2-3 レベルが上がらぬバグ直し

「悪いな、突然押しかけたりして」


 そう言って蒼汰が家に来たのは、21時近くになってのことだった。

 最近では仕事が忙しいと聞いていて、今日も会社から直接来てこの時間になったらしい。そんな残業後だというのに、蒼汰はいつもの爽やかな整った顔をしている。

 そして、そんな蒼汰の手には、お酒やツマミが入ったコンビニのビニール袋が提げられている。


「全然。むしろ俺の方が突然だったし」

「確かに、いきなりもいきなりだよ。なんだってまた急にあのゲームを作りたいなんて言い出したんだよ」


 蒼汰はビニール袋をテーブルに置いてから、慣れた様子で客人用に用意している大きなクッションに座った。客人用といっても、すっかり蒼汰の専用だ。

 この狭い1Kは、蒼汰1人が来るだけで一気に手狭に感じられる。


「それにはまあ、いろいろと事情があって……」


 智章は、蒼汰が持ってきたお酒の缶を冷蔵庫に移しながら答えた。


「まあいいけどさ。それより、LINEで言ってたバグって? 酔う前に、さっさと見てみるよ」


 蒼汰には事前に、個人LINEでバグのことは伝えてあった。お酒が好きな蒼汰はきっとすぐにでも乾杯をしたいはずだったが、バグの修正を優先してくれたのはありがたかった。


「ありがとう。すごく助かる」

「悪いけど、触るの久しぶりだし、直せる保証はないからな?」

「そこはSE様を信じてるよ」


 蒼汰は大学を出て、大手のシステム会社に就職した。もともと情報系の学部でもなかったが、入社後に努力を続けて、この前は初めてのプロジェクトリーダーにもなったらしい。


「エンジニアは智章だってそうだろ」

「そうだけど、頭に”セールス”がつくし、そもそもゲームのシステムは蒼汰に聞かないと」


 智章は言いながら、部屋のパソコンをスリープ状態から起動する。ひとまず、ゲームの修理を頼める画面まで遷移しようとした。

 智章がパソコンをいじる間、蒼汰は退屈そうに部屋を眺め回している。


「にしても、相変わらず殺風景だな。清潔感があるのはいいけど、ちょっとは可愛げがないと女の子も呼べないだろ」


 蒼汰が家に来ると、いつもそういう話になる。彼女はできたかと会うたびに訊かれ続けて、良い報告ができたことは一度もない。

 ベッドと机と折り畳みのテーブルがあだけの味気ないこの部屋には、社会人になってからは蒼汰と親しか来たことがない。


「いいんだよ、どうせ呼ぶ予定もないから」

「もったいない。オレが勧めたアプリ、まだちゃんとやってるか?」

「一応やってるけど……。全然マッチしないし、そろそろ心挫けそう」


 これまでは、早く彼女を作れ、と蒼汰に言われても、あまり耳に入ってこなかった。ただ、この1年の間にその意識も少しずつ変わってきた。

 最近では、大学時代の友人で結婚する人も増えてきた。蒼汰に至っては2年ほど前に結婚していて、だんだんと子供も産まれそうだという話だ。


「それより、蒼汰はモンクエの新作買う?」

「んー、やりたいけどパスかな。今ゲームなんてしてたら、さすがに嫁に泣かれる気がする」

「……そっか。まあ、それもそうだよね」


 卒業してから疎遠になる友人が多い中、蒼汰とは大学卒業後もゲーム仲間として関係を続けてきた。オンラインで済ませることも多かったが、家が近いこともあって、暇の合う土日には智章の家に集まって、2人でゲームをして過ごすこともあった。

 ただ、遊ぶゲームもなくなったタイミングで、ちょうど蒼汰の仕事もプライベートも忙しくなり、ここ半年ほどはすっかり集まることもなくなっていた。


(よし。ちゃんと開けた)


