第16話 先手必勝、後手後手にまわる
肉を切らせて骨を断つ。
自分を……味方を犠牲にしてでも相手の息の根を止める……と師匠にアドバイスされた矢先。逆に私たちのほうが丸森さんの「カミカゼ・アタック」を食らってしまった。
そう、姫と原田消防士の決定的な浮気写真である。
今までだってデート中のスナップショットは何枚も白石さんのスマホに送られてきた。けれど、今度のは決定的だ。ベッドに仰向けになっている丸森さん……上半身裸で胸だけ腕で隠している……の上に、原田消防士が同じく上半身裸で覆いかぶさりそうとしている写真。残念ながら腰のあたりで画面は切れているので、下半身はどーなっているのか分からない。送り主は、言うまでもなく丸森さん。私自身は、桜子に聞いただけで現物は見ていない。現役女子高生のセミヌードということで、男連中は全員閲覧禁止になったのだ。
「第二回ヘルシングアプローチ会議ぃ」
いつもメンバーを前にして、私は高らかに開会を宣言した。塾長室の壁はそんなに厚くなく、他の教室では授業してるんですから……と木下先生にたしなめられてしまう。他の女子メンバーは、白石さんが送付した原田消防士の「浮気写真」に目が釘付けになっていて、全然士気が上がらない。
白石さん自身も、写真をずっと凝視するだけで、一言も言葉を発さなかった。桜子が憤慨して、原田消防士にパンチキックを食らわす、と息巻いた。古川さんは姫の不用心に首をひねった。この写真が万一取巻きに漏れた場合、サークルがぶっ壊れる……瓦解するというより、爆発しそうなのは、間違いないからだ。捨て身、というか、捨てサークルまでして、原田消防士への愛に走ることにしたのだろうか?
この疑問には、富谷さんが「んなわけねーだろ」と、即座に否定した。
一番冷静だったのは、木下先生かもしれない。画面が合成の可能性がないか、毛穴が見えるほど拡大して、あら探しをした。30分もせわしなくスマホ画像を指で動かし続けたあげく、シロウトでは分からない、とサジを投げた。
原田消防士に直接問い詰めるか、それとも決定的証拠を握るまで、泳がせておいたほうがいいか、意見は二分された。
最終的に、白石さん自身が「本人に問い詰める」と決断した。彼氏から裏切るはずはない、何かの間違い……というのが、白石さんのスタンスである。
電話で話したら、原田消防士は「身に覚えがない」という返事。スマホで写真を転送すれば、「写真に写っているのは確かにオレだ。でも、こんなこと、してない」と彼は言い張るのだった。
桜子が白石さんからスマホを取りあげ、「だって証拠写真あるでしょ」と息巻いた。原田消防士は「何かの間違いだ」という台詞を繰り返し、事態は平行線のまんまである。
私は提案した。
原田消防士で埒が明かないのなら、白石さんと直接対決しかないだろう、と。
たかが取巻き一人をゲットするために……こういう言い方をすると、丸森・白石双方から嫌われかねないけど……肌まで晒す白石さんの心情に興味もあった。みんなが見守る中、みんなにも聞こえる音量設定で、白石さんは丸森さんに電話を入れた。
なぜか電話口に出たのはセバスチャン君で、一方的に勝利宣言である。同時に姫は塾を少し休む、という事務連絡をしてくる。
「逃げようったって、そうはいかない。学校で、姫、問い詰めちゃうもんね」
桜子は息巻いてたけど、古川さんが熟考の上、我が姪の暴発を諫めた。彼女は塾生顔から、ネトゲゲーマー「ヤルミン」顔になって、私に耳打ちしてくる。
リアル・アノマロ君……アノマロ君アバターの「中の人」に探りを入れてみます、塾長に言えなくとも私に言えること、あるでしょうから、と。
同じ高校生にして親衛隊員なら、何か情報をもっているかもしれない。いや、情報を持っていないのなら、その持っていないということ自体が、重要な情報だ……古川さんはうがったことを言って、私は感心した。
ここまでして、原田消防士を取巻きにしたところで、サークル自体が消滅したら元も子もないのに……白石さんが何度目かの愚痴を漏らした。
