#19 均整崩壊


 高層階まで鋼とガラスで覆われた無機質な塔。

 下層街区の中央付近、メインエレベーターにほど近い区画に構えた均整局ザフト支部は、外観だけなら國の目指す下層街区の統制を象徴しているかのようだった。

 濁った空の下、建物の表面は冷たい人工光を鈍く反射している。

 その仰々しい造形の裏側に、秩序とは相反するモノが潜んでいることを、今ここにいるブラストたちは誰よりも知っていた。

 ガウアが、かすかに拳を握りしめる。

 白煙を上げるボロボロのセダンと、漆黒に沈んだ重武装バイク。それらが並び立つ均整局ザフト支部前は、下層街区でも比較的治安のいいこの区画では滅多に見られない異様な光景だった。


「……さて。ここからどうする?」


 ブラストは、気怠げにポケットへ手を突っ込みながら尋ねた。

 声は軽いが、目だけは静かに研ぎ澄まされている。


「迂回して潜入か、それとも……正面突破か」


 バイクに跨り、フルフェイスマスク越しに無言でビルのエントランスを睨むファルのその仕草は、獲物を見据える飢えた獣のようだった。


「……もう僕らのことはバレてるよね。だったら正面からお邪魔しちゃおうよ」


 ハムドが小さく肩をすくめる。その言葉の裏にあるのは、幾つもの戦場を潜り抜けてきたVoidΔチームの副隊長としての矜持と余裕。

 ガウアは短く息を吐き、頷いた。


「正面突破だ。恐らく、クリフ局長直属の特殊部隊が守りを固めてる。そいつらを真正面から突破して、局長室に行く。胸ぐら掴んでぶん殴って、摘発を撤回させる」

「おぉオッサン、気合い入ってるねぇ」


 ガウアは静かに、だが力強く言い切った。

 ブラストが口の端を吊り上げ笑う。


「んじゃ、シンプルに、派手にいこうか」


 四人は一瞬、視線だけで合図を交わした。


 そして次の瞬間。


 ファルのバイクがエンジンを咆哮させ、前輪を跳ね上げてアスファルトを裂き、一直線に均整局のエントランスへと突っ込んでいく。

 ブラストは軽やかに身を翻し、腰から吊るした双銃を引き抜くと、ファルに続く。

 ハムドは義足を軋ませ、背中のリアクターを微かに唸らせながら地面を蹴った。

 ガウアも拳銃を構え、固く決意を込めて駆け出していく。

 重厚な防弾ガラスが振動し、警報音が建物全体に響き渡った。

 砕けた防弾ガラスの破片を踏みしめながら、四人は均整局ザフト支部の中へと足を踏み入れた。



 ガウアにとっては慣れ親しんだ、他の三人にとっては初めて訪れる均整局ザフト支部の内部は、冷たく実用的だった。

 エントランスから一歩踏み込んだそこは、広々とした吹き抜けの空間。

 天井まで届くガラスの壁と、無機質な鉄骨フレームが幾何学模様を描く。

 1階と2階を繋ぐシースルーの歩廊が、見上げた視界の端に見えた。


 壁面は薄い灰色のパネルで整えられ、床には堅牢な樹脂タイルが敷かれている。

 まるで、軍用施設と警察署の中間のような空間だった。

 白い照明が規則正しく天井に並び、隅々まで均一な光を降り注いでいる。

 無機質な清潔感と、長年の使用に染み付いた微かな埃っぽさが同居している。


 空調の低い唸りと、遠くからかすかに響く何かの作動音。

 それ以外は、異様なほどの静寂。

 ガウアが逃げ出す時に忙しなく走り回っていたはずの局員たちは全て下層街区の摘発へと乗り出したのだろうか。

 事務員さえ見当たらないことが、かえって彼らの警戒度を引き上げた。


 ガウアは自然と拳銃を握り直す。

 後ろを振り返ると、ブラストとファルも銃を手に、無言で周囲を警戒していた。

 ハムドはリアクターの発光を絞り、ほとんど音を立てずに続いている。

 義肢の関節部が、かすかに機械音を漏らす以外、彼の気配はまるで影そのものだった。


「……この静けさ、気味がわりぃな」


 ブラストが呟く。

 声も自然と抑えられていた。


「奥だ。連中、待ち構えてやがる」


 ガウアが答える。

 均整局特殊部隊――本来ならば、秩序を守るために配置されたものだ。

 だがその使命は、局長であるクリフの私利私欲のため振るわれんとしていた。

 一行は間隔を取りながら、正面ロビーへと進んでいく。

 ロビーは、公共施設らしく広く開けていた。

 壁には均整局の徽章が掲げられ、床には磨き抜かれた白いタイルが広がっている。

 奥には各部門へと通じるガラス張りのオフィススペースが並び、その向こうに重厚な階段が伸びている。


