#16 -幕間- 天目壱式


 果てしなく広がる雲海を切り拓く一筋のナイフのように、高速列車が連絡橋を走っていた。

 高速列車の目的地は“ダロム地区”と呼ばれる國の最も南に位置するリージョナルタワー。

 古代ヒノモトでは九州地方と呼ばれた離島地域である。

 ダロム地区は死の砂漠に次いで大戦争の爪痕が大きいエリアで、大戦争以前に存在していた島面積の3分の1が消失、3分の1が汚染区域となってしまっていた。

 気候も亜熱帯に近いものへと変化してしまい、雨季と乾季を短周期で繰り返している。

 他のリージョンとの大きな違いとして、リージョン自体が隣国である『帝都大陸』からの侵略を監視する前線基地でもあるため、超長距離波動砲を備えたリージョナルタワーとなっている。


「初めてですねー、ダロムリージョンを訪れるのは。今の時期は雨季と。なるほど、それならこの雲海も納得です」


 携帯端末でダロムリージョンについての情報を斜め読みしながら、ヒューズは雲海に視線を移して眩しそうに目を細めた。



 雲海を抜けた列車が徐々に速度を落とし、ステーションへと到着する。

 ヒューズが降り立ったのは商業街区へ続く出口にほど近い場所。

 列車から出た瞬間にムワッとするような湿った熱気に当てられて、早くも首筋にじわりと汗が浮かんできた。

 ダロムリージョンは他のリージョンに比べ平面の面積が広く、リージョナルタワーの全高は控えめだ。

 これは100年前に終結した大戦争と呼ばれる新型化学兵器を用いた世界大戦の折に大量の兵器が降り注ぎ、当時の地形を根こそぎ破壊しつくしてしまったことに起因する。

 帝國暦14年から始まった國の事業であるダロムリージョンの建造計画にあたって、残された点在する離島群を基礎としていたり、海中に杭を打ち込み道路や街区の脚を形成していたりするからであった。

 また、大戦争時代の化学兵器の影響によりダロム地区一帯が亜熱帯とも呼べる気候へと変貌していることや、一年を通じて気温と湿度がとても高く雨季と乾季が不規則に入れ替わっていることもリージョンの超高層化を諦める要因の一つとなっていた。


「これが噂の超長距離波動砲ですか。鎖国を続ける“國”が持つ、大陸への抑止力……」


 外装を整備する人型機動兵器が小さく見えるほどの巨大な砲身を携えた波動砲を見上げ、ヒューズは呑気に呟く。

 年頃の子供が一度は夢見る、國の危機を救うべくトリガーを引くアレですね。などと呟き、それが可笑しかったのか1人で小さな笑い声を上げた。


「何はともあれ、まずは食事ですね。マスターの料理も悪くはありませんでしたが、たまには気兼ねせずご当地グルメなど探すとしましょう」


 足元に置いた旅行鞄を肩に担ぎ直し、波動砲を横目に見ながらヒューズはステーション内のコンコースへと向けて足取りも軽く歩き出した。



 濛々もうもうと立ち込めるほどに店内を覆う 熱気に溢れた小さな店の中。カウンター席に座り白濁したスープをたっぷりと絡めた麺を啜り舌鼓を打っていたヒューズは、胸元に差し込んでいた携帯端末の振動に気付く。


『もしもし……あぁ貴方ですか。今? ええ、無事にダロムリージョンに着きまして、情報収集すべく昼食を……「すみません替え玉お願いします。バリカタで」……失礼しました。30秒もすれば食事が届くと思いますので手短に。やはりダロムは亜熱帯気候もあってか香辛料が美味ですねー。セヴェルでは滅多にお目にかかれない生のものが沢山ありまして、これをスープにたっぷりかけてガッと啜るのがもう絶品で……おっとこれは関係ありませんでしたね。いえ、遊んでなどいませんよ? 情報収集を継続します。料理が来たのでこの辺で、ではまた』


 一方的に捲し立て通話を終えるとヒューズは店員から皿を受け取り、乗せられていた湯気の立つ細い麺とトッピングされたネギを白濁したスープの入った丼に投入しその上からスープが見えなくなるほど香辛料を振りかける。

 店員の驚愕する顔を一瞥し、これがスタンダードだと言わんばかりに真っ赤なスープと麺を啜った。


「思わず食べ過ぎてしまいました。しばらく隠遁生活でしたし、ここで食べないと次またいつ来れるか分かりませんからねー」

「アンチャンすげぇな。あんな真っ赤なスープ、地元の連中でも飲み干さねぇぞ」

「いやぁ恐れ多い。実は辛い物に目がないのですが、しばらく口にできていませんでしたから……つい」


 替え玉3杯もおかわりしてくれた奴を咎めたりなんかしねぇよ、と店の大将は鼻を鳴らして肩をそびやかした。

 そんな気風のいい大将に別れを告げ、ヒューズは店を後にする。腹もくちくなり、ダロムの気候にも慣れてきた頃合いだ。

 携帯端末からマップアプリを起動したヒューズは最寄りの下層街区へ降りる層間エレベーターに目的地を設定し、ナビにいざなわれるように商業街区の賑やかな雑踏の中へと消えていった。



 隠遁生活を送っていたヒューズがダロムリージョンまで来たのには、ブラストからとある情報がもたらされたからであった。

『イヅナを退社したかつての装備職人が、ダロムリージョンの下層にいるらしい』

 ハムドとの戦闘によって大破炎上した飛行ユニットは、もはやヒューズ一人では修復不可能な状態であった。かといって、10年以上続けてきた高機動高火力の空戦という戦闘スタイルと戦術的優位性を諦めるのも今更できるわけでもない。

