#29 燃える黒、沈む夜


『戦況報告。CIWS、破壊完了。……目標、無力化』


 低く呟いたヒューズの声が、暗い波間に呑まれて消えていく。

 砲塔の残骸が船体に転がり落ち、歪んだ鋼鉄が火花を散らして静かに沈黙する。

 爆煙が立ち昇り、甲板上の空気が微かに揺れる。

 焦げた油と火薬の匂いが風に混じり、煙越しに差す月光が戦場を仄かに照らしていた。


 静かな声が通信機に乗って送られてから数秒後、耳に馴染みのある電子音が割り込んだ。

 次いで、機械的で抑揚の薄い女性の声がヒューズの耳に飛び込んでくる。


『特別回線にて失礼します。バード商会上級オペレーター、モモよりDランク傭兵ヒューズ。只今より、貴方の戦術支援を開始します』


 通信の向こうでは、端末の操作音と紙をめくるようなかすかな物音が混ざる。

 無機質な語り口には、今が深夜の三時前だということを全く滲ませない。キリリとした、プロの声音だった。


『……お待たせいたしました』


 ヒューズは煙の向こうに視線を向けながら、わずかに肩を揺らす。


『おや、貴女でしたか。時間外勤務とは珍しい。てっきり業務時間以外は緊急連絡さえ通知をオフにするタイプかと』

『その品評には些か不満をお返しします。今までの貴方の動きを見ていれば、特に慌てる必要もなかったと判断できます』


 少し間を置いてから、資料を確認するような落ち着いた声が続いた。


『……ただ、確認ですが。任務は“調査”だったはずです』

『ええ。ですが状況が変化すれば、それに適応するのが私たちの役割でしょう。戦術判断として妥当です』

『なるほど。貴方が必要と感じたのであれば、戦闘行動の継続は問題ありません。私の支援がある以上、無様な姿を晒さぬように。楽しみにしていますよ、ヒューズ』


 言葉の調子に変化はなかったが、その最後の一節には、明らかに愉しむような響きが含まれていた。

 ヒューズは小さく笑い、わずかに目を細める。


『それは心強いですね。では、しばらくお付き合い願います……上級オペレーター殿』

『ええ、もちろん。……それにしても、こんな深夜に呼び立てるなんて、随分と失礼な新人傭兵もいたものですね』

『そうでしょう。そんな失礼な新人傭兵は放っておく方がいいと思いませんか?」

『構いません。いついかなる時も戦闘を支援できないオペレーターなど、即刻自主退職すべきですから』


 ヒューズは笑いを堪えるように、唇の端をわずかに吊り上げた。


『心強いかぎりですよ』


 再び煙が風に流れ、視界がわずかに開ける。

 その先には、突如静けさを失った甲板の光景が広がっていた。

 人影が動く。敵が銃を構え、こちらへ照準を合わせ始める。

 ヒューズの視線はその動きを捉え、すでに次の戦場へと狙いを定め始めていた。


 砲塔が沈黙し、戦場に静けさが戻ったのも束の間だった。

 立ち昇る爆煙の向こう側で、甲板に散っていた作業員風の兵たちが、明らかに様子を変え始める。


 誰かが消火器を投げ捨てる音がした。続くように他の者たちも工具やタンクを手放し、腰に吊っていたサブマシンガンを引き抜いた。

 迷いはあった。だがそれも、CIWSを一瞬で破壊された現実と、目の前に静かに立つ黒い機影に圧され、怒りと恐怖が入り混じった形で銃口をヒューズへと向けさせていた。


『来ますよ、ヒューズ』


 通信の中で、モモの冷静な声が届いた。

 ヒューズは答えず、背面のスラスターに点火する。

 短く、鋭い噴射。機体が跳ねるように宙へと躍り出る。跳躍ではなく、明確な推進による飛行だった。