 そして、ロビー中央。

 そこに立ち並んでいたのは、黒い影たちだった。


 顔を覆うヘルメット、重装備の防弾ベスト。

 サブマシンガンを構え、整然とした陣形を組んでいる彼らこそ、均整局ザフト支部が誇る特殊部隊だった、

 本来なら局内でも精鋭中の精鋭、任務に忠実であるべき存在。

 しかし今、彼らはクリフ局長の私兵と化していた。


 彼らは、ただ無言でこちらを見据えていた。

 國への忠誠のためではない。

 司法の番人たる正義のためでもない。

 ただ、たった一人の狂った男の命令に従うために。


 ロビーに漂う空気が、ゆっくりと粘度を帯びる。

 照明の白さすら、次第に冷たく、鈍く濁って見えた。

 一歩でも踏み出せば、即座に火蓋が切られる。

 そんな張り詰めた緊張が、四人を押し潰さんばかりに襲う。


 一拍、呼吸を飲み込む間。

 ファルがわずかに足をずらし、ブラストが双銃を握り直す。

 そして、ハムドのリアクターが微かに拍動したその瞬間。

 銃声が、ロビーに轟いた。

 最初の銃声が、均整局ロビーの空気を引き裂いた。


 親衛隊の一人がサブマシンガンを構え、乾いた音と共に弾丸を放った。

 火花が弾け、タイル張りの床に小さな穴を穿つ。

 四人は、一言も交わさないまま散開した。


 ファルが先に動いた。

 ショットガンを抱え濃厚な硝煙を撒き散らしながら前進する。

 黒備えのみが持つことを許された極東重工謹製のそのショットガンから撃ち放たれる一撃は、敵の防弾ベストを布切れのように吹き飛ばす破壊力だった。


「オラァ! どきやがれぇぇぇッ!」


 血飛沫がガラスの壁を汚し、ファルの咆哮と鈍い衝撃音が吹き抜けの高い天井に反響する。

 その銃撃の隙を縫うように、ブラストが一陣の風となって疾駆した。

 二挺のサブマシンガンを構え、左右に広がった親衛隊員たちを撹乱する。

 弾道が緩急をつけてロビーを縦横に走り、敵の動きを寸断した。


「ブラスト! 一人で前に出過ぎるな!」

「ご心配どーも。けどコイツらじゃ肩慣らしにもならねぇよ」


 不敵に笑いながら、ブラストは更に敵の隊列を引き裂いた。


 ハムドは吹き抜けの鉄骨フレームを重力を感じさせない軽やかさで一気に登り切ると跳躍、敵の上空から一気に急襲した。

 背部リアクターが低く唸り、山吹色の閃光を撒き散らす。

 腕部に装備された高振動ブレード“スフィカ”が超音波のような高音を発しながら特殊部隊員の急所を瞬く間に断ち切っていく。


 不意に、前線を掻き乱す三人の視界から外れた特殊部隊員が一人、銃を構えてハムドへと振り向く。

 ハムドに向けて銃口が炎を上げようとした瞬間、その頭部に正確無比な銃撃が突き刺さった。


「ホシだけじゃなく、現場全体に目を配らなきゃダメだって教わらなかったか?」


 ガウアだった。

 ロビー中央に踏み留まり、瓦礫に身を隠しながら拳銃を両手で構え一発一発を無駄なく撃ち込む。


 バラバラに見えていた四人の動きは、しかし寸分違わぬ連携だった。

 誰かが引き付け、誰かが削ぎ、誰かが仕留める。

 言葉も指示もない。

 それでも、自然と戦線が構築されていった。


 しかし、特殊部隊も簡単には崩れない。

 素早く二手に分かれ、挟撃を仕掛けてくる。

 フルフェイスのヘルメットに覆われた顔からは、感情が一切読み取れない。


「上から増援! 誰かいけるかッ!?」

「任せなァ!」


 咄嗟に叫んだのは誰だったのか。

 重い足音が床を震わせ、歩廊からも数名が応援として駆け降りてくる。

 ファルがその波を受け止め、ショットガンを連射しながら、拳や蹴りを織り交ぜて応戦する。

 パワードスーツで強化されているとはいえ、重い装甲を物ともしない豪快な力技は黒備えの中でも屈指の実力者だからこそ。

 その横を、ハムドが床を舐める程の低姿勢で滑り込む。

 リアクターの燐光が弧を描き、鋭い一撃が敵一体の脚を払う。

 姿勢を崩せば、待ち受けているのは命を刈り取る致命の刃の一閃だった。


 ブラストは、逆側の挟撃部隊へと回り込んだ。

 サブマシンガンを小刻みに撃ちながら、跳躍とスライディングを交えた軽妙な動きで敵を翻弄する。


「こっちはこっちで、ちゃんと遊んでやるよ!」


 弾丸が特殊部隊隊員たちの装甲の隙間を抉り、苦悶の声が上がる。

 ガウアは射撃支援に徹した。

 崩れた隊列を正確に撃ち抜き、ファルやハムドの援護を絶え間なく続ける。


