#30 肉まんと、黒き影と銃声と

「たいちょー! 今日のボクの服、どうっすかね!? これ、めっちゃ気合い入れて選んだんすよ!」


 トラマルは肉まんを片手にかじりながら、HK45を軽く振る。

 明るい色のショートジャケットにプリーツスカート、その下は動きやすいレギンス。完全に観光客だが、右腕の赤い戦闘用義手だけが異様に無骨に光を反射していた。


「……任務中だ。油まみれの手で銃を握るな」


 タロスは呆れたように嘆息し、カービン化したHK45を構えたまま壁に寄りかかる。シャツの袖を捲り、義肢の関節が月光を鈍く反射した。


「えー、変装も任務の内ってたいちょーが言ったんじゃないっスか。さっきの肉まん買った屋台のおっちゃんにも可愛いねって言われたんすよ?」

「そうか、よかったな」


 銃声が会話を断ち切った。

 壁が火花を散らし、コンクリ片が飛び散る。

 トラマルは肉まんを咥え直し、すぐさま射撃姿勢を取った。


ふっへふはふはほ撃ってきましたよふぁひほーたいちょー!」

「見れば分かる。敵、八。距離三十」


 タロスの声が変わった瞬間、空気が張り詰める。

 HK45カービンのサプレッサーが低い音を刻むたび、通路の向こう側で銃を構えた敵たちの露出した肩や脚を正確に撃ち抜いていく。

 一方、トラマルは肉まんを口にくわえたまま壁を蹴り、小柄な体がひらりと舞いタロスの射線の死角へ回り込む。


「うひゃー、マジで撃ってきたっスね! 観光客に容赦なしっスか!」


 弾丸が壁に当たり、白い火花が散った。湿った裏路地には香辛料と油の匂いがこもり、黒ずんだ水溜りが跳ねて光を反射する。


「観光客と勘違いしてる内に片付ける。トラマル」

「あいあいさーっス!」


 トラマルの名を呼ぶタロスの声は低く、薄暗い路地を抜け小さく反響する。

 カービン化したHK45を構え、視線だけを滑らせて敵を照準に捕らえる。月光に濡れた義肢の関節がわずかに光を返し、引き金が絞られるたび乾いた破裂音が路地を裂いた。

 露出した肩や脚が弾けるように崩れ、銃を握った指先が次々に痙攣して地面へ落ちる。


「無力化、三。そっちはどうだ」

「まだ一人っす。PCC化フルカスタムまでしてるたいちょーと張り合うなんてパワハラっスよパワハラ!」


 空になったマガジンを交換しながら、トラマルが不満の声を上げる。

 給料を菓子や買い食いにばかり使っているからだ。と口を開きかけたタロスだったが、それはパワハラと言われても言い返せないと考え直し、大人しく口を噤んだ。


 その隙に、路地の奥で再び影が蠢いた。

 雨上がりの舗装路に水気を含んだ足音が跳ねる。乾いた靴底の軋みとは違う、潜む者たちの接近だ。


「たいちょー、敵は残り四。うち二人は刃物だけど……こっち来てるっスよ」


 トラマルは頬張った肉まんを咀嚼しながら、そっと手提げ袋を壁際に置いた。油染みのついた紙袋の中で、詰め込まれた熱々の肉まんがまだ湯気を立てている。


「問題ない。先に銃持ちを処理する」


 タロスは義肢の関節を駆動させ、HK45カービンのストックを肩にあてがった。サプレッサーが曇天のような低い音を漏らし、路地の空気を鋭く切る。

 サブマシンガンを抱えた一人目が門からこちらを覗き込んだ瞬間、その眉間に鋭く一発。断末魔の悲鳴を上げる暇もなく倒れ込む前に、奥から走り込んできた二人目が何が起こったか理解するより早く右肩を正確に撃ち抜く。銃が滑り落ち、呻き声が壁面に弾かれるように響いた。


