#28 双黒は鋼塔を斬り伏せる



 ヒューズが第八商業街区港に張り込みを始めてから、すでに数日が過ぎていた。

 初日から三日目までは、空と海と波のざわめきだけが支配する、平和そのものの時間が流れていた。


 ヒューズは日中、小型の双眼鏡を片手に港湾区域の外縁にある崩れかけた倉庫の屋上に潜んでいた。

 何度か工事中のトラックや清掃業者の出入りもあったが、どれも無関係な民間業者ばかり。

 潮風の匂いに煙草の香りが混じるだけで、場の空気は終始静かだった。

 四日目の夜も、同じように何事もなかった。だが、その穏やかな静寂が、逆に妙な違和感として胸に引っかかり続けていた。

 変化があったのは、五日目の深夜。時計の針が二時を回った頃だった。


 夜の帳が静かに港を包む頃、海風がかすかに生ぬるく変わる。

 それは季節や天気ではなく、“動き”が始まる予兆だった。


 まず、社名もロゴもない無地のトラックが、ヘッドライトを落としたまま港湾道路に滑り込んできた。

 タイヤが乾いた砂利を踏みしめる音が、妙に静まり返った構内に微かに響く。

 それだけでも、いつもの夜とは異なる異質さが肌に伝わってくる。


 車体の色も番号も徹底的に隠蔽されており、塗装には光を反射しない特殊なマット処理が施されているようだった。

 トラックは一台、また一台と港の奥へと進み、その度に地面に鈍くブレーキ音が落ちる。


 やがて、沖合に控えていたであろう小型のボートが、いくつも港へと入ってきた。

 エンジン音は波音に紛れるほど小さく絞られていたが、接岸の動きは妙に整然としていた。

 ボートからは、ツナギ姿の男たちが次々と現れる。

 皆一様に顔を伏せ、足取りは素早く無駄がない。無言ながら、その所作には確かな意思と統率された匂いがあった。


 空虚だった港が、瞬く間に人の気配で満たされていく。

 そして次の瞬間、建物の縁に取り付けられた照明が、不意に灯った。


 照明は最小限に抑えられていた。

 だが、それぞれの動線に合わせて効率的に配置されており、暗闇の中でも必要な場所には確実に光が届く。

 それは単なる作業灯ではなく、監視と制御の意図を孕んだ明かりだった。


 ヒューズは、小さく息を吐いた。

 その目は、単なる厳重さでは説明のつかない“空気”を感じ取っていた。

 誰かに命令されたようでもあり、自発的な使命感にも似た気迫が、作業員の所作に宿っている。


「少し、探りを入れてみましょうか」


 崩れかけた倉庫の屋上で港で蠢く影を眺めていたヒューズはコートの前を軽く掴むと、一気に脱ぎ捨てた。漆黒の装甲服が月光を鈍く反射する。

 これから先、ヒューズが行おうとしている行動に、コートは邪魔になるだけだった。


 不審な荷物の出入りは確認できた。ここで踵を返し、報告しても任務としては達成できるだろう。

 だが、ヒューズは立ち上がり、荷物を確認することを決意した。


 “見つかれば、戦闘は避けられない”


 ヒューズの戦士としての勘が、そう告げていた。

 彼の背を押したのは任務の責務というより、抑えきれない直感だった。あの整然とした動き。無言で迷いなく動く作業員たちの姿。それは単なる“物流作業”には見えなかった。


 海風に乗った油と錆の匂いが、鼻腔をくすぐる。ヒューズは倉庫の壁に背を預けながら、ひとつ息をついた。そして静かに走り出す。壁沿いを進み、荷下ろしエリアの裏手を回り込むと、コンテナ群が広がる集積所が見えた。