“プロジェクト”と呼ばれるゲームを作るためのデータが集めたファイルは、他のメンバーも編集ができるようにネットワークドライブに保存してある。

 大学を卒業して以来触っていなかった領域だが、当時から同じパソコンを使っていたこともあって、問題なく接続することができた。


「さんきゅ。ちょっと見てみるよ」


 パソコンの前の椅子を蒼汰に譲ると、テキパキとデータのチェックを始めた。このデータを最後に触ったのは4年以上前になるはずだが、さすがの手慣れた手つきだった。

 蒼汰はさすが本職のSEとあって、一瞬にして作業に集中すると、いくつもの窓を開いてバグの原因特定を進めていく。


「なあ、智章」


 作業をしている蒼汰がふと声をかけてきた。


「最近、このゲーム触ったりしたか?」

「え、特にいじってないけど」

「……そっか」


 蒼汰は小さく首をかしげながら、また作業に戻っていく。

 なんの質問だったんだろう?少し気になったけれど、作業を中断させるのも気が引けて、智章はそのまま疑問を飲み込んだ。

 それからまた10分ほど時間が過ぎた頃、蒼汰は「できた」と声を上げた。


「本当に!?」

「ああ。軽くテストプレイもしたし大丈夫だと思う。これでちゃんと全員レベルが上がるよ」

「ありがとう。本当に助かった……」


 智章は思わず大きく息を吐いた。これで最大の問題だったレベルアップバグは解消された。もし今夜もあのゲームの世界に転生したとしても、しっかりとレベルを上げてあの巨大サソリに挑めるはずだ。


(もし本当に連動しているなら、だけど)


「だから、なんでそんな本気で安心してるんだよ」


 苦笑する蒼汰に、智章は曖昧に笑って返すことしかできなかった。蒼汰もまさか、今自分が友人を命の危機から救ったなんて想像もしていないだろう。

 ただ、いくら蒼汰が相手でも、さすがに夢のことを打ち明けるのは憚られた。


「けど、良かった。これで安心してお酒が飲めるよ」

「だな。貴重な金曜の夜だし、早く飲みたくてしょうがない。嫁が妊娠中だしオレも控えてるんだけど、今日は許可をもらってきたから」


 智章は小さなテーブルに、蒼汰が持ってきたお酒とつまみと、ストックしていた総菜を並べていく。昨日も会社で飲んだばかりではあったが、気持ちの持ちようがまるで違う。蒼汰と飲むのは、それこそ本当に半年ぶりだ。

 宅飲みの準備を整えると、小さな四角いテーブルを挟んで向い合って座る。大学の頃は当たり前だったが、今では貴重になった瞬間だ。


「「お疲れ様」」


 その声に合わせて、お互いのビール缶をぶつけて乾杯をする。おじさん臭くなったことは自覚しつつも、それでも幸せな時間だった。

 昔の友人と飲んでいると、不思議なほどにお酒は進む。お互いの近況について話しているうちにあっという間にビール缶が1つ空き、2本目もやがて空になった。さすがにビールにも飽きて3本目にはチューハイの缶を開けた。その頃には、お互いもう酔いが回った頃だった。


「で? 結局、なんでまた急にあのゲームを作ろうなんて思ったんだよ」


 蒼汰は少し顔を赤くしつつ、どこか真剣な様子で訊いてきた。

 その質問のごまかし方はすでに決めていた。


「本棚を整理してたら、たまたま懐かしいのを見つけてさ。ほら、これ」


 智章はそう言いながら、ファイルにまとめた設定資料を持ってきて蒼汰に渡した。嘘をつくことに少しの罪悪感はあったが、あの夢から説明するより分かりやすい。

 蒼汰はクリアファイルから資料を取り出すと、それを見て目を細めた。


「懐かしいな。こんなにちゃんと資料作ってたんだっけ」

「そうだよ。やるからには半端なものにはしたくなかったし」


 あの頃のことを思い出す。

 授業の空き時間を合わせては、会議室で話し合った時のこと。それから、夕方のゼミの後には、近くの安いだけが取り柄の居酒屋に通って、創作論について議論を交わしたこと。意見の食い違いから時々ケンカをすることもあったけれど、今ではそれさえも眩しい思い出になっている。


