第18話 結局、誰もいなくなった?
心の平静は大事である。
それは、恋愛だけでなく、仕事についても言えることだ。
晩秋と春先は、一年のうちで一番火事が多い季節だとかで、原田消防士所属の石巻東消防署も、たびたび消防出動していた。昔と違って今の建築物には難燃性素材がふんだんに使われているとかで、ボヤのうちに消化できたケースがほとんどだそうな。一件だけ、ボヤどころか隣近所にまで延焼しそうな大火事があった。流留地区の廃屋で、人が住まなくなってから30年以上は経つという、木造二階建て建築だ。火元が不明で、浮浪者が住みついていたとか、放火だとか、色々と噂があった。柱が腐っていたのか、はたまた建築内部への火の回りがはやかったのか、3台のポンプ車が一斉放水を始めると、廃屋は瞬く間に倒れた。二階の屋根瓦が、瞬間、バラバラに飛んだ。普通、有りえなさそうな飛散の仕方だったと言う。瓦のうち10数枚が、野次馬の整理をしていた原田消防士の後頭部にぶつかった。屋根瓦の予測不可能な飛距離・飛び方のせいもあるけれど、何より本人の油断がケガの原因だったという。どうやら火消の修羅場の最中、彼は白石さんのことを考えていたようなのだ。
何でもないところで怒ったり、イラついたり、悲しんだり。
心ここにあらずという散漫な勤務態度だったとは、のち、見舞いの病室であった原田消防士の同僚さんに教えてもらった。
危険な職場なのだから、この手の労災案件があることを、白石さんも承知していたはずなのだけど、さすがに大いに動揺したらしい。病院を抜け出して見舞いに行く、と言ってきかなかったという。命に別条はないけれど、当面退院のメドもつかない、らしい。膝の皿を割ったのと、倒れた瞬間、ガラス片で顔の右側だけズタズタに切れてしまった、ということだ。再手術で顔面から大量のガラス片を取り出すのは、さぞ痛いに違いない。
彼の入院翌日から、丸森さんが足繫く病室通い、し出した。
白石さんのほうは、直接行けないなら、せめて……と例のポッチャリ十字架(見舞いバージョン)を大量作成して贈る、という。なんでも、千羽鶴の代わりだと言う。折紙工作なら、ミホちゃんに負けてしまう、と白石さんは言っていたそうな。なんせ、姫にはサークルの取巻きオタク君たちがたくさんいるのだ。人海戦術で鶴の数を競ったら、かなうはずがない。だから、存在感で勝負、ということらしい。
ポッチャリ十字架には、イエスキリストの代わりに、ポッチャリ白石さん人形が磔になっているところまでは、前バージョンと同じ。違うのは、その人形がナース服を着ているところだという。体重を書き入れるタグの部分には、原田消防士の快癒を祈る言葉が書き入れてある。ポッチャリ十字架の一つ一つにちがった言葉が書き入れてある。「さすがにここまで凝るのは大変じゃない?」と私も国語辞典片手に手助けしようとしたのだけれど、白石さんはニッコリ笑って大丈夫、と言った。逆に、次から次へと見舞い激励の言葉が浮かんでくるので、人形の製造が追いつかないのだ、とも言った。
製造と言えば、白石さんの手先指先の動き以上に、重大な制約条件があった。
そう、お金だ。
「第三かーい、ヘルシングアプローチ会議、はっじまっるよー」
私はいつものメンバーを塾長室に呼び出して、鳩首会議する。
桜子が無責任に言う。
「タクちゃんのポケットマネーから出せばいいじゃん。最後まで責任持ちなよ。そうそう、この部屋のラッキーアイテムを売れば、いいカネになるよ。美少女フィギュアとか、舌出しランダのお面とか、ダンシング招き猫とか」
「それなら、いの一番にウンコを売るよ、私は」
ノックの音がする。私が入室許可を出すまでもなく、バーンとドアは勝手に開き、我が塾が誇る優等生集団、理系ガールズの面々がドカドカ入ってきた。
「オカネ。私たちがカンパに協力しますっ。いえ、させて下さいっ」