 だが、敵もクリフの私兵に身を落としたとはいえ精鋭だった誇りをまだ完全には捨てていない。

 グレネードランチャーを担いだ増援が後方から出現し、一気に制圧すべく四人に狙いを定める。

 ガウアが即座に叫ぶ。


「来るぞ、爆風に巻き込まれるなよ!」


 ハムドが反応し、リアクターを最大出力。

 爆風の直前に跳躍し、光をたなびかせながら空中でスフィカのワイヤーを射出。

 グレネードランチャーの砲身にワイヤーが絡みつき、強引に引きちぎられる。

 未発射の弾薬が暴発し、後続の特殊部隊員たちを巻き込んだ。

 火花と破片が飛び交うロビー。

 タイルの床は砕け、壁にはひびが走り、

 一面に硝煙と血の臭いが充満していく。


 それでも、四人は止まらなかった。

 ファルが突進し、ショットガンを連射して敵を押し下げ、

 ブラストがサイドから切り込んで残った敵を狩る。

 ハムドは高速で攪乱しながら、動けなくなった敵を処理し、

 ガウアは後方で確実に援護射撃を重ねる。


 やがて、最後の敵が血に濡れた床に膝をつき、風穴の空いた腹部を押さえながら倒れ伏した。

 硝煙の向こうで、四人は互いにちらりと視線を交わす。

 言葉はない。

 だが、呼吸は合っていた。

 ロビーには、弾痕と破壊の痕跡、そして彼らの歩いた爪痕だけが残されていた。

 ガウアが一歩、前へ進みながら言った。


「……次は上だ」


 誰も返事をしなかった。

 だが、それが答えだった。



 ロビーの戦闘を制した四人は、砕けたタイルの床を踏み締めながら、ひび割れた階段を駆け上がった。

 均整局ザフト支部の内部は、どこまでも無機質で、冷たい。

 吹き抜けを抜け、幾重にも連なる灰色の通路を進むと、空気はより粘り気を帯びていった。

 埃の匂いと、焦げた金属のにおいが鼻を突く。

 階段を三階まで駆け上がると、廊下の向こう側に行く手を阻むようにな重厚な両開きの扉が現れた。


 均整局局長室。


 目指すべき場所は、もうすぐそこだった。


 だが、扉の前には黒い壁のように並び立つ兵士たちがいた。

 通常の隊員とは異なる、さらに分厚い装甲を纏った均整局特殊部隊の重装兵たち。

 全身を覆う複合装甲。肩から伸びる楯のようなプレート。

 防弾フェイスガードの奥に光る無機質な赤いセンサー。

 その手には通常のサブマシンガンではなく、極東重工製の軍用アサルトライフルが握られていた。


 空気はさらに重く、鉛のように沈み込んでいく。

 乾いた喉に、血の味が滲んだ。

 ブラストが一歩、前に出る。


 これまでの軽やかな笑みは消え、青い制式面の下に鋭く冷えた双眸だけを覗かせる。

 幾人もの均整局員を屠ってきた二挺のサブマシンガン、マリアとカタリナを腰のホルスターに戻し、背にと腰に納めていた二振りの剣を、静かに引き抜く。

 右手に握るのは、青みがかった美しい刀身を持つイヅナ制式刀。名付けられた銘は【風舞断カマイタチ】。

 左手に握るのは、ギャング時代からの相棒にして打ち捨てられていた二足歩行重戦車『富獄』の脚部シャフトから削り出した無骨な鋼剣【ヘスペラス】。

 I.P.E.法務部に於いて不吉の代名詞とされる双刀を戦場で磨き上げた我流で構え、ブラストは気炎を吐き出す。


「連中、冗談抜きで硬そうだな」


 低く呟きながら、ブラストはヘルメットの内側で舌打ちした。

 これだけの重装甲相手に、双銃の弾幕では貫き切れない。

 ならば、風と鋼を両手に、一気に斬り裂くしかない。


 後ろでガウアが銃を握りしめたが、すぐに状況を悟り、後方での援護に回ることを選んだ。

 この重装兵たちには、通常の拳銃弾ではほとんど通用しない。

 不用意に前へ出れば、逆に足手まといになりかねない。

 ガウアは歯噛みしつつも、冷静に状況を見極めた。


「さ、ダンスの時間だ」


 ブラストは静かに一言だけ呟くと、足を地に打ちつけ、飛び出した。

 瞬間、風が裂けた。

 疾走するその姿は、まるで嵐の先端。

 風舞断カマイタチが薙ぎ払い、ヘスペラスが斬り伏せる。


 ブラストは躊躇なく間合いを詰め、重装兵の間を縫うように舞い踊る。

 一人、二人。肩の隙間、装甲の継ぎ目を見極めて斬り裂き、黒い鉄壁を綻びさせた。

 撃ち放たれるアサルトライフルの銃弾が、壁を、床を、空気を震わせる。

 だがブラストの動きは止まらない。

 躱し、潜り、飛び込み、鋭く、鋭く斬り払う。


「ブラスト、右だ!」