 初速をつけたのは足の一歩だけだったが、甲板上にいた5人の敵を視界の端に捉えながら、ヒューズは彼らの頭上を勢いよく飛び越えた。

 すれ違い様に宙で体を捻り、旋回。重力と反動を利用して機体の軸を安定させる。

 その動作に連動するように、腰のホルスターから二丁の拳銃が滑らかに抜き払われた。


 右手に『リリアナ』、左手に『ヴェロニカ』。

 構えるというより、自然と腕が上がったその位置から、すでに照準が定まっていた。

 銃口は、装甲服の隙間、側頭部や首筋、耳の後ろなど、わずかな露出部に重ねられていく。

 ヒューズが作業兵たちの後方へ滑るように抜けながら、反動を吸収しつつ、銃口から閃く発火炎が空気を燃やす。


 最初の一発が着弾したのは、最も左にいた男の耳の後ろだった。

 乾いた破裂音とともに頭蓋が砕け、男は無言で崩れ落ちる。

 続いて二人目。首筋を撃ち抜かれ、装甲の下から鮮血が噴き出した。


 三人目は振り向いた瞬間に側頭部を撃ち抜かれ、後方に吹き飛ぶように倒れ込む。

 四人目は逃げるように身を翻すが、ヒューズの読みきった弾道が頭頂部を貫いた。

 最後の一人は咄嗟に両腕で頭部を覆ったが、その動作すら計算されていた。側頭部の隙間に撃ち込まれた弾丸が、彼の意識を刈り取る。


 銃弾の一発一発が、確実に致命を与えた。

 敵の誰ひとりとして反撃の一歩を踏み出すことはできず、全員が沈黙するまでにかかった時間は、わずか数秒にも満たなかった。


 ヒューズは空中で姿勢を整え、スラスターを絞って甲板上へ着地した。

 軽やかに膝を折り天目壱式の衝撃を吸収しながら、リリアナとヴェロニカの銃口を伏せたヒューズは振り返り前方を見据える。


『この手応え……民間人でしたでしょうか?』

『船上で銃を向けた者は全て敵と判断します。民間人との交戦規定には抵触しません』

『では…彼らは……?』


 その報告に対して、モモは淡々と言葉を返した。

 だが煙の向こうに現れた気配が、続けようとしたヒューズの言葉を遮る。


 黒い装甲を纏った影が、ヒューズへと向き直る。

 動き出したのは五体。だがそれらは、先ほどまでの敵とは動きからして明確に異質だった。

 感情の欠片もない、モモとはまた別の意味で無機質で、まるで命令通りに動くただの人形のように、整然と動き出す。


『……ここからが本番のようですね、ヒューズ』


 包囲を始める敵のうち、二体が先行して走り出す。機械的ながらも無駄のない動き。鋭い反応と共に、まるで測ったように左右へ分かれ、ヒューズの着地位置を読み切ったかのように迫ってくる。


 彼らの動きには、明確な殺意はなかった。むしろそこにあったのは、捕らえるという意志。確実に拘束し、情報を洩らさせぬための機械的な使命感。その重さと冷たさを、ヒューズは皮膚の内側で感じ取る。


「なるほど、交渉の余地なし、というわけですか」


 次の瞬間、ヒューズが甲板を蹴った。重力を振り切るように後方へと跳躍し、同時にスラスターを吹かす。爆風と共にヒューズの身体は急上昇し、敵の頭上を舞うように抜けていく。


 空中、ヒューズは両手に握ったリリアナとヴェロニカを正面に構えた。滑らかに展開された双銃が、銀の残光を描いて宙に浮かぶ。狙うのは、左右に展開したうちのひとり。動きの早い個体だ。


 指が引き金を押し込んだ瞬間、銃口が火を噴いた。連続する銃声が夜の空気を裂く。9mmパラベラムのFMJフルメタルジャケット弾が速雨はやさめのように放たれ、標的の頭部や胸部を正確無比に撃ち据える。


