#35 白刃は真紅に染まる
タロスは戦扇を振り抜くトラマルを背に、迎賓館の中央に位置する吹き抜けの階段へと向かった。
足音が響くたび、血を吸った絨毯がじわりと沈む。
敵の大多数がサーバールームへと押しかけていたためか、タロスへ向けられた銃口はさほど多くはない。
破格の強度を持つ戦闘用義肢を盾に銃弾を弾きながら、一足飛びに上階まで駆け上がった。
二階への踊り場では、九龍貿易商会の若衆が家具や調度品を倒してバリケードを築いていた。
「てめぇら、相手がスサノヲだからってビビんじゃねぇ!」
「……退け」
怒号と共に突き出された超振動短ドスが空気を裂く。
タロスは一歩で間合いを詰め、大太刀の刃を横薙ぎに走らせた。
木片と鉄片が同時に斬り裂かれ、壁際に叩きつけられた男の口から血が噴き出す。
「ぐっ……あ、あいつ、ひとりで来やがったぞ!」
「囲んで潰せ! 撃って撃って撃ちまくれ!」
廊下の奥から幾つもの銃口が覗き、マズルファイアが迸る。
槍衾のように放たれた弾丸が壁を穿ち、粉塵が視界を霞ませた。
しかし、タロスは柱を盾に二歩三歩と壁を駆け抜け、反対側に回り込む。
銃手の背後に鬼面が落ちた瞬間、頭部と胴は音もなく離別した。
「貴公らの主は何処だ」
答えろ、と。
言葉に威圧感を乗せてタロスが腰の引けた若衆を睨め付ける。
「う、上だ……! 貴賓室!」
「答えたら見逃してぐェッ」
答えた者を斬り、命乞いをした者も斬り、タロスは歩みを止めることなく進み続ける。
誅滅。天帝に、國に叛逆の意志のある者を生かしておく理由など、何一つ有りはしなかった。
三階、貴賓室へと続く階段へと差しかかった瞬間、上方からわずかな空気の乱れが降りてきた。殺気とも念動力とも違う、嫌な気配だった。
タロスは足を止め、視線だけを持ち上げる。
薄暗い階段の先、金色の壁灯に照らされ黒い影が二つ暗闇に浮かんでいる。
全身を黒い装甲で覆い、表情の全てをフルフェイスマスクで隠した者たち。路地裏でトラマルへと攻撃した者で間違いなかった。そして、それが二人。
どちらも超合金製のカタナを握り、無言で階下を睨んでいる。
「『常闇の抱擁者』、と呼ぶのだったな。貴公らは」
サーバールームで知り得た情報を口にし、タロスは相手の反応を窺う。
敵……常闇の抱擁者たちは指先一つ動かさず、ただ規則的に足音を響かせる。
「物言わぬ人形に用は無い。……押し通る」
短く呼気を吐き出し、タロスは階段を踏みしめた。
タロスの動きに呼応し、常闇の抱擁者の一体が無言のまま階段を踏み割る勢いで飛び込んでくる。
カタナと大太刀が鍔迫り合った瞬間、常人離れした腕力に押し込まれ、タロスの足裏がわずかに後退した。
狭い階段に敷き詰められた絨毯を、踏み砕かんばかりに押し込みカタナを防ぐ。
カタナ越しに伝わる力は一瞬とはいえタロスの義肢の通常出力を上回るほど。人間の限界を超え、自壊さえ厭わぬその爆発力は、本当に人間かと疑う。
マスクの奥から吐息も呻きも漏れず、まるで機械が人体を動かしているかのようだった。
「押し通る、そう言ったはずだぞ」
タロスの義肢の右脚が一段、階段を登る。深く床を踏み抜き、生み出されたエネルギーが足裏から腰、肩、そして大太刀の柄を握る右手まで駆け抜ける。
押し込まれていた力さえも利用し、常闇の抱擁者を断ち斬り階下へと弾き飛ばす衝撃となった。
敵は胴を斜めに裂かれながらも、断末魔ひとつあげずに階段を転げ落ちていく。