 バーというまともな設備もない場所で手をこまねいていたヒューズは、その情報に一も二もなく飛びついた。


 ブラストが探し出してきた装備職人の名は『イツカ』。退社する前はI.P.E. の開発部五課に所属していた装備設計者である。

 これまで買い入れ装備の改良を旨としていたI.P.E.で初の、“ゼロからの自社設計”での装備開発を担った先駆者であり、かつての精鋭部隊『カラス』の装備考案者の一人としてヒューズの記憶にも残る人物でもあった。

 当時から苗字はあまり認知されておらず、“五課のイツカ”という開発者の名前だけが社内でも知れ渡っていた。

 イツカは、京極ハイテックスの有する航空力学や極東重工の火力推進技術、キサラギ化成の化学燃料技術を学び、徹底的に調べ上げ、それらを複合させることで初期作にして当時の他社が舌を巻くほどの装備を作り上げた。

 それが装着型飛行ユニット。正式名称は『法務部強襲兵装』。

 その見た目から『カラス』部隊の名称の由来となった装備であり、ヒューズの10年来の相棒である装備であり、現在はバーの一室で物言わぬ置物となっている黒焦げの物体サムシングであった。


「自主都合による退社、ですか……」


 ポツリと漏れ出た独り言は、ダロムのうだるような暑さと共に陽炎が揺らめくアスファルトへと溶けていく。


(それにしても、ダロムリージョンは随分と物々しいですねー)


 不審がられぬよう手元の携帯端末を見る振りをして視線だけを左右に動かしながら、ヒューズは胸中でひとりごちる。

 ヒューズが警戒するのも無理はない。彼が今歩いているのは下層街区の中でも層間エレベーターにほど近い比較的治安のいい地区であるにも関わらず、企業の私兵ではない一般國民までもが拳銃やサブマシンガンなどで武装していたのである。

 注意して見てみれば、道路を走る車も他のリージョンに比べ民間仕様ではあるものの装甲車の割合がかなり多く感じられた。

 ヒューズとて、荒事に巻き込まれてもいいように二挺の愛銃は隠し持ってきている。だが、道行く彼らは堂々と銃火器を携行し、しかしそれを誇示することもなくさも当然のように振る舞っていた。


 考えてもしょうがない。そういう土地柄なのだろうと結論付け、ヒューズも彼らと同じように武器の携帯を隠さない堂々としたものへと歩調を変えた。

 ヒューズは知らなかったが、これはダロムリージョンの外交的な立ち位置に起因するものであった。

 國としては鎖国という外交戦略を継続しているものの、帝都大陸にほど近いダロムリージョンには“招かれざる客”が海から来訪する。

 駐屯するアマテラスの外縁部隊が警備と迎撃に当たってはいるが全てを駆逐することは難しいようで、時折監視の目を抜けた船がダロムリージョンまで接岸し個人貿易や保護を要求するのだという。

 銃弾という共通言語を用いる“外国人”に対応すべく、ダロムに住まう人々は自衛のために銃火器の携行を日常とすることとしたのである。

 図らずも、ヒューズの土地柄なのだろうという推測は正鵠を得ていたのであった。



 イツカを探し、ダロムリージョンの下層街区を彷徨うこと数日。イツカが営むジャンク改造店に辿り着いたヒューズだったが、どんな顔をして店に入ればいいのか分からなくなりドアを開けることを躊躇ってしまっていた。

 怖くないと言えば嘘になる。隊長を務めていた部隊を全滅させ、自分だけ戦闘を放棄し逃げ延び、更には必要に駆られたとはいえ自らの翼をその手で焼いた男に、イツカはどんな言葉を投げかけるのだろうか。


 粗末な鉄板にジャンクヤードと殴り書きされた店の看板を眺めたまま、ヒューズはドアの前で金縛りにあったかのように動けない。

 人を拒むような堅牢な造りのドア。店の表構えにも小さな窓ひとつなく、中の様子を窺い知ることはできない。


(いえ、拒んでいるというのは私の心境からくるものですね。この辺りの街並みはどこも同じ店構えでした)


 知らず強張ってしまっていた顔に手を当て、自嘲気味に笑う。

 とうの昔に捨てたはずの迷いの感情が渦巻く胸中に意図的に蓋をして、頬に張り付いた不恰好な笑顔を解きほぐすと、ヒューズは大きくひとつ息を吐いた。


「それでも、前に。ようやく掴んだ【鎧の男】の尻尾、羽ばたく翼が無ければどうやって追いかけるのだというものです」


 意を決してドアの開閉スイッチに手を添える。

 あれほど堅牢に見えた金属製のドアは、拒むものなど何もないように呆気なく開きヒューズを招き入れた。



 低く響くエンジン音がヒューズの鼓膜を叩く。モーターを回して発電しているのだろうか、電力供給が不安定な下層街区の僻地にも関わらず、店内はいくつもの照明によって明るく照らされていた。