 照明の死角。そこを縫うように、身を低くして進んでいく。影から影へ、コンテナの谷間を無音で移動する。

 不意に風を切る音。ヒューズは即座に伏せた。視線の先を、監視ドローンが一機、緩やかに横切っていく。やけに厳重な警備だ。


 やがて、集積所の屋上へと通じる梯子にたどり着く。ヒューズは慎重に手をかけ、ゆっくりと登っていく。足音ひとつ立てず、最上段で体勢を整える。

 そこからは全体が見渡せた。ヒューズが屋上へ辿り着くまでのわずかな時間で、作業員たちは小型ボートへの積み込みを開始していた。検品作業の最中らしく、一部のコンテナが開かれ、中の様子がちらりと覗く。


 ヒューズは身体を前に乗り出す。見えた。内部には、まるで人間が楽に収まってしまうほどの大きさのカプセルのような物資。養生材に包まれ、その輪郭のすべては確認できない。

 だが、確かにそれは、単なる貨物ではなかった。



 その時だった。背後から、かすかに空気を切る音。ヒューズが振り返ると、監視ドローンがすでにこちらにレンズを向けていた。

 ヒューズの背筋を氷塊が滑り落ちる。物資をよく見ようと、意識を視線に集中しすぎていた。


 警戒を示す赤い光が、視界の隅に弾けた。


 ヒューズは屋上の手すりから即座に身を引き、仰向けに転がる。次の瞬間、乾いた銃声。後方の配管に跳ねた弾が金属音を響かせ、火花を散らす。


 「誰かいるぞ!」

 「見られたのか!?」

 「逃すな、殺せ!」


 怒声が乱れ飛ぶ。どこか不慣れな響き。だが、その焦燥と殺気は紛れもない本物だった。


 船上の作業員たちが慌てて銃を構え、ヒューズに向けて引き金を絞る。統制も訓練も見られない。それでも数と勢いは侮れない。


 金属の手すりを蹴って、ヒューズは斜め下のトラックの屋根へ飛び移る。膝を曲げて着地の反動を殺すと、すぐさま隣のコンテナの影へ身を滑り込ませた。

 照明塔の光が旋回し、白い円を描いて足元を這う。倉庫の屋根が明るく照らされ、逃走経路が露わになっていく。


 ヒューズは物陰から次の影を目で測った。呼吸は整えられている。汗が額を伝い、首筋を冷やす。


 だが、足を踏み出しかけたその瞬間、ヒューズの網膜に警告サインが点滅した。

 装甲服のセンサーが、赤外線の微細な網を検知している。

 地面から腰高まで、複数のレーザーが走っていた。目視ではまず気づけないだろう。


 「……よく張り込んだものですね」


 低く呟くと、ヒューズは僅かに膝を折り、壁際のパイプを伝って身を翻した。僅かにずらした一歩で、赤外線の網を潜り抜ける。

 設置の高さと角度、数。罠というより“慣れた手つき”を感じさせる配置だ。だが、動きに迷いはない。


 視界の端に、装備インターフェースの仮想表示が浮かび上がった。


 〈天目壱式:ステルス状態で待機中〉

 〈戦闘装着:安全範囲外〉


 まだ呼べない。気配を消し、視界を振り払い、闇へ紛れるしかない。


 足音が迫る。金属板の上を踏む硬質な響きが、距離を詰めてくる。


 ヒューズは身を屈めて倉庫裏へ回り込む。油の匂いと潮の香りが混じる中、通路の角で二人組と鉢合わせた。


「……このっ!」

「失礼、眠っていて下さい」


 咄嗟に踏み込む。手前の男の膝裏を薙ぎ払うと、もう一人には肘で喉を突く。呻き声が漏れ、倒れた音が夜気に溶けた。

 腰の銃は抜かない。殺さない。ただ無力化するだけ。


 反対側から照明が迫っていた。ヒューズは時折装甲服の表面で弾ける銃弾の痛みに顔をしかめながら、港の入り口へと走る。コンテナの隙間、倉庫の裏道、あらゆる影を縫って進んだ。



