第2部 八咫烏
#17 均整局、燃ゆ
義頭の情報屋ガウアは、天理機関ツクヨミの下部組織の一つである“均整局”で働く窓際刑事である。
ガウアが所属する均整局ザフト支部は天帝の治める直轄領という気質が少なからずあり、國の直轄機関であるツクヨミからあぶれたプライドの高い者たちも多く、下層街区民に寄り添おうという昔気質で義理人情に厚いガウアは局内でも煙たがられていた。
だが、ブラストのような跳ねっ返りの強い下層街区出身者とも友好を結び、いざこざの絶えない下層街区での治安維持をうまく継続させていたのはガウアだからこそとも言える。
そんなガウアはここ数ヶ月、ソワソワと気が落ち着かないでいた。
理由はそのブラストである。
彼らが極東重工に忍び込んで以降、何故か全く連絡が取れなくなっていた。
いつものバーに顔を出してみても、ここ最近は来ていないとマスターも首を横に振る。
彼らの身に何かあったのだろうか。情報提供し、手引きした自身の責任などを延々と考え続けていたのだった。
日々の巡回もそこそこにブラストたちの姿を探せど見つからず。義頭の眉間に存在しない皺を寄せ、憮然とした表情で局内の自席の背もたれに身体を預けていた。
そんな昼下がり、ザフト支部の均整局全局員に指令が突如として下された。
『悪化する一方であるザフト下層街区の治安改善のため、直近で小規模なテロ行為が頻発したヘ-13区域からト-97区域の強制摘発を実施する』
仕事に手がつかず自身の携帯端末を触っていたガウアは、局員へ通達されたその内容に目を見張った。
強制摘発自体は國が定める法に則ったものだが、その実は疑わしきは罰せよというレベルの難癖を付けて対象者を強引に連行する際に使われる手法だ。
普段はグレーゾーンを挑発的に反復横跳びするような潜在的な犯罪者に対して見せしめも兼ねて行う均整局のお家芸。
それを下層街区の、しかもこんな大規模な区域で実施するなど前代未聞、過去の類を見ない粛清そのものだった。
「オイオイオイオイ……なんだよこれ。ウチの組織もとうとうアタマがイカれちまったか……?」
怒りと焦燥を露わにしガウアは端末に表示された文章と、その送信者の名前を睨み付ける。
確かに、ここ最近の均整局には下層街区の治安改善に不自然なほど躍起になっている傾向があった。
局内でも過激な発言をする同僚を何度も目にし、耳にするようになってきていた。
ガウアは局員の中ではかなり穏健な思想を持っていた。それを快く思わない局員に“風見鶏”と揶揄されるほどには、その立場を明確にしていたと言ってもいい。
その結果として出世街道を外れ窓際族となったとしても、下層街区のスラム街でたむろする犯罪者予備軍のような青年らと向き合えるならそれで構わないとガウアは常々思っていた。
心が貧しくなれば、犯罪への
だからこそ、彼らの心を釣り合いを保ち、整える均整局たる我々がいるのだ。と。
今となっては小っ恥ずかしい、自分の信念をまっすぐに伝えたガウアの言葉だ。
話題に登れば義頭の冷却ジェルが沸騰するような過去だが、当時の上司であり現在の均整局局長であるクリフもその想いを汲み取ってくれて、ガウアに下層街区エリアの治安維持任務を与えてくれた。
「どうしちまったんだ、うちのボスは……」
ブラストの動きが活発になっていることからも燻っていた火種に火が付きそうなのはわかっていたが、そうだとしても均整局の全局員を動員するなんて急すぎる。
証拠は何一つ無いが、“情報屋ガウア”としての勘が何かがおかしいと警鐘を鳴らし続けている。
ガウアは携帯端末を操作し1通のメールを送ると席を立ち、靴音も荒くクリフのいる局長室に向かっていった。
「局長! 下層街区の強制摘発の通達を見ましたよ! ありゃなんのつもりだ!? あれじゃ粛清だ!」