 ぐるりと見回せば、床に積まれた何に使うのか検討もつかない金属塊。棚には部品の欠けたサイバネパーツが幾つも陳列されている。

 店の奥へと目を向けたところで、椅子に座り鋭い目つきでこちらを見やる店主らしき男と目が合った。

 歳は60を過ぎたくらいだろうか。ロマンスグレーの髪を整髪料で撫で付け、年季の入った作業着を上着がわりに羽織る瘦せぎすの男。それがヒューズが受けた第一印象だった。


「お邪魔しますよ」

「らっしゃい。……あんたみたいな身なりのいい奴が、こんなところに何を探しにきたんだ」

「人を探しにきましてねー」

「この店はジャンクしか扱ってねぇ。“ヒト“探しならお門違いだ」


 腰掛けた椅子をギシリと鳴らし、男は眉間に刻まれた渓谷のような皺をより一層深くして不機嫌そうな雰囲気を露わにする。

 取り扱っているサイバネパーツを生きている人間から奪ったなんて言わせない。そんな目だった。

 そこに職人としての矜持を感じ取ったヒューズは、慌てて前言を撤回し謝罪の言葉を口にする。


「申し訳ありません。私の探し人は貴方ですよ、イツカ」

「確かに俺の名前は天目一箇アマノメイツカだが、あんた誰だ」

「私の名前はヒューズ。いえ、貴方にはこう言った方がいいでしょうね。イヅナ精密電子法務部三課、部隊名“カラス”隊長、黒死鳥のRAY.D.FUSEレイ.ディ.ヒューズと」

「今……なんて言った」

「10年もの間、泥をすすり生き恥を晒してきた男が舞い戻ったのですよ」

「その名前、その部隊……だが、報告では確かに壊滅したはずだ! 俺は回収された装備の検分さえした!」

「お話ししましょう、あの日何があったか。そして、私が貴方の元に来た訳も」



“鳥の落日”の詳細と、ブラストとの出会いから今日こんにちに至るまでの事件の数々を話し終えたヒューズは、苦虫を数十匹はまとめて噛み潰したような表情のイツカを見やる。

 無理もない。彼からしてみれば自らが設計、開発した飛行ユニット部隊が正体不明の敵によって壊滅。隊長は1人逃げのび10年の時が過ぎ去り、現存していた最後の飛行ユニットも京極ハイテックスとの戦闘でヒューズ自らの手によって爆発大破しているのだから。