 だが。


 銃弾を受けた黒装甲の兵士は、そのまま突進を続けた。胸部に幾つもの弾丸を受けたにも関わらず、態勢を崩さぬまま手を伸ばし、ヒューズの足を掴まんと速度を上げる。


 ヒューズは眉一つ動かさず、機体の出力を上げて高度をさらに上げた。空中で一回転しながら後方へ飛び、タックルじみた敵の跳躍をかわす。


『先程までの作業兵とは違い、相手はレベル3、もしくはレベル4クラスの防弾性能を有した装甲服を着用しているようです。拳銃弾では貫通は困難であると進言します』


 モモの声が静かに、しかし的確に響く。


『ご指摘ありがとうございます。そのよく見える目で、弱点を探ってはくれませんかねぇ』

『貴方から送られてくる視覚情報を客観的に整理し、伝達しているだけです。後ろを見ることはできますが、弱点を探すことはできかねます』

『そうですか、では相手の所属でも調べておいてください、ねっ!』


 ヒューズが苛立ちを軽く混ぜるように吐き捨てた直後だった。

 耳を劈くような破裂音が、空を裂いた。視界の端、火花が弾ける。ヒューズの右翼をかすめるように、銃弾が通過していた。

 空中での姿勢制御が微かに乱れる。すぐに体勢を整えながら、ヒューズは視線を走らせる。

 甲板の後方。煙と熱の余韻の中、大型の対物ライフルを構えた黒装甲の兵士がいた。光学スコープに反射する月光が、まるで冷たい瞳のように煌めいている。


「ほう……随分と本気ですね」


 ヒューズは小さく呟き、翼を傾けた。

 次なる一手は、もう頭の中で整っていた。



 ヒューズは空中で体勢をわずかに崩しながらも、即座に制御を立て直した。

 対物ライフルの弾丸がかすめた右翼には、かすかな焦げ跡が残る。

 しかし、その瞳に焦りの色はない。むしろ、わずかに口元を吊り上げた。


「やれやれ……本気のつもりですね。いいでしょう、こちらも少しだけ手札を切ります」


 両手の双銃をひねるように動かし、マガジンを排出。

 滑らかな動作で新たなマガジンを挿入し、装填音が静かに響く。

 差し込まれたのは、通常弾とは異なる専用マガジン。

 APアーマーピアシング弾、貫通性能を最大限に高めた一マガジンだけの特別な弾薬だ。


『切り札をここで使うのですか? 残弾管理はお忘れなく』

『ご心配なく。今ある手札で対応します。今までも、そうしてきたんですよ』


 軽い皮肉を含ませた返事と同時に、ヒューズはスラスターを吹かし、空中で急旋回した。

 視界の先には、未だこちらを捕獲しようと躍りかかる黒装甲の兵士がいる。

 その動きには迷いも感情もない。ただ、命令に従う機械のような無機質さだけがあった。

 ヒューズの視線がわずかに鋭さを増す。


「こちらも、容赦はしませんよ」


 ヒューズは空中で機体をひねり、再び標的を正面に捉えた。

 リリアナとヴェロニカの銃口が月光を反射し、わずかに光る。


「さて、どこまで耐えてくれるか……試してみましょうか」


 引き金が引かれた瞬間、連射音が夜の空気を叩き割った。

 AP弾が矢のように放たれ、敵装甲服の肩口と脇下を正確に穿つ。火花が散り、黒い表面に白い弾痕が走ったが、兵士は一歩も退かない。


 装甲の硬さに、ヒューズは眉を寄せた。

 跳ね返された弾丸が甲板を転がり、金属音を響かせる。


「しぶといですね……」


 敵は躊躇なく動きを加速させた。

 足元の甲板を蹴り、まるでスプリンターのようなフォームで跳躍する。機械的に洗練された動作。頭部を狙おうとした瞬間、敵は首を最小限だけ傾け、弾道を外す。


 ヒューズはスラスターを吹かし、後退しながら射角を維持した。

 両手の双銃から火線が絶え間なく走り、跳ね飛ぶ薬莢が光を弾くように散らばる。


「よく見ていますね。ですが、こちらも“数”で押させてもらいます」


 次弾、次々弾。

 リリアナの12発が脇と肘の継ぎ目を狙い続け、金属の破片が少しずつ剥がれ落ちる。

 それでも敵は止まらない。わずかに動きが鈍るたび、ヒューズは即座に別の関節へ狙いを変えた。


 ヴェロニカの連射が、左肩のアーマーを削り取る。

 表面の樹脂が焦げ、内部の補強材が露出する。それでも黒い兵士は突進を止めず、腕を大きく広げてヒューズを捕らえようとする。


「……本当に、無機質な人形だ」


 ヒューズは小さく息を整え、次の瞬間、出力を最大まで上げた。

 天目壱式が急加速し、敵との距離が一瞬で詰まる。敵の意表を突く、至近距離。

 銃口がぴたりと頸部の装甲継ぎ目に張り付くように固定された。


「終わりです」


 乾いた二重の発砲音。

 AP弾が狭い隙間を貫通し、黒い装甲の内側で鈍い破裂音が響いた。

 兵士の動きが一瞬で凍り、次いで力なく崩れ落ちる。

 火薬の匂いと共に、甲板に倒れ込んだその体は、まるで電源を落とされた機械のように動かなくなった。


「……ようやく、一体」


 銃口から立ち上る薄い煙が、月光を浴びて白く揺れる。

 ヒューズは銃口をわずかに下げ、すでに沈黙した黒装甲兵の体を視界の端に置きながら、次の標的へと意識を切り替えた。

 残る突撃型の一体が、甲板を蹴り、ほとんど音もなく迫りくる。機械仕掛けの人形のように無駄のない動き。捕獲、それだけを目的とした冷たい執念が、その黒い装甲から伝わってきた。