床へと叩きつけられた敵は骨の軋みのような音を立て、動かぬはずの腕がなおも床を掻こうと不気味に痙攣していた。
もう一体の常闇の抱擁者が、一体目を仕留めた呼吸のわずかな乱れさえ整える間も無く迫り超振動カタナを振り下ろしてくる。
刃の間合いに入る直前、タロスはわずかに身を捻り、すれ違いざまにカタナを躱しつつ右拳による裏拳を叩きつけた。
装甲の表面ではなく内部へ向けて力を流し込むその衝撃は、骨格を直接砕くかのように敵の肩口を激しく揺さぶる。
関節部が軋む音を上げ、わずかな硬直が生まれる。
その硬直を逃すはずもなく、上段から白刃が振り下ろされ、首から腰までを大太刀で断ち割られた。
だが、両断された胴体は機械じみたぎこちない動きで立ち上がろうとする。
うつ伏せに倒れた脳天に護國が突き込まれてもなお、マスクの奥から声は一切漏れなかった。
不安定な姿勢での戦闘を終え、タロスは小さく息を吐く。
階段の上方には豪奢な廊下が続き、真紅の絨毯が奥の扉へと真っ直ぐ伸びていた。
両脇の壁には重厚な金縁の肖像画と燭台が並び、影を帯びた空間にゆらめく灯が淡く揺れている。
血の匂いは既に絨毯に吸い込まれ、階下から聞こえる戦闘音だけがわずかにタロスの鼓膜を震わせていた。
足音を殺したタロスが階段を上りきると、そこは一転して静寂に包まれた長い廊下だった。
壁には水墨画と屏風絵が交互に飾られ、天井からは鎖に吊られたシャンデリアが煌びやかだった頃の名残を覗かせ、本物の炎を模した燭台が揺らめいている。
風はなく、うなされるような熱気と微かな血の匂いだけが漂っていた。
タロスは左手の壁際に寄り、靴底を滑らせるように進んだ。
壁の金箔細工が微かに光を反射し、床に淡い模様を描く。
廊下の奥には、高く彫り込まれた両開きの扉が見えた。
扉の上部には鐘楼へ通じる窓があり、外光が差し込みながらも、どこか冷たい色を帯びている。
呼吸を整え、身体に溜まった熱を少しずつ逃していく。グローブの内側を伝う汗に濡れて、柄を握る指がわずかに締まった。
この先に目的があると、全身が告げていた。
タロスは歩幅を乱さぬまま進み、やがて目の前に現れたその扉を、躊躇うことなく押し開けた。
貴賓室に踏み込むと、金箔の龍を刺繍した着物の男が呆然とした表情でソファに座りタロスを出迎えた。
小さな声で何故だ。スサノヲが。そんな。などとうわごとのように繰り返している。
「スサノヲが来るなんて聞いてない……っ! 俺は絶対に安全だと……おい! 居るんだろ出てこい! スサノヲを、あいつを殺せ!」
周囲の暗がりを見回して叫ぶと、影から八体の常闇の抱擁者が滲み出るように現れた。
黒いフルフェイスマスクが一斉にタロスを見据える。
「そうだ。殺してしまえばいい! 殺して、逃げて、あの方のためにまた……!」
着物の男はそれ以上言葉を発さず、震える手でタロスを指し示していた。
八つの影が音もなく迫る中、刃がわずかに持ち上がった。
着物の男の命令が落ちた瞬間、室内の空気が張り詰めた。
八体の黒装束。常闇の抱擁者たちが、獲物を見据える獣のようにわずかに姿勢を低くする。
タロスは一歩、床を鳴らすように踏み込む。
次の瞬間、残像を置き去りにするほどの速度で貴賓室を一直線に駆け抜けた。
狙いは最後方、着物の男の真横でアサルトライフルを構える常闇の抱擁者。
男は咄嗟に身を引き、横で構えていた常闇の抱擁者を盾のように押し出す。