「あ、このキャラは覚えてる。たしか、梨英が考えたキャラだろ?」


 そう言って蒼汰が見せた資料は、楽器を背負った少女――「メイ」の設定イラストだ。全員で1つのものを創るという感覚を高めるためにも、メンバー1人につき1人、キャラクターの原案を考案してもらったのだった。それを言い出したのは、もう一人のシナリオ担当である詩月だった。

 今朝の夢で出会ったジンは蒼汰が考案したキャラクターで、他にはイラスト担当の彩人の考案したキャラクターもいる。

 智章は、蒼汰の問いに「うん」とうなずく。


「梨英はキャラを作るなんて初めてだったから、すごい苦労してたけどね」


 普段ストーリーを作らない蒼汰も彩人も、キャラクターを考えるという作業に苦労している様子はあった。ただ、慣れないことに苦戦しながらも、3人とも楽しんでくれていたはずの記憶はある。

 全員でキャラクターを作るという試み自体に、間違いはなかったはずだけど。


「こうしてみると、オレたち本当に頑張ったよな」

「そうだね。完成はしなかったけど、みんなでいろいろ話し合ってる時は、本当に楽しかった」


 蒼汰は設定資料をペラペラとめくっていく。どれも、真剣に議論をして決めたものばかりだ。


「ホント、良い思い出だな」


 蒼汰がポツリと言った。

 そうだ。あれはもう”思い出”になったはずだったんだ。


「梨英は残念だったな」

「うん。梨英なら手伝ってくれるかなって思ってたんだけど……」


 智章のゲーム制作の呼びかけに対して、蒼汰の他に音楽担当の梨英からも反応があった。ただ、それは芳しいものではなかった。


『梨英:ごめん、仕事が忙しすぎてそれどころじゃない』


 返ってきたのは、そんな簡素な文字列だけ。それに対する智章の返事にも、これ以上何かが返ってくることはなかった。


「梨英って、今は何してるんだっけ」


 智章が訊いた。


「まだ最初の楽器関係の小さな商社にいるって聞いたけど。ただ、結構ブラックらしくて、全然暇がないって言ってたな」

「うそ、梨英が?」


 見ている側が恥ずかしくなるほどにロックを叫んでいたはずの梨英が、ブラックな会社で仕事に追われているなんて。


「まあ、オレも去年くらいに聞いた話だけどな。けど、今も変わってないんじゃないかな」

「なんだか、ちょっと寂しいな……」


 4年も時が経てば、それなりに人は変わる。学生から社会人という立場の変化があれば尚更だ。

 智章はスマートフォンをテーブルに置くと、5人のグループLINEを確認する。ゲーム作成の呼びかけに対して、ついた既読は3つだけだ。


「この既読無視は、たぶん彩人だよね」

「まあ確定だろ」


 昔から彩人は、人付き合いに関してズボラなところがあった。きっと今回も、内容だけ確認して無視をしているんだろう。大学時代も彩人は既読無視が多かった。ただ、そうなると気がかりなのは、残りの既読にもなっていない1人だ。


「詩月はどうしてるんだろう。詩月の性格なら返事くらいはくれそうだけど」

「ひょっとしたら、詩月も仕事が忙しいのかもな」

「蒼汰はなにか知らないの?」


 缶から直接チューハイを飲む。だんだんと中身が少なくなって、少し飲みにくかった。


「お前な、オレならなんでも知ってると思ってるだろ」

「別になんでもとは思わないけど……。だって、詩月と結構いい感じじゃなかった? 付き合ってるんじゃないかって、3人でうわさしてたんだけど」


 大学の卒業間際まで、蒼汰と詩月は2人でいることが多かった。それに、どこか2人だけの世界のような空気を持っていて、間に入りづらいと感じることもあったほどだ。


「え、マジで? そんな風に思われてたわけ?」

「むしろ、あれで疑うなって方が無理があるくらいだったよ」

「マジか……。卒業して以来最大の衝撃なんだけど」


 蒼汰は顔を押さえて、どうやら本気でショックを受けているらしい。こんなに動揺している蒼汰を見るのは初めてで、ついいい気になってくる。


(とはいえ、蒼汰も今は別の人と結婚してるわけだし、これ以上いじるのはちょっとかわいそうか)