 どう言葉を続けたものかと腕組みし思案するヒューズに、イツカは深いため息を吐き出した後ゆっくりと口を開いた。


「するってぇと、なんだ。あんたは俺に……どうして欲しいんだ」

「貴方が開発した飛行ユニット“法務部強襲兵装”を、もう一度作り上げてもらえませんか」

「無理だ」


 無理、とは? と聞き返すヒューズに、イツカは忌々しそうに吐き捨てる。


「俺には無理だ。イヅナを離れて10年も経つ。設計書も手元には無いし、材料だって手に入らない。部隊を壊滅させた忌まわしき失敗作だよ、アレは」

「……私には、決してそうとは思えません。あの翼は唯一無二、イヅナが誇る精鋭部隊の象徴としてこれ以上ない装備でした」

「ありがとよ。けど、何度も言うが設計書も材料も無いのに作れるわけがねぇ」

「設計書と材料があれば出来る。そう聞こえますよ」

「……作ったとして、それでどうする。復讐に身をやつすのか」


 震える声でイツカが問う。怒り、恐れ、悲しみ、諦念。幾つもの感情が複雑に混ざり合ったその問いに、ヒューズはただ真っすぐに答えた。


「もう一度貴方の翼で空を飛びたいのです。今度は、もっと高く、もっと速く」

「…………馬鹿な男だ」

「そうかも、しれません」

「お前も、俺も。空に魅せられちまったのさ」


 同じ目ぇしやがって。と鼻で笑うイツカにヒューズはハッとして、その言葉の意味を理解して唇の端を持ち上げ嬉しそうに笑うのだった。



 翌日。

 改めてイツカの店に顔を出したヒューズは、テーブルの向かいで腕組みするイツカに向けてデータチップを差し出した。

 チップの中身を察したイツカは怪訝そうな顔でヒューズを見上げる。

 手癖の悪い後輩がいたようです。と肩をすくめ、ヒューズもイツカの正面へと腰掛けた。


 手元の端末にデータチップを差し込んだイツカはゆったりとした動作で指先を動かしていく。


「まさか、残っていたとはな……」


 イツカの呟きと共に、店内のホログラムモニターに“法務部強襲兵装”の設計図が映し出される。


「設計図はこれでよろしいですか?」

「いや、駄目だな」

「え……?」

「このままって訳にゃいかんのだろう。10年以上使い込んだあんただ。どうしたいか言ってみろ」


 今までになく挑戦的な声音のイツカに、ヒューズの顔付きも普段の温和なそれから戦闘中のみ見せる猛禽のような鋭いものへと変わっていく。


「思い出した。その顔は見たことがある。俺の装備で空を飛んでたあんたは、いつもその顔だった」

「昔の話ですよ。それで、どこからお話しすれば?」

「全部だ。次に作る物は正真正銘ヒューズ、あんたのためだけの装備になる。戦い方やクセ、整備の時に気を付けていたこと。一つ残らず思い出して俺に話せ」


 イツカの鬼気迫るような表情にヒューズも頷くと、ホログラムを指差しながら自身が培ってきた経験を紐解いてゆく。

 バード商会での10年間の戦闘に始まり、イヅナ精密電子の本社襲撃任務。

 高高度垂直降下からの即時戦闘行動は正気を疑われた。

 反重力ユニットを応用した曲芸飛行は装備の許容限界スレスレだと呆れられた。

 スラスターの小刻みな噴射によるクイックステップを多用した屋内戦闘は想定外だと天を仰がれた。

 敵を仕留める為とはいえ飛行用の液体燃料に着火、爆発を引き起こし大破炎上させた話は、流石のイツカも頭を抱えてしまっていた。


「ですが、どれも【鎧の男】に関係する戦いです。奴を追う以上、今後も同じような戦いは避けては通れません」

「分かってる、叱責してるわけじゃねぇ。だが、このままじゃ出力も機動性もあんたの技量にまるで追い付いてない。まったく、なんて依頼だ」

「出来なければ、同じ物でも……」

「出来ないなんて俺がいつ言った。そうだな……まずは、キサラギ化成の特殊科学燃料」

「えっ?」

「京極ハイテックスの空気翼用軽量合金」


 矢継ぎ早に飛び出す聞いたこともない部材名称に、ヒューズは慌てて携帯端末のメモを立ち上げる。

 イツカの口から紡ぎ出されたのは、両手の指の数を超える数の企業とそこでしか取り扱っていない製品ばかり。

 大企業ばかりでなく、中には支店もない小さな企業で少数のみ生産されているような部材まであった。


「……極東重工の高剛性ジェットタービン、反動制御ユニット。イヅナ精密電子謹製の飛行制御用の補助AI。それと、イヅナの開発部にいるという男の名刺を貰ってこい。死んでなきゃまだいるだろう」

「名刺? その方は……昔の部下か何かですか?」

「気にすんな。引退した老耄おいぼれの気まぐれみてぇなもんだ」


 くれぐれも名前は出すな、と念を押すイツカにヒューズも分かりましたと頷きを返した。

 改修案がまとまりひと段落しただろうと判断したヒューズは、店の外で煙草でも吸おうかと席を立とうとする。

 立ち上がりざま、ホルスターからチラリと覗いたハンドガンをイツカは見逃さなかった。


「おい、その銃も置いていけ」

「えっ?」

カラスの連中の装備は確か二刀双銃だったな。隠れ家に戻ったら、装備の残骸と一緒に双刀も送れ。俺が整備する」

「いいんですか? ありがたいですが、貴方の専門は装備の設計と開発では。それに、双黒刀は当時のカラスの制式装備ですらありませんし」

「何年メカニックやってると思ってるこのヒヨッコが。あんたは黙って『任せる』って言やぁいいんだよ」


 イツカから放たれる古参兵のオーラにも似た気迫に、最早ヒューズは首肯するだけになっていた。

 いつの間にか忘れてしまっていた昔の記憶が蘇っていく感覚に、顔を僅かに綻ばせながら。



 ジャンクヤードの裏口でタバコに火を付けたヒューズは、肺腑に染み込ませるように大きく煙を吸い込んだ。

 吐き出した煙は立ち上り、夜の闇に消えていった。気がつくと、下層街区の上部層間プレートから垂れ下がるビル群には無数の灯りが光り輝いていた。

 自身の装備のことだから無理もないのだが、つい饒舌に語ってしまったことを思い出して恥ずかしげに吸い終わったタバコの火を揉み消す。

 立ち昇った煙が夜風にさらわれていくのを見届けると、ヒューズは携帯端末の連絡先からブラストの番号を探し出し、通話ボタンをトンと叩く。

 デフォルト設定のレトロなコール音が二度、三度。四度目が鳴り終わる前に途切れ、ブラストに繋がった。


『私です。今、お時間よろしいですか?』

『あいよ。進捗があった感じか?』

『ええ。無事にイツカに会えました。先ほど、装備改修の話が纏まったところです』


 携帯端末の向こうからヒュゥと口笛が聞こえてくる。

 お調子者のブラストらしい態度だが、ヒューズはそれを好ましく感じていた。


『連絡したのはブラスト、貴方にたってのお願いがあるからですよ』

『そういう言い方すんのはよ、大概碌でもない依頼って相場が決まってんだ。言ってみな』

『装備を作るにあたって、指定されたパーツを集めなくてはいけません。後ほどファルやセイナ、ハムドにも連絡するつもりですが、貴方には購入資金の提供と集めた物資の配送をお願いできないでしょうか』

『うへぇマジか。いやまぁ分かるけどよ。しょうがねぇ、後でリストを送ってくれよ』


 わざと聞こえるように大きなため息をつくブラストの姿が目に浮かび、ヒューズは申し訳ありませんと謝罪の言葉を口にする。


『それと、イヅナの開発部にいるミカゲという方をご存知ですか?』

『ミカゲ? 聞いたことのない名前だな。開発部なんて普段用がないから寄り付きもしねぇが、なんかあんのか?』

『イツカから開発部のミカゲという方の名刺をもらってくるようにと頼まれまして。ただし、くれぐれも自分の名前は出すなと』

『ふぅん。ヘソ曲げられても困るからもらってくるけど……』

『頼みます。では、私は後の3人に連絡しますので』


 ブラストとの通信を終えたヒューズは続けてにファル、セイナ、ハムドにも連絡を取り、イツカから提示されたパーツをブラストに届けてもらうよう伝えた。

 最後に連絡したハムドはヒューズの装備が大破する原因になったこともあり快く引き受けてくれ、細かな部材の入手もなんとかしてみるとまで言ってくれた。

 無理はしないでくださいね、と苦笑しながらヒューズは通話を終える。

 俯きがちになっていた視線を上げれば気付けば夜の帳は落ち切っていて、埃っぽさが僅かに漂うじっとりとした風が吹き始めていた。



「うん……?」


 室内へと戻ろうとしたヒューズの胸元が、携帯端末のバイブレーションで振動する。

 タイミング的に先ほど連絡を取った4人の内の誰かからの折り返しだろうかと、表示された画面の確認もそこそこに耳に端末を当てる。


『私です』

『お久しぶりです、Bランク傭兵RAY.D.FUSEレイ.ディ.ヒューズ。激辛ラーメン替え玉3杯のお味は如何でしたか?』


 もしヒューズの注意力がもう少し残っていたら、もしヒューズが連絡先に登録した番号以外を着信拒否にする設定をしていたら、この会話は起こり得なかっただろう。

 端末越しに聞こえる聞き覚えのある女性の声に、ヒューズは思わず身体を硬直させた。


『貴女に……というより、関係者以外に連絡先を教えた記憶はなかったんですがね。どうやって知り得たんですか? バード紹介セヴェル支部オペレーター、モモさん?』

『死亡後の傭兵登録情報抹消、遺品処分、報酬入金口座の凍結など、事務処理を行わず放置するのは我がバード商会の悪しき慣例。ですが、先の事件で死亡したはずのBランク傭兵RAY.D.FUSEレイ.ディ.ヒューズの口座から出金があるのに気付けたのも、この慣例故の僥倖と言えるでしょう』