 ガウアの叫びに反応するよりも速く、ブラストは半身を捻り、風舞断カマイタチを横薙ぎに振るった。

 突撃してきた重装兵のライフルが宙を舞い、間髪入れずヘスペラスがその腹部に叩きつけられる。

 重い装甲ごと敵の巨体が吹き飛び鉄柱に叩きつけられると、こぼれ落ちる臓腑で床を汚しながら崩れ落ちた。


 ファルもまた、ショットガンを担ぎ直し銃口を正面に向ける。

 爆ぜるような轟音と共に、散弾が重装兵たちの隊列を切り裂く。

 それでもなお、重装兵たちは前進をやめなかった。

 彼らの無表情なフェイスガードが、ただ粛々と任務だけを遂行しようとしていた。


 ハムドは階段の手すりを蹴り、滑空するように飛び上がると、リアクターの山吹色の光を軌跡に変えながら舞い上がった。

 高所からの奇襲。

 背部のワイヤーショットが伸び、重装兵の腕を絡め取ったかと思うと、そのまま一気に引き倒す。

 転倒した兵士に、スフィカの刃が容赦なく振り下ろされた。


 ファルの正面突破。

 ブラストの鋭い連撃。

 ハムドの攪乱と奇襲。

 そしてガウアの、静かで的確な支援射撃。

 それぞれがまるで自然現象の一部のように違うリズムで、しかし全てが調和する四重奏カルテットのように戦い、収束する。


 火花と硝煙が立ち昇る中、ブラストは汗ばむ額を拭う間もなく、次の重装兵へと飛び込んだ。

 風舞断で肩口を裂き、ヘスペラスで膝関節を打ち砕く。

 一歩ごとに重装兵たちの陣形が崩れ、次第に隊列に乱れが生じる。


 だが、反撃は熾烈だった。

 装甲越しでも鈍い衝撃が伝わる銃弾の嵐。

 それでもブラストは止まらない。

 青い鎧に弾丸が弾かれるたびに、彼はさらに速く、さらに深く食い込んでいった。


「残り、三体!」

「まとめてやる!」


 ファルが吠え、ショットガンを片手に突撃する。

 ブラストも呼応し、風舞断カマイタチを大きく振りかぶった。

 青と銀の双剣が交差し、最後の重装兵たちを切り裂いた。



 静寂が訪れる。



 焦げた匂いと、瓦礫の粉塵だけが、まだ空中を漂っていた。

 ブラストは剣を肩に担ぎながら、崩れ落ちた重装兵たちを見下ろす。

 ヘルメット越しでも、彼らが最後まで命令に忠実だったことが分かる。


「……無駄な死だぜ、こんなもんは」


 低く呟いた声に、誰も言葉を返さなかった。


 ガウアが前に出て、静かに局長室のドアノブに手をかける。

 内側から伝わってくる、不穏な空気。

 クリフは、そこにいる。


「……ヤツとは俺が話す。悪いが三人とも、手を出すのは少しだけ待ってくれ」


 ガウアの問いかけに、ブラストも、ハムドも、ファルも、無言で頷いた。




 支部局長室の扉が、重たく鈍い音を立てて開いた。


 先ほどまで行われていた激闘の戦闘音とは打って変わり、ここには静かな、乾いた空気が漂っていた。

 均整局ザフト支部、局長室。


 だが、その内装はブラストたちが想像していたほど豪奢ではない。

 深紅のカーペットも、壁に掛けられた表彰状や局章も、少しばかり古びている。

 天井の照明もシャンデリアなどではなく、簡素な照明だ。


 ここが七階建てのビルの中層、あくまで均整局の支部のいち局長級の部屋であることを、嫌でも思い知らされた。

 この空間に漂うのは、誇りでも威厳でもない。

 ただ、長年積み重ねられてきた権力の鈍い澱みだった。


 デスクの向こう、革張りの椅子に腰掛ける男がブラストたちを見つめていた。

 この男こそ、均整局ザフト支部局長、クリフその人である。

 かつては温厚な態度で部下に慕われた男だった。

 だが今、厳しく結ばれた口元と、研ぎ澄まされた瞳には、もはや人間らしい温もりは微塵も残っていない。


 ブラスト、ハムド、ファルは警戒を緩めず室内に広がる。

 しかしクリフは、彼らをちらりと一瞥しただけだった。


「誰だ、こいつらは」とでも言いたげな冷たい目線を投げると、興味を失ったように視線をガウアへと戻す。

 三人が無言で武器を構える中、静寂を破ったのはそのガウアだった。


「……クリフ局長。今からでも遅くはない。下層街区への粛清、撤回してください」


 震えるほどの怒りも、悲しみも、押し殺した声だった。

 まるで祈るように。

 だが、クリフはわずかに眉をひそめるだけだった。


「ガウア。私のやろうとしていることが、なぜ理解できない」


 声に熱はない。冷え切った事務連絡のようだった。