常闇の抱擁者はバランスを崩し、銃口から放たれた弾丸は天井のシャンデリアを虚しく弾けさせた。
タロスはこの一瞬のやり取りでその動きすら読んでいたかのように、構えた大太刀『禍叢雲剣』の切っ先は寸分の狂いもなく常闇の抱擁者の喉元を貫く。
甲高い金属音と共に装甲を突き破られた常闇の抱擁者は、断末魔をあげることもなく膝を折り、喉からゴボゴボと黒い血を噴き出しながら糸の切れた人形のように崩れ落ちる。
それでもなお、痙攣する腕がトリガーを引こうと動いた。
タロスは足先で銃を蹴り飛ばし、更に刃を一閃。頭部と胴体を断ち割り、完全に沈黙させた。
驚愕に目を見開く着物の男を尻目に、タロスの左右から二体のカタナ持ちが同時に迫る。
交差する刃の軌跡を、大太刀を水平に構えて受け止めた。
刃と刃がぶつかり合い、義肢を通して鈍く響く衝撃がタロスの腕を伝う。
人体の限界に近いその押し込みに、一瞬だけ眉が僅かに寄る。
「素体はVoidか……? いや、動きのクセがどうにも違う」
力比べの最中、刃を滑らせて敵の懐へ踏み込み、足から右拳へ義肢の内部を螺旋のように伝わる力を込めた突きを胸部に叩き込む。
装甲ごと内部機構を破壊された常闇の抱擁者が、壁に鮮血の染みを描きながら叩きつけられ動かなくなった。
残ったもう一体が、カタナでタロスの大太刀を抑え込みつつ背後に回ろうと動く。
タロスは片手で大太刀を支えながら、振り抜いた右腕を引き戻し即座に腰の小太刀『護國』を引き抜く。腰を捻り、背後に迫る常闇の抱擁者に逆手で逆水平突きを撃ち込んだ。
振るわれた刃が敵の腰から胸を貫き、油と血の混じった飛沫が宙を舞った。
貫かれた腹部を押さえ、のけぞるように退いた抱擁者の頭部を、タロスは一瞥するだけで踏み込んだ。
右脚が床を抉るほどの勢いで振り下ろされ、頑丈なフルフェイスマスクごと頭蓋を圧砕する。
金属と骨の混ざった鈍い破砕音が響き、赤黒い液体と油が四方に飛び散った。
その身体は小さく痙攣し、やがて完全に沈黙した。
わずか十数秒で、八体いた常闇の抱擁者のうち三体が真紅の絨毯に沈んだ。
だが、残る五体が円陣を組むように、無言でタロスを取り囲む。
「何やってんだよ雑魚が! さっさと殺せよ!」
「……指揮官は無能、か」
小さく漏らした呟きは、誰にも聞かれることなく鮮血と共に絨毯に染み込んだ。
間髪入れず残る五体が一斉に動く。
一体のカタナ持ちが左右から迫り、二体のアサルトライフル持ちが距離を保ちつつ射撃の構えを取る。
タロスは後方の銃口が火を噴く前に、射線から身を翻し円陣の一角を崩すべく踏み込んだ。
突っ込んできた常闇の抱擁者が体当たりのように、複雑に光を反射する超合金製のカタナを振り下ろす。
タロスは大太刀で受け流し、義肢の右手で振り下ろされたその刃を掴み取った。
握力が刀身を歪ませ、逡巡の隙を見せた敵の膝を返す太刀で斬り飛ばす。
膝から下を失い崩れた首元に小太刀『護國』を滑り込ませ、金属のような抵抗を感じつつも音もなく頸椎を断ち切った。
銃声が響いた。
弾丸が空気を裂き、タロスの真紅の装甲を抉る。
大口径ライフル弾の衝撃に面頬の裏で奥歯を食いしばりながらも、視線は揺るがない。
足を滑らせるように低く構え、爆発的な脚力で一気に射手との距離を潰す。
突き出された銃口を掌底で払うと同時に、大太刀の切っ先が胸元から背へ突き抜けた。
装甲を破られた抱擁者は痙攣し、銃が床に転がる乾いた音だけを残す。
室内の空気がひと呼吸分だけ静まり返った。
