廊下を進んでいく。若干一名が悟りと諦念の境地に到達しそうになっていたが、しかし悟りを開くには少し時間が足りなかったようだった。


 廊下の先、重厚な両開きの扉の側で佇むファルとハムドの姿があった。

 ともにスーツ姿のまま壁際に控えていたが、ふたりの間には対照的な空気が漂っていた。

 ファルは手持ち無沙汰に扉の取っ手を弄りながら、退屈そうに口を尖らせている。対して、ハムドは背筋を伸ばし、所在なげに周囲を見回しつつも、警戒の色を解いていなかった。


「おーい! ファル、ハムド!」


 ブラストの声に気づいたファルが顔を上げ、すぐに表情を明るくする。


「お、ようやく来たか!」

「ええ、お待たせしました」


 軽く手を挙げて出迎えるファルに、ヒューズが微笑みながら歩み寄る。その後ろには、ブラスト、セイナ、タロスが続いた。


「ハムド、貴方も。【鎧の男】に関する証言と会議の護衛、お疲れ様でした」


 ヒューズが声を掛けると、ハムドが軽く頷いた。


「護衛とはいっても敵襲もなし、懸念事項は各企業の重役たちにどう説明するかくらいだったよ」

「十年前に國内で起きたいくつかの大きな事件、その全てで【鎧の男】が裏で手を引いていると急に言われて、そうか分かったと飲み込める者はそう多くはなかろう。致し方あるまい」

「それで……会議はどうなった?」


 セイナが一歩前に出て、視線をハムドに向けた。

 その問いにハムドは僅かに眉を寄せたあと、簡潔に答えた。


「タロスの言うとおりだよ。そうだね、までしばらく時間もあるし……詳しくは場所を移して話そう」



 重苦しい会議室の扉に背を向け、ハムド、ファルが合流した六人はそのままフロアの窓際へと向かった。


 この階層の一角には広いテラス付きのラウンジが設けられており、ガラス越しに見える景色が圧巻だった。

 西の空は茜に染まりつつあり、都市群の上に広がる連絡橋と塔群が、夕日を背にして長い影を落としていた。

 空には薄く巻いたような雲がひと筋。微かに吹き込む高層の風が、空調の届かぬ外気の存在を思わせる。


 ラウンジに到着した六人は思い思いの席に腰掛ける。ファルがハムドに向けて頷くと、ハムドは改まった口調で口を開いた。


「まずは、結果から。今日の会議の結果、六大企業による合同の“精鋭部隊”を新設することが正式に決定されました」

「合同精鋭部隊? そりゃまたなんで急に」

「横槍は控えよブラスト。疑問は皆同じだが、何はともあれハムドの話を最後まで聞くべきであろう。続けてくれ」


 ブラストが首を傾げ、タロスがそれを嗜める。

 ハムドがタロスに向けて小さく礼を言い、話を続けた。


「『國』の創立百周年記念に合わせた企業間の宥和政策の一環だそうです。國内の平和と安全のための、新しい象徴となる部隊として。報道機関への公式な発表もこれから行われる予定です」

「へぇ、それはめでてぇな」


 鼻を鳴らすようにブラストが口を挟んだ。

 即座に、またタロスが短く彼の名を呼び無駄口を叩くなと嗜める。


「いいだろ別に。アンタらとドンパチやる機会が減るのは喜ばしいことだろ?」

「それに関しては異論はない。でも、世論がそれを許すのか? それこそ、今の今までキサラギ化成はI.P.E.としていたんぞ?」


 場が少し和みかけたところで、セイナが言葉を継いだ。

 その言葉に、ファルがうなずきながら口を開く。


「B.A.B.E.L.のお前にとっちゃそう思うのも無理はねぇが、上層部にとっちゃなんだってよ。上層部のお気持ち一つで戦い合わされてんのは癪だけどよ……っと、そろそろ会見が始まる頃だ。ブラスト、モニター付けてくれ」

「どーでもいいだろ、そんな会見。それよりも、【鎧の男】をこれからどうするか、それを早く教えてくれよ」

「順を追って説明するから、まずは会見を見よう。僕らにも関係があるんだ」


 ハムドの説得にブラストは小さく息を吐くように鼻を鳴らし、ラウンジに備え付けられた大きなモニターの電源を入れて会見の中継を移すと気怠そうにモニター正面のソファの背に身を預けた。