 やがて、逃げたヒューズは照明が届かぬ港の外縁へ辿り着いた。眼前には手すりと、その先には崖が待ち構えている。

 背後で足音が止まる。追跡者たちが包囲を固めている気配に、ヒューズはどうしましょうかねぇ、と口の中で独りごちる。


 ヒューズは息を整え、視界の端に再び浮かんだアイコンに意識を向けた。

 いま呼ぶしかない。だが、まだ範囲外。あと、少し。

 風が、海から吹き上げる。

 下を覗くと、暗い海面と、岸壁に打ち寄せる白い波飛沫がヒューズを噛み砕く牙のように待ち構えていた。


 崖を背に向き直ったヒューズの前方には、武装した作業員たち……否、“狂信者じみた”男たちが迫っていた。全身を黒い作業着に包み、肩や胸には何のロゴもない。だがその手に構えるのは、一様に同じ型式のサブマシンガン。口数ひとつなく、足取りだけが妙に揃っている。

 崖際に孤立したヒューズを、三方からじりじりと追い詰める。


 「何者だ」


 追跡者の1人から発せられた、低く、抑揚のない問い。

 ヒューズは、サングラス越しに前方を一瞥し、口元だけで笑った。


 「お答えできかねます。人に名を聞くのであれば、まずは自分たちから名乗られては?」


 返答はなかった。ただ一人が、すっと銃口を向ける。まるで合図だったように、他の者たちも同時に狙いを定めた。

 ヒューズは肩をすくめる。


 「ウチの交戦規定で、民間人には発砲できないんですよ。命拾いしましたね」

 「黙れ。積荷を見た者は、殺す」


 無機質な声には、ためらいすらなかった。最初から回答など聞く気もないように、男たちは引き金に指をかける。

 ヒューズはわずかに視線を動かす。夜の視界に同調したインターフェースが、右上の隅で点滅を始めていた。赤い輪郭で囲まれた、“天目壱式”のステータス表示。呼べる、今なら。


 「強き國の礎として、死ね」

 「残念ですが、あなた方に殺される予定はありません」


 そう言って、ヒューズは足元を見下ろした。潮騒。岩壁。水面まで、数十メートル。


 「……来なさい。天目壱式」


 低く静かな声が、海風に乗った。

 その言葉を最後に、ヒューズは身を翻し、ためらいなく後方の崖へと身を投げた。

 銃声が遅れて鳴り響く。複数の弾丸が、彼のいた空間を貫いた。

 しかし、すでにヒューズの姿は、夜の海へと落ちていた。

 敵の男たちが、初めて目を見開く。誰もが銃を構えたまま、崖の縁へ駆け寄り、下を覗く。


 そのとき。


 轟音が、彼らの背後から夜を裂いた。上空から、月光すら歪ませるような楕円形の影が滑り込んでくる。音速に近い速度でヒューズに向かい、夜空を背にしたその姿が彗星のように軌道を描く。


 影……天目壱式テンモクイチシキが男たちの上空を通り過ぎた次の瞬間、巻き起こった熱波と風圧が、崖際に立つ作業員たちを容赦なく襲った。

 体勢を崩し、うめき声を漏らしながら数人が尻もちをつく。突風に煽られ、砂利と埃が視界を遮った。


 「な、なんだ……!」

 「上空から来たぞ!?」


 装備はあっても訓練されていない身体が、咄嗟の状況に追いつかない。怯えと混乱が、男たちをじわりと蝕む。


 海面へ落下する寸前のヒューズを、舞い降りた天目壱式の翼が空中で包み込んだ。背中に装着された翼型の飛行ユニットが展開し、胸部装甲が嵌まり、メインスラスター、サブスラスター、補助翼が順に駆動していく。