『まさか、口座の出金履歴から私の生存を確認したと……?』

『端末の購入記録閲覧や監視カメラのハッキングなど、中々骨の折れる作業でした。ああ、ご安心ください。Bランク傭兵RAY.D.FUSEレイ.ディ.ヒューズの死亡登録は適切に受理されています。しかし、今後も何の対策も講じず過ごしていれば……いずれは私以外の誰かがあなたの生存に勘付くかもしれませんね』


 抑揚の薄い声音で告げられる状況に、ヒューズの鼓動が早鐘を打つように徐々に早く大きくなっていく。

 喉を鳴らし生唾を呑み込むが、口の中はカラカラに渇いていた。


『私に、どうしろと』

『あなたがすべきことは何もありません。強いて言うなら、土産話の一つでも持って挨拶に来てもらえれば。いかがですか、D?』

『Dランク……?』


 端末の向こうで、悪戯が成功した子供のようにクスリと笑う声が聞こえる。

 彼女にしては珍しいその言動に、ヒューズはおうむ返しに尋ねた。


『先日傭兵登録された新しい傭兵の名です。報酬受領口座の紐付けも完了していますよ』

『貴女の目的はなんだと言うのです。その行為のメリットがまるで見えてこない』

『案外、気の置けない話し相手が居なくなって寂しかっただけかもしれません。話といえばそう、貴方が死亡してからのバード商会の動向など興味はありませんか?』


 ヒューズは下手に情報を与えてはマズいと無言を貫くが、彼女には先を促されたと受け取ったようで、モモは淡々と、だがどこか少し楽しそうに話を続ける。


『宿舎を襲撃されたバード商会上層部はまさに蜂の巣を突いたような大騒ぎでした。Bランク以上の高等傭兵用宿舎なのもあり、面目も丸潰れ。襲撃者も分からず、宿舎の修理費も請求できず、バード商会は大きな痛手を被り既存体制の改善を余儀なくされました』


 役員会議の紛糾具合は動画撮影しておくべきでした。とモモは揶揄う。


『商会支部それぞれで登録傭兵たちの在籍者管理と昇給・先鋭化も進められました。セヴェル支部では、先の緊急任務で頭角を表したBランク傭兵アーノルドのAランク昇級が行われました。また、メディオ支部所属Cランク傭兵シーカー及びカイロスのセヴェル支部移籍とBランクへの昇級が、シャハル支部に出向していたBランク傭兵ジンが現地でタッグを組んだ傭兵を連れて帰還しています』


 中々の大異動でしたが、そのお陰であなたの新規登録もうまく混ぜ込めました、とモモは締めくくった。


『……それを私に伝える意図が読めません。先ほど話し相手と言いましたが、私と貴女はそこまで親しい仲ではなかったと記憶しています』

『目をかけていた鳥が鳥籠と共に燃えてしまったと思っていたら、籠を抜けだして空を自由に飛ぼうとしていました。少しばかりその姿を眺めていたいと思うくらいには、私にも女性らしさがあったようです』


 それは素敵な趣味ですね、とヒューズがため息と共に呟けば、それほどでもありませんと抑揚のない声で返される。

 緊急任務のブリーフィング時に見た表情筋をぴくりとも動かさない姿とのギャップに頭痛さえ催してきたヒューズは、皺の寄った額を空いた手で揉み解した。


『長話にお付き合いくださりありがとうございました。そういえば、がまだでしたね。バード商会セヴェル支部所属上級オペレーター”モモ”と申します。今後の出撃時のオペレーターは私が専属で務めさせていただきますので、よろしくお願いいたします』


 またお会いしましょう。と、意味深な……というよりは脅迫めいた言葉を残しモモとの通話が切れる。

 脳の許容量を超える情報の濁流を無理やり流し込まれたような気分になったヒューズは、気持ちの切り替えのために更に2本の煙草を消費することとなった。


「彼女の真意は分かりませんでしたね。ですが、考えようによっては新たな身分を手に入れられた……のでしょうか。居場所もバレてしまっているようですし、装備の件がひと段落したら挨拶くらいは出向くようにしましょうか……」