そう、彼女たちは、普段から白石さんお手製の菓子類をごちそうになっている。今こそ、その「恩返し」の時、らしい。やはり理系ガールズの一人だけれど、最初から会議に参加していた古川さんが、言う。
「知ってるよ、私。カナデちゃん本人には、断られたんでしょ」
「は? そうなの?」
「そうなんです、庭野センセ。カナデちゃん、自分のことで他の人の懐を痛めたくないって、潔いこと言って。でも、別の提案をしてきました」
「ほう」
「皆でクッキーだのマカロンだのを作って、バザー形式で売る、だそうです」
木下先生が、パチンと両手を合せて、古川さんに賛意を示した。ただ、バザー方式だと会場を用意したりするのが大変なので、買ってくれそうな人に個別に「押し売り」したらどうだろう……と、このグラマー秘書は提案した。
「ふーん。白石さんご本人のアイデアも、悪くなさそうだけど」
「それがですね。理系ガールズの女子、全員、私も含めて、お菓子作りとか、したことないんです」
「なんだ、そりゃ」
「私、カナデちゃんにバザーの提案されたとき、注意しましたよ。そしたら彼女、大丈夫、大丈夫って。今までの菓子作りのレシピノート、渡されました」
ノートを預かるとき、古川さんは別な提案も受けてきたという。
「ポッチャリ十字架のレプリカを作って、それも、お守り代わりに売るっていうのは、どーかな、だそうです」
理系ガールズの先頭に立っていた、ひときわ小さい女子、美里ヒマリさんが天を仰いだ。
「私たち、料理だけじゃなく、そういうアクセサリー作りも、てんでダメです」
十字架にはりつける人形の衣裳は裁縫で……だと、もう絶望的だ、とも言う。
「古川さん?」
「実はですね。私、お菓子レシピノートを預かるとき、一緒に、ポッチャリ十字架作りのノウハウが書いてある、虎の巻も、一緒に預かってきたんです」
「ほう」
女子たちがワヤワヤ語り出したとき、壁際から、静かだけれど、よく通る声がした。
「塾長」
「なんだい、啓介君」
これまでの会議にも全部参加しておきながら、一言も発せず壁際の彫像と化していた渡辺君だ。古川さん持参のノートに興味をそそられたのか、珍しく自発的に中央テーブルに寄ってくる。木下先生とヨコヤリ君が席を詰めて、渡辺君のスペースを作った。
「何か問題でも? 渡辺先生」
「いえ、塾長。このノート、全部手書きで、筆跡が一緒ですね。これ、白石さんが一人で書き上げたものなんでしょう、古川さん」
「はい。おそらく」
「そうですか……やっぱり。薄々感づいてましたけど、白石さんって、すこぶる女子力が高い女の子なんですよね」
居合わせた女性陣が、全員、ハッとした表情になった。
「今回のヘルシングアプローチでは、女性陣が大活躍でした。塾長に誘われはしたものの、男の自分の活躍の場があまりなくて、肩身の狭い思いをしてたんです。それで、自分でもできそうなことは何か、と考えて、原田消防士さんと友達になって、本音を聞き出そうと思ったのです。同じ男でも、塾長は結構年上だけれど、僕はちょうど彼と同年代です。ハラを割って話せることもあるんじゃないかってね。白石さんのお姉さんウタさんから鞍替えした……いや、言い方がよくないな……大好きな同級生だったのに、なんで諦めたのか……そこんところ、個人的に興味がありましたし。そしたら、ウタさんは料理とか掃除とか、家事全般が苦手な人だと、分かりました。原田君は消防士で、職業柄、整理整頓だのは、徹底的に叩き込まれる人ですからね。そこのところで、性格が合わなかったんだって」
「白石カナデさんのほうは、その点、料理上手、掃除上手だった、と?」
「僕がその質問をしたら、原田君は、そういや、どーだったっけかなあって。……確信のない返事、でした」
「本気で忘れてるふう? それとも、トボけて」
「トボけてましたよ、当然」
「当然、か」
「当然、か」