「國は最早腐り切っている。下層街区も、そこに住む民たちも。あの膿を出し切らなければ、我々に未来はない」

「確かにそうかもしれない。けど、あんたのやってるそれは……ただの虐殺だ」


 拳を握り締めたガウアの声には、かつて慕った上司への絶望が滲んでいた。

 ブラストは無言で様子を伺い、ハムドは背中のリアクターを小さく唸らせる。

 ファルもまた、ショットガンを肩に預けながら、重苦しい空気を破る機会を待っていた。


「甘い」


 クリフは、短く断じた。


「理想だけでは國は救えない。……だから私は、必要な犠牲を払う。國を正すために」


 一歩、ガウアが踏み出した。


「それが正義だって言うんですか! あんたに切り捨てられるあの街の人たちは、ただの“膿”なのか!」


 静かに、けれど確かに、言葉を叩きつける。


「俺たちは、“秩序”のために戦ってきたんじゃない。“人”を守るために戦ってきたんだ。……どんなに小さな命でも」


 局長室に重い沈黙が落ちる。

 クリフの顔に、一瞬だけ微かな陰りが走った。

 だが次の瞬間には、固く冷たい意志で塗り潰される。


「ならば君も、排除の対象だ」


 その宣言とともに、局長室の背後の廊下から、重厚な足音が響き始める。

 ドアの向こうから現れたのは、局長直属、最後の特殊部隊だった。


 彼らこそ均整局ザフト支部の中でも精鋭中の精鋭、そして今や完全にクリフの私兵となった存在。

 そのただならぬ殺気が、瞬く間に局長室に充満する。


 ファルは肩越しに振り向き、ショットガンを構え直す。

 ブラストは腕からだらりと下げていた鋼剣ヘスペラスと蒼刀風舞断カマイタチを構え直した。

 ハムドはリアクターの出力を最適化し、ガウアだけがそっと拳銃を下ろして一歩退いた。


「……話し合いの余地は、ないな」


 ブラストが呟く。

 特殊部隊たちが一斉に銃口を持ち上げた次の瞬間、轟音が局長室を揺らした。

 弾丸が飛び交い、重い装甲が火花を散らす。


 ブラストは双剣を旋回させ、鋭い軌跡で弾丸を弾き返しながら飛び込んだ。

 蒼刀の一閃が防弾装備の隙間を断ち切り、鋼の刃が血と肉片をまき散らす。


 ファルはショットガンの弾をスラッグ弾に換装し、一撃一撃を重く叩きつけ、敵ごと壁を破壊しかねない勢いで押し込んでいく。


 ハムドはリアクターを噴かせ、低空から突進するように敵の懐へ潜り込み、スフィカの刃で無音の一撃を放つ。


 均整局支部局長室前の廊下は、瞬く間に戦場と化した。

 ガウアは拳銃を握りしめたまま、後方から援護射撃を行う。

 正確無比なカバーリング。

 それだけが、彼に今できる精一杯だった。



 やがて、口からごぽりと血の塊を吐き出した最後の特殊部隊員が事切れる。


 廊下には、血と硝煙の臭いだけが残った。

 ブラストたちは息を整えながら、改めて局長室を振り返る。


 だが、クリフの姿は、もうなかった。

 ガウアが走り寄り、カーテンで覆われた窓から外を覗き込む。

 そこには、クリフが眺めていた下層街区の街並みと、均整局の中庭が広がっていた。。

 遠くには、薄汚れたビル群の影と、霞む空気が広がっている。


「……逃げたか」


 ガウアが、唇を噛みしめるように呟いた。

 ブラストは刀を背に納めながら鼻で笑う。


「いいさ。どうせ、どこへ逃げたって同じだ」


 ファルとハムドも無言で頷く。

 局長室には、破壊と、戦いの残滓だけが取り残されていた。



 支部局長室に重く漂っていた緊張が、クリフの逃亡によって一気に崩れた。

 開け放たれたデスク裏の窓からは、外気と共に、微かに焦げた匂いが流れ込んでくる。

 ブラストが床に転がった椅子を軽く蹴飛ばしながら、窓際に歩み寄った。

 ガウアも、ファルも、ハムドも、緊張を解かぬまま彼に続く。


「……あの野郎、手下を捨て駒にして自分だけトンズラかよ」


 窓の外、均整局支部の裏手に広がる中庭が見えた。

 人工芝が敷かれたその一角は、普段なら局員たちが静養や打ち合わせに使う静かな空間だ。

 しかし今、そこに人の気配はなく、不穏な空気だけが漂っている。


「オッサン、このまま放っておくつもりはねぇんだろ?」

「ああ、行こう」

「んじゃ、お先に」


 ブラストが窓枠を乗り越え、軽々と飛び降りる。ファルもショットガンを肩に担ぎ、派手な足音を残して後に続いた。ハムドはリアクターを低く唸らせ、足場を確かめるでもなく宙に舞う。