「これは中々、骨が折れますねぇ」


 ヒューズはリリアナとヴェロニカを構えたまま、スラスターの出力を微調整して迎撃姿勢を取った。至近距離では銃撃よりも機動が優先される。

 黒き装甲兵が手を伸ばし、ヒューズを捕らえようとした瞬間、ヒューズの脚が綺麗な黒い半月を描いた。

 スラスターを短く噴射し、脚の動きに推進力を乗せる。強化された蹴りが黒装甲兵の前腕を打ち払い、装甲同士がぶつかり合う甲高い音が甲板に響く。


『接近戦中に脚を多用するのは非効率です。両手が塞がった状態では銃を落とすリスクもあります』

『ご忠告感謝します。しかし、烏の足は、獲物を追い詰めるためにあるのですよ』


 ヒューズの声には皮肉が混じっていた。

 黒き装甲兵の次の攻撃、素早い肘打ちをヒューズは再び脚でいなした。スラスターを短く噴かし、回転するようにして蹴り上げる。噴射が甲板の表面を焦がし、火花が散る。

 それでも黒装甲兵は止まらない。機械的な執念を宿した動きで、ヒューズへ腕を伸ばす。


『随分と足癖の悪い鳥がいたものですね……』

『持てる手札は全て使う。これが“烏の足”の使い方ですよ』


 ヒューズは背部スラスターの出力を一気に解放した。

 甲板を削るような噴射音とともに宙へ跳び上がる。黒き装甲兵の顎がわずかに上がった瞬間、ヒューズの身体が空中で一回転し、サマーソルト気味に踵が突き上げられた。

 鈍い衝撃音。顎を蹴り上げられた敵の首が仰け反る。


 さらに追撃。ヒューズは噴射炎を爆ぜさせ、胸部めがけて膝を叩き込む。スラスターによる推進がその一撃に質量を与え、背中からぶつかるように甲板へと押し倒す。


「眠れ」


 ヒューズはそのまま相手の胸へ片膝をつき、リリアナとヴェロニカの銃口を無造作に下顎へ押し付けた。

 引き金が引かれると、二丁の銃口が同時に火を噴き、至近距離で連続した銃声が甲板に響き渡る。

 AP弾が装甲の裏を貫き、内部で鈍い破裂音を奏でた。

 黒き装甲兵の身体が痙攣し、膝を折るように力を失う。

 その動きが止まった瞬間、痙攣し甲板に倒れ込む音が空薬莢の弾ける乾いた金属音と共に響いた。


 ヒューズは無言で立ち上がる。

 リリアナとヴェロニカのスライドは後退位置で停止し、弾倉が空になったことを示している。

 銃口からは細い煙が立ち上り、月光に淡く揺れている。


「……やれやれ、きっちり撃ち切らされましたね」


 軽く吐息をこぼし、ヒューズは新たなマガジンを探る動作へ移った。

 しかし、その視線は次の標的から一瞬たりとも外れていない。

 黒い装甲の兵士たちが、無機質な光をマスクの内に宿し、再び包囲を狭めつつあった。


『これ以上の拳銃での戦闘行動は非効率を超えて無謀であると提言します』

『そうですね。では、大人しくオペレーターの指示に従うとしましょうか』


 撤退という選択はないのですね。と鼓膜を打つ皮肉を気にも止めず、ヒューズは新たなマガジンを装填すると、すぐに双銃をホルスターへ収めた。

 代わりに両腰へと手を伸ばし、双黒刀をゆっくりと引き抜く。刃が月光を帯び、鈍い銀光が甲板に走った。


「さて……次は、狙撃手でしたね」


 ヒューズの視線が甲板後方に向けられる。

 大型の対物ライフルを構えた黒き装甲兵が、一歩も動かず、ただスコープをこちらに向けていた。

 その動きにはまるで人間味はなく、ただ“撃つ”という行動だけを繰り返すようにプログラムされた機械そのものだ。


『ヒューズ、あの装備は厄介です。彼我の距離から、正面突破は推奨しません』


 モモの冷静な声が響く。

 ヒューズはわずかに笑い、目線を逸らさずに応じた。


『ご心配なく。真正面から行くつもりはありませんよ』


 スラスターが低く唸りを上げる。

 ヒューズは深く姿勢を沈め、そのまま甲板を蹴った。

 火花と爆風を巻き上げ、天目壱式が一直線に走り出す。


『正面突破は推奨しかねます』

『黙っていてください。銃声が聞こえません』


 狙撃手の銃口がわずかに傾く。

 閃光が走り、甲板が弾けた。徹甲弾が鉄板を貫き、鋭い火花を散らす。

 だが、ヒューズの姿はすでにそこにはない。


 低空飛行。

 甲板すれすれを滑るように走り、ヒューズはスラスターの出力を調整しながら不規則な軌道を描いた。

 着弾した弾丸が背後で爆ぜ、夜気が焦げた金属の匂いを運ぶ。


『説明を求めます』

『相手より低ければ狙いを付けるのにラグが生じます。加えて、左右に身体をぶれさせれば更に狙いを定めにくい』

『だからと言って相手に向けて一直線に接近するのは無謀すぎます』


 モモとの会話を無言で打ち切った次の瞬間、機体が一気に加速する。甲板に沿って疾駆し、そのまま跳躍。

 スラスターの噴射が尾を引き、黒い影が弾丸のように宙を裂いた。


「終わりです」


 掬い上げるように放たれた一閃が、狙撃手の構えたライフルごと右腕を切り飛ばす。

 切断面から火花と黒い液体が飛び散り、金属と肉が混ざり合った断面が月光に露わになる。


 ヒューズは着地と同時に膝を沈め、刃を引き戻した。

 次いで、一気に踏み込み、スラスターを全開に噴射する。

 爆風が甲板を撫で、死を告げる黒いカラスが一瞬で標的へと肉薄した。


 双黒刀が振り切られ、交差する。

 一閃、さらに一閃。鋭い斬撃が頸部と胴体を断ち割り、黒装甲の兵士は輪切りになって崩れ落ちた。

 断面には、血と油が入り混じった異様な内側が剥き出しになっている。


『……これは、サイバネ化とは明らかに違う』


 モモの声に、畏怖と困惑の色が落とされる。