窓の外に広がる下層街区の街並みを眺めていたクリフは、入室前のノックもそこそこに局長室へと乗り込んできたガウアのただならぬ様子を見やると、まずは落ち着くように。と応接用のソファへの着席を促した。
クリフが局長となって数年。歳の頃は60に差し掛かり顔にも深い皺がいくつも刻まれているが、若い頃から鍛え上げた肉体は未だ衰えを見せる様子はない。
着席を拒んだガウアへと視線を合わせたクリフは、落ち着いた調子でガウアを諭す。
「致し方ないのだ、ガウア。下層街区の治安は今や日を追うごとに悪化の一途を辿っている。お前の長年に渡る活動は無駄ではないと思っているが、最早それだけではどうにもならんのだ」
「んなこと言ったって、別にここ最近で大きな事件も起きてないでしょう!? 10年前みたいな大きなテロとか、何かきっかけがあったならまだしも、こんなこと世間が認めるわけがない!」
「落ち着きなさい、ガウア」
クリフは長い息を吐き出すと、聞き分けのない子供をあやすような落ち着き払った声で言葉を続けた。
「きっかけがどうとかいう話ではないんだ。これは積もり積もった下層街区への不満と不安、そしてそこから来る國家全体の不和を防ぐため、“國“が選んだことなのだ」
“國”の決定と聞き、ガウアは言葉に詰まる。
均整局はあくまで天理機関ツクヨミの下部組織に過ぎず、根幹組織である國の決定であるならばいち局員の力など皆無に等しいのであった。
「でも俺は……こんなの……!」
怒りと無力感から俯き肩を震わせていたガウアは、何かを思い付いたようにハッと顔を上げる。
「下層街区の知り合いに、自警団として治安維持に貢献してる奴らも多くいます! 俺が彼らにこのことを伝えて、均整局と協力体制を築けば……!」
捲し立てるガウアの言葉を遮り、クリフは一言、部下の名を呼んだ。
その声色は今までの、國と部下に板挟みになっている疲れた中間管理職のそれではなかった。
低く、重く。それはまるで地の底から噴き上がるマグマのような声をしていた。
眼前の男を睨め付けるその双眸も暗く鋭く、部下に向けるものでは到底ないとガウアは鼻白む。
「お前は、少し疲れているようだ。休暇をやろう。強制摘発の出動も免除で構わない。しばらく下層街区のことは忘れ、旅行にでも行くといい」
ガウアから視線を逸らしたクリフがそう呟くと同時に、荒々しく局長室の扉が開かれて数人の若い均整局員が入ってくる。
ガウアが言い返すより早く、均整局員たちはガウアの両脇を抱えて強く退室を促した。
開け放たれた扉の外では、均整局の局員たちが摘発の準備だろうか。幾人もの局員が行き交い忙しなく駆け回っている。
だが、足音は無数に聞こえるもののクリフのように局長室に乗り込んでくるような局員は誰1人としていなかった。
まるで自分だけが異端であると言わんばかりの異様な光景に、ガウアは思わず背筋を震わせる。
「悪いが拘束させてもらいますよ、ガウア刑事」
「離せ! 局長! クリフ局長! アンタ何をする気だ!!」
ガウアに背を向けたクリフは、再び窓の外の下層街区を見下ろしていた。
その表情は、最早ガウアには窺い知ることはできなかった。
若手均整局員たちに抱えられながら局長室から退室したガウアは、自席へと連行されながら脳内で強制摘発の理由を模索し続けていた。
あまりにも唐突過ぎる。ガウアの疑問の大元はそこにある。
いくら企業間の小規模な武力衝突が頻発する世の中であっても、こんな過激な命令が何の前触れも無く発令されたことなどなかった。
正確には“國”は“国家”ではないとはいえ、体系的には国家と言っても遜色のない治世を敷いていることはリージョンに住まう人間なら誰の目にも明らかである。
法に基づく組織が、自ら法を破り大勢の國民に害を成すだろうか。
本当に“國”の判断なのか。
何か己の知らぬ事件があったのか。
そこまで思考がたどり着いたところで、若手局員たちにガウアの体が突き飛ばされる。