「それで、塾生で、白石さんと同じ中学出身の生徒さんに聞きました。どーやら白石さん、中学まではお姉さんと同様の人だったみたいで。ぶっちゃけ、ズボラなタイプだった、と。だとしたら、高校に入学して……いや、原田君とつきあい始めてから、白石さんは腕を磨いてきたんでしょう。彼女は自分の外観が、そんなに武器にならないことを知っている女性ですから。料理や裁縫なんていう、地味なスキルを地道に磨いてきた。それが、今度のレシピノート、ノウハウノートになったわけです。僕の彼女、マキちゃんも、そもそも母親やお婆ちゃんと折り合いが悪かった子なので、料理とかはできなかった子なのです。今でも、一生懸命、練習してきてます。自分のためだと思うと、胸が熱くなりますよ。原田君も、さぞ男冥利に尽きることだろうな、と思います」
「彼氏の胃袋、掴もうとしてたんですかね。必死で努力したわけだ、白石さん」
黙ってられなくなったのか、桜子が口を挟んでくる。
「何よ、渡辺センセ。そんなことを言われちゃったら、ますますカナデちゃんのことを応援したくなるじゃない」
「ふむ」
桜子の一言に、女性陣皆、賛成した。
「でも、これだけの大人数で作業する場所、ないですよ」
木下先生の心配に、桜子はニンマリした。
「大丈夫、大丈夫。二階建て一軒家に一人で住んでる独身男が、いるから。二階は図書室で、スペース広いし。ね、タクちゃん」
「やれやれ」
桜子だって、半分住んでいるようなものなのに。
試作を兼ねた一回目のスイーツ(無難に、みんなでクッキーを焼くことにしたそうな)は、塾講師たち皆で共同購入、とあいなった。私自身は、調理場を提供している関係上、出来たてをご相伴した。モノは丸かったり細長かったりして不ぞろいだったけれど、味のほうは抜群にうまかった。
「さすが、白石さんのレシピ」
「ちょっと、タクちゃん。作ったパティシエちゃんたちも、褒めなさいよ」
ウチの講師陣に目だった甘党はいないはずだけど、女性講師陣は全員、男性も半数以上がリピーターになってくれたという。こと、ピッコロのレッスンで食べなれているサルトビ氏が、「カナデの味だ」と絶賛してくれた。
「押し売り」第二弾はPTA、要するに塾生さんたちの保護者で、こちらもまず、評判よし。
問題は、第三弾、桜子たちが高校に持っていって、友人たちに配ってあるいたとき、だった。
「一つ食っただけで、一キロ太るクッキーなんでしょ?」
自分の机の上、紙皿に並べて自由試食してもらったので、誰がこんな文句を言ったのかは分からない……と桜子は言う。けれど、この一言がクラスメートに広がると、桜子たちがいくらお菓子を持参しても、そもそも味見前から敬遠するようになったのだ。クッキー類がダメなら、「ポッチャリ十字架」も売行きがはかばかしくなかった。理系ガールズたちの工作が下手で、ポッチャリ十字架が不調法だったからではない。
「なんか、体重を書かなくちゃ、いけない欄があるとか、聞いたけど?」
そう、「ポッチャリ十字架」は、丸森さんと白石さんの意地の張り合いアイテムとして、一部の間で有名になってしまっていた。当たり前のことだけれど、自分の体重を公表して喜ぶ女性なんて、いない。桜子たちはお守りとしての効用を謳っていたけれど、「だって、略奪愛、されかかってるんでしょ?」という素朴な疑問を前にして、返答に窮してしまうのだった。
ここで、行方をくらましていた、肝心の丸森さんの話をしておこう。
白石さんや他の理系ガールズと話すのが気まずくて、姫は私たちの前に姿を現わさなかったわけじゃない。
サークルそのものが、乗っ取られようとしていたのである……ヨコヤリ・ママに。
ヨコヤリ君その人の魅力で、オタク気質な姫の取巻きの一部が離反した……いや、しつつある話は、既にしたと思う。女装したヨコヤリ君は、確かに可愛かったけれど、富谷さんという強力なガードがいた。それにそもそも、世間一般の目から見れば、「男の娘」というのは、ディープな趣味の一種である。ヨコヤリ君の存在に動揺した人は多かったけれど、実際に「ヨコヤリ姫」の取巻きになった人は、少数派だった。
