第3話ー初めてのお客様ー

 それから2日後、午後の陽光が静かに傾く頃、キーユはシンシアとフィーゼに案内され、公女の私室を訪れていた。


はそっち、はこちらにお座りください」


 フィーゼは流れるような動作で椅子を引いた。

それはあまりに流麗で、制服に包まれた “ 生徒 ” の面影はもうない。

そこにあるのは礼節を身に纏う一人の完璧な従者であった。


「ありがとう」


 キーユの礼に、「い、いぇ…」と少しだけ戸惑いながら、じーっと彼の方を見るフィーゼ。


「———何か?」


「いえ、ただ、従者なんぞに礼を言う方は、我が主を除けば、あなたで二人目だったので」


、ね…」


 何の違和感も躊躇いもなく、さも当然のようにフィーゼから放たれる言葉にボソッと呟くキーユ。


「フィーゼ、今日は私がお茶を淹れるから、先に着替えてきていいよ?」


 そう言って席を立とうとする主に、従者は一つ息をついて静かに背後へ回る。


「いえいえ、とんでもない。大切なお嬢様にそんなことさせられません。

貴女はそんなこと気にせず、お客様とのご歓談をお楽しみくださいませ」


 耳元で優しく囁くと、しなやかな笑みで2人に一礼し、奥のキッチンへと消えていった。


(フィーゼの口からだなんて…。普段は絶対こんなことないのに———!)


 シンシアの胸がドキリと鳴る。いつもは様付けなど決してしないが、今日に限って妙に芝居がかっている。

頬がじんわりと熱を帯びる。

 

「シンシアさん?お顔が赤いようですが…」


 心配そうに覗き込むキーユの声に、少女は慌てて笑顔を作る。


「アハハハ、全然大丈夫です!すこぶる元気ですのでっ!」


 あまりに不自然な笑いに、キーユの目は柔らかく細められる。

だが彼はそれ以上追求せず、代わりに静かに言葉を変えた。


「ところで、次の懇親会で行われる舞踏会、ダンスのお相手はもう決まっておられますか?」


「えっ…?」


 唐突な申し出に少女は息を呑む。同時にキッチンからカチャリと小さく音が聞こえた。

フィーゼの手が、まるで時間ごと止まったように固まる。


 この学園では進級後初の懇親会を兼ねた舞踏会が恒例行事だった。

身分を隠す仮面舞踏会として行われ、生徒たちが気兼ねなく交流する———建前上はそういう場である。


「もしよろしければ、僕と踊っていただけませんか?」


「へ?!…ぁ〜、えっと———、」


 戸惑いのあまり声が裏返るシンシア。言葉を探す彼女の横顔を、キーユは静かに見つめる。

そしてその沈黙を破ったのは、フィーゼのやたら明るい声だった。


「はぁ〜いっ!お茶をお持ちいたしました〜!」


 棒読みも甚だしいほどにティーセットとケーキが乗ったワゴンを押して奥から従者がやって来た。


「ショートケーキでございま〜す、はい、どぉぞっ!」


「っ…!?」


 皿が目の前にガチャンッ!と乱雑に置かれ、思わず二度見するキーユ。


「ちょっ、フィーゼ、もっと静かに置きなさい。キーユさんがびっくりしてるでしょう?」


「…ぃえ、僕は大丈夫です」


 苦笑しながらキーユは穏やかな口調でシンシアをなだめる。


「これはこれは失礼いたしました。

少しケーキを大きく切りすぎたもので、その重みかな?手元が狂っちゃって…。

アハハハ」


 乾いた笑いと共にそっぽを向きつつ答える。


 もう、またふざけて…と口を尖らせるシンシアは、呆れたように息をつく。


「すみません、いつもはこんなんじゃないんですよ?本当はすごく器用で———」


「大丈夫ですよ。きっと彼も緊張されているのでしょう。

ステキなおもてなしとして受け取っておきます」


 キーユはそのまま笑みを崩すことなく穏やかに答えるのだった。


「ハハッ、まぁ、ちょっとしたサービスですよ。

普段この部屋にお客様なんて滅多にいらっしゃらないもので、思わずはしゃいじゃいました」


 言葉とは裏腹に笑顔は貼り付けたまま、さらなる棒読みでフィーゼも応える。


(———嗚呼、そうだった。

コイツはこう、いちいちしゃくさわる返し方をしてくるヤツだった。あ〜、さっさと帰れこの男)