 ヒューズは視線を逸らさず、小さく息を吐いた。


『少なくとも、もう人間ではありませんね』


 返す言葉を探す前に、甲板が炸裂音を立てた。

 散弾が弾け、金属片が火花を散らして飛ぶ。


 ヒューズは即座に後方へ飛び退き、視線を新たな標的へと移した。

 盾を構えた重装兵が、無機質な顔でゆっくりと歩みを進めてくる。


「あなた方は……何者なのですか……?」


 黒い刃が、再び月光を映し、ヒューズは滑るように甲板を走った。

 狙うは前方、無骨な盾を構えた黒き装甲兵。片手に保持されたシールドは輸送船の装甲板でも切り取ったかのように分厚く、月光を鈍く反射している。

 ヒューズは口元をわずかに引き締め、双黒刀を構え直す。


 次の瞬間、盾の裏から閃光が走った。無数の小さな弾丸が甲板とヒューズの翼を打ち据える。

 重い轟音とともに、鋼の弾丸が夜気を裂く。至近距離ならば一撃で肉片になるはずの火力だ。


 ヒューズはスラスターを吹かし、盾持ちの兵に近づきながら身体を大きくひねった。

 銀の閃きが空を切り、ヒューズの足元を甲板の金属片が削り取られていく。


「物騒ですねぇ……」


 散弾は続く。

 ヒューズは両手に黒刀を握ったまま、足を大きく振り抜き、スラスターの噴射で生じた空気の抵抗を盾にするようにして横跳びに躱した。

 火花が甲板を走り、撃ち出された散弾がその背後で跳弾となって海へと消える。


『弾数は有限です。回避を優先して、撃ち切らせるべきです』


 モモの声が冷静に響く。

 再びショットガンが火を噴いた。

 ヒューズは盾持ちの懐へ踏み込み、両足で甲板を蹴るようにして跳ね上がり、スラスターを逆噴射させる。散弾が虚しく空を切り、盾持ちの動きがわずかに止まった。


 弾切れ。


 小さく息を吐くヒューズ。突き出した大盾が彼の視界を奪うが、知ったことかと懐へと飛び込んだ。


「今です!」


 スラスター全開。

 黒い機影が弾丸のように突進し、盾持ちと真正面から衝突するように踏み込んだ。

 双黒刀が連続で振り下ろされ、盾の表面に鋭い火花が散る。しかし、分厚い防御はびくともしない。


 次の瞬間、盾の隙間から再びショットガンの銃口が覗いた。

 互いの呼吸さえ聞き取れる 距離で、フルフェイスマスクの奥の澱んだ瞳をヒューズは視た。

 引き金にかかる敵の指が、スローモーションのように感じるほどの一瞬。


 その瞬間、ヒューズの背部ユニットが低く唸った。


 飛行ユニットの下部、サブスラスターの陰から蛇腹状の構造体が勢いよく伸び出す。

 黒金属の尾が生き物のようにうねり、刃先が月光を反射して煌めいた。


「喰らいつけ、モズ


 鋭い破裂音とともに、伸びたモズが盾持ちの背中へ突き刺さる。

 金属を割る乾いた音。鋭利な三角刃が背面装甲を抉り、内部の駆動機構を一気に破壊した。


 黒装甲兵の身体が痙攣し、構えたショットガンがぶれる。

 ヒューズは刃を盾ごと押し切るようにして身体を回転させ、双黒刀を振り下ろした。


「終わりです」


 左右の黒刃が同時に閃き、盾と兵士の胴をまとめて斜めに断ち割った。

 鈍い衝撃音が甲板を震わせ、切断された上半身が遅れて崩れ落ちる。

 モズが甲板に突き立ったまま振動し、すぐさま巻き戻される。

 月光を浴びた黒い残骸が、血と油を撒き散らしながら横倒しになった。


 ヒューズはわずかに肩を揺らし、吐息を漏らす。


『戦闘報告……。未確認敵兵士四人を撃破。続けて、最後の一人の掃討にあたります』

『オペレーターよりヒューズ。相手は恐らく指揮官と思われます。お気をつけて』

『向かってくる以上やることは変わりません。それよりも、相手の所属などはわかりましたか?』


 ヒューズの問いかけに、モモは一瞬だけ言葉を詰まらせる。

 だがそれも一瞬。いつもの抑揚のない調子で、淡々と答えた。


『調査中です。現状では該当はありません』

『分かりました。後で直接尋ねるとしましょう』


 Costさえ払えば身内同士ですら戦う企業間闘争の代理人、バード商会。

 國中のほぼ全ての企業と繋がりがあると言っても過言ではないバード商会のデータベースに存在しない装備があるのかと、ヒューズは怪訝そうにモモの言葉を噛み締める。

 息を整えながらサングラスの奥で僅かに眉根を寄せ、ヒューズは双黒刀を構え直した。


「もしかしたら、本当に……繋がっているのかもしれませんね」


 通信が拾わぬほど小さく呟き、ヒューズは背後の爆炎を振り切るように、残った敵へ向けて甲板を駆け出した。

 フルフェイスマスクの奥に光る無機質なレンズが、ヒューズの動きを追う。

 その脚が、まるでバネ仕掛けのように甲板を蹴った。


 ヒューズは即座に反応し、双黒刀を振りかぶる。

 スラスターを吹かし、踏み込んでくる影を迎え撃った。


「貴方たちは何者ですか。積荷を、どこへ運ぼうというのです」


 返答は銃声。

 斬撃が甲板を走る。だが、指揮官機はわずかに上体を捻り、黒い肘でその刃を滑らせるように受け流した。

 続けざまに伸びた膝蹴りをヒューズは身を反らしてかわすが、次の瞬間には鋭い拳が脇腹を狙って突き出されていた。


 金属がぶつかる重い衝撃音。

 ヒューズは刀を交差させてそれを受け止め、わずかに顔をしかめる。


「……なるほど、近接戦闘特化ですか」

『その個体、攻撃パターンが異常です。捕獲……? 待ってください。船体内部で複数の振動を検知しました。気をつけてください。何らかの目的のための足止めと考えられます』