 他の五人も、それぞれ画面の見やすい位置へと移動していく。


 モニターに映し出されていたのは、どうやら先ほどまでハムドたちが会議を行なっていた第三会議室のようだった。

 天井付近に設置されたカメラのようで、会議室全体が俯瞰できる。

 会議室の中はすでに複数の報道陣が入り、記者会見の準備が整えられている。

 室内の最奥、上座の中央部に設けられた壇上には「創立百周年記念、企業連合部隊創設記者会見」と記された大きな横断幕が掲げられていた。

 仕事が早すぎんだろ、とモニターを眺めていたブラストの顔が引き攣る。


「どうやら、始まるようだぞ」


 タロスが画面左側、ひな壇を挟んだ反対側を視線と顎で指し示すと、司会台ポーディアムに立った女性職員が深く頭を下げたところだった。



『皆様、お揃いですね。それでは、定刻となりましたので発表に移らせていただきます』


 女性職員が再び頭を下げると、別室で控えていたと思わしき各企業の重役たちが画面へと映し出されひな壇へと上がっていく。

 ハムドとファルの表情から、彼らが今日の会議に出席した者たちで間違いない。

 六人の壮年男性たちが壇上に並んだ途端、無数のフラッシュが瞬き複数のレンズがモニターに映る彼らに向けられた。


 初めに紹介されたのは、部隊の創設目的だった。

 今年度予定されている『國』の創立百周年の記念事業の一つとして、國を含めた六大企業と呼ばれる大企業各社。その精鋭たちを結集した治安維持部隊を創設したと、司会の女性から記者たちへ伝えられる。

 各リージョンへのパトロール派遣や企業間の紛争への仲裁を担う國家安寧の象徴的存在として、期待が寄せられていると説明された。


「茶番だな。もう帰っていいか?」

「ダメだってば。ほら、これからだよ」


 やれやれと肩をすくめるブラストに、ヒューズも致し方ないと苦笑する。

 会見は次に進み、部隊構成員である六人の紹介となった。

 構成メンバーはイヅナ精密電子の法務部二課、極東重工の鉄鬼衆、京極ハイテックスのSKY-HIGH、キサラギ化成のB.A.B.E.L.、バード商会の傭兵、そして國の護帝機関アマテラス。六大企業と呼ばれる國内の各社の抱える私兵から、一人ずつ選出されていた。


 貼り付けたような笑みの重役たちと入れ替わりに、スーツ姿の若々しい六人が壇上へと並び立つ。

 一人ずつ名前と所属、現部隊での肩書や簡単な戦績が述べられるたびに、彼らは順に会釈や短いコメントを求められた。


『彼らは、各企業から選出された若きエース。未来を担う新設部隊のメンバーとして、彼ら以上に適した人選はありません』


 笑顔で紹介をする女性司会者を横目に、ブラストは口の中で「うへぇ」と唸るように呻く。


「誰か、あの中の一人でも知ってるやついるか?」


 ブラストが尋ねるも、ヒューズたちは揃って首を横に振った。

 もう十分だとばかりにモニターの電源を落とし、裾を払って立ち上がる。

 

「つまり、そういうことだろ。アイツらは企業ののためのプロパガンダで、【鎧の男】なんざどうでもいい。どこにでもある、チンケなクーデターとでも思われた。そうならそうと、もったいぶらずに言えよハムド、ファル」

「違っ、そうじゃない!」


「……短慮ですね。そんな体たらくで、よくも今まで殺されずに生き残ってきたものです」


 ハムドが言葉を続けようとしたその時、聞き覚えのない声が突如として響き、ブラストたちは反射的に振り返った。

 ラウンジ出入り口のスライドドアが左右に開いていて、天理機関ツクヨミの制服を身に纏った男が刺すような目つきでソファに座る六人を見下ろしていた。

 男が身に纏うのは、薄墨の地に銀糸を重ねたような礼装だった。ヒノモトの意匠を取り入れながらも、構造的な裁ち方がツクヨミらしい洗練さを思わせる。透けるような外衣には、幾何学と文字が交錯する装飾が施され、上位の役職者であることが一目でわかる荘厳さを漂わせていた。

 