 その思いを飲み込み、彼は静かにティーポットを傾けた。

琥珀の液体がカップに注がれていく音だけが、3人の間の沈黙を満たしていた。


 それからパッと頭を切り替えて、ジャケットの内ポケットから懐中時計を取り出したフィーゼは、ちゃんと数分、数秒単位まで丁寧に時間を確認している。


 ふとした彼の丁寧な仕草と真剣な横顔を、シンシアはただじーっと見つめている。いや見惚れているように、キーユには見えていた。



「素敵な時計をお持ちなのですね」



 ほんの一時の無言を、キーユの声が割って入った。


 シンシアはなぜか慌ててフィーゼから目を逸らす。


「見たところ、随分と年代物のようですが?」


「あぁ、こういう物の価値とやらはわかりかねますが、従者のいろはを叩き込みやがっ———、叩き込んでくださった師匠から譲り受けたものです。

主の従者になった祝いにと」


「それで何を確認していたのですか?」


「紅茶の蒸らし時間ですよ。数秒違うだけでも香りも味わいもまるで変わってしまう。

飲んでいただくからには、最高の一杯をお入れしないと…」


 淡々と的確に答えるフィーゼ。その声音には職人のような静けさが宿っていた。

キーユはフッと笑い、手元の仕草を眺める。


「そうしていると、本当に従者らしい、ですね」


「そりゃね。普段はお嬢と同じ学生ですが、こっちが本業なもんで。

ですから貴殿がわざわざ俺に敬語を使う必要もないのですよ?」


「君からそんな言葉が聞けるとは。まぁ、僕の敬語はもはやクセ、と言いますか…。お気になさらず」


「ハッ、左様で…」


 ほんと食えんヤツだな、とフィーゼは苦笑いで返した。


 そんな2人のやり取りをシンシアは微笑みながら見ていた。


「キーユさんもフィーゼも、今じゃとっても仲良しですね!よかった」


そう言った瞬間———2人はわずかかに顔を合わせ、音もなく視線を逸らした。


「…さて、そろそろかな」


 フィーゼは懐中時計の蓋をパタンッと閉じると、流れるような所作で紅茶を注ぎ始めた。

その動作はまるで舞のように滑らかだった。


「綺麗な所作ですね」


「っ、恐れ入ります。これでも従者になって長いもので」


「君の師匠という方も、さぞ優秀な方なのでしょうね。動きに一切の無駄がない」


「フィーゼが淹れてくれる紅茶は、本当に美味しいんですよ」


「そうなのですか。楽しみです」


 シンシアの笑顔に、キーユの目が柔らかく細まる。


「どうぞ、冷めないうちに」


 カップを差し出すフィーゼ。キーユが気を利かせて受け取ろうと手を伸ばした。

———それはほんの一瞬のズレだった。


「あっ、」


「おゎっ?!」


 キーユの手がソーサーに当たってしまい、その反動でカップの中の紅茶がフィーゼの脇腹あたりにかかってしまったのだ。


「熱っ!」


「フィーゼ?!」 「大丈夫ですか?!」


 シンシアは慌てて席を立ち、フィーゼに駆け寄る。


「落ち着け、主。これくらい何ともありませんから。

むしろ貴女にかからなくてよかった」


「何言ってるの?!ちょっと見せて」


「いや、だから大丈———」


「フィーゼは黙ってて!」


「っ、はい」


 珍しく強い口調の主に、従者は素直に口を閉じる。

シンシアは紅茶の染みたあたりに手をかざし、そっと詠唱を紡いだ。


 すると、ターコイズブルーの光が掌に集まり、風が優しく踊るように彼を包む。

その風は温かく、傷をなでるように癒していった。


 ———これが、風の魔法か?


 目の前で繰り広げられる光景をただ黙って眺めるキーユ。


 それからしばらくするとシンシアの掌の光と風は静かに収まっていったのだった。


「どう?まだ、痛む?」


「いや、もう何とも」


「はぁ、よかった…」


 彼女の方がようやく下りる。

その姿を見ながらキーユは静かに息をついた。


「すみませんフィーゼ、大丈夫でしたか?」


「あぁ、お嬢ので治してくれたから、もう痛くも痒くもない」


 心配そうに尋ねるキーユに、どこか誇らしげに答えるフィーゼ。


 癒しの風とは風の魔法の一つで、傷を癒すことができる回復魔法の一種だ。


「ま、こんなことしてくれなくても、俺の氷で冷やせば治ってただろうけど」


「俺の氷??」


 首をかしげるキーユに、シンシアがそっと口を開き、説明を加える。


「フィーゼは氷雪系の魔法の使い手なんです。

氷や雪は扱うのが難しいとされているんですが、それを彼は自在に操れるんですよ」


 まるで自分のことのように得意げなシンシア。その様子に、フィーゼの頬がかすかに赤く染まる。


「って、あれ?フィーゼ、従者なんじゃなかったっけ?」


 ニヤリと笑う主人に、「うっせえ」とぼやく従者。

だが、彼の声はどこか柔らかく、照れを隠すように手の甲で口元を覆うのだった。



 ———へぇ、君はそんな顔もするのか。



 キーユは心の中でそう呟いた。


その視線に気付いたのか、フィーゼは目を逸らして話を戻す。


「と、とにかく、懇親会で踊る云々うんぬんは、今ここで決めることじゃないでしょ」


「そういうものなのですか?こういうのは先に予約しておいた方がスムーズなのかな、と」


「予約って…」


 呆れたように眉をひそめるフィーゼ。

初めてのことで勝手がわからず本気で言っているのか、はたまた世間というもの知らないただのボンボンなのか、測りかねていた。


「っ、わ、私は、別に、それでも大丈夫、です…」


「本当ですか?シンシアさん」


 そこにこれまたあまりわけもわかっていないのにフォローに入ってくるお嬢様。

こちらは完全に後者の、世間知らずな方であった。


「…はぁ、もう好きにしてくれ」


 小さくため息をついてフィーゼは二人から目を逸らした。

視界の端で、キーユとシンシアがふわりと笑い合う。


 ———嗚呼、ダメだコイツら…。話が通じない。


 紅茶の香りが静かに立ち上る中、フィーゼは2人のやり取りをそっと見守ることにしたのだった。


 

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