現実世界~3日目~ 「歌えない音楽家」
3-1 減っていく残機
◇
「貴様の命も、いよいよあと1つですねえ」
所長はノインのことを見下ろして、愉快そうにそう言った。
強大なミスティルのオーラを纏った所長は全身が巨大化して、ゆうに5メートルは超えていそうだ。武器を構えたノインは、歯ぎしりをしながらその巨躯を見上げている。
(なんだよ、この巨体は……)
所長の身体は、あの巨大なサソリよりもさらに大きい。まさに、巨人としか形容できないほどだ。
「これで終わりですよお!」
まずい、と思う隙もなかった。バチバチッと、所長の右腕のミスティルが唸りを上げる。そこからは一瞬だった。
ゴッ!と、巨大な右腕が振り下ろされて、そのままノインを強打した。
「ぐはっ!」
強力な一撃を食らったノインは吹き飛ぶように転がって、やがて勢いがなくなると地面に倒れたまま動かなくなった。
「ノイン!」
フィーアが悲痛な叫びを上げながら、ノインのもとへ駆け寄る。ノインは額から血を流し、完全に力ない目でフィーアのことを見た。
「悪い。もうダメみたいだ……」
「待ってて、今ポーションを――」
「いや、いい。もう効かねえよ」
掠れた声。この表情と声だけで、もう助かる見込みがないことが分かる。これで7度目だ。
(まずい。次にノインが死んだら……)
「ダメだ。ノインが死んだら、俺は――」
瞬間、胸の辺りを強い圧迫感が襲った。ドクン、と。心臓が何かに鷲掴みにされているような。
苦しい。このまま心臓が握りつぶされてしまいそうだ。
きっとこれが死に行く直前の感覚なんだろう。
(ああ、ダメだ。やっぱり俺はもう……)
絶望を抱えながら、そこで智章はゆっくりと目を開いた。
◇
「はあ、はあ……」
目が覚めて真っ先に感じたのは不快感だった。額と背中の辺りに、びっしょりと冷や汗が溢れている。
「夢、か……」
変に寝返りを打ってしまったのか、腕を左胸の下に敷いてうつ伏せる体勢になっていた。きっと心臓を圧迫するこの体勢のせいで悪夢を見てしまったのだろう。
(転生が終わった後、普通に夢を見てたのか……)
思わず背筋が寒くなる。
夢の中で感じたリアルな死の感覚を思い出してしまった。ゲームの世界でノインが7度目の死を迎えた時、自分もあんな風に死ぬのだろうか。
「なんとか、しないと……」
智章はゲームの世界で起きたことを思い出す。
ゲゼルシャフトに支配された街“ファブリック”で大規模なリストラが起こり、それに反対する気力すらない住民を鼓舞しようとメイは歌を歌おうとした。
――が、メイは歌を歌えず、ノインは所長に負けた。
これでノインが死を迎えるのは3度目だ。もし、あと4回あの世界でノインが死ねば――。
「そうだよ、梨英だよ……!」
やるべきことを思い出して、智章は慌ててベッドを飛び起きる。メイが住民を鼓舞する歌を歌えない限り、所長との戦闘は負け確イベントのままで、一生クリアなんてできるはずがない。
都合がいいことに、今は土曜日の朝だ。梨英の予定は分からないが、改めて連絡を取るには、これ以上ないくらいに最適なタイミングだった。
智章は簡単に朝の支度を済ませたあと、チャットではなく梨英に直接通話をかけた。
(出てくれればいいけど……)
普段は誰かと通話をする機会も少ないせいか、機械的なコール音が余計に不安を煽る。
たとえ梨英と通話がつながったとして、もし作曲のお願いを断られたら……?
コール音を聞いているうちに、ますます自信がなくなってくる。そんな時、3回目のコール音の終わりに、不意に通話がつながる音がした。
『もしもし?』
懐かしい。梨英の声だ。懐かしさで思わず一瞬言葉が飛んでしまった。
慌ててすぐに応答する。
「あ、急にごめん。今って大丈夫だった?」
『まあちょっとなら。なにか急ぎ?』
少し驚いたのは、こんな休日の朝の電話に梨英がハッキリした声で応答したことだ。大学生の頃の梨英は完全な夜型人間で、連絡を送っても昼まで返信が来ないことは当たり前だった。
5人で旅行に行った時も、梨英は朝になってもまったく起きなくて、蒼汰と詩月が必死になって起こそうとしていたのを覚えている。
「朝からごめん、昨日送ったゲームの件なんだけど、やっぱりどうしても無理かな?」
それを訊いた瞬間、電話口から伝わる空気が変わった。それは、なにかピリッとするような空気だ。
『悪いけど、あたしもう、曲は書いてないから』
「別にブランクがあったっていいよ。せめて1曲だけ、どうにか書いてもらえないかな……?」
しばらくの間、電話口が伝えたのは沈黙という返事だけだった。
(やっぱり、今さらダメなのかな……)
長い沈黙にいよいよ諦めかけていた頃、電話口から聞こえてきたのは苦笑だった。
『智章、全然変わってないじゃん。なんかちょっと安心した』
「え、そうかな?」
『そうでしょ。普段なよなよしてるくせに、ゲーム作りのことになると強引になんだからさ』
良かった、やっぱり梨英も梨英のまんまだ。
少しぶっきらぼうな口調だが、それゆえにシンプルに言葉が伝わってくる。
こんな風に梨英と会話をするのは卒業して以来初めてで、話をしているうちに、少しずつ昔の感覚が取り戻されてきた。
「ごめん、今回はちょっといろいろと事情があって……。どうしても梨英の曲が必要なんだ」
『そうなの? 分かんないけど、その曲っていうのはいつまでにいるわけ?』
「無理を言っていいなら、すぐにでもほしい。すごいワガママを言ってる自覚はあるんだけど……」
たとえ今日中が無理でも、せめて明日の夜までにはもらいたい。
そんな勝手な願いは、あっけなく打ち砕かれた。
『ふーん。だったら、別の人を探しなよ。あたしはもう曲を書けない』
梨英から返ってきたのは、そんな冷めた声。断られることは覚悟していたが、少しだけ意外な反応だった。
書けない? 書かないじゃなくて?
「えっと、なんで? 蒼汰から聞いたけど、やっぱり忙しいから?」
『うん。まあそれもあるけどさ、もう書く気分になれないっていうか……』
「ていうか?」
少しの沈黙。それから梨英は言った。
『ごめん、あたしこれから仕事に行かないと』
「え、土日休みじゃないんだ?」
驚いた。就職先は商社だと聞いていたから、勝手に土日休みだと想像をしてしまっていた。
『いや、基本はそうなんだけど……。今日はちょっとクソ上司の尻拭いがあんの』
「なんだよ、それ……」
(蒼汰からブラックだとは聞いていた。だけど、あまりに理由がひどすぎる)
梨英にゲーム作りを手伝ってもらうためには、間違いなくこの忙しさは障壁になる。梨英の曲に命がかかっているだけに、そんなふざけた理由は認められるわけがない。
ただ、あのゲームのクリアを気にする以上に、湧き上がってきたのはもっと純粋な気持ちだった。
何の打算でもなく、智章は反射的に「手伝わせてよ」と言っていた。
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