 休憩のはずがどっと押し寄せた疲労感を紛らわせるために、ヒューズはしばらく紫煙を燻らせ続けた。




 イツカの居る店内へと戻ってきたヒューズは、部材の手配の目処が立ったことを彼に伝える。

 イツカは分かったとだけ返すと、何かを考え込むように目を閉じて大きく息を吐き出す。

 動かず、喋らず、座ったまま瞑目していたイツカはゆっくりと目を開き、絞り出すように言葉を紡ぐ。


「ヒューズ。あんたが望む翼を、俺は作ってやれる。作ってやれるが、大事にしろ」


 当然ですと返そうとしたヒューズの口を視線だけで縫い付け、イツカは続ける。


「もう何度も直せるわけじゃねぇ。そういう意味だ。あんた自身も、新しい翼も、な。部材が届いたら……そうだな、1ヶ月くれ。完成したらあんたの隠れ家に届けてやる」

「……分かりました」

「それと、この店にはもう来なくていい。気が散るからよ、大人しく待ってな」


 曖昧な言葉で会話を終えると、イツカは早く部材を持ってこいとヒューズを急き立てるのだった。




 ヒューズから連絡を受けた翌日、ブラストはI.P.E.本社内の開発部に姿を見せていた。

 目的は勿論、ヒューズから依頼された”ミカゲ”なる人物を探し出すためだ。

 色々な意味で悪名を轟かせるブラストの出現に、開発部の職員も遠巻きに見て眉をひそめるばかりで、誰一人として話しかけてくる様子はない。

 これじゃ埒が明かないと、ブラストはたまたま近くを通りがかった職員に声をかけた。


「なぁアンタ、ミカゲとかいう奴の居場所知らねぇか」

「ぇ? いや、知らな……あー、あ、アマノメ主任のこと、です、か?」

「苗字は知らねぇんだよ。ミカゲって名前の奴が何人も居たら分かんねぇけど、一人しかいねぇならソイツじゃないのか?」

「私に言われても……。アマノメ主任なら六課の研究室だと思います。も、もう行ってもいいですか?」


 ブラストは普段通りの態度で接したつもりだったが、物言いの刺々しさと死線を潜り抜けたオーラから凄まれたように感じた職員はしどろもどろになりながらも何とか会話を終えると、顔を背けて逃げるように走り去っていく。

 そんな怖ぇ顔してるかね? と肩をすくめ、ブラストは先ほど聞き出した六課の研究室を探して開発部を練り歩くことにした。


 ブラストは興味も関心もないことではあるが、開発部の業務は課毎にしっかりと役割分担がされている。

 企業としてのメイン事業である半導体や電子技術の研究は開発部の一課から四課までが担っており、イツカが所属していた開発部五課は私兵部隊の発足後に新設された比較的歴史の浅い部署となる。

 開発部五課は主に法務部や特務部の装備の設計・開発全般を行う部署であり、発足当初は他社の装備をベースに独自の技術を積み重ねて装備を作り出していく方針を取っていた。

 これはI.P.E.が元は半導体企業に端を発することから、装備製造のノウハウに遅れがあり、他社の装備を買い入れての開発に舵を切ってきた経緯によるものである。

 しかしながら、イツカの烏用装備を発端にして、自社製品としてもラインナップを増やすような動きが活発になり、現在は基本部分も自社ノウハウに組み込んで他社の技術供給がなくても開発製造を行うことができるようになっている。


 そして、ブラストが今探している六課は一課から五課までのどの部局とも毛色が違う、他の課が開発を行う上での重要な情報となる他社や古今の技術を収集・解析することを専門とする課として数年前に発足した最も新しい部署である。

 旧時代の装備に残る半ばオーパーツ的な技術や、未解明の部分を有するニューアークの産業的・兵器的な転用の可能性などを日夜研究し開発部の各課へと情報共有を行う実験的な部署として開発部に名を連ねているのであった。


 ブラストの探すミカゲという男が、そんな新進気鋭の部署に所属する主任技術者とは露ほども知らず、ブラストはようやく見つけ出した開発部六課研究室へと意気揚々と乗り込んでいく。

 突然入ってきた見知らぬ顔に、六課の研究者たちも怪訝そうな顔つきで手を止めてブラストを見やる。

 その突き刺すような視線を意にも介さず、ブラストは室内をキョロキョロと見回して声を張り上げた。


「えーっと、わりぃんだけどさ。ミカゲって人、いる?」


 しん、と静まり返る研究室。突き刺さる視線の鋭角さが増した気さえする。が、ブラストはそんなことを気にするような男ではない。

 研究室に静寂が訪れてから、たっぷり数十秒は経っただろうか。「っかしーな。聞こえなかったか?」などとブラストはうそぶき、再度尋ねようと息を吸い込む素振りを見せる。


「研究室で大声を出すのはやめてくれ。貴方が探しているミカゲというのは恐らく僕のことだろう」

「おっ、なんだ居るじゃん。アンタに折り入って頼みがあんだよ」


 これ以上仕事の邪魔をされては敵わないと思ったのだろう。

 研究室の一角で年嵩の職員とモニターを挟んで顔を突き合わせていたブラストと同年代の男がブラストへと声を掛ける。

 細身だが利発そうなその青年は見守る同僚たちに仕事に戻るよう伝えると、ブラストを研究室の外へと連れ出した。


「貴方は……法務部一課のブラストか。用件を言ってくれ、難しくなければ対応しよう」

「話が早くて助かるわ。アンタの名刺をくれないか?」

「名刺? そんなことなら構わないが、何に使う」

「俺の知り合いでさ、“開発部のミカゲ”の連絡先を知りたいって奴がいて。俺はそのオツカイってヤツ。……あ、たぶん悪用はしねぇからソコんとこは安心しといてくれ」


 自分の名前を名指しされたことに不審そうに首を傾げるミカゲだったが、それで用事が済むならと携帯端末を操作してブラストのアドレスに自らの名刺データを送信する。


「今送った。確認してくれ」

天目御影アマノメミカゲ、ね。サンキュー。んじゃ、また何かあったら頼むわ」

「あ、おい待て。もしまた何かあるようなら、次からは事前にアポイントを取ってくれ。毎回研究室に来て大声を出されたらたまったもんじゃない」


 用事が済めばこれ幸いと踵を返そうとするブラストにミカゲは精一杯の苦言を漏らすが、当のブラストはどこ吹く風といった様子で手をヒラヒラと振りながら開発部を後にするのだった。