 モモの冷静な声が耳に届く。

 ヒューズは小さく頷く。


『ええ、十分に感じていますよ。このねちっこさ、何かを企んでいる』


 会話の最中も、指揮官型の攻撃は止まらない。

 刀で受けた衝撃が、腕を通じてずしりと響く。

 一撃ごとに押し込まれる感覚。攻撃の重さより、その“拘束する意志”が異様な圧力を生んでいた。


 ヒューズはスラスターで距離を取ろうとする。だが、指揮官型はまるでそれを読んでいたかのように一歩踏み込み、ヒューズの右腕を掴んだ。


「くっ……」


 体勢を崩す前に振り払おうとしたが、黒い影はさらに距離を詰める。

 左腕がヒューズの腰を絡め取るように回り込み、そのまま甲板へと押し倒した。

 金属が軋む音と共に、甲板に叩きつけられる。


『ヒューズ、無理に振りほどくと関節が固定されます』

『心得ています……だが、ここで沈むわけにはいきませんのでね』


 ヒューズは相手の拘束から強引に片足だけを突き上げると、片膝を立て出力を一気に上げた。

 天目壱式のスラスターが轟音を立て、青白い光を噴き出す。

 わずかに浮いたウィングバインダーで甲板を滑るように飛ぶ。スラスターから発せられる熱と振動で拘束が緩む瞬間を狙い、ヒューズは全身をひねる。


「臭うんですよ……死臭が!」


 刀を引き抜く動作と同時に体を翻し、指揮官型の右腕を切り裂く。

 金属が裂ける甲高い音。黒い腕部が甲板に転がり、ドス黒い血と火花を散らした。


 だが、それでも指揮官型は怯まない。

 残った左腕がヒューズの肩を掴み、再び甲板に押し付けようと力を込める。


 そのときだった。

 船体全体が不気味に軋みを上げていた。

 黒い指揮官が、まるで無感情な獣のようにヒューズに組みつき、甲板に押さえつける。

 腕や脚の関節を一点で極める無駄のない拘束。離れる気配はない。


「やけに粘りますね。まるで自分が死ぬのも厭わないようだ」


 ヒューズの言葉に答える声はない。ただマスクの奥、無機質な瞳がこちらを見据えるだけだった。

 その視線には、ヒトとしての意思など微塵も感じられない。ただ「ここで道連れにする」という何者かに与えられた命令だけが、その体を動かしているように見えた。


 突如、低い震動が甲板を這うように伝わってきた。

 船体の奥から、重い爆発音が連鎖的に響き渡る。

 熱気と共に、甲板がぐらりと揺れる。


『輸送船の管内で連鎖的な爆発音を検知。危険です、退避を』


 モモの声は冷静だったが、その裏にわずかな緊張が混じっていた。


「そうは言っても……この体勢のままでは……っ!」


 次の瞬間、天目壱式のスラスターが甲高い轟音を上げた。

 青白い噴射炎が甲板を焦がし、ヒューズの体が強引に弾かれるように跳ね上がる。

 拘束する腕にかかる負荷が一瞬で限界に達した。


「断ち斬れ……瑞鳳ッ!」


 黒い機影の腕を斬り払う閃光が、爆炎の赤に浮かび上がった。

 双黒刀の刃が軌道を描き、装甲の継ぎ目を的確に断つ。

 金属が裂ける耳障りな高音と共に、指揮官の身体がぐらりと傾いだ。


 だがヒューズは止まらない。

 スラスターを再び吹かし、間髪入れず踏み込みと同時に体を回転させた。

 頭上から叩きつけるような斬撃が黒い装甲を裂き、頸部と胴体を分断する。

 続く一閃が腰部を切り抜き、指揮官機は無残に三つの断片となって崩れ落ちた。


 装甲が割れ、内部から油と鮮血が飛び散る。

 断面には、複雑に組み込まれた機械部品と、生体組織の一部がむき出しになっていた。

 ヒューズはその光景に、わずかに眉をひそめる。


「これは……一体……」

『ヒューズ、退避を。これはまだ終わりません』


 モモの声が割り込む。

 その直後、船体内部でさらに大きな爆発が起こった。

 炎の柱が甲板を覆い、熱風が渦を巻いて襲いかかる。


『……了解です!』


 熱風を切り裂くようにスラスターが再び吠える。

 青白い炎が吹き荒れ、ヒューズの体は赤黒い爆炎の中を縫うように跳躍した。

 立ち昇る火柱を背に、黒き双翼が夜空を裂いて舞い上がる。

 甲板の上には、崩れ落ちた指揮官機の残骸が、まるで糸の切れた操り人形マリオネットのように横たわっていた。



 輸送船の内部で連鎖する爆発が止まらない。

 船体が悲鳴を上げるように傾き、船体を走る亀裂から炎と海水が吹き上がる。

 ヒューズはスラスターを吹かし、崩れゆく船の上空へと一気に飛び上がった。


 下方では、鋼鉄の船体が次々と海へ沈んでいく。

 赤い炎が黒い水面を揺らし、沈みゆく輸送船は断末魔のように爆音を上げていた。


 ヒューズは高度を維持しながら、甲板に散乱した指揮官だった者の残骸へ一瞬だけ視線を向ける。

 破壊された装甲の断片か、もしくは腕の一本。あれを手に入れられれば、少なくとも何らかの情報が得られただろう。


「……ですが、ね」


 わずかに高度を下げ、夜光に照らされた甲板へ近づく。

 しかし、そこにあったはずの残骸はほとんど海へと呑まれていた。