残るは三体。
円陣を組んだ抱擁者たちの動きに、タロスの耳が低い機構音を拾う。
肺の奥まで息を吸い込み、右脚に力を籠める。
太腿のホルスターから銀色のクナイ『楔』を二本引き抜かれ、風を裂いて飛んだ。
特殊な術式が付与されたそのクナイは、突き刺さった対象をその場に縫い止める文字通りの楔となる。
一本は足首へ、一本は肩へ。
術式が展開され、抱擁者の動きは不自然に硬直する。
膝が震え、銃口は天井を向いたまま無駄に揺れていた。
タロスの吐息が静かに漏れる。
床を打つ一歩で空気が揺れ、大太刀が低く唸り、黒い胴を真横に裂き割る。
金属と肉が同時に断たれる感触が腕に伝わり、切り離された上半身と下半身が別々に沈んだ。
その時、背後から破裂音が響いた。
ショットガンの銃口が火を吹く。
タロスは半身を返し、赤色のクナイ『禊』を床に突き立てる。
突き刺した地点から術式が解き放たれ、半透明の結界が瞬時に展開される。
散弾は壁や床に弾け、火花と破片が視界をかすめた。
火花と破片が視界をかすめる中、左手が小太刀『護國』を抜き、寸分違わず投げ放った。
刃がショットガン持ちの腹部を貫き、鈍い衝撃に敵が一歩後退する。
息が乱れたその首元へ、大太刀が弧を描く。
一閃でフルフェイスマスクごと首を断ち切り、赤黒い液体が霧のように舞った。
頭部は静かな音を立てて絨毯に転がる。
最後の一体、超振動短ドス二刀流を携えた常闇の抱擁者が無言で踏み込み、連撃を繰り出す。
耳障りな高周波の唸りが左右から迫り、火花が散るたびに室内の影が震えた。
タロスは息を整え、刃をいなすように身を捌き、間合いを計る。
右脚が床を抉る音と共に膝を砕き、姿勢を崩した両腕を掌底で外へ弾く。
短ドスの刃先が虚空を切る一瞬、胸元ががら空きになった。
義肢の右腕に溜めた力を一気に解放し、寸打が敵の内部を破砕する。
鈍い衝撃とともに抱擁者の身体が後方の壁に叩きつけられ、内部から吹き出した油と血が壁面を汚した。
響き渡っていた衝突音がやがて消え、室内に残るのはタロスのわずかな息遣いと、薬莢が絨毯の上を転がる乾いた音だけだった。
八体いた常闇の抱擁者は、すべて沈黙していた。
むせ返るような血とマシンオイルの匂いが、貴賓室の空気を重く淀ませていた。
壁際には切り裂かれた常闇の抱擁者の残骸が散乱し、真紅の絨毯はその名に相応しく染め上げられている。
その部屋の中央では、金箔の龍を刺繍した着物を着た男が、脂汗を額に滲ませながらソファに沈み込んでいた。
指先は震え、乾いた喉がわずかに鳴る。
タロスの脳内のデータベースにこの男に一致する名と顔はない。
高い地位にあるように見せかけているが、九龍貿易商会の内部ではそこまで影響力を持つような人物ではないことが、これまでの所作から否応にも滲み出ていた。
「……なぁ待て! 待てよ! 金か? 女いや酒か!? 俺はなんだって手に入れてやる……!」
「愚かな」
言葉は上擦り、視線は床をさまよい続ける。
その態度に、タロスは低く問う。
「問う。貴公らの密輸は、何のためか。そして……“御帝”はどこに居る」
男は唇を噛み、笑みとも痙攣ともつかない表情を浮かべた。
「へ、へへっ……情報か? ぜんぶ、全部喋る! 俺はな……少し仲間を手伝って、いい思いをしようとして……そうだ、閣下もきっとお前を気に入って……」
「二度は聞かぬぞ」
タロスの視線が冷たく突き刺さる。
男は顔を背けたが、その瞬間、机の上に置かれた通信端末が震え、甲高い着信音を響かせた。