「なんだ、アンタ」

「自己紹介は不要でしょう。資料に目を通していないのですか?」


 男はモニターの真下、六人の対面のソファへと腰を下ろすとブラストが消したモニターの電源を再度付けて会見の様子を表示させた。


 ソファに座っても尚高いその身長は百八十センチ前後だろうか。文官然とした佇まいだが、その身体はしなやかで無駄なく鍛えられていることが礼装の内側から滲み出ていた。

 銀灰色のミディアムストレートの髪を整髪料で撫で付け、細身の眼鏡が端正で知的な顔つきにアクセントを添えている。

 淡々と進む会見をBGMに、男が口を開いた。

 

「それで、今回創設された部隊の実質的な指揮系統に関してですが――」

「ちょちょちょ、ちょい待って。アンタは誰で、なんのことかって聞いてんだよ。部隊って今映ってるアイツらのことだろ? 指揮系統ってなんの話だ」


 男が閉口する。その顔に浮かべた冷たい微笑は鉄面皮のように微動だにしなかったが、目の前の男ブラストが何を言っているかを理解できていないということだけは、この場にいる全員が感じていた。

 ラウンジに沈黙が落ちる。モニターに映る会見の司会の女性の声だけが、やけに朗々と流れていた。


 沈黙を破ったのは、タロスの長いため息のような呻き声だった。


「……彼は、イムダール。天理機関ツクヨミで上級解析官の職責を担っている人物だ。イムダール上級解析官、我らは貴公との会談を予定しておらぬし、何も聞かされておらぬ。貴公からの丁寧な説明を求めたい」

「ご紹介ありがとうございます。特務機関スサノヲ九番隊隊長、タロスさん。なるほど。では皆さんは私がここに来た理由も、これから話すことも、何一つ知らないという前提でお話しすればよろしいのですね」

「なぁタロスこいつ殴っていいか?」

「ブラストよせ。イムダール上級解析官、よろしくお願い申し上げる」


 憤るブラストを宥めると、タロスはイムダールと呼ばれた男に深く頭を下げた。

 画面ではちょうど、最後に紹介された護帝機関アマテラス所属の女性が「國のため、天帝陛下のため私の忠誠を捧げます」と記者団に対して一礼するところだった。


「こんな初歩的な情報解析と類推もままならないとは、全く嘆かわしい。私の名前はイムダール。普段はツクヨミで上級解析官を務めています。この度創設した企業合同精鋭部隊の、実質的な最高司令官も拝命しました」

「アンタがお飾りの部隊の司令官サマ、ねぇ。そりゃご苦労様だ。そんなエリート官僚が、俺たちに何の用だ?」

「貴方のその破滅的な察しの悪さに付き合うと日が暮れてしまいます。私が率いるのは、裏の精鋭部隊ですよ」


 イムダールの口にしたという単語に、ブラストたちは怪訝な表情を浮かべる。

 本人はその一人ひとりの表情をじっと観察した後、言葉を続けた。


「仮称【鎧の男】が引き起こした十年前の数々のテロ行為。そして今後行われるであろう大規模な武装蜂起……いえ、クーデターは看過できません。ゆえに六大企業は、本日の会議で天帝陛下の御名のもと、旗持ちである“國”の強権を発動させることを決定しました」

「その、強権の内容というのは?」


 ヒューズの訝しげな視線を無言で受け流し、イムダールはヒューズの目を真っ直ぐに見つめながら人差し指を上に向ける。その先にはモニター。会見を受ける六人の若者の姿があった。

 その眼差しが全てを見透かしているような気がして、ヒューズはぞくりと背筋を震わせる。


「企業のパワーバランスを崩さぬよう、我々は各社から一名ずつ兵士を選出しました。その六人は既に独自に【鎧の男】の調査を進めていて、かつ確実に【鎧の男】のスパイではないと確証がありました」

「それは……」


 セイナが息を呑む。モニターを指し示していたかと思われたイムダールの人差し指が、スっと振り下ろされた。



「貴方たちが、その精鋭部隊に抜擢された六人です」


 