 爆炎に押し流され、残ったものも炎に焼かれて判別不能だ。

 いつどこが爆発するかも分からないこの状況では、もはや回収できる状態ではなかった。


『無理をする必要はありません、ヒューズ。これ以上の滞在は危険です』


 モモの声が、落ち着いた調子で告げる。

 ヒューズは短く息を吐き、甲板から視線を外した。


「ええ。証拠は、また次の機会に……ですね」


 モモは積荷を、ヒューズは敵兵のパーツを指して言った言葉だったが、奇跡的に齟齬がなく噛み合う。

 そんな認識のずれを気にすることもなく、スラスターが再び青白い光を灯す。

 背後で最後の爆発が起こり、輸送船が海に炎を散らしながら沈んでいく。

 黒煙が渦を巻き、燃え盛る甲板が波間に沈む様は、まるで巨大な生物が海に呑まれるようだった。


 ヒューズは夜空へと飛び上がる。

 海面に映る炎を一度だけ振り返り、低く呟いた。


【鎧の男】ヤツに、一矢でも報いることができたでしょうか……」


 その声は通信には乗らず、黒い双翼が月光を切り裂き、ヒューズの姿は静かに夜空へ溶けていった。




 夜明け前の薄暗い時間、セヴェル支部の仮設通信室。

 ヒューズは簡易端末の前に立ち、短く任務報告を終えた。


 輸送船は沈没。敵は全滅。証拠の回収は叶わず、残骸も海中へと沈んだ。

 要点のみを淡々と伝えると、端末越しに映るモモは一言だけ頷いた。


『了解しました。記録としてはこれで十分です』


 その言葉には何の感情も感じられない。

 ヒューズもまた、それ以上を求めるようなことはしなかった。

 だが報告を終え、端末の光が落ちた後も、わずかな違和感が胸に残る。


 沈む直前、あの輸送船が放っていた異様な気配。

 そして、黒い装甲兵たちの無機質な動き。

 考えを巡らせるが、明確な答えは得られなかった。


「……貴女はなぜ、この任務を私に」


 誰に聞かせるでもなく呟き、ヒューズは端末を閉じた。

 窓の外、まだ夜の色を残す空が、次の動きを告げるかのように静かに沈黙していた。



 数日後。

 バード商会セヴェル支部、そのさらに奥。通常の依頼人が立ち入ることを許されない専用窓口の裏手には、わずか数名の上級オペレーターだけが使用を許された個室があった。


 室内は簡素だが、余計なものが一切ないという意味では異様に整然としていた。

 白い壁は吸音素材で覆われ、外の喧騒は完全に遮断されている。

 机は一つ。黒い端末が一台、まるで脈打つ心臓のように小さく青い光を点滅させていた。

 空調が一定のリズムで低く唸り、部屋全体に緊張感を纏わせている。


 モモは机越しに端末を操作していた。

 黒髪を束ね、眼鏡の奥の瞳は微動だにせず文字列を追う。

 キーを打つ細い指の動きだけが、この部屋で唯一の生音だった。


「依頼は正式に完了としました。報酬は既に口座へ振り込み済みです」


 端末から目を離さずに、淡々と告げる。

 しかし机上にはヒューズ宛に用意された封筒が置かれていた。

 ヒューズはそれを手に取り、ゆっくりと中身を確かめる。


「……ただし、この件はこれで終わりではありません」


 ようやくモモが視線を上げた。

 眼鏡の奥の瞳が、真っ直ぐにヒューズを捉える。


「貴方が提出した資料の中で判別できた輸送車の運転手たちはこの数日中に全員、不審死を遂げています。 加えて、提出された記録映像に該当する兵士はやはり、こちらのデータベースには存在しませんでした」


 モモが机に置いた端末には、ヒューズが提出した戦闘記録の一部が映し出されていた。

 だが黒い装甲兵の輪郭はほとんどノイズに埋もれている。

 ヒューズは封筒の中の数枚の紙に目を落とす。

 そこにはモモが自ら書いた手書きのメモが添えられていた。

 端末に残せないと判断した情報だということが、無駄のない筆跡から伝わってくる。


「この情報は、私が留め置いています。公式記録には“輸送車と積み込み作業の確認のみ”としました」

「貴女がそう処理するなら、私は異論はありません」


 ヒューズは軽く肩を揺らす。その表情は笑っているようで、どこか探るようでもあった。

 モモは端末に視線を戻さず、珍しく興味を隠さない声を出す。


「あの時の黒い装甲兵たち……貴方はあれらに見覚えがあるのですか?」


 一瞬だけ、ヒューズの瞳が鋭さを増す。

 だがその声は穏やかなままだった。


「いいえ。ただ、私が追い求め続けた因縁に極めて近い。そう感じています」

「教えてはくれないのですね」

「貴女が、私の敵でないと証明できるまでは」


 短い沈黙。

 モモはそれ以上問い詰めず、再び端末へ視線を落とした。

 しかし、わずかに口元が緩んだようにも見えた。


「オペレーターが傭兵たちから嫌われる事例はままあります。ですが、敢えて宣言しましょう。貴方の信頼を勝ち取ると。……それに、貴方が何を追おうとしているか、興味がないわけではありませんから」


