#20 黒鉄の雨

 雨が降り始めた。


 天蓋を覆う濁色の空。その下、均整局ザフト支部の周囲には、まだ戦いの余韻が色濃く残っていた。

 爆発の爪痕が抉ったロビーは、壁が崩れ、床は焦げ、硝煙と鉄の匂いが漂っている。


 工業街区から立ち昇った光化学スモッグが空気中で変質し、空を這うように広がった黒雲を生んでいた。

 そこから降り注ぐ雨は、粒子の粗い粘性を帯びており、肌に触れるとわずかに痺れを与える。

 まるで、都市そのものが毒を吐き出しているかのような錯覚。


 救護車両のサイレンが遠くから近づいてくる。

 やがて光を瞬かせながら現れたのは、救護局の専用車両と、白銀の襟章を胸元に留めた均整局本局の局員たちだった。

 上層街区から急行してきた彼らは、全均整局員の中でも選りすぐりのエリート。

 現場の惨状を目にしても表情を変えることなく、整然とした足取りで調査と記録に取り掛かっていく。


 そのすぐ後に、黒と灰を基調とした古代ヒノモトの狩衣という和装に似た出立ちの一団が雨の中に現れた。

 天理機関ツクヨミから派遣された解析官たちだ。

 袖や裾には機能的な合金プレートが織り込まれ、腰の帯にはデバイスが組み込まれている。

 かすかに発光するその中央には、ツクヨミを象徴する印章が淡く光っていた。


 最も目を引くのは、顔を覆う白布だ。

 ヒノモトの古式装束を思わせるその布は、頭部から垂れ下がり、表情を完全に隠している。

 だが、わずかに覗く目元には、視覚補助装置らしきインターフェースがきらめいていた。


 彼らは戦場に倒れた特殊部隊の遺体には目もくれず、無言で機器を展開しながら、破壊された機動兵器の残骸と、爆心で変形した局長の亡骸の周囲に散らばるデータ片を採取しはじめた。



 ロビーの隅、崩れた壁の陰に身を寄せていた五人は、瓦礫を背もたれに腰を下ろしていた。

 汚染された雨が止む気配はなく、重たく湿った空気が肌にじっとりとまとわりつく。

 爆発の衝撃でひび割れた床からは、未だ燻るような焦げた匂いが立ち上っていた。


 ファルの肩にできた裂傷を、ハムドが簡易処置キットで黙々と手当てする。

 その横で、ガウアは黙してうつむいたまま、靴先を見つめていた。

 憔悴しているのは明らかだったが、それでもまだ、話を聞くだけの力は残っているようだった。


「……さっきの鎧の男。あんた、あいつと何かあったのか?」


 静かに口を開いたのはブラストだった。

 彼の声は、いつになく低く落ち着いていた。

 雨の帳を背に、タロスは一つだけ頷いた。


「十年前。國で起きた“神託の姫巫女暗殺未遂事件”を知っているか? その時、私はスサノヲの隊長の1人として“神域”の防衛任務にあたっていた」


 タロスの語り口は穏やかでありながら、その言葉のひとつひとつが硬質で、よく研がれた刃のようだった。

 あの日、天帝と姫巫女が列席する“継承の儀”の最中に護帝機関アマテラスの隊長格であるオウゼンがクーデターを起こし、大型の人型機動兵器“神威”を駆って神域へと突入。天帝と姫巫女の暗殺を企てた。

 その裏には、タロスが今ここで出会ったばかりの、あの【鎧の男】の姿があったのではないか、と。


「私はオウゼンの神威と交戦し、右半身を失いながらも、姫巫女と天帝を護り通した。だが……オウゼンは、死んではいない。公式発表とは裏腹に、奴は“神威”と共に神域から撤退したのだ」


 誰も口を挟まなかった。

 この話に、軽々しい言葉など必要なかった。


「オウゼンとあの【鎧の男】。二人の間に繋がりがあるのは、もはや疑いようがない。私は、この十年間、奴の痕跡を追い続けてきた。……だが、今夜、ようやくあの仮面の顔を正面から見た」


 そして、タロスはわずかに息を吐いた。


「今後、私は【鎧の男】を追う。……貴公らと目的は同じだ。よければ、行動を共にしても構わぬだろうか?」


 ブラストは一瞬だけ目を細めた。

 そして、わずかに口角を上げて言った。


「そりゃ……頼もしい助っ人だ。断る理由はねぇよ」


 雨はまだ降っていたが、確かにその場の空気は、少しだけ軽くなっていた。



 タロスの言葉が落ち着くのを待っていたかのように、白布を垂らした一人の解析官が、静かに近づいてきた。

 黒と灰の和装に身を包み、腰に吊るされたデバイスが微かに発光している。

 その足取りは一切の音を立てず、まるで影が滑るようだった。


「タロス殿、機動兵器と遺体の初期解析が完了しました」

「よろしく頼む。戦闘に加わった彼らも同席させるが、構わないな」

「タロス殿が許可したと書類にサイン頂けるなら、問題ありません」


 解析官の回答に眉根を寄せたタロスは言葉に詰まるように腕組みし、面倒そうな顔で天井を見上げた。

 スサノヲの隊長であるタロスが同じ“國”の組織とはいえツクヨミの領分で責任を取らされることを面倒くさがっているように見えて、ブラストたちは以前極東重工で相対した時とのギャップに目を見開く。