 モニターが一瞬、演出のため暗転する。ファルがちらりと目を向ければ、会議室の上座、ひな壇付近の明かりが落とされていた。


「六大企業合同精鋭部隊、その名は――」

『六大企業合同精鋭部隊、その名称は――』


 司会の女性職員と、イムダールの声が重なった。




『「――――八咫烏ヤタガラス」』




 指揮系統についてはイムダールが総司令官扱い、補給やバックアップはI.P.E.と京極ハイテックスが主導となって行うと言い残し、イムダールはラウンジを去っていった。

 ヒューズたち六人は、なんともいえない表情で夜の帳の降りたラウンジの外の景色を眺めている。

 十年追い続けてきた相手がようやく國の脅威として認められたと思えば、六大企業全てを巻き込む想像以上に大きな話になった、そんな様子だった。


 イムダールが退室しラウンジのドアが閉まるや否や、誰かが椅子に崩れ落ちる。


「疲れた……」

「疲れるっつーか……ああいう空気の奴、苦手だわ」

「苦手という割に、だいぶ噛みついていたように見えましたよ?」


 崩れ落ちた声の主はファル。上着を脱いでソファに沈み込むと、ブラストも額の皺を伸ばすように手を当てながら隣に腰を下ろした。

 ヒューズはそのわざとらしい言い草に苦笑いする。


「ファルとハムドは聞いていたんじゃないのか?」

「表の部隊を隠れ蓑に僕たちが【鎧の男】を追うって話にはなってたよ。でも、それを伝える前にあのイムダールって人が来ちゃったから……」


 セイナが形の良い顎に手を当てて首を傾げると、ハムドは魂が抜けたようにソファに突っ伏しながら呟いた。


「私はブラストに“最後まで話を聞くように”と言ったはずだぞ」

「仕方ねぇだろ。戦闘後にそんなすぐ難しいこと考えられねぇよ」

「いいんじゃねぇか、八咫烏ヤタガラス。大手を振って……ってわけにゃぁいかねぇが、少なくとも【鎧の男】をブッ飛ばす大義名分はできただろ」


 ファルが伸びをしながら、気持ちを切り替えるように軽口を叩く。

 苦笑いと溜息が交じる中、ラウンジの時計は午後六時三十分を指していた。


「終わったし、なんか旨いもんでも食いに行こうぜ。イヅナ本社って確か無限回廊カレーってのが有名なんだろ? 俺ぁカツをトッピングして食ってみてぇな!」

「あー、それは昨日食ったからパスで」

「なん……だと……」


 タロスとセイナ、ヒューズまでもが「パスだ」「パスだな」「パスですね」と異口同音に口を揃え、ファルが悲しそうにソファに顔を埋めた。




「そいやぁよ。この部隊の隊長って誰がやるんだ?」


 雑談の最中。ファルがふと疑問を言うや否や、場の空気がピンと張り詰める。

 六人の視線が互いに交差し、それぞれに散った。その一瞬の沈黙は、全員の胸中に同じ思いが浮かんでいたことを示していた。

 ハムドが軽く息を吐き、セイナは腕を組み直す。ブラストはソファの背にもたれながら、口元に手を当てて思案の表情を浮かべる。

 そして、タロスが静かに立ち上がった。


「……ヒューズ。私は貴公に、部隊の指揮を託したい」

「私……ですか? いえ……それは、光栄な申し出ですが……しかし私は……」


 淡々と告げられたその名に、ヒューズの肩が僅かに揺れた。

 どこか遠いものを見るような瞳で、言葉を濁す。

 だがタロスは一歩も引かない。まっすぐヒューズの目を見据え、続けた。


「貴公がかつて、“カラス”の名を冠する部隊を率いていたこと。その部隊が壊滅し、貴公だけが生き残ったということ。その話も、私は承知している。だが、それでもなお、私は願うのだ。この部隊を率いるのは、貴公であって欲しいと」