 ヒューズもまた、わずかに口元を緩めた。


「それは心強いですね。では、今後もお世話になりましょうか」

「ええ、無様な姿さえ見せなければ、いくらでも」


 ヒューズは封筒を懐に収め、軽く一礼する。

 背を向けると同時にモモは端末に視線を戻し、その青い光が再び小さく瞬いた。


 ヒューズの足音だけが個室に残り、やがてそれすら消える。

 だが、その場を支配する空気には、確かな信頼と、まだ交わされていない駆け引きの予感が残されていた。




「ふむ……。モモさんが【鎧の男】と通じている可能性は、低そうですが……」


 先ほど食べた激辛ラーメンの辛味が、まだ舌に残っている。

 数十分前、行きつけの店で「これが当分最後でしょうね」と小さく呟きながら啜ったあの味は、妙に名残惜しかった。

 車窓に映る自分の顔をぼんやりと見つめながら、ヒューズは深く息を吐く。


 ザフト地区へ向かう高速列車は雲海の上を滑るように走っていた。

 夕陽が茜から紫へと変わり、沈みゆく光が雲を紅く照らす。その美しさはどこか妖しく、胸の奥に小さな棘を刺す。

 昔からこの時間帯は“逢魔時”と呼ばれてきた。人の世と異形が交わる、境界のひととき。そんな言葉を、ヒューズはふと思い出した。


 座席に深く腰掛け、携帯端末を取り出す。

 画面をタップする指が、迷いなく文字を紡いだ。


《ヒューズです。十日前に遭遇した件について報告します》


 送信後、彼は短く息を整え、再び文字を打ち込む。


《行き先不明の輸送船を確認。積荷は見慣れぬ物資で、組織的な運用が行われていた形跡があります》


 続けて打ち込む文章を考えながら、視線を窓に流す。紫に沈む空が、ゆっくりと黒へと溶けていく。


《私が相対した敵は二種類。無機的な黒い装甲服の兵士。加えて"強き國の礎として、死ね"と叫んだ武装した輸送隊の人間がいました》

《最終的に、輸送船は乗員ごと船を爆破し、証拠を隠滅しました》


 その時、端末が小さく震えた。特徴的な赤いアイコン。セイナからの返信だ。


《そいつら、もしかして俺が戦った連中に似てるかもしれないな》


 いつも通りの軽い調子だが、その奥に沈んだ色が垣間見える。

 続けて、ファルの問いが届く。


《身体に特徴的な刻印はあったか?》


 ヒューズはわずかに目を細め、静かに指を動かした。


《確認できませんでした》


 高速列車が長いトンネルを抜ける。紫がかった黄昏が完全に呑み込まれ、窓の向こうは漆黒へと変わっていた。

 そして、新たな通知が割り込む。


《タロスだ。今、別の任務で追跡している者らに酷似している。詳細な情報を求めたい》


 ヒューズは短く息を吐き、端末に保存していたデータを呼び出した。

 戦闘時に取得した映像ログ、敵の動作パターン、残骸の断片的な解析データ。可能な限りの情報を圧縮し、慎重に送信する。

 送信バーが満ちていく様子を見つめながら、指がわずかに強張った。

 間もなく、タロスから再び短い文が届く。


《受信した。彼奴等、間違いない。【鎧の男】に連なる者共だ》


 その確信に満ちた一文に、ヒューズはしばし無言で画面を見つめた。

 指先がわずかに震えたが、すぐに落ち着きを取り戻すと、唇を閉じたまま小さく呟く。


「……頼みます。必ずや、奴へ繋がる手がかりを」


 吐き出された言葉は低く、しかし強い熱を帯びていた。

 列車が軋むように揺れ、遠くで雷鳴が小さく響く。


「……十年。生き恥を晒してきた甲斐があったというものです」


 低く押し殺した声が、かすかに車内へ落ちた。

 窓の外では雲海の向こうに夜が降り、闇と光の境目がゆっくりと飲み込まれていく。

 紫に染まった空が黒へと沈むその光景は、どこか禍々しく、それでいて美しい。


 タロスが動くとき、それは特務機関スサノヲがその牙を剥くときだ。

 その一歩が血に塗れる未来を、ヒューズは疑わなかった。

 そしてタロスならば、きっと情報を持ち帰るだろう。


 静寂が支配する車内で、列車が低く唸りを上げる。

 その響きは、鬼が遠くで喉を鳴らす声のように聞こえた。


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