自席まで連行されたガウアは、肩を押し付けるように自分の椅子に座らされた。
憎らしげに見上げるも若手局員たちは一顧だにせず、休暇のためとして荷物をまとめるよう促された。
「お前ら、この摘発の意味ちゃんと分かってんのか?」
「もちろんですよガウアさん。この摘発で、クリフ局長は英雄になる」
「窓際刑事のような貴方には到底理解できない、大局的な視野で局長は下層街区のことを考えておられるのです」
「……チッ、英雄だぁ? ……何言っても聞きやしねぇ」
口々にクリフのことを讃える若手局員たちに嫌味を吐くが、彼らにはガウアの言葉は何一つ届きはしなかった。
片付けを急かす彼らを睨みつけていたところで、デスクの上に置かれていたガウアの携帯端末に1件のメールが到着したことを知らせる電子音が響く。
自然な動作でメールを開き内容を確認して、やってしまったとハッと顔を上げた。
表示された送信者は、ガウアが先ほどメールを送った相手。
内容は短く、簡潔だった。それは、端末を閉じる一瞬の間でガウアを囲んでいた若手局員たちにも理解できてしまうほどに。
『ツクヨミから強制摘発通達の事実なし。即時その場を離れろ』
ガウアの背筋を巨大な氷塊が滑り落ちていく。
迂闊だった。自分を監視する局員たちが見ている目の前でつい、いつもの癖でメールを開いてしまった。
しかも、その内容が“均整局暴走の証拠”という今のガウアにとって最も見られてはいけない特大の爆弾そのものという痛恨のミスだった。
「ガウア刑事は今回の摘発について、何やら抱えるものがお有りのご様子」
「……その端末を寄越せ」
自身を取り囲む局員たちから、明らかに先程までとは異なる殺気に満ちた雰囲気を感じ取ると同時に、後頭部に何か、硬く冷たい物が押し当てられた。
否。何か、などと抽象的なものではない。大口径の拳銃の銃口が、ガウアの後頭部に押し当てられていた。
「予定変更だ。机に両手をつけ。ガウア刑事は休暇中に不幸な事故に遭う予定だったが、暴徒化した下層街区民の凶弾に倒れ殉職した。この悲しい事件を胸に、均整局はより一層摘発に力を入れることになるだろう」
「……アンタら、狂ってやがるぞ」
ガウアの中で、点として存在していた状況が次々と繋がり一本の線となって筋書きが導き出されていった。
(やるしか、ねぇ)
大人しく両手を机につくと見せかけた刹那、ガウアは手元の引き出しを勢いよく開き中に入っていたバタフライナイフを掴む。取り囲む局員たちが反応するより先に、背後に立つ局員の銃把を握ったその腕をナイフで切りつけた。
当然ガウアは普段からそんなものをデスクに入れているわけではない。
たまたま午前の巡回中に下層街区のギャングの青年から預かったナイフだった。
後頭部に銃口を突きつけられた絶対的に詰みな状況で、まさか反撃されるなどとは思ってもみなかった局員は完全に虚を突かれ拳銃を取り落として傷口を押さえる。
「このっ!」
「銃は脅しの道具じゃねぇ。覚えとけ若造!」
取り落とした拳銃を空中でキャッチしたガウアは、自身を囲む若手局員たちに躊躇いなく銃口を向ける。
狙いもそこそこに腰だめに構え立て続けに発砲し、局員たちの腹部や太ももを撃ち抜いた。
包囲が崩れ落ちた一瞬の隙を突き、ガウアは窓を突き破って外へと飛び降りていった。
「逃げたぞ! 追え!」
「クリフ局長に報告しろ!」
「クソッ、穏健派の臆病者め……!」
「構わん!撃て!」
痛む身体を無理やり動かし、口々に罵ってくる若手局員たちの声を後ろに聞きながらガウアは駆け出していく。
足元で爆ぜる弾丸を紙一重で交わしながら、ガウアは愛車の元へと急ぐのだった。
彼らに、助けを求めるために。
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