 重ねられた言葉は、どこまでも真摯だった。

 沈黙の中、ブラストが口端を持ち上げる。


「……“カラス”は堕ちねぇ。何度でも飛び立つ。他ならぬヒューズのダンナ、アンタの口から聞いた言葉だったぞ」


 男の口元にふっと笑みが漏れた。

 ヒューズは席を立ち、ゆっくりと六人を見渡した。全員が、その瞳を真正面から受け止めている。


「……わかりました」


 一拍置いて、彼は言う。


「今より、私たちは部隊“八咫烏ヤタガラス“。【鎧の男】を追い詰めその心臓に復讐の刃を突き立てるその時まで、どこまでも“カラス"の黒翼があなた方を導きます」


 深く、頭を下げた。

 その姿に、誰もが言葉なく頷いた。

 その笑みは、かつての悲劇に沈むものではない。新たな覚悟と、静かな怨讐に満ちていた。



 ヒューズが部隊長を申し出た後、騒がしいやりとりが一段落してからハムドがひとつ咳払いをして、改まった口調で皆に向き直った。


「隊長も無事に決まったことだし、イムダールさんに送ってもらった僕たちの最初の任務を確認しようか」


 彼はタブレットを操作しながら読み上げる。


「今日のキサラギ化成によるI.P.E.本社研究棟、通称無限回廊への大規模攻勢に際し、【鎧の男】の尖兵である“常闇の抱擁者”の襲撃がありました。事前に情報を察知していたタロス並びにセイナ……これ別に察知してたわけじゃないけどね。……により常闇の抱擁者たちは退けられ、その死体と装備の確保に成功しました」


 淡々と述べるその表情は真剣そのものである。一瞬だけ主観が混じった気もするが、真剣そのものである。

 ハムドが一度言葉を切ったタイミングで、ブラストが意地悪そうにニヤリと口端を持ち上げた。


……って、本当か?」

「無論だ。貴公らがキサラギ化成の私兵共を抑えていたお陰で、私とセイナで彼奴等を殲滅することができたのよ。今までは痕跡一つ残さなかったが、これで彼奴等への研究も大きく進むというものだ」

「待ち構えていたタロスとセイナに見つかったのが、彼らの運の尽きだった。ってことだね。で、だ。I.P.E.本社のあるこのメディオリージョンから“國”の本部があるザフトリージョンまで“常闇の抱擁者”の死体を護送して調査機関へ引き渡すという任務が、僕たちに与えられた」

「護送……ってことは、俺たちが直接届けに行くのか?」


 ファルが腕を組みながら問うと、タロスが頷いた。


「左様。詳しくは追って伝えるが、は“凱旋”という名目でザフトリージョンへ赴く。裏では、特務機関スサノヲによる本格的な解析が予定されている。【鎧の男】に関する機密も絡むゆえ、我らが護衛にあたるのが筋だ」

「スサノヲ? 解析というとツクヨミの印象がありますが、イムダール氏はなぜスサノヲに解析を……」


 ヒューズの問いに、タロスは静かに目を細めて肯定する。


「未だ確証は得られぬが、イムダール上級解析官は獅子心中の虫を警戒しておる。そのため、この護送はスサノヲの私の隊とツクヨミの上層部の一部にのみ通達がされている。我らが護送すれば仮に襲撃があったとしても切り抜けられよう。解析だけでなく、可能ならばその獅子心中の虫を炙り出せということだろう」