 ガウアは彼らの姿を呆然と見送り、窓際で立ち止まった。


「いや、いやいやいや……こっちはサイバネアーマーとかパワードスーツじゃないんだけど……!」


 渋い顔で踵を返すと、きびすを返して局長室を飛び出す。

 数分後、中庭の端にある階段扉からガウアが走り込んでくる。雨に濡れながら息を切らし、ようやく仲間に追いついた彼を、ファルが満面の笑みで迎えた。

「遅ぇぞ、オッサン。もしかして階段使ったのか?」

「使ったわ。悪いか。足、折れるよりマシだ」



 人工灯に照らされた中庭は、不気味ささえ感じるほどに静まり返っていた。

 だが、その静寂の裏で何かが確実に蠢いている。

 四人の足元の芝生が、わずかに震えた。


「避けろ!」


 ファルが叫んだ瞬間、中庭の奥から火線が迸った。

 咄嗟に建物の陰に隠れた四人は、何が起こったのかを確認するために柱に身を寄せたまま中庭の奥に目を凝らす。


 分厚い装甲に包まれた鋼の巨体が、人工灯を鈍く反射させながら中庭奥の建物から姿を現していた。

 それは、全長6メートルほどの人型機動兵器。

 左腕には二連装のガトリング砲。

 右腕は巨大なアクチュエーターに繋がった破壊用アーム。

 極東重工が作り上げた傑作の一つ、中型の人型機動兵器だった。


『おいおいおいおい…クリフのヤツ、こんなもんうちのどこに隠してやがったんだ!?』

「なるほど…あの野郎、部下を捨て駒にして逃げたんじゃねぇ。最初からこれを持ち出すつもりだったってわけだ」


 ブラストが毒づく。

 ハムドがリアクターを低く唸らせ、ファルはショットガンを構え直した。

 クリフの声が、機動兵器の外部スピーカーから響く。


『君たちは、國の未来に不要だ。下層街区に蔓延る蛆共々、ここで全員抹殺させてもらう』


 次の瞬間、ガトリング砲が唸りを上げた。

 高密度の弾丸が怒涛の如く降り注ぎ、四人は散開して避ける。


「ヤバいよ……アレ、ちょっとしたビルくらい軽く吹っ飛ばせる!」

「当然だ! 極東重工ウチの目玉商品の一つだからな!」


 ハムドが飛び退きながら叫び、ファルが胸を張って頓珍漢な返事を返す。

 ブラストも間一髪で銃撃をかわし、荒い息を吐いた。


「まともにやり合ったら持たねぇ。いったん下がるぞ!」

「ロビーまで行くぞ! あそこなら遮蔽物も多い!」


 ガウアが先行し、他の三人もそれに続く。

 機動兵器の猛攻をかいくぐりながら、四人はロビー側へ撤退を開始した。

 爆発の余波が吹き荒れるなか、辛うじてロビーまで戻った四人だったが、すぐに再び機動兵器が追撃を仕掛けてくる。


 機動兵器を操るクリフは、全力で四人を抹殺しにかかっていた。

 ブラストは双剣を構えながら、ギリギリでガトリングの掃射をかわす。

 ファルはカバー射撃を続けるが、相手の装甲があまりにも厚すぎた。

 ハムドも背部リアクターを駆動させ、攪乱を試みるが、スピードだけでどうにかできる相手ではない。

 防戦一方。四人の装備も消耗が激しく、徐々に押され始めていく。


 そして


 ガウアを庇い、ファルがガトリング弾の直撃を受ける。

 咄嗟に防御態勢を取ったものの、吹き飛ばされ、壁際に叩きつけられた。


「ファル!」

『ハハハハハッ! 私に楯突く者は全員、重罪人だ! 死刑だ! 重罪人どもはその死を以って償うがいい!』


 機動兵器のガトリング砲が、唸りを上げて四人をなぎ払おうとしたその瞬間。


 突如、破壊されたロビーの大扉を蹴散らすように、真紅の残影が滑り込んできた。

 地を這う炎の奔流のごとく、低い体勢のまま高速で駆け抜けてくるそれは、赫き義肢が撒き散らす微細な熱のゆらぎで空気を焦がしながら、機動兵器の正面へと回り込んでゆく。

 動きには寸分の無駄もなく、義肢が踏みしめた床は熱で白く変色するほどだった。


 その姿が完全に視認されたのは、機動兵器の正面、ガトリング砲の軌道上に立ちふさがったその刹那。

 赫く焼けた右腕が振り上がり、振り下ろされたのは、自身の身の丈をも超える大太刀。

 閃光が弧を描き、鋼鉄の砲身が二門まとめて、まるで紙のように断ち割られる。


 破砕音と同時に、ちぎれ飛んだ砲身が爆発を起こし、火花を散らしながら機動兵器の右腕ごと吹き飛んだ。

 爆圧がロビー全体を震わせ、ガウアは思わず身を引いた。

 破片が転がり、薄い硝煙が漂う中、斬撃を放ったその影が姿を現す。


 右半身を覆うのは、鮮やかな真紅の戦闘用義肢。肩から腕、脚部にかけて無駄のない機構美を感じさせ、義手の各関節が小さく唸るたび、内部の駆動ユニットが微かに発光する。

 対照的に左半身は、動きやすさを重視した軽装だが、要所に黒鋼のアーマーを組み込み、防護と機動を両立していた。


 そして何より目を引いたのは、頭部から背に流れる赫い放熱フィン。

 高熱の戦闘中でも冷却を保つよう設計されたそれは、まるでポニーテールのように揺れ、今なお戦場の熱気を切り裂くように靡いている。

 その姿はまさに、静謐と威圧を同時に纏った“特務機関スサノヲ”の隊長格。


「……誰だ……?」


 状況を飲み込めていないガウアが問うた。

 その声に応じるように、影はわずかに顔を振る。


「間に合ったようだな。ここで貴公らに死なれては、寝覚めが悪いというもの」


 低く落ち着いた声。だが、その底には鋼よりも確かな意志が込められていた。

 赫いフィンが揺れるその横顔を見たハムドの目が、驚愕に見開かれる。


「あいつは……タロス……!」


 驚くのも無理もない、極東重工の基地で真っ向から激突した時以来の再会だった。

 大太刀の鋒をクリフに向けたままタロスは四人を一瞥し、静かに頭を下げる。


「貴公らには、先日の一件を謝罪せねばなるまい。先の襲撃は、國と私の過失であった。……そして此度の強制摘発、“國”も、天理機関ツクヨミも関与していない。我らスサノヲはこれらの件が如何にして起きたるものか、此奴に問わねばならん」