 重力が反転するような浮揚感が、彼の体を包む。

 推進機構が点火し、海面へ叩きつけられる寸前のヒューズを引き上げる。

 そのまま上昇。光と煙の筋を残して、彼は夜の空を駆ける。


 「っ……起動、確認」


 天目壱式とのリンクが完了した網膜のインターフェースが自動起動し、視界に風速・高度・姿勢制御のデータが流れ込んでくる。

 ヒューズは一瞬、安堵の吐息を漏らした。

 

「新型機で練習もなしにこんな曲芸飛行……やるもんじゃありませんね」


 ヒューズはそのまま旋回し、港湾施設の上空へと切り返す。荷物を運んでいただけのには最早一瞥する暇もない。

 相対した彼らの情報だけはしっかりとバード商会のモモに送信し、ヒューズは港湾施設へ向かうべく翼を広げた。


 だが、彼が戻った時には、すでに倉庫の灯りは落ちていた。

 地上では、ボートも、作業員も、そして積荷も、すでに姿を消していた。

 空に浮かびながら、ヒューズはひとつ深く息をつく。


 遅かった。だが、確かな“何か”を、ヒューズはその目で見た。


 視線を下ろせば、港湾施設の傍から沖へ向かって、白い水飛沫がまだ薄く軌跡を残していた。幾筋にも伸びた波の尾は、いくつかのボートが足早に海へと去った証左。

 天目壱式の翼が微かに軋み、推進機構が再点火する。ヒューズは即座に進路を転じると、その航跡を追いかけた。



 沖合へと数キロメートル飛び進んだその先。暗い海面の向こうに、鈍く光る影が浮かんでいた。

 光もほとんど灯されておらず、甲板では人や機械が動く気配もない。ただ、船体中腹のハッチがわずかに開き、ボートを格納している様子だけが視認できた。

 ヒューズは眼下の艦影を見据えながら、唇を引き結ぶ。


「……あれが、“積荷の終点”というわけですか」


 ヒューズは高度を保ちながら、防弾サングラス越しに船体を注視した。

 ぼやけた月光に照らされたそれは、かつては石油や鉱石でも積んでいたのだろうか、錆と補修の痕が目立ち、くすんだ鉄の肌が波間に沈みかけている。


 「中型の……貨物船ですかねぇ」


 呟き、しかしヒューズはすぐに気づく。


 全長およそ七十メートル。小型船舶とは明らかに異なるシルエット。かつての民間貨物船を改造したと思しき艦体には、レーダードームのような構造物が追加され、ブリッジ上部には簡素ながらも通信アンテナが乱立している。