びくりと肩を揺らし、端末とタロスを交互に見やる。
その視線は、通話に出るべきか否かを迷う幼子のように揺れていた。
タロスは一歩踏み込み、言葉を発さずとも、その全身から「出ろ」と告げる圧を放った。
額から一筋の汗が落ち、男はおずおずと端末に手を伸ばした。
通話が繋がると、低い声が受話口から漏れ出した。
タロスには内容までは聞き取れないが、その声を聞いた途端、男の顔色がみるみる青ざめていく。
幾度もタロスを盗み見るが、視線を合わせることはできない。
短い沈黙の後、男は小さく息を吐き、観念したように通話を終えた。
懐から銀色の注射器を取り出す。
内部の薬液は微かに発光し、渦を巻いている。
「……陛下は……閣下は……ここで貴様を殺すことが、私の使命だと……」
声が震え、次第にそれは叫びへと変わる。
「強き國成就のために……私は……私は……ウグゥぅぅぅ!!」
注射器の針が首筋に突き刺さり、薬液が一気に注入された。
血管を走る異物がサイバネの奥深くへと浸透し、男の体を内側から焼き切るように蹂躙していく。
悲鳴が断ち切られた瞬間、眼窩の奥で赤い光が灯り、理性の色が完全に消え失せた。
「御帝陛下、万歳ッ!!」
理性の残滓が、血と油の匂いに満ちた室内に響き渡った。
声にならない獣の咆哮が、貴賓室の窓ガラスを震わせる。
男は着物を引きちぎり、座っていたソファの肘掛けを掴み上げると、頭上へ振りかぶりタロスめがけて投げ放った。
革張りの巨体が空気を裂き、唸りを上げて迫る。
タロスは面頬の奥で呼吸をわずかに整え、大太刀『禍叢雲剣』を一閃。
厚い革と木骨が一息で両断され、タロスの両脇を通り過ぎて壁に激突する。
その投擲の威力に眉根を寄せるのと同時に、この一瞬で遮られた視界から敵が消えていることに気付き、目線だけを素早く室内に散りばめる。
視線が左右し、そしてすぐに視界におさめる。男はタロスに背を向け、横っ飛びで常闇の抱擁者の死体を漁っていた。
立ち上がった男の両手には、常闇の抱擁者が用いた超振動カタナが握られていた。
「――ッ……――――ッ!」
声にならない叫びが、鋭い金属音と共に空気を震わせた。
戦術も何もない、しかし暴風雨のような突撃がタロスに襲いかかる。
カタナの刃先が低く唸り、耳障りな音を響かせながら真正面から振り下ろされる。
タロスは両手で大太刀を構え、火花が散るほどのその一撃を辛くも受け流した。
鋒まで滑り落ちるカタナに写る理性を無くした男のその顔に、タロスは不愉快さも露わに奥歯を噛み締める。
「違法ナノマシン、しかも特級か。自壊さえ厭わぬこれを使わせるのは、忠誠心ではないな」
たった一度刃を打ち合わせただけでわかる、男の異常な膂力。投与された薬液は、サイバネ化された身体のリミッターを解除するための違法薬物で間違いないとタロスは確信した。
サイバネボディの自壊と、脳神経を焼き切る負荷と引き換えに生み出されるパワーとスピードは計り知れない。
捕縛し、情報を引き摺り出すためには、この男が廃人になる前に決着を付けねばならなかった。
「誅伐、執行――」
静かな宣告が、相手の耳ではなく魂に突き刺さるように落ちた。
打ち合うこと数合目、ギアを一段上げたかのような鋭い返しがタロスの面頬のすぐ脇を掠め、頬の装甲に細い傷を刻んだ。
切断面から火花が散り、焦げた匂いが漂う。
タロスの背で、ポニーテール状に束ねられた放熱フィンが衝撃の度に左右へたなびいた。