 タロスの登場、そして放たれた言葉に四人が驚愕を露わにする。

 そして、その僅かな隙にクリフの乗った機動兵器が軋みを上げて体勢を立て直した。

 だが、右腕のガトリング砲は暴発によって砕けており、火花を散らして機能を失っている。


『その装束、まさか特務機関スサノヲ……!? なぜだ! なぜ國が私の使命の邪魔をする……ッ!』


 クリフの声がスピーカー越しに響く。

 だが、その声には明確な焦りが滲んでいた。


「異なことを。國と、そこに暮らす民草を護るは天帝の御心であろう」

『バカな、これは御上の……ククッ、なるほど、連中の差し金か。だが、いかにスサノヲといえど所詮は人間! その一人や二人、纏めて始末してくれる!』


 機動兵器が左腕を振り上げると、油圧の駆動音とともに鋼の拳がハムドへと振り下ろされた。

 しかし、ハムドは人間離れした身体能力でその攻撃を翻弄する。


「とか言っちゃって、君けっこう動揺してるでしょ?さっきまでと比べても明らかに単調な攻撃。そんな雑なパンチ、見なくても避けれるよ」


 機械化された両脚が衝撃を吸収しながら、地面すれすれを滑るように回避する。

 次の瞬間、両腕に装備されたスフィカからワイヤーを射出され、関節部に絡みついた。

 スターリングMk.XIIIを至近距離から叩き込み、関節の駆動ユニットを破壊する。


『ぐっ……!』


 動きを止めた左腕が垂れ下がり、関節部から煙を吐き出す。

 一瞬、全体の動作バランスが崩れた隙を逃さず、タロスが前へと踏み出し跳躍した。


「貴公如きに、護國の刃は折れはせぬぞ」


 大太刀を一閃。

 空気を裂くような軌道で振るわれたその一撃は、機動兵器の頭部を丸ごと切断した。

 センサーが壊滅し、クリフの視界は完全に遮断される。


『メインカメラが……見えん……! 貴様らァッ!』


 混乱の中で、クリフは操縦桿を力任せに押し込み、機体を突進させる。


 むき出しの鉄塊が狂ったように暴れ始めたその前に、待ち構える影があった。

 エントランスの瓦礫にめり込んでいたバイクの影から立ち上がったのは、壁に叩きつけられ倒れていたはずのファル。


「さっきはやってくれたじゃねェか……待ってたぜぇ! お前が突っ込んで来るのをなぁッッッ!!」


 ファルはバイクの格納ボックスからミサイルランチャーを取り出し、一瞬でロックオンを完了させた。


「全部まとめて吹っ飛べッ!」


 全弾発射。


 炎の奔流が機動兵器の胴体を包み、複数箇所で爆発が連鎖する。

 重装甲を貫通しないまでも、その衝撃は確実にフレームを軋ませた。


 ふらついた機動兵器の足元に、蒼い軌跡が駆け込む。

 その姿は、まさに一陣の風。


『制限』と呼ばれる技術が、I.P.E.には存在する。

 I.P.E.が保有する私兵部隊の中でも精兵が揃う一課の精鋭たちには、その才覚に比例するだけの武装を扱うため、得物に独自の改造を加えることが多い。

 時にその改造は常軌を逸した破壊力を持つことがあり、常人が扱えば大きな損害をもたらすことがある。


 そこでI.P.E.上層部はこれらの得物に『制限術式』をかけ、本来の持ち主以外が容易に扱えないようにした

 制限術式を解除する、その武器本来の持ち主にのみ可能なもの。

 精緻な音声認識と特定の『号令』によって術式は解除され、武器はその強烈な力を露にする。


つんざけ――」


 紡がれる号令は、ブラストの持つ風舞断カマイタチを縛る鎖を解き放った。

 超音波振動機構が起動し、蒼く鈍い刀身に唸るような力が宿る。


「――風舞断ッ!」



 暴風が、吹き荒れた。



 刃は機動兵器の右脚の関節部を狙い澱みなく斬り裂き、真一文字に切断した。

 巨体がバランスを崩し、前のめりに倒れかけたその瞬間。


「……仕上げだ」


 ブラストは風舞断を握り直す。

 返す刀で機動兵器の下腹部、動力炉に向けて神速の斬り上げを放った。

 その一撃は装甲を貫通し、内部のエネルギーコアに深い亀裂を刻み込んだ。


 高周波の異音とともに、機動兵器の動きが完全に停止する。

 仰向けに崩れ落ちた機動兵器は、もうただの金属塊に過ぎなかった。

 動力炉の輝きは既に失われ、胴体の装甲は黒く炭化してひび割れている。白煙が途切れ途切れに上がり、瓦礫のように身を横たえるその姿は、かつての威容を欠片も残していなかった。