その点、ヨコヤリ・ママのほうはメジャーな性癖で、姫の取巻き君たちを誘惑していった。
そう、「オトナの女性」「やたら色気のあるお姉さん」路線だ。
詳細を報告してくれたのは、取巻きサークルに堂々と「潜入捜査中」、我がとりかえばやカップル、富谷さん・ヨコヤリ君である。塾長室の応接ソファに崩れるように座ると、2人とも、しばらく無言で天井を仰ぐくらい、疲れ果てていた。
「……相手は同級生の友達のお母さんなのに、どこがいいんだろうね。少なくとも私が高校生の時には考えられなかったけれど」と、私はヨコヤリ君その人に愚痴った。「ボクにそんなこと、言われても……」と、当たり前だけれど、彼は心底困った様子。富谷さんが助け船を出す。
「あー。ウチの姑さんの熱烈ファンだってオタク君に、直接聞いたよ。友達のお母さんだからこそ、普通のオバサンより断然いいんじゃないかっていう、アブノーマルな返事だったよ。……ボクも、ちょっとついていけないかな」
まあ、こういう「友達のお母さん」という属性がなくとも、ヨコヤリ・ママはじゅうぶんに取巻き君たちの気を引いていたのだ。
構図を決めたいから、私の指図通りポーズして……と、指導のふりをして、お尻だの太ももだのをサワサワ触るのは、序の口。「暑い」だの「モデルくんたちの気分を味わいたい」とか言って、際どいビキニを着てスナップショット撮影をし出した時には、さすがの丸森さんも苦言を呈していたそうな。しかし、ヨコヤリ・ママは涼しい顔で「私はどこまでもあなたの味方よ」とか、「白石デブ子ちゃんに男を取られないように、私もあえて肌を晒して、協力してあげてるんじゃないの。感謝されこそすれ、怒られる理由なんてない」と、シラを切り通したと言う。
もちろん言ってるコトとやってるコトは大違いで、取巻き君たち限定の自分のファンサイトを立ち上げたり、白石さん抜きでヌード撮影会を開催(もちろん、女王の椅子にはヨコヤリ・ママが君臨だ)したり、やりたい放題だったらしい。
最後のほうは、丸森さんが何を言おうが馬耳東風で、かつての「盟友」を出禁にしようか、セバスチャン君が検討中、だったという。
「ああ。そうだ、それでもう一つ報告に来たんだった。ボクとヨコヤリ君が白石さんサイドって、もう丸森さんにバレバレっぽい」
「え。追い出されそう?」
「首の皮一枚で繋がってる感じ、なのかなあ。完全に疑ってる感じだよね。前回行ったときは、『トロイの木馬作戦なんてヤルじゃないって』啖呵切られちゃった。理系ガールズの古川さん、どうやらまだ正体かバレてなさそで。中立って思われるらしくて、その古川さんが、ボクらの追放、止めてくれてるよ。見学に来たって来なかったって、一緒でしょって。単なる野次馬で小物よって、言い方はアレだけれど」
ヨコヤリ君が、今までのないため息をついた。
「いい加減、色ボケたオバチャンだって、気づいてくれればいいのに」
そうなのだ。
ヨコヤリ・ママという人は、白石さんや丸森さんの勝負とは全く関係なく、ただ年下男子のフルチンがみたいだけ、チヤホヤされたいだけの、欲望に忠実なオバサンってだけなのだ。
「ま。こちらとしては、サークル活動、写真撮影を攪乱してくれているだけで、助かるちゃっ、助かるかな」
「息子として、もうこれ以上の無節操、我慢できそうもないです、庭野先生」
オタク君たちの撮影を終えたら、今度は細マッチョの消防隊員たちの裸を拝めるのね、今年はなんてついてるのかしら……と、息子とそのガールフレンドの前で、堂々聞いてまわる厚顔無恥さに、ほとほと疲れ果てた、というとらしい。
「母が、これ以上のハレンチをやったら、ヘルシングアプローチ協力から、手を引きますよ、庭野先生」
私は、やむを得まい、と答えた。
「ついでに息子ちゃんも脱いで、とか何とか言い出さないうちに、退散してください」
ヨコヤリ君は、再び大きなため息をついた。
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