熱を帯びた空気がそこから吐き出され、二人の間の距離を陽炎のように揺らめかせる。
刃と刃が重なり、両者の呼吸が入り乱れる。
男は鼻腔から油と血の混じった息を吐き出し続け、タロスはまだ息一つ乱さず間合いを測っている。
大太刀の長い刃と、二本のカタナが交差するたび、金属音が鼓膜を突き破るほどに響き渡った。
二人の刃は幾度も激しく打ち合い、金属音と火花が室内を満たす。
タロスは大太刀を両手で握り、間合いを詰めては斬り、捌いては押し返す。
敵は二振りのカタナを本能のままに同時に振るい、獣のような速度と重さで押し込んでくる。
放熱フィンが衝撃で揺れ、熱気が漂うたび視界の輪郭が揺らめいた。
「――――ッ!」
床を叩くカタナの衝撃に耐えきれず、上腕のパーツが弾け飛んだ男が痛みに吼える。
それに応えるように、タロスの低い声が響く。
「疾く、沈め……!」
数合目の激突で互いの刃が跳ね、真紅の絨毯に金属の響きが散った。
一瞬の間合いが生まれたその刹那、タロスの右手が翻った。
銀の一条と、それを追う二条の黒。腰部のホルダーから三本のクナイが抜き放たれ、空気を裂いた。
拘束術式の刻まれた『
瞬時に、術式が展開され男の体をその場に縫い止めるように拘束。
だが、身体中の関節が軋み、血とマシンオイルとサイバネボディの人工筋肉が弾け飛ぶ。
その場に固定されているはずの右足が地鳴りのように小刻みに震えながらわずかに動いた。
自壊したサイバネボディから注入されたナノマシンと同じ緑の光が漏れ、拘束を力ずくで打ち破らんとしていた。
「アレを破るか……厄介な」
次の瞬間、男の身体に突き刺さっていた
抑え込まれていた力が解放され、男の全身から熱波のような圧が押し寄せる。
男の口から、言葉とも悲鳴ともつかぬ咆哮が迸った。
違法ナノマシンがサイバネボディだけでなく、生身の脳へも侵食を始めた証だ。
白濁した双眸が見開かれ、血管を走る緑の光が首筋からこめかみへ、そして頭部全体へと走る。
「……ガァアアアァァアァァッ!!」
苦悶と狂気の混じった絶叫が、密閉された貴賓室の空気を震わせる。
次の瞬間、男は足元にあった椅子を鷲掴みにし、タロスへ向けて投げつけた。
続けざまに、テーブル、棚、破片となった花瓶、手に触れられるもの全てを力任せに振り回し、叩きつけ、投げ飛ばす。
調度品が大太刀に弾かれ、壁や床へ叩きつけられるたび、破片と粉塵が宙に舞った。
「…………、……ッ」
一瞬の静寂が訪れる。
鮮血のようにマシンオイルを全身から迸らせ、男は白濁した双眸でタロスを睨み付けた。
その眼は、もはや人の理性を映してはいない。
違法ナノマシンによる侵蝕が、完全に終わりを告げたのだ。
「――――ッ!」
声なき咆哮と共に、両手のカタナが床へ落ちた。
代わりに、指先を鉤爪のように曲げ、素手のまま床を抉る勢いで突進してくる。
タロスは即座に大太刀を構え、迎撃の間合いを取る。
だが、次の瞬間にはその体が視界の端から消え、鉄塊が激突するような衝撃が正面から叩きつけられた。
鈍い衝撃が胸甲を歪ませ、全身に衝撃波が走る。
タロスの身体は絨毯を滑るように数メートル後退し、背後の柱に向かって吹き飛ばされた。
反射的に受け身を取り、片膝をついて着地する。
しかし、視線を上げた時には既にそこに男の姿があった。
驚異的な脚力で先回りしていた男が、振り上げられた大太刀を片手で掴み、同時にタロスの首を鷲掴みにする。