 その言葉に一同が黙り込んだ瞬間、タロスは一拍置いて、わざとらしく声の調子を変えた。


「そういえば、護送の旅程の中には、天帝陛下および神託の姫巫女様との謁見も予定されている。部隊創設を祝うお言葉を、直々に賜る形となるであろう」

「それは八咫烏ヤタガラスじゃなくて……?」

「無論だ」


 今日一番とも言える笑顔を見せたタロスだったが、ラウンジには唐突に重々しい空気が漂った。

 天帝と神託の姫巫女は、文字通りの雲上人。メディアで声を聞くことくらいはあれど、直接会うなど企業のいち私兵程度ではあり得ないことだった。


「……な、なんだか急にすごくなってきたんだけど……」


 ハムドが顔を青くしてたじたじと呟けば、ブラストは心底面倒くさそうに顔を歪める。


「天帝と神託の姫巫女って……“國”のトップとナンバーツーじゃねぇか。いや、トップっていうか、もう神みてぇなもんだろ。そういう予定があるってのは、つまり……」

「ああ。“粗相のないように”と言いたいんだろう、タロス?」


 ブラストの言葉を引き継ぎ、セイナが真顔のまま小さく首を傾げた。


「よく分かっているなセイナ。くれぐれも、くれぐれもだぞ」

「何かやらかしたらタロスにこうしろって言われました。って言えばいいんだろう?」

「き、貴公っ!?」

「ふふ。いずれにせよ、私たちがやることは変わりません。 目の前の任務を精一杯、果たすだけです」


 ヒューズのその言葉に、自然と皆の視線が重なった。

 その視線の先には、かつてとは違う景色があった。

 新たな部隊としての旗印と、重くも誇らしい責務。

 そして、目を逸らすことなく向き合う仲間たちの姿があった。




 朝霧がまだ地面を這うように漂っていた。無限回廊の最外縁部に位置する出入口付近は、前夜の激戦の痕跡は既に法務部の清掃部隊によって整えられていた。

 仄かに漂う消毒薬の匂いだけが、昨日の戦闘の凄惨さの名残を伝えている。

 仮眠室から出たブラストはその足で無限回廊の出入口、車両の駐車区画へと向かっていた。


 あくびをかみ殺しながら駐車区画へと到着したブラストの目に飛び込んできたのは、見慣れぬ黒い装甲車だった。

 装甲車の数は三台。“國”の徽章が掲げられ、駐車区画のひときわ目立つ位置に停められている。

 周囲ではI.P.E.の職員たちが最終確認を進めていて、ブラスト以外の八咫烏ヤタガラスのメンバーはその喧噪からわずかに距離を取って佇んでいた。


「わりぃ、遅れたか?」

「いえ、問題ありませんよ。タロスがせっかちなだけです」

「用意周到、と言ってもらいたい」


 不服そうに呟くタロスの隣で、ヒューズが静かに頷いた。

 タロスは護送の準備があると言ってヒューズたちから離れ、装甲車の近くへと歩いていく。

 恐らくはタロスの部下、特務機関スサノヲの部隊なのだろう。I.P.E.の職員ではない集団に声をかけると、その者たちはタロスに向けて一礼しきびきびとした動きで何処かへと走り去った。


「ああやって指示を出してるのを見ると、いかにも“隊長”って感じがするね。すっごく怖そう」

「俺も一応、黒備えの小隊長なんだけどな」

「ファルの怖いは、ガラの悪いお兄さんが街で絡んで来る感じだから……」

「おうおうおう? 言ってくれんじゃねぇの。誰のガラが悪いって?」


 ハムドにヘッドロックを掛けようとしたファルの魔の手からするりと抜け出し、「そういうとこだってば」とハムドが口を尖らせた。

 ファルも冗談だったようで、鼻を一つ鳴らすと足元に置いていたフルフェイスマスクを装着しバイザーを下ろす。

 装甲車の一台に大きなコンテナが運び込まれるのを見届け、傍らに鎮座した愛車である大型バイクに跨るといつでも発進できるように暖気を始める。

 セイナが短く息を吐いてから、装甲車の近くで陣頭指揮を執っていたタロスの隣に立った。


「タロス。……ちょっと厳重すぎないか」

「前後を私と私の部隊が護衛し、側面をファルが。上空をヒューズが、そして護送車を残りのメンバーで固める。些か過剰とも言えるが、何があってもいいように準備はしておくべきだろう」


 剣呑な表情を浮かべるセイナの背後で、ファルから逃げたハムドがコンテナの運び込まれた装甲車の中から顔を出した。


「僕はここでいいんだよね? 特にすることもないし、中で座っててもいいかな」

「いいけどハムド、お前が腰掛けてるそのコンテナの中身、奴らの装備と死体だぞ」

「うへぇそうだった。まぁでも、コンテナが動き出すわけじゃないし」

「皆さんリラックスするのは構いませんが、緊張感は大事ですよ?」


 いつものベレー帽とサングラスを身に付けたヒューズが苦笑しながらやってきて、手元の端末をちらりと確認する。


「全員、通信端末はオンラインですね。装甲車のソフトウェアもI.P.E.総務部によってハッキング対策は完璧だと聞いています。残るは……」

「……心構えだけ、だな」


 ヒューズの言葉に、ブラストが頷いた。残りの四人も、続けて首を縦に振る。

 ファルがバイクのスロットルを軽くひねった。エンジンが唸り、朝霧の中にひときわ強い低音を響かせる。

 タロスが前方の装甲車の運転席へと向かう。セイナとブラストも、ハムドが乗り込んでいた中央の装甲車へと乗り込んだ。


「それでは行きましょう。ザフトリージョンへ」


 装甲車のエンジンも始動した。重々しく、しかし確かな力を持ってその車体を揺らす。

 朝の光が霧を割り、彼らの影が無限回廊から遠ざかっていく。

 『八咫烏ヤタガラス』としての、初の任務をその肩に載せて。



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