「姫は闘っているうちに、自分の勝利条件を忘れてしまったのさ」
自分が何をしたかったのか、どんなふうにしたら幸福なのか、時々立ち止って考える。恋愛みたいな、絶えずゲームのルールが変わっていくようなゲームなら、なおさら必要なのだ、と思う。
ブラム・ストーカー著『ドラキュラ』には、吸血鬼の「半眷属」になりながら、ヴァン・ヘルシング教授に味方するキーマン……いや、キーウーマンが登場する。ミナ・ハーカーという職業婦人(助教師だそう)で、血を吸われたのにヴァンヘルシング教授の味方として、情報を提供し続ける。
吸血鬼退治の話には……いや、もっと広く、この手の人間タイプのモンスター退治の物語では、昔から、モンスターと人間双方の中間的存在が重要な役割を担うようだ。アメコミの「ブレイド」では、主人公ブレイドは母の妊娠中に吸血鬼に襲われ、吸血鬼・人間双方の特質を備えた最強バンパイアハンターになった。日本の漫画アニメでも、「東京喰種」の主人公・金木研は喰種の臓器を移植された半喰種であり、「甲鉄城のカバネリ」の主人公・生駒は怪物・カバネのウイルス浸食を途中で食い止めた半人半怪というべき存在だった。そして最近では「呪術廻戦」「チェーンソーマン」等の主人公も、人間と怪異の両義的存在である。
我がヘルシングアプローチが、吸血鬼退治からヒントを得ていることから分かると思うけれど、私も最初から、この手の「半眷属」の存在が、姫に……丸森さんに決定的ダメージを与えるカギになるだろう、と踏んでいた。姫の「半眷属」なのだから、その性別は原則として男子だろう。私は最初、その役割を担うのはヨコヤリ君かな、と思っていた。彼が姫に魅了されて取巻きになったとして、同時に、取巻き君たちを姫から離反させるという、面白い存在になり得ると思ったからだ。けれど、「彼氏」富谷さんのガードは固く、なりよりヨコヤリ君は姫みたいなタイプの女性が好きじゃない。
私は、このとりかえばやカップルを件のサークルにけしかけたわけだけれど、目論見通りにコトが進展してないと気づいてから、すぐに次に行った。
そう、アノマロ君である。
彼はれっきとした姫の親衛隊員であり、同時に我がネトゲパーティの一員として、気さくに敵情を教えてくれている。しかし悲しいかな、どうやらアノマロ君では、力量不足らしい。彼は確かに姫たちバンパイアーチームと、私たちバンパイアハンターチームの双方に足をかけている人ではあるけれど、情報のやり取り以上の影響力はないキャラなのだった。
そして、あれこれ思い悩んでいた時に、今回の騒動……原田消防士が篭絡されたかもしれない……が持ち上がった。桜子が言うように、言葉より説得力がある画像がれっきとしてある。原田消防士が寝返った……いや、最悪、ホラを吹きながら二股をかけている可能性は否定しきれない。けれど、電話越しに皆で釈明を聞いた時の感じでは、彼がウソをついているようには、思えなかった。
身体は姫に操られているけれど、心はいまだ白石さんの味方。
これ、性別こそ逆ではあるけれど、「ドラキュラ」のミナ・ハーカーそっくりな状況である。さらに、原田消防士が、催眠術か何かで姫に操られて写真を撮った、ということにでもなれば、これも状況的に似ている、と言える(ブラムストーカー「ドラキュラ」では、ミナ・ハーカーがヴァンヘルシング教授に催眠術をかけてもらって、敵の情報を漏らすのだ)。
三々五々、メンバーが帰っていき、塾長室には私と木下先生だけが残る。いつもりなら、茶碗を片付けながら、四方山話をする彼女が、この日はずっとスマホとにらめっこ……というか、白石さん提供の例の画像に執着している。
「何点か、不自然な所があると思うのです、庭野塾長」
「ほう」
どこが不自然でどこが自然か、私にも画像を見せてもらわないことには、判断できない。
けれど、女子高生のセミヌードだからということで、私は閲覧不可、ではなかったのか?