 ブラストが完全に立ち去ったのを見届けて、溜まった鬱憤を大きなため息と共に吐き出すとミカゲも研究室へと戻っていった。


 後日、開発部から法務部へ苦情の申し立てがありブラストに上司から雷が落ちるのだが、それはまた別の話である。



 深夜、作業の手を止め汗ばんだ額を拭うこともせずイツカは椅子に背を預ける。

 息を整えつつ机の上を見やれば、光る端末に浮かび上がるイヅナ精密電子の会社ロゴと、利発そうな青年の姿。


「六課の主任……か。一丁前に貫いてやがんだな……」


 一文字に硬く結んでいた口元を緩めると、イツカは作業を再開した。




 ヒューズが揃えた部材をイツカの元へ送り届けてから、1ヶ月ほどの時間が経った。

 メディオ地区の下層街区、隠れ家にしているバーの裏庭で届いた大荷物を開封したヒューズは感嘆の声を上げる。

 荷物の中身は当然、イツカから送られてきたヒューズの新装備。

 吸い込まれるような烏の濡れ羽色。光を反射しない特殊な塗料で塗装された装備を手に取り、慣れない手付きで組み立てていく。


 以前のものより一回り大型化された両肩と背面の3対6基のメインスラスター。高剛性ジェットタービンが使われたそれは、高出力と急制動を両立させ最大速度は音速を超える。

 両肩に新設された大型のウィングバインダーは空気翼としての機能の他、武器の格納や簡易的な盾としての役割も果たす。

 腰の両側には補助翼と2対4基のサブスラスターが増設されている。空中での急旋回や、小刻みな噴射により地上戦での機動性をも格段に向上させる。

 胸部、腕部、脚部の装甲一つ一つをとっても航空力学を最大限に活かしつつ防御性能の高い軽量合金で作られている。


 更に、大型ウィングバインダーと双璧を成す様に一際目を引くのが背面から伸びる伸縮式クロウテイル。先端が鉤爪のようになっており、伸縮式のワイヤーが繋がった鉤爪を射出して拘束したり、鉤爪そのもので攻撃することもできる。

 それら全てがAI補助によりヒューズの思考とリンクし自在に動くのだという。


 そして、整備され新品以上の状態となった黒と銀の大型自動拳銃“リリアナ”、“ヴェロニカ”。

 最高級の砥石で極限まで研ぎあげられた黒刀“瑞鳳ズイホウ”の二振り。

 そのどちらもが、“術式”と呼ばれる國の最先端技術を用いて性能を向上させる性質が付与されていた、

 二丁の大型自動拳銃には弾速上昇、双黒刀には切断性能向上という単純なものだったが、熟練の戦士であるヒューズには戦闘スタイルを変えない範囲での十分すぎる強化であった。


「まさか……ここまでとは」


 想像以上の出来栄えに打ち震えるヒューズは、礼を伝えるべくイツカの元へと向かうことにした。

 イツカが連絡先を交換することを拒んだため、直接会いに行かねばならないがそんなことは些細なこと。

 唯一無二の素晴らしい装備を作り上げた職人へ、最大限の礼節を伝えるのはヒューズにとっても当然の行動だった。

 どこへ行くのかと尋ねるバーのマスターに行き先と数日留守にすることを伝え、ヒューズはダロムリージョン行きの高速列車に飛び乗った。


 半日ほどの後、ダロムリージョンの下層街区。イツカの店を訪れたヒューズはドアの前で眉間に皺を寄せて佇んでいた。

 住まいを兼ねているはずの店は閉まっており照明も全て落とされている。

 店の扉の前や、裏口に回って何度も呼びかけてみたが、反応が返ってくることもなかった。


 不思議に思い近隣の住民に声をかけて情報を集めてみると、1週間ほど前に亡くなっていたことが判明した。

 その事実に愕然とするも、詳しい情報を求めて知古だったという職人仲間を探し出し話を聞くと、数年前から全身の筋肉が硬化していく大病を患っていたのだという。

 ヒューズが出会った時には余命幾許もない状態で、下半身に至っては既に全く動かなくなっていた状態だった。


 思い返してみれば、二日間という短い時間の中でイツカが椅子から立ち上がったことは一度たりとも見かけなかったし、設計図を指し示す時も自分では頑なに操作することはせず全てヒューズにやらせていた。

 死を待つだけの人生の最後に閃光のように舞い込んだ、かつての盟友に心配をかけまいとしたのか、はたまた頑固な性格に見えたイツカなりのプライドの発露だったのだろうか。

 今となってはその真意を測ることは出来ないが、イツカは確かに病を隠し通して逝った。

 込み上げてくる感情を心の奥底に封じ込めて重たい息を吐き出すと、ヒューズはブラストに通話する。


『私です』

『ダンナか。こんな時間に何かあったのか?』

『イツカが、亡くなりました』

『……マジかよ。装備は』

『今日届きました。一言礼を伝えねばと思い、飛んで来たのですが……』

『そうか……まー、その、なんだ。とりあえず隠れ家に帰って来て、色々考えようぜ。俺の方でも何かあれば連絡するわ』


 ブラストとの通話を終え、ヒューズは気が抜けたように店の外壁にもたれかかる。1ヶ月前と同じように空を見上げれば、1ヶ月前と同じように空を覆い尽くす高層ビル群が煌々と光を放っていた。

