第17話 泣きっ面に蜂
「タクロー。カナデが入院したよ」
塾講の日でもないのに、「サルトビ」モレル氏がふらりと出勤してきて、ロビー端で生徒の質問を受けていた私を、呼び止めた。入院先は市立病院で、母親と先ほど交代したばかり……と彼は一方的にまくし立てた。
「ちょっと、待ってください」
サルトビ氏も、入社して社歴が浅いとは言え、いっぱしの塾講師。私が重要な「業務」中だというのは、承知しているはずなのに。そりゃ、生徒さんが「また」倒れたという情報は、是が非でも耳に入れておかねばならない最優先事項ではある。けれど、塾生の向学心の答える5分ばかりの間、待っててもらってもいいんではあるまいか。
「タクローがそれでいいなら、いいよ」
よくよく見ると、サルトビ氏は、単に疲れているだけでなく、頭にタンコブみたいなのが、できている。
「タンコブみたいなもの、じゃなく、タンコブそのものだよ、タクロー」
「倒れそうな白石さんをかばって、ぶつけたとか?」
「ピコピコハンマーで、思いっきり殴られた」
「は? なんか、話が長くなりそうな。塾長室に行きましょうか、サルトビ氏」
「うーん。ウンコ部屋かあ。今、コーヒーより、お汁粉を飲みたい気分かな」
「OK。おごりましょう」
それで私たちは、玄関外、自販機脇のプラスチックのベンチに座ることにした。
「カナデが倒れた顛末は、前回と同じだよ、タクロー。太り過ぎが原因で、息が苦しくなったとか。私も詳しい医学的説明は、分からない。だから、そこは端折るよ」
「一番肝心なところでしょうが」
「君に慌てて説明にきた理由を、慌てて説明するためだよ、タクロー。カナデは倒れた時も意識はあって、私は今度こそ救急車を呼ぶつもりだった。でも、今回もカナデは断固拒否だ。タクシーを呼んで、同乗して病院に行ったら、急患扱いですぐに入院になった。私は入院が決まって、逆に胸を撫でおろしたよ。前回、カナデは私たちのアドバイスは全く聞かず、少し容体がよくなると、またムチャ食いをしてたからさ。今回、いくら何でもドクターの言いつけは守らざるを得ないだろう」
「まあ、そうですね」
「私は心配で心配で、これまでなら週に15本は見てたアニメ観賞に手がつかなくて、週2本まで激減したのだよ。お陰で録画は溜まる一方だし、ネツトでの友達とのやり取りにもついていけなくて、悲しい思いをしたんだ。そりゃ、無理してリアルタイムで見るのだけがアニメ観賞じゃない。でも実況中継で盛り上がって、オタク仲間と同じ時間を共有するのが醍醐味だと思わないかい、タクロー」
おい。
「カナデは自分の身体より、床に落としてしまったピッコロの心配をしていた。これで2度目だからね。亀裂とか入ってないか、だと。身体がダメになったら、元も子もないのに。私がたしなめようとすると、タケヒトが病室に飛び込んできた。そもそも救急車の運用は消防署の管轄で、カナデの顔を見知ってたタケヒトの元同僚の救急隊員が、彼に一報したそうだ。プロの名前に恥じない勢いで、そう、タケヒトは文字通りの意味で病室に飛び込んできたよ」
ピコピコハンマー片手に。
「興奮するタケヒトをなだめるのが、大変だった。日本昔話に出てくる赤鬼が実際にいたら、こんな感じだろうってね。幸い我らが赤鬼が持ってたのは、釘の生えた金棒じゃない。ピコピコハンマーだ。けれど、痛かった。ピコピコ可愛い音を立てているのに、頭を叩かれたら、無茶苦茶痛かったんだよ」
サルトビ氏が、約束を果たさなかったから制裁する……これが原田消防士の言い分だった。
「カナデが最初に倒れたとき、この不毛なデブ専競争をどうにかするために、私が関係各所に根回しする手筈になっていた、とタケヒトは言うんだ。そう、ミホか、タクローか、はたまたタケヒト本人なら止められるかもしれない、と私は彼に言ったことがあってね。でも彼氏の言葉はカナデに届かなかった。彼は疑惑の渦中にあるんだろ? 身の潔白を証明しないことには、カナデが従うはずはない。タケヒトその人は、よく分かっていたみたいだ。でも、怒りのぶつけ先がなかったんだろう。私? 私はトボけたよ、タクロー。そんな約束したっけかなって。そしてら、問答無用で、ピコピコだ」
白石さんが、健気にも上半身を起こし彼氏にすがって止めた。頭に血が上っていた原田消防士が気を緩めると、白石さんはバタンキューと再びベットに崩れ落ちた。
「カナデは、それだけではタケヒトを止められないと思ったんだろう。太ったのだけが原因で倒れたのではなく、様々なストレスのせいでもある、と言い張った。カナデの言葉に、タケヒトは心当たりがあった。浮気捏造写真の件。丸森ミホを、このピコピコハンマーで成敗してくる、とタケヒトは宣言した。友達を傷つけて欲しくない、とカナデは再び彼氏にすがった。私も口添えした。男女平等パンチは、アニメの中でこそポピュラーかもしれないけど、リアルでは誰もがドン引きする犯行じゃないかねって……特にゴリラみたいな君が殴りつけたらどうなるか、考えてみたまえって、ね」
原田消防士は2人の説得で、ようやく丸森さん「襲撃」を諦めた。
けれど、その代わりに、そもそもの元凶……このデブ専競争のお膳立てをした私に、やり場のない怒りをぶつけることに決めたらしい。
「女子高生相手ならピコピコハンマーで勘弁してやるっていうタケヒトも、屁理屈で最愛の恋人を病気にするオッサンに遠慮はしないだろう。もっとお仕置きにふさわしい得物をとってこよう、とタケヒトはいったん家に戻ったよ。もうすぐ君を成敗しに、この塾に来るかもしれない」
「えっ。なんでもっとはやく言ってくれなかったんですか、サルトビ氏」
「生徒さんの質問の答える間、少し待ってくれって言ったのは君のほうじゃないか、タクロー」
「その……ピコピコハンマーの代わりを取りにいったのは、今から何十分前の話ですか」
「何十分? さあ。そんな余裕はあるかな。彼ならもうすぐ来るよ……というか、もう来たみたいだ」
右手に竹刀か野球バットか、長い棒を持った原田消防士が、ランランと目を輝かせて駐車場に降り立った。サルトビ氏は、悠然と自販機のボタンを押し、出て来た2本目のお汁粉缶のプルトップを引き抜くと、まるで他人事のように……いや、まさしく他人事だという顔をして、言った。
「彼氏の制裁の後は、青鬼になったカナデの母親の相手をしなくちゃ」
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