「……エイルが許可を出したことにしておいてくれ。そこは私が責任を持って彼奴に押し付けよう」


 タロスの言葉がおかしかったのか、解析官が布面の下でくすりと笑う。どうやら、彼らの中では“いつものこと”という認識らしい。とりたてて抗議を受けることもなく、そしてタロスがサインをすることもなく、解析官が中空にホログラムを浮かび上がらせた。

 映し出されたのは、クリフの遺体と、破壊された機動兵器のコクピットブロック。


「まず、局長クリフの死体について。肉体に異常は確認されませんでした。身体強化や義肢の装着もなく、年齢相応の筋力と反応速度。医学的にも、完全に一般人と同等の肉体です」

「つまり……」


 ブラストが腕を組みながら眉をひそめた。


「訓練も強化もなしで、あの機動兵器を操っていたってことか。やってること、めちゃくちゃだぞ」

「死体から判明したことは、『クリフは専門的な訓練を何一つせず、戦闘用の機動兵器を操縦し、各企業の私兵たちを追い詰めた』ということです。では次に、機動兵器の解析結果についてですが……」

「ちょ、ちょい待てって。そんだけか? なんかこう、実はコッソリ練習してた痕跡とかさ。私見とかないわけ?」

「はい。我々の業務は解析であり、私見や余計な情報を答弁する立場にはありません」


 澱みなく、淡々と答える解析官にブラストの軽口も暖簾に腕押し、諦めて閉口するしかなかった。

 ブラストが口を閉じたことに満足した様子で、解析官はホログラムの画像を彼らが破壊した機動兵器へと切り替える。

 そこには、爆発で一部が炭化したコクピットの残骸が表示されていた。


「残念ながらコア周辺の損傷が激しく、構造全体の解析は不可能です。ただし、いくつかの回路網と神経接続系の痕跡が残されており、これが……おそらく“神経同調型操縦システム”である可能性が高いと判断されました」

「神経同調型……」


 ハムドが口を挟んだ。


「それ、脳とリンクして直感で機体を操縦するってこと?」

「ご明察です」


 解析官の布の奥で、わずかに光る視覚装置がきらめく。


「ただし、現行技術ではこのシステムは実用段階には至っておりません。この國のどの企業、研究機関、兵器部門を調査しても、これに類する技術を正式に運用している例は一つも確認されていません」

「……じゃあ、アレは“國”のどこかに隠されてる技術ってことか」


 ファルが苛立ち混じりに唸る。


「あんなもん、正規ルートじゃ絶対手に入らねぇぞ」


 解析官は何も言わなかった。だが、その沈黙が事実を肯定していた。


「……クリフが、どこからあの技術を手に入れたのか。それが分かれば、【鎧の男】の正体にも近づけるかもしれん」


 タロスが低く呟く。


「……だが、それは困難だ」


 ガウアが重く口を開いた。


「クリフは、あの男に消された。情報は、全部焼かれちまった」

「いや、逆に考えるべきだな。あの男が直々に現れたってことは……クリフが喋ることを恐れていた。つまり、【鎧の男】はクリフの協力者じゃなく、“主”だったってことだ」


 ブラストの発したその言葉に、一同は黙り込んだ。

 雨が、まだ降っていた。

 遠くで、また救護車のサイレンが鳴る。


「奴が言ってた“あのお方”……つまり【鎧の男】は、“國”のどこかにいるんじゃねぇのか?クリフの言い振りからして……少なくとも、均整局や極東重工じゃない。もっと深く、もっと上だ」


 ブラストが呟くように言うと、ガウアが低く応じた。


「三機関……アマテラス、ツクヨミ、スサノヲ。どこかに、奴に繋がってる“何か”がある。國そのものじゃなくても、國を内側から“変えられる立場”にいる。じゃなきゃ、あの動きは成立しない」


 ファルが腕を組んだまま、やや苛立たしげに吐き捨てる。


「てことはよ、國の上層に、あんなやべぇのが入り込んでる可能性があるってわけか。冗談じゃねぇな……」

「いや、入り込んでるだけじゃない。掌握を始めてる。現に、均整局だってその影響下にあった」


 ハムドの声には、淡々とした確信が宿っていた。


「それなら、私が追おう」


 沈黙を破ったのはタロスだった。

 雨に濡れた赫い義肢の指が、ゆっくりと拳を握る。


「私にはその“國の上層”への伝手がある。……ツクヨミ、そしてアマテラスにも。國の内から奴の痕跡を洗えば、何かしらが掴めるかもしれん」


 ブラストが、やや意外そうにタロスを見やった。


「……あんた、そっち側の人間だろ? それでもいいのかよ」

「もはや、どちら側かなど関係ない。オウゼンの痕跡、鎧の男、クリフを操っていた何者か。全てが一本の線に繋がるなら、私はそのすべてを断たねばならん。……十年前の因縁に終止符を打つためにも」