 その光が今日だけはぼやけて見えたのは、ヒューズの気のせいに違いなかった。


「イツカ。貴方が造り上げた最後の作品が因縁のカラスのもので本当に良かったのでしょうか? 私は……」


 虚空に向けて呟くと、ヒューズは店を後にした。


 振り返ることはもうなかった。




 数日後


 I.P.E.本社内の自分のデスクでブラストが忙しなくクダを巻いていると、開発部六課から早急に顔を出すようにと連絡を受ける。

 開発部? なんかやらかしたっけ? いやでも最近は大人しくしてたよな? などと身に覚えのあるかないかも分からない節を指折り数えながら、開発部へと向かう。

 開発部六課で待ち構えていたのは、1ヶ月ほど前に名刺データを貰い受けたミカゲである。


「呼び付けたのはアンタか?」

「そうだ。貴方は僕に何か言うべきことがあるんじゃないのか」

「いや急に言われても分かんねぇって。説教なら帰るぞ」


 詰問するような、どこか苛立ちを隠せない口調でブラストを睨め付ける。


「イツカという男を知っているな?」

「いや、知らねぇ」

「嘘をつくな。貴方には……!」

「アマノメ主任。会議室を押さえてありますので、」


 ミカゲがブラストの態度に痺れを切らし声を荒げようとしたところで、見かねた部下らしき男がミカゲの言葉を遮り廊下の奥を指差した。

 ミカゲも横槍を入れられたことで一瞬冷静になったようで、ブラストに付いてくるようにと促す。

 ブラストも上がりかけていたボルテージに心の中で氷水をぶち撒けミカゲの背に続いた。



 小さな会議室に通されたブラストは、ミカゲと向かい合う。

 ミカゲは手に持ったタブレット端末を操作し、会議室のモニターに幾つかのデータを表示した。


「改めて、僕の名前は天目御影アマノメミカゲ。開発部六課で主任を務めている」

「ブラストだ。法務部一課所属」

「1ヶ月ほど前、貴方は僕から名刺データを受け取り、それを誰かに渡した。間違いないな」


 首肯するブラストに、ミカゲはモニターに表示されたデータを見るよう顎で指し示す。


「数日前、天目一箇アマノメイツカと名乗る人物から膨大な量の装備データが私の個人アドレスに送られてきた」

「昔イヅナの開発部にいた、“五課のイツカ”という男を探してたのは間違いない。1ヶ月ほど前に俺のツレが居場所を突き止めて、頼みを聞いてもらう代わりにイツカからアンタの連絡先を寄越すよう言われたから教えた。ってちょっと待て。アンタの苗字……!」

「そうだ。アマノメイツカは僕の……父親だ」


 ミカゲの言葉にブラストは眉根を跳ね上げる。

 そしてモニターに表示されたデータをじっくりと見てみれば、ミカゲがなぜ凄まじい剣幕でブラストを呼び付けたかも合点がいった。


「このデータは、父……アマノメイツカが設計したカラスの装備データだ。以降、曰く付きとされ社内アーカイブからは完全に抹消され、存在しないことになっているはずの詳細な設計図が……」

「マジかよ……」


 本当はこの装備データはイヅナの機密データ保管庫で物理媒体に保存されていたものであり、極東重工での戦闘の翌日にブラストがこっそりコピーしたものなのだが、ブラストは知らぬ存ぜぬを押し通すことにした。言わぬが花、である。


「そして、送られてきたデータにはその発展系とも完成系とも言える装備データも大量にあった。知らないとは言わせない。貴方は、父に何をさせた。父は……」

「数日前、ツレから連絡があった。アマノメイツカは、この装備を完成させた直後に病で亡くなったらしい。アンタにデータを送ってるのは知らなかったがな」

「そう、なの……か。病……病か……」


 亡くなった。ブラストの口から発せられたその一言に、ミカゲは胸を詰まらせる。

 落ち着かせようと深呼吸を繰り返すミカゲを、ブラストは黙って見守った。


「父とは絶縁状態だった。何年も連絡を取らないほどに。それなのに、最後にこのデータを送ってきた。必ず何か理由があるはずだ。あの人が忌避し、退職する直接的な原因にさえなったカラスの装備、その新型を造らせたのは何故だ。貴方は、何を企んでいる」


 知らない。分からないと本当にしらばっくれることもできた。

 だが、覚悟を決めたようなミカゲのその双眸にはさしものブラストも心を揺さぶられた。

 これ以上隠し通すことはできない。そう考えたブラストは渋々ではあるものの【鎧の男】のことを伝える。

 生き延びた黒死鳥、不可解な事件の数々、國そのものの根幹を揺るがしかねない不気味な暗躍、そしてヒューズに届けられた新たな装備。


 最初こそ、信じられないと怪訝な表情で聞いていたミカゲだったが、ブラストの打って変わって真剣な表情を見て慌てて考えを改める。


「ありがとうございます。僕は、貴方のお陰で父の想いを知ることができた。あの時貴方に名刺を渡さなければ、私は父親の死すら知り得なかった」

「ここまで巻き込む気はなかったんだけどな。そういや、アマノメイツカの最後の作品、これは何て読むんだ?」

「ちょっと待って。ええと、これだ。皮肉だね……初めて自身の名前を付けた装備が、忌避していたカラスの装備だったなんて」

「皮肉じゃねぇよ。アンタに引き継いで欲しかったんだろ。名前の最後に壱式イチシキって付いてんのはさ、そう言うことじゃねぇのか?」

「あぁ、そうか。そういう、ことなのか……」


 父親のかつての仕事、最後に造り上げた装備に託した想い、そしてそのデータを息子である自分に送った意味。

 その全てを知ったミカゲは亡き父の想いを引き継ぎ、ブラストたちへの協力を惜しまないことを約束するのだった。




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