男の握力がタロスの人工脊椎を軋ませ、首関節がミシミシと音を立てる。
抵抗する間も無く床から数十センチ、タロスの身体が宙へと持ち上げられた。
面頬に隠されたタロスの喉奥から低く湿った呼気が漏れる。
男の左手が首を締め上げ、右手が大太刀の柄とタロスの左手を押さえ込み、その異様な握力で宙吊りにしていた。
見下ろす視界の中、男の顔は血と油に濡れた獣のようで、だがどこか救いを求めるように苦悶の表情のまま固まっていた。
呼吸は荒く、鼻腔から漏れる息に焼けた血と肉の不快な臭いが混じり、タロスの鼻先にまとわりつく。
タロスの瞳がわずかに細まった。
宙に浮いた右脚から腰、脊椎を経て右腕へと力の流れを組み上げる。
真紅の義肢が低く唸り、内部のギアが急速に回転数を上げるにつれ、人工筋肉が引き絞るような音を立て、そして弾けた。
右腰に吊られた黒塗りの鞘から、小太刀『護國』が音よりも速く抜き放たれる。
逆手に握られた刃は光を吸い込む艶消しの黒。下方から斬り上げる軌跡はタロスの目にさえ写らない。
黒い閃光が走り、男の左腕が肘から先ごと断ち割られた。
自壊しかけた人工筋肉が破裂音を立て、断面から黒いオイルが雨のように噴き出し、タロスの頬を掠めて飛び散る。
間髪入れず、頂へと昇り詰めた護國は反転し、大太刀を押さえつけていた獣の右腕の半ばまでを音もなく斬り落とした。
脆くなった人工筋肉が抵抗もなく滑り落ち、切断面から滴り落ちる油が血液の代わりに絨毯に濃い染みを広げていく。
絶叫する男の上半身が大きく仰け反り、二、三歩後退りバランスを崩した。
タロスはその反動を利用し、宙で身体を回転させながら纏わり付いた両腕を振り払い、飛沫を円状に撒き散らす。
着地の瞬間、護國を静かに納刀する動作までがひとつの流れとなり、足元には切断された腕が二本、無様に転がった。
両腕を失った男が、それでも獣のように低く唸った。
肩口からは断面を覆うことなく露出した人工筋肉が軋み、金属線を混ぜた束がひくひくと痙攣する。
潤滑油の黒い滴が絨毯に落ち、染みを広げていった。
次の瞬間、両脚に全ての駆動を集中させた男が、床板を割らんばかりの踏み込みで突進してきた。
迫る足音は鈍く、しかし確実に速度を増している。
タロスは刃を正面に据えたまま、一歩、わずかに左へと体重を滑らせた。
心拍が落ち着いたまま、呼吸は浅く静か。
標的の重心が視界の中心を過ぎる一瞬を見極める。
すれ違いざま、大太刀が低く薙がれた。
刃は抵抗を断ち割る感触と共に、男の右脚を付け根から切り落とす。
人工筋肉がちぎれる甲高い音が密室に響き、切断面から束ねられた繊維がばらけ、油と細片が飛び散った。
体勢を崩した男の腰が傾き、踏みとどまろうとした左脚が床に力を込める。
間髪入れず、白き刃を持つ大太刀が牙を剥く。
残った左脚の大腿部が真横から断たれ、同じ断裂音と油の飛沫が床を濡らした。
両脚を失った巨躯が、支えをなくして宙を泳ぐように前へ沈む。
鈍い衝突音と共に、男の顔面が絨毯へ叩きつけられた。
タロスは一歩踏み込み、護國の鞘から艶消しの刃を引き抜く。
無防備に伏した後頭部へと、峰打ちの衝撃を叩き込んだ。
骨と金属が同時に鳴る重い音が響き、男の全身から力が抜けていく。
静寂が戻った室内で、タロスはひとつ息を吐き、大太刀と小太刀を静かに納めた。
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