 冷ややかに揺れる雨の音の中で、一同はしばし沈黙した。

 だがその空気は、今までのような重苦しさではなく、じわりと熱を帯びていく。

 誰も反論しなかった。

 それは、誰にとっても同じ答えだった。


「んじゃ、何かあれば連絡は俺にくれ。それと、今日の戦闘のことは…」


 ブラストが口元で口笛のように息を鳴らし、ジャケットの内ポケットから薄型の通信端末を取り出した。


 端末を指先で弾きながら差し出すと、タロスは無言でそれを受け取った。

 仮面の奥からわずかに視線を落とし、通信先の識別コードを一瞥する。

 表情は読めないが、その動作には確かに“信頼”を受け取った者の礼儀があった。


「貴公らは存在していなかった、と報告しておけばよかろう。私が現場に急行し、クリフを討った。イレギュラーな事態はなかった。とな」


 タロスは続けて、雨に濡れたロビーの天井を一瞥する。

 光の届かない奥に潜む“誰か”を見透かすように。


「ガウア。貴公はクリフの摘発に反対し軟禁されていた。ということにしておく。暴走とはいえ均整局局長に銃を向けたと知られれば、処分は免れまい」


 名を呼ばれたガウアは一瞬、虚を突かれたように顔をあげた。

 破れた袖から覗く擦り傷と、土埃でくすんだ頬――その顔に、一抹の安堵と困惑が同居する。


「……あぁ、助かる。正面切って報告したら、面倒なことになりそうだったからな」


 掠れた声で短く答えたその口ぶりに、ファルが苦笑交じりに息を吐いた。

 バイクの傷を気にする素振りを見せつつ、視線の端でガウアの背中をそっと見守る。


「へへっ……ま、全部うまいこと収まったってやつだな」


 冗談めかしながらも、声には戦友を思う温かさがあった。

 ハムドはそんなやりとりを黙って見つめながら、自身の義足の調整機構に手を伸ばしていた。

 リアクターの出力が不安定に脈打つたび、何かを思い出すように目を細める。

 その横顔は、雨に濡れて静かに光っていた。



 タロスは静かに一礼すると、音もなく踵を返し、瓦礫の向こうへと歩み去っていった。

 分厚い背中を包む外套は、雨に濡れながらもその威容を失わない。

 彼の進む先には、まだ誰も知らない真実と、果てしない闇が広がっていた。


 やがて、ブラストとハムドも立ち上がり、それぞれの道へと歩き出す。

 企業間闘争における“後始末”の手配が彼らを待っている。

 肩越しに互いの無事を確認しながら、会話は交わさずとも呼吸だけは揃っていた。


 ファルだけが少し遅れて立ち上がり、バイクの横にしゃがみ込むと、機体をぽんぽんと叩いた。


「さてと。俺は非番のドライブ中、偶然にも自社製品を発見、奪還して均整局に怒られた……ってことで通すか」


 そう言って、誰にともなく笑いかける。

 ロビーの天井には、いまだ雨音が静かに響いていた。

 鉄骨の継ぎ目を伝う水滴が、焦げた壁に染みを広げ、時間の感覚をゆっくりと削っていく。

 さながら、あの戦闘が幻だったかのように。


 その静寂の中で、ガウアはひとり、崩れた柱にもたれていた。

 肩には救護パックが無造作に巻かれ、うっすらと血の滲む制服は雨に濡れて重く張り付いている。

 視線は落としたまま、掠れた声が喉から零れた。


「……信じてたんだよ。あの人が、どれだけ厳しくても……間違ったことだけはしないって……」


 誰にも届くはずのない独白。

 けれど、言葉にせずにはいられなかった。


「秩序を護るって、そういうことじゃなかったのかよ……街を、國を、人を守るために、俺たちは戦ってたんじゃなかったのか……?」


 指先が、拳銃のグリップを無意識に探っていた。

 けれど、そこにあるべき銃はもうなかった。

 武器ではなく、問いだけが、胸の中に重く残っていた。


 ふと視線を上げると、ツクヨミの解析官たちが、機動兵器の残骸を囲んで淡々と調査を進めている。

 黒と灰を基調とした和装姿のその背には、人間味のようなものは見えなかった。

 雨に濡れた布面の奥、光をきらめかせる視覚補助装置だけが、無機質な正確さを映している。


 その向こうでは、均整局本局のエリート局員たちが整然と配置につき、現場の封鎖と記録処理に追われていた。

 彼らの動きは無駄がなく、感情の介在しない精密な作業機構のように見えた。

 白銀の襟章が、雨に滲んだガラス片の上でぼんやりと光を弾いていた。

 冷たい。だが、その冷たさはガウアの胸に染みるものだった。


「……それでも、俺は……やっぱり、信じていくよ」


 声は、もう震えていなかった。

 ただ、静かに、虚空へと流れていく。


「綺麗事みたいな正義かもしれねぇ…けど、そんな正義を、誰かが信じなきゃ、こんな世界……真っ暗だ」


 雨は止まない。


 けれど、その中で――ガウアの心には、微かに灯が残っていた。


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