 波間に揺れるその船体の側面には、やはり社名も識別番号も一切存在しなかった。

 この船はただの商船ではない。軍用か、あるいはそれに似せて何かが手を加えられている。


 「社名も出してないなんて、随分と徹底されてますねぇ」


 ヒューズは僅かに目を細め、スラスターを吹かして高度を調整した。船の輪郭が、月明かりの下ではっきりと露わになる。


 甲板に人影はない。代わりに、最後の一隻と思われるボートが船腹のハッチへと飲み込まれていった。

 ヒューズはゆっくりとグローブを握り締める。


 「妙ですね……密輸にしては、あまりにも隠蔽工作が徹底しすぎている」


 ヒューズが怪訝そうにするのも、無理のない話だった。この偽装輸送船には、アウトローな密輸業者がやるような“粗雑さ”が微塵も感じられない。

 いっそ“國”やそれ以外の大企業の秘密輸送船とでも考えた方が、まだ説得力がある。そんな異質さをヒューズは感じ取っていた。


 意識を集中させる。視界の端には、接近警報も敵影反応も表示されていない。

 彼は一つ、小さく息をつく。


 「確かめるしかなさそうです」


 その言葉とともに、ヒューズは滑空姿勢に入り、薄闇に覆われた海原へ、まっすぐ降下を開始した。



 洋上に浮かぶ中型輸送船を、ヒューズは高空から見下ろしていた。

 社名は塗り潰され、船体には登録番号すらない。風に流されるように波間を漂うその姿は、不気味なほど静かだった。

 だが、甲板の両舷に鎮座する近接防衛システムCIWSが、その沈黙に鋭利な刃を加えている。民間船には不釣り合いな砲塔。その存在だけで、この船が何者かを物語っていた。


 この輸送船の乗員たちも、まさかヒューズが単独で航空戦力を携え追撃してきているとは考えもしていないだろう。

 それだけ、旧“カラス部隊”そしてヒューズの駆る“天目壱式テンモクイチシキ”という飛行ユニットは異質な戦力だった。

 その証拠に、輸送船はボートを収容して以降目立った動きはなく、甲板にも人影は見えない。

 だが、ヒューズは知っている。こういう沈黙には、何かが“動き出す”直前の気配がある。


 やがて、ブリッジに灯りがともった。

 幾人かの影が、計器に手を伸ばし、船を出航させようとしていた。

 それは、潜伏をやめ、行動を開始する意思の現れだった。


「おや……動きますか」


 誰に聞かせるでもなく、ヒューズは呟いた。

 確証などない。だが、妙だった。

 社名も掲げず、軍用火器を備えながら、夜陰にまぎれて動き出す。

 何者かが何かを隠している。

 その確信だけで、ヒューズにとっては十分だった。

【鎧の男】の仕業かどうかは分からない。

 だが、このまま見過ごせば、きっとあとで寝覚めが悪い。


 ヒューズは短く通信を開く。


『こちらDランク傭兵ヒューズ。これより標的船への攻撃行動に移行します。時刻は深夜二時三十八分。記録モードを開始』


 数十秒ほど待機したが、通信先に返答はなかった。だが、彼は構わなかった。この戦闘は記録され、彼女が必ず拾い上げる。


 ゆっくりと、両腰の双黒刀に手を伸ばす。

 鞘から刃が滑り出すその感触は、何度味わっても決して慣れることのない、戦いへの儀式だった。

 冷たい月明かりを受け、二本の刃が夜の空気に鋭くきらめく。


「……いざ、参ります」


 宙を滑るように旋回しながら、下方に浮かぶ輸送船に近づいていく。。

 月明かりに照らされた灰色の船体。その両舷には、どこかの戦闘艦から転用されたと思しき砲塔、CIWSが据え付けられている。

 まるで不気味な瞳のように、沈黙を保ったまま空を睨み続けている。


 滑空しながらヒューズは機体を傾け、まずは船の左舷へと接近した。

 彼が行ったのは、搭載されている火器の射角や反応範囲を確認すること。まさか虚仮威しのハリボテということはないだろうが、その性能は測らねばならなかった。

 だが、それは即座に応じられる形となる。CIWSの砲身がわずかに旋回し、空を追尾する気配を見せたのだ。


「……おっと」


 ヒューズは舌打ちと共に、左へ急制動。

 白煙の軌跡を引いて海上を迂回し、距離を取る。

 機体が振動する中、飛行ユニットの大型ウィングバインダーの裏に格納されたスロットから一発目のミサイルを発射した。


 鋭い音を残して飛翔したミサイルは、しかし数秒ののち、CIWSの砲火によって空中で撃ち落とされる。