 トラマルはその間に短く息を整えると、スカートの裾を軽く払って壁を蹴った。た。靴音ひとつ残さず、黒い影のように低く走る。義手の肘を折り、力の流れを殺さずに敵の懐へ滑り込んだ。


「おらおら、ボクに刃物で挑むとか、百年早いっスよ!」


 三人目の手首を義手で絡め取ると、そのまま肩ごと捻って地面へ叩きつける。最後の一人がドスを構えて飛びかかってきたが、トラマルは半身を返しながら首筋へ肘を一閃。喉を押し潰された男が呻きとともに崩れ落ちた。


「ふーっ、これで全員っすかね」


 トラマルは背後をちらりと見て、紙袋がまだそこにあるのを確認すると、ほっと肩を落とした。


「よかった……肉まん、無事っス!」

「……緊張感がないにも程があるぞ」


 袋の中で、肉まんが転がるかすかな音がした。湿った路地の奥、破れた袋の隙間から赤いロゴが覗いている。白地の紙に染みた油が、光を鈍く弾いていた。


「たいちょー。ボクの袋、あそこに……」


 言いかけた瞬間、通路の奥から男たちの怒鳴り声が響いた。打ち捨てられた段ボールやドラム缶を蹴飛ばすような音が重なり、荒々しい足音がこちらへと迫ってくる。


「増援か……」


 タロスは表情を変えず、銃口を音の方向へと向ける。


「戻るな。敵が来る」

「うぅ……でも、あれ、今日の夕飯と明日の朝食……あと深夜の予備分……」


 名残惜しそうに袋を見つめながら、トラマルは足を止めていた。だが、その視線の先で袋がわずかに風に揺れる。

 トラマルは泣きそうな顔で唇を尖らせたが、タロスはそれに目もくれず銃口を僅かに持ち上げる。サプレッサー越しの乾いた連射音が響き、敵の怒号が一瞬だけ止まる。


「肉まんは……今しか……!」


 呟くように息を吐くと、トラマルはしゃがみ込み、低い姿勢で壁際を滑り出した。濡れたアスファルトを蹴って身を滑らせるように前進し、ひらりと身をかわして物陰へと突っ込む。

 赤い義手が音もなく伸び、器用に袋の取っ手を引き寄せる。崩れかけた段ボールの上に乗っていた紙袋がふわりと浮き上がり、そのままトラマルの腕の中に収まった。


「よっしゃ、回収成功!」

「……馬鹿者ッ!」


 笑みを浮かべ、立ち上がろうとしたそのとき。背後からぬるりと、気配が現れる。

 上官の言葉にハッとなり、振り返る。そこに“いた”。

 真っ黒な装甲の塊。顔すらも識別できない、ただ“人型”の質量。それが、音もなく腕を振り上げていた。


「誰っスかあんた!」


 叫ぶより早く、腹部に重たい衝撃が走った。視界が跳ね、地面が回転し、トラマルの身体が横向きに吹き飛ばされた。

 袋が宙を舞い、肉まんが一つ、二つと弧を描いて闇の中へ消えていく。

 壁に背中から叩きつけられたトラマルは、口から息をこぼしながらうずくまった。服は破れ、膝のタイツが裂け、白い肌に薄く血が滲む。


「っ、ぐっ……な、なにっスかアイツ……」


 目を見開きながら顔を上げる。その瞳に映ったのは、漆黒のフルフェイスマスクを被った“何か”だった。まったくの無音。光を吸うような暗色の装甲が、錆びついた灯りの反射を鈍く跳ね返す。


「おろしたての服がぁぁぁっ! ボク今日のために選んだんスよ!? たいちょーとのデー……」

「デートではない」

「そこわざわざ訂正するんすか!?」


 トラマルの抗議の声を遮り、低く抑えた銃声が暗闇を裂いた。タロスが通路の奥から素早く踏み出す。HK45カービンの銃口が一直線に向けられ、視線の奥にある警戒と殺気が一瞬で場の温度を変えた。