 沈黙が、戦場を包む。

 それはほんの数秒だったが、長く、重い時間だった。


 やがて、破壊されたコックピットのハッチが軋みを上げて開く。

 煙の中から這い出してきたのは、仕立てのいいスーツに身を包んだ一人の男。

 全身に煤と血をまとい、右腕は爆発の衝撃であらぬ方向へと捻じ曲がっていた。

 クリフ。均整局ザフト支部局長。


 かつて法と秩序を担う者として多くの部下を導いた男は、今や全てを焼かれ、這いつくばる一匹の獣となっていた。

 その姿を、ガウアが静かに見下ろす。


「……立て、クリフ」


 銃は向けなかった。

 だが、その声音には、かつての敬意も、遠慮も、もはや一片も残っていない。

 クリフは地面に手を突きながら、ぎこちなく体を起こす。

 顔には傷と煤がこびり付き、口元からは血が垂れていたが、それでも彼の眼にはなお、得体の知れぬ確信が宿っていた。


 クリフは、嘲るように笑い続けた。

 その笑みはもはや、人間としての羞恥も理性も剥げ落ちた、獣のようなものだった。


「気色悪りぃ。何笑ってやがる。アンタを庇うような奴は、“國”の上層部にだっていやしねぇぞ」

「“國”の上層部? くだらん。あのお方には、國など……、いや……もっと高い……もっと、深く……お前たちの誰も知らない……真の意思がある……」


 ガウアの眉がわずかに動く。


「……“あのお方”って、いったい誰なんだ。あんたの言う“國を変える者”ってのは、結局どこにいる」

「お前に名を教えてやる義理はない。だが……その崇高な理念を教えてやろう、少しだけな」


 クリフはよろめきながらも立ち上がると、手の甲で口元の血を拭い、にたりと笑った。


「我々は……“國”を正すのだ。選ばれし者が生き、弱者は淘汰される。秩序とは力だ。義ではない。法ではない。強き者こそが支配し、國を導くのが自然の理なのだよ」

「はん、寝言は寝て言えよ。そんなもん、ただの弱者狩りだろうが」

「貴様には理解できまい。血の濃さも、資質も、生まれも、選ばれし者とは——何たるかを」


 クリフの言葉は、狂信的な熱を帯びていた。


「“あのお方”が見据えるのは、真の“國”の再興……腐りきった三機関など、いずれ粛清される運命にある……“あのお方”の御意志に背いた穢れは、全てこの手で刈り取るのだ!」


 その言葉に、ハムドが小さく息を呑んだ。


「それが……鎧の男の掲げる“正義”なのか」

「強い國を作るためには、痛みが要る。血が要る。だが、それを理解せぬ者に未来などない。人々は、ただ与えられることに慣れきっている。己の価値も知らぬまま、養分のように生き続ける下層の連中にはな!」


 語るほどに、クリフの声は熱を帯びていった。


「我々は違う。私は違う……! “あのお方”の理想に、私の思想は応えた! そう、我々は——」


 その言葉が終わる前に、


 ——閃光が走った。


 轟音は遅れて耳を打つ。

 次の瞬間、クリフの胸が弾けた。焼け爛れた布の下から、焦げた肉片が飛び散り、地面に倒れ込む。

 まるで、そこにいた人間が一瞬で物体に変わったような、呆気ない崩れ落ち方だった。


「……!」


 誰も声を上げられなかった。

 ただ、フロアの空気が凍りついたかのように張り詰める。

 振り向いたガウアの視線の先に、“それ”は立っていた。

 空間の歪みに生まれたように、誰にも気づかれず、音もなく、ただ“そこに”。


 黒鉄の鎧。仮面の奥から光を帯びた眼光。

 風も音もない。だが、その場にいる全員が、一目で理解した。


 ——【鎧の男】。


 あのとき、天啓のように現れ、そしてこの瞬間もまた、何かの意思を告げぬまま、ただ“行動”だけで答えを示す存在。


 ブラストの目が大きく見開かれる。

 ハムドも一瞬、肩を強張らせた。

 ファルがショットガンを構え、ガウアだけが呆然と立ち尽くしている。


「……貴公、何者だ」


 タロスが大太刀を構え一歩、前に出た。


「特務機関スサノヲ。お前は……“巫女”の……」

「何故……それを知っている」


【鎧の男】の声は、男とも女ともつかぬ低い声だった。

 仮面越しに届く声には、何の抑揚もなかった。

 ただ一つ、“巫女”と口にした瞬間以外は。


「オウゼンに斬られた死に損ないか……」

「オウゼン……だと……!? 貴様、いったい……ッ!」


 その声は、いつになく静かに冷たく。だが、確実に怒気を孕んでいた。

 だが、タロスの問答は遮られる。


「今はお前たちにかかずらっている暇はない。末端風情が、余計な真似を……」


 仮面の下から吐き捨てるようにそう告げると、鎧の男は左手を軽く上げた。

 刹那、光の線が走る。

 何かが弾けるような音。


 そして、機動兵器の下腹部――動力炉に、イカヅチのような閃光が撃ち込まれた。


「しまっ……あの野郎、動力炉に……!」


 ガウアの叫びが届くよりも早く、ブラストの斬撃により停止していた機動兵器の動力炉が過負荷により爆発を始めた。

 地面が揺れ、吹き上がる爆炎が空を灼く。


 四人は咄嗟に身を伏せる。

 タロスも、義手で顔を庇いながら跳び退いた。

 火の海の中に、クリフの姿はなかった。

 燃え上がる残骸の中に転がるのは……胸に穴の空いた頭部のない、一体の遺体。


「……クリフ……!」


 ガウアが崩れ落ちるようにその場に座り込む。

 そして、炎の中に立っていた【鎧の男】は、いつの間にか姿を消していた。

 残されたのは、黒煙と――“情報を持ち去られた”という、最悪の現実だけだった。

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