 炸裂音と共に夜空に広がる火花。それを見下ろし、ヒューズは眉をしかめる。


「こいつは……思った以上に優秀ですね」


 次の一手を、ヒューズはほとんど無意識に構築していた。

 機体の出力を最大まで引き上げる。装甲服の内側を、重圧が押し潰すように包み込んだ。

 視界が海面に急接近する。月光を反射して揺れる波頭。その向こうに見えるCIWSの砲身が、わずかに角度を変えた。


「まだだ。まだあと少し。こっちを見ろ……」


 独り言のような囁き。だが、それは質量を持った標的として正確に“誘導”として機能する。

 ヒューズは機体の翼を傾け、自らをあえて射線上に晒すように移動した。


 砲口が鎌首をもたげ、鋼鉄の顎門あぎとが咆哮する。


 わずかに沈黙を裂いて、CIWSが動いた。直後、甲板に鎮座するCIWSの砲門から海面すれすれを飛翔するヒューズへ向かって数百発の徹甲弾が放たれる。

 海面が爆ぜた。炸裂音とともに、白銀の水柱が何本も立ち昇る。荒れ狂う水飛沫がヒューズの視界を覆い隠した。


 その瞬間を、待っていた。


「今です」


 水柱の陰から、二発目のミサイルが射出される。

 噴射炎が海面に火の帯を描き、真っ直ぐに船体へ向かって飛翔した。


 だが、ヒューズはさらに動く。

 身体を仰け反らせ、急激に上昇姿勢を取った。

 慣性が腹を引き裂くように内臓を圧迫する。それでも彼は、冷静に、もう一発のミサイルを斜め上へと撃ち放った。


「囮になっていただきますよ」


 高高度へ向けて放たれた三発目のミサイル。

 それは熱源と飛翔角から、意図的に“攻撃対象”として選ばれるよう設計された囮だった。


 CIWSのセンサーが反応する。砲身が跳ねるように動き、上昇するミサイルに狙いを切り替えた。

 火線が夜空を裂き、数秒後、囮のミサイルが空中で爆ぜた。炎と煙が花火のように広がる。

 爆風の煽りを受けヒューズの姿勢制御が僅かに崩れるが、想定の範囲内だと強引にCIWSの掃射を潜り抜けていく。


 だが、それはミサイルとヒューズ自身を囮にした目くらましに過ぎない。

 海面を這うように進んでいた本命のミサイルが、水飛沫と囮の閃光の下で軌道を上げる。

 爆発音が収まらぬうちに、斜め下から飛来したミサイルが砲塔を貫いた。


 直後、爆発。


 鋼鉄の防盾が吹き飛び、CIWSの基部がひしゃげる。

 砲身が砕け、甲板上に火の粉が降り注いだ。

 煙が渦を巻きながら、静かに夜の海に沈んでいく。


 ヒューズは高空で機体を旋回させながら、冷静に残る一基のCIWSを見据えた。


「さて……もう一丁」


 闇夜に、彼の黒き双翼が静かに翻った。


 甲板に火の手が上がった直後から、事態は加速する。


 左舷のCIWSが吹き飛ばされた爆音と爆風は、否応なく船内の人員を刺激していた。鉄骨が軋む音とともに、装甲扉が開き、十人ほどの影が甲板へとなだれ出る。半数は消火器を手にし、煙を上げる砲塔へ向かって駆け出した。残る者たちは即座にヒューズの飛来方向を察知し、手にした銃火器を構えた。


 警戒と混乱が交錯する中、黒い双翼が宙を走る。


 ヒューズはその動きを正面から受け止めるように、一度左へと回り込んだ。

 高度を取りつつ右舷へ急旋回。敵兵のうち数名が彼に銃口を向け、閃光と轟音を撒き散らす。


「っ……!」


 アンチマテリアルライフルとおぼしき弾丸が、ウィングの縁をかすめた。

 火花が弾け、機体がわずかに傾ぐ。だが、ヒューズは振り返らない。正面突破。最短で右舷のCIWSに接近する、唯一の道。


 距離を取りながら、彼は海面ギリギリまで降下する。

 波間に浮かぶ夜の影。水飛沫を切る推進音を残しながら、黒き機体が疾走する。

 並行するように、最後のミサイルが射出された。


 甲板のCIWSがその動きを捉える。

 砲身が駆動し、火線を描く。夜空を裂く鋼の暴風がミサイルを叩き落とし、海面に爆炎と衝撃波を撒き散らす。


 爆風の影。閃光と水柱が、すべての視線を奪った。


「かかりましたね……っ!」


 燃え盛る残滓の中から、さらに深く。ヒューズはあえて爆炎の下を抜け、さらに高度を下げて船体へと迫っていた。


 その飛行はもはや滑空とは呼べなかった。黒き双翼を大きく広げた機体は、ほとんど刃のように海面を切り裂きながら突き進む。水面を擦らんばかりの低さ。両翼の先が風圧と潮を巻き上げ、夜の海に白い線を描いていく。


 月光に濡れた船体の側面が、すぐそこに迫る。

 ヒューズは身体を強引に引き起こし、加速の勢いを殺さずに、一瞬の間隙の後にむしろ加速していく。

 背部に設けられたメインスラスターとサブスラスターが同時に噴き上がる。蒼白い炎が後方へと吹き上がり、重力に逆らってその身を跳ね上げた。


 海面から垂直へ。まるで壁を駆け上がるかのように、ヒューズは輸送艦の舷側を駆け昇っていく。

 風圧が体を叩き、視界が火の粉と爆煙に覆われる。船体の振動。甲板のざわめき。全ての音を置き去りにして、彼の視線はただ一つ、CIWSの砲塔を見据えていた。


 鋼鉄の砲口が、わずかに跳ねる。火線がヒューズの頭上を駆け抜けるように走った。

 一発でも当たれば人間の身体など容易く引き裂く死の葬列はしかし、ヒューズには決して届かない。


 砲塔の照準は下を捉えられず、ヒューズの動きに追随できていなかった。

 それは、この攻撃が完全な死角からの一撃であることを意味していた。


 双黒刀が火花を散らしてCIWSに喰らい付く。

 横薙ぎに振り抜かれたその刃が描いた軌跡は、船体から突き出るように伸びた暗い金属の肌の上に、鮮烈な二条の爪痕を刻みつけた。


 交差の頂点。空中に浮かぶ一瞬の静寂の中、砲塔の外殻が軋む音が微かに響く。

 鋼の悲鳴が空気を震わせ、傾いたCIWSの砲塔が最後の足掻きを見せた。

 だが、それだけでは終わらない。


 すれ違いざまにCIWSを斬り付け甲板上に躍り出たヒューズのその背面、サブスラスターの下部付近から、黒金の蛇腹が音もなく展開される。

 複数の金属節が関節のように連なり、まるで意志を持つ生き物のように宙を滑る。

 その蛇腹の先端には鋭利な三角刃が取り付けられ、艶めく刃が微光を反射していた。


 それは、全長およそ一メートルの伸縮式打突装備。

 開発者であるアマノメイツカにつけられた銘は、『モズ』。


 ヒューズは旋回動作と同時に反転し、振り返りざまにモズを撃ち出した。


 鞭のように撓ったモズは、唸りを上げながら砲塔へと襲いかかる。

 空気を引き裂く破裂音とともに、三角刃が砲塔の外殻に激突した。


 鋼鉄が抉れる感触が、確かな振動となってヒューズの背を駆け抜ける。

 外殻が裂け、内部の駆動部が露出し、砲塔の動きが鈍った。


 その一瞬の隙を突き、ヒューズの身体が引き戻されたモズの蛇腹機構に導かれるように砲塔の正面へ滑り込む。

 再び、双黒刀が閃いた。

 鋼鉄の砲塔を大上段から断ち割る二連撃。

 それは、先に刻まれた横薙ぎの印へ十字を刻むように叩き込まれた、止めの斬撃だった。


 空気が震えた。

 衝撃が遅れて爆ぜ、CIWSが崩れ落ちていく。


 火花と黒煙。

 爆風が甲板を揺らし、光が閃く中、ヒューズの影が静かに立ち現れる。


 着地の衝撃を受け流すように膝を曲げ、ヒューズは双黒刀を構えたまま姿勢を整える。

 その背で、モズがゆっくりと巻き戻され、ユニット内部へと納まっていった。


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