 暗がりの向こう、“それ”は拳銃弾を意にも介さず無言のままわずかに首を傾けた。その仕草すらも、まるで何かを機械か何かのように不自然だった。


「こっちは……本物だな」


 タロスの背中越しに風が動く。月光のない人工の空の下、遠くに見える上部層間プレートの照明だけが、重く淀んだ空気を白く照らしていた。


 距離、約十五メートル。

 相手は一歩も動かない。ただ、そこに“在る”だけで、異様な重圧が辺りを支配していた。


 「……」


 トラマルが地面に這いながら身を起こす。破れたスカートの裾から覗く膝には赤い擦過傷。左手にしっかりと袋を抱えたまま、歯を食いしばっていた。

 タロスは視線を外さず、耳元のインカムへと唇を寄せた。


 『トラマル、撤退するぞ。援護射撃、三、二、一……右へ転がれ』

 「服のクリーニング代は経費っすからね!」


 トラマルの悲痛な叫びが聞こえた刹那HK45カービンのトリガーが引かれ、銃弾が敵の顔面へ向かって放たれた。

 次いで、首、胸部の関節。パーツの合わせ目を選び抜いた精密射撃が、連続で火花を散らす。

 だが、敵は一歩も動かない。撃ち抜いたはずの箇所は防弾繊維に阻まれ小揺るぎもしない。漆黒のマスクの奥からは、痛みを含めて何の反応も返ってこなかった。

 だが、視界は確かに塞いだ。その隙に、タロスは地を蹴った。


 「行け!」


 トラマルが転がるように路地裏を駆け、タロスが背を向けて追従する。

 重量感のある足音が背後から迫ってくる。別方向からも、複数の怒号と足音が混じり始めていた。


「たいちょー……アイツ、九龍の奴らじゃない……」

「知っている。この装備では対処に時間がかかりすぎる。撤退するぞ」

「でも、ボクの夕飯が……!」


 タロスは無言でトラマルの襟を掴んでを引き寄せ、そのまま路地裏を駆け抜ける。通路の奥からは後を追うように複数の怒声が響いた。九龍貿易商会の下っ端のような出立ちの男たちが、次々と姿を現す。

 トラマルは走りながら、さりげなく義手の親指を握り極小のパーツ欠けを確認する。殴られた瞬間、あの装甲の腹部に仕込んだ超小型発信機が、確かに接着されているはずだった。


「食べ物の恨みは、恐ろしいっスよ……!」


 暗がりを抜け、街灯がまばらに灯る表通りが目前に迫る。タロスは肩越しに視線を飛ばし、背後を追う九龍貿易商会と思わしき男たちを確認した。


「ここで混乱を起こす。トラマル、やれ」

「まっかせてくださいっス!」


 トラマルは走りながらくるりと振り返り、迫ってくる男たちを指さすと涙目で叫んだ。


「誰か! 助けて!! あの人たちに乱暴されそうになって……っ!」


 一瞬で通りの視線が集中する。飲食店の店先から店員が顔を出し、幾人もの通行人が足を止める。騒然とする空気の中、トラマルとタロスは互いに視線を交わすと、そのまま混乱に紛れて人混みの奥へと姿を消した。



 やがて、人気のない屋上に二人はたどり着く。遠く、通りのざわめきが風に溶けて消えていく。街の明かりが滲む夜の中、タロスは背中の壁に寄りかかり、深く息を吐いた。


「……少し静かになったな」

「っす。……観光地じゃあの程度の騒ぎ、日常茶飯事ってことっすから」


 夜風が髪を揺らす。黙って空を見上げながら、タロスはゆっくりと目を閉じた。

 彼の脳裏に、いまの騒ぎへ至る“始まり”の一幕が静かに浮かび上がった。




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