「桜子ちゃんには内緒にしておきます。ていうか、さっきまでいた女性陣の中で、冷静に私の分析を聞いてくれそうな人がいませんでした。普段ならともかく、さっきはそんな雰囲気じゃなかったでしょう」
「ふむ」
知合いの女子のセミヌードだから、私も確かに一瞬ギョッとした。けれど、プレイボーイ誌や少年マガジンの表紙・グラビア等に比して、ものすごくエロいか、というとそんな感じではない。ポーズのせいもあるけれど、
グラビアアイドルのなんでもない水着写真のほうが、逆に色気があるかな……という程度だ。
「ていうか。丸森さんって、実はペッタンコなんだね」
胸もしっかり豊満な白石さんとは、対照的だ。
というか、姫自慢のナイスバディーが、パット三枚重ねで盛りに盛ったものとバレたら、取巻き君たちの幻滅、凄まじいものだろう。
「もー。塾長には、これ以上見せません」
「わ。申し訳ない。真面目に、聞くよ」
木下先生が指摘してきたのは、確かに初見では判別しがたい、不自然さだった。
「この、つっかえにしているほう、左腕。二の腕あたりとか、なんだか力が入ってないように見えませんか」
「どれどれ」
不自然かどうか分からないので、腕まくりして鏡の前に立ってみる。
「うむ。よく分からない。木下先生、協力してください」
私は彼女を塾長室のドア前に立たせて、壁ドンならぬ、ドア・ドンをした。
「うーん。確かに筋肉の盛り上がり方が違う、かなあ」
「ちょっと塾長。ドサクサに紛れて顔を近づけてはダメです」
「お。失敬」
実験で分かったことがある。
確かに木下先生の言う通り、腕の筋肉や曲がり方が不自然であること。
「でもさ……壁ドンをやってみて思ったんだけど、これ、突っ張ってる瞬間じゃなく、ぐーっと顔を近づけている瞬間を撮影したから、じゃないのかなあ」
写真の原田消防士は、唇を尖らせてこそいないけれど、目をつぶっている。いわば、キス寸前の体勢じゃないかと思うのだ。
「そうですかねえ」
「次は?」
「枕カバーのフリルです。全部、なんか毛羽だってます」
「クリーニング屋さんが、糊をつけ過ぎたんだよ」
「丸森さんの髪も、糊……というか、ワックスの塗り過ぎですかね」
確かに写真の姫の髪は、蠟で固められたような光沢で、テラテラ光っている。毛の一本一本が確認できない。姫は姫カツトのセミロングなので、寒天で固められたワカメみたいな髪が、やたら絵画チックに……いや、漫画チックに見える。
「そもそも、この写真、どこで撮ったんでしょう」
そういえば、背景が青一色だ。最初は安っぽいカーテンの生地かなと思っていたけれど、木下先生に指摘されてみれば、壁にも見えるし、ここだけ合成はめ込みされた画像にも見える。
「画面全体、結構明るく見えますけど、どこにも影がない」
姫、原田消防士、2人とも吸血鬼だとか?
「塾長、もっとマジメに」
「申し訳ない」
「じゃあ、最後の一点。この写真、誰が撮ったんでしょう」
今にもエッチなことをしそうな場面なのだ。普通に考えれば2人の自撮り、ということになるのだろうけど。
「でも塾長。リモコンで撮ったとしたら、原田さんの腕、こんなふうにはなりません。丸森さんのほうは、腕全体が見えてます。リモコンは握ってない。タイマーだとしたら、カメラにスイッチを入れて、それからわざわざキス寸前のポーズをとって、寸止めしていたことになります。2人ともせっかく上半身裸なのに、ムード台無しでしょう」
「なるほど」
木下先生指摘の疑惑、一つ一つは些細なことに思えるけど、こう、いくつも重なると、もう偶然とは思えなくなってくる。
「なにかある。けれど、それがなんだか分からない」
「女の子たちに連絡して、私の指摘した疑惑、もう一度考えてみてって、頼んでみます」
「よろしくお願いします、木下先生」
家に帰ると、桜子が玄関口で仁王立ちして、私を待っていた。
「タクちゃん、正座」
「え。何?」
「正座っ」
どうやら、木下先生が女性陣に写真再分析を頼んだ際、私もセミヌード閲覧してしまったことを、漏らしたようなのだ。
「教え子の手ブラ写真で、興奮するなんて教師失格。タクちゃん、サ・イ・テ・イ」
「いや。興奮はしてないんだけどね」
しかし我が姪は聞く耳もたず、私は小一時間、冷たい三和土の上で叱られたのだった。
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