 むしろ大学の時にいい関係だったからこそ、今は反対に連絡が取りづらいのかもしれない。

 智章はそう思い直して、詩月から話題を逸らすことにした。ゼミでの出来事や、5人で箱根へ旅行に行ったこと。あるいは、一緒にプレイしていたゲームのこと。

 蒼汰との話題は尽きなくて、ますますお酒も進んでいった。

 やがて日付が変わる近くになって、もうお互いに意識も朦朧としてきた頃だった。


「けど、連絡くれてありがとな。久しぶりに智章と飲めて良かった」


 蒼汰はとろんとした目でそう言った。智章としても、それは同じ気持ちだった。


「俺の方こそ。いろいろ話せて楽しかった」


 もうすっかり、久しぶりに連絡を取った本来の目的を忘れていた。懐かしい話題を肴にしながら、明日も気にせずお酒を飲んで。これ以上ないほどに贅沢な週末だ。


「また呼べよな。夜はなるべく家にいるようにしているけど、休日の日中なら結構時間取れると思うから」

「ありがとう。またすぐに声をかけるよ」


 蒼汰は若干怪しい足取りになりながら、荷物を持って玄関まで歩く。楽しい時間は、あっという間に過ぎてしまった。

 蒼汰は玄関で靴を履いてから、ドアに手をかけようとして、そこでふと動きを止める。

 それから智章の方を向いて言った。


「さっき資料見て思い出したけどさ。フィーアの寿命は、あの人体実験から3年って決まってたんだな」


 その言葉にハッとした。

 フィーアに残された時間は多くない。ゲーム世界を過ごす中でそのことの予感はあったが、具体的な期間の確認を忘れていた。


「そういえば、そんな設定だったね。たしか、詩月が考えたんだっけ」


 はじめ、旅をする理由は、失った記憶を取り戻すためだった。

 だが、それだけでは理由が薄いからと言って、詩月がこのアイディアを持ってきてくれたことを、今思い出した。


『もうそろそろ、あの実験から3年だよな』


 ふと、初めてゲーム世界の夢を見た時、ノインが口にしていた言葉が浮かんだ。


(やっぱり、フィーアに残された時間は多くないんだ)


「ホント、詩月はなにを思ってこんな設定を考えたんだろうな」


 蒼汰の視線はどこか遠くを見ている。

 だが、その表情はパッと苦笑へ変わった。


「悪い。なんか懐かしくなって、つい変なこと言った」

「ううん、気持ちは分かるよ」


 あの頃のことを思い出すと感傷的になる。きっとそれは全員同じのはずだ。そして、そうであってほしい。


「じゃあ、またな」


 ドアを開けて去っていく蒼汰に「じゃあ」と手を振って見送る。ほどなくして、1人暮らしの部屋には再び静寂が訪れた。

 部屋に残るのは、お酒とツマミの少し香ばしい匂いだけ。


(片付けは……、明日でいいか。最低限、歯だけ磨いて寝よう)


 今すぐにでもベッドに倒れこみたいほど、すでに睡魔は限界だ。それでも最後の気力を振り絞って、どうにか最低限の寝支度だけを済ませてからベッドに入った。

 充足感と少しの寂しさを胸に抱えながら、智章は一瞬にして眠りに落ちた。



-------------------------

小説の続き(ゲーム世界の物語)は、こちらをプレイしてご確認ください。

3日目の物語は、再びゲーム世界から目を覚ました後にご覧ただくことを推奨します。

https://amano-holiday.